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 ローは最良の狩人である。

 ダリスに住まう多くの人間が口にするその言葉は、外部の人間を刺激する。

 いったい何を持って最良であるのか。

 ジスはその答えを見つけようとしている。彼にとって、彼女は誰よりも異常な存在だという認識がある。


 ローは、果たして本当に女なのか。

 見た目十代の少女といっても過言ではない容貌をしているにもかかわらず、ジスにはその感情を抱かせる。


 初めての出会い。そこから流動的に加速した出来事を経て、こと戦闘に関して自分よりも前を歩むであろうという結論に達している。


 同条件下で戦うことを絶対に避けるべき相手。それが、少女に向けるうそ偽りなき、ジスの判断である。

 だが、果たしてそれは最良の狩人と呼べるのか。

 ジスは探索者でもある。それがとたとえ正規の組合員ではないにしても、迷宮に潜り魔物を殺して生還できる探索者。

 その自分が下すローへの評価は、純粋に強者だ、ということのみで、強者が狩人として優秀であるかは不明瞭なままであることに変わりはない。


 武芸をたしなむ者として憧憬を抱かせる存在ではあるだろうが、いかんせん彼女の仕事風景を眺めていないのだから、評価はできない。


 仕事を通じて、言葉を交わしてつながりを持つことは大切だ。

 自由行動を許可されているのだから、やりたいようにやれば良い。

 領主との顔合わせを終えてから、さっそくジスは彼女と行動を共にする。


 とはいえ、まずはハンスに投げた荷物のことを思い出したので、ジスは宿を探すことを優先した。

 ローもとやかく言うこともなく、親切に案内までしてくれた。早速、主導権を握られているが、ジスは気にはしない。


 荷物はきちんと送り届けられており、部屋も一等のものだった。

 そのことに安堵しつつ、少々値が張りそうだという思いを胸にしまいこみ、彼女とともに仕事へ向かった。




***




 ローは不思議な少女だ。


 狩人だというのに、透き通るほどの白い肌。日焼けの後も見受けられない。綺麗なものだ。まるで陶磁器のような艶すら放つ。

 それに、華奢な体つきをしている。


 歳相応かと思えば、ローが何歳かを知る者は居らず、見た目からして十代ではないかと自信なさげに言われる。

 情報では十四、五歳だというのも納得できる設定年齢ではあるが、居住まいというべきか彼女のまとう怪奇な落ち着きは不思議な魅力とともに、自分よりはるかに年上ではないかという錯覚をもたらす。


 森への入場許可証を当然のように所持し、黙々と装備を整えては森へと入るその姿も様になっている。

 森は思ったよりも降雪はなかった。とはいえ、歩きにくさは素人目に見ても十分すぎた。

 まごつきながらも付いてくるジスを尻目に、オオカミの行動を把握するために足跡を探したり、毛、糞といった痕跡を探す。そうして、ほかの獣の動向をも観察していくのだ。


「今年は、ユキウサギが肥えている」


 小さく連なった足跡を見つけると、ローはそんなことをつぶやく。きっと、足跡の深さでそんなことを言ったのだろうが、そのことすら、ジスにとっては眉唾ものである。

 続いて、街道沿いに出てから事前に仕掛けた罠を見回り、出会う他の狩人らと情報を交換する。


 そんな彼女の装備は、外套を脱げば皮鎧を身体に合わせて見繕っている。細い身体を守るにはあまりにも弱いと思うが、彼女は気にしていない。


 一見して、熟達した狩人に見えないローではあるし、その顔立ちからとても奴隷には見えない。

 きちんと着飾れば、どこかの令嬢と銘打ったところで、誰もが疑う気持ちを持たないのではないだろうか。そのような自信が、ジスにはあったりする。


 そのくせ、やたらと力持ちだ。


 麻袋に入った穀物を両肩に二つずつ担いで、すまし顔が出来るくらい力がある。

 彼女の使う弓も強弓で、ジスも引くのにはとても苦労した。並みの大人ならば弓を足で受け止め、身体全体で引かなければならないな、と感じたほどである。


 素性を知る者は少なく、また誰もが多くを語らないし、本人は言わずもがな。しかしローを嫌っているわけではなく、知りたいから調べよう、という考えに及ばせないといった具合だ。それほどに市民から信頼されている。


 彼女自身も流暢に喋る人物ではなく、言葉足らずから、意味を理解するまでに思考する必要があったりする場面にも出くわしたものだ。


「……長い?」


 唐突に飛び出す単語の意味を、ジスは頭で考えた。

 夜の見張りは静寂さに恐ろしさを覚えるくらい、何もおきていない。


「こういった仕事?」


 ジスの反応にローはこくりと頷いた。

 少しばかり、彼女の言葉が理解できたことに喜びを感じた。そのことをごまかすために、焚き火を見つめつつも頬を掻く。


「長い、と思う」

「そう」


 含みのある受け答えに、ローは深く追求しなかった。


「ローはどうなんだ?」

 代わりに、ジスが話を続けた。

「長い、かもしれない」

「似たようなもんか」

「ワタシはここから出たことがない」

「……俺は、一所に留まることがあんまりないかな」

「どうして?」

「ローはどうしてなんだ?」

「ワタシには仕事がある」

「俺にだって仕事はあるさ。留まらないのは仕事の都合」

「ワタシもそう。仕事の都合で、ここにいる」


 互いに含みがある会話がポツリ、またポツリと滴って、やがては静寂だけが二人を包んだ。




***




 パチリ、と火が跳ねた。

 風が通り過ぎ、冷気が身体をそっと包み込んでいく。

 吐く息は白く、世界のどこかへ消えてしまうかのようだ。


 天を見上げれば空は白んでいる。

 灰に染まった雲が滲んでは、姿を変えて足早に通り過ぎていく。

 湿気を含んだ重い雪が降っていた。焚き火の熱気がひらひらと舞う雪を捕食するかのように揺らめいている。


 革の手袋が僅かに動く。握り締め、開け放つ。

 寒さが悴みを生み、いつもなら違和感を覚えないはずの動作を惑わせる。

 軽く咳き込む。外套がいとうに乗った雪が、肩や頭の天辺から滑り落ちた。同じ姿勢でどれほど、じっと身じろぎせずにいただろうか。


 二枚重ねの外套の上には、さらにマントを纏う。

 そうであっても、風は身体を凍えさせていく。

 切り株に腰を落ち着け縮こまるローの姿は、子供らしく小柄であどけなさをにじませていながらもありながら、外の景色と気候からか、とても痛々しいものだった。


 矢筒を背負い、弓を切り株に立てかけている。

 腰には短剣が、さらには隠しナイフもいくつかあるという説明を受けてなお、今だけはローが普通の子供に見えた。


 寄り添うかのように、ジスは設けられた切り株へと腰を降ろしている。短槍を大事そうに抱えながらも、どうしたものか、掛ける言葉を失っていた。


 もう、しばらくと会話はない。


 ただ、それで良いのではないかと、自分を納得させるわけではないが、とにかく無言であっても重苦しいとは思えない状態だった。


 こういう夜も悪くはない。


 ジスは握っていた陶器のカップを呷る。温くなった酒も旨い。

 金網にカップを置く。酒を入れた革の水筒に中身はなく、ローの外套に仕舞われている。


 揺らめく炎、その一跨ぎ。眠気は不思議となく、瞬きすらも忘れてしまう。焚き火の熱気がか弱くも有り難い。その先には黒の森が広がっていた。


 呑み込まれるほどに気圧されるほどの黒がそこにはあった。


 人が踏み入れてはいけない。その領分が、腰ほどの高さまでしかないささやかなりというべき木製の柵で区切られている。それは吸い込まれると表現できた。世界が萎み、見据えるほどに身体が強張っていく。


 彼の背中には牧場の母屋があって、その周りにも同じように柵が打ち据えられている。楕円状たる簡易な国境線だ。だが、家畜はこの国境線をまたぐことが出来ない。その程度には丈夫で、背丈はあった。


 右手は丘の頂上へ伸びるように開けた放牧地が広がっていて、真っ白い化粧に埋もれている。


 ジスにはここが異界のように思えたし、同業の男がそんなことをしゃべっていたことを思い出す。

 不思議な男だったが、長年ダリスで情報屋を営んでいると自称するその男は、組合長からジスが訪れることを聞いていたようだった。


「組合長から熟練者が来るとは聞いたがまさか、アンタみたい有名人だとは……。あえて光栄ですさァ、ダンナ。ここは良いところですぜ、ゆっくりしていってくだせい」


 少なくとも、組合関係者として情報屋をやっている腰の曲がったみすぼらしい壮年の男が会いに来て、ベラベラとおべっかを使って話してくれるよりも前から、ジスはここが辺境の集落とは一線を画すところだと思っていたことだ。


 ただ、有用な話であったことだけは確かだ。流石に現地で暮らす者の話は信憑性も高い。

 ここは王国アスタリアの辺境だ。王都カリファから北に位置するベルネルリ男爵領は、山脈に囲まれた緩やかな丘陵地を持っている。


 酪農と林業が盛んで、小さいながらも未踏の山脈を持つことから探索者が多く訪れた。

 かつてこの地を訪れた賢者が死んだ山、キュドレー。そこには賢者が生涯をとして打ち込んだ研究と膨大な財宝の数々が眠っている。

 そのような伝説がある山だから、与太話と鼻で笑いつつも探索者は山に挑んでいった。そうして、山道は必要になり男爵は整備に乗り出した。


 道が形になると、今度は休憩所が道沿いに作られるようになった。


 始めは掘っ立て小屋の真ん中に暖炉があるだけで、探索者が薪を自作でもしない限り、火が灯ることもないほどにおざなりなものだった。

 それではいけない、山道は山へ森へ入る通行路として整備していくことになる。

 男爵は人を誘致した。そうして、奴隷として使役されていた者に始まり、戸籍があやふやな浮浪者から、土地を欲する開拓者が来訪した。

 男爵は彼らに戸籍を与え夫役を課し、国には領内人口の詳細を送り続けた。やがて新規集落を構築する許可を取り付けた。

 三十年。親子二代に渡るほどの年月を持って、今の男爵領は形成されていた。


 武功により得た小領。わずか三百人の領民を養うことこそ、ベルネルリ家の役目だった。


 現在の人口は千五百人。そのうちの九百人ほどが男爵の屋敷がある城砦都市ダリスに住んでおり、ジスの居る放牧地の南側にその都市を望むことが出来た。


 坂を下り川辺に出れば、石造りの城壁を見上げることになる。

 その城壁の上には松明が灯り、警備隊が哨戒に闊歩かっぽしていることだろう。国境線が山脈とはいえ、有事には最前線になりえる城砦都市、それがダリスだ。


 ダリスは元々城塞都市ですらなかった。ただの村に一メートル程度の木造の柵の中で、百人がひしめいていただけだった。

 領内の戸籍登録もおざなりで、三百人とはダリスの全住民という記録としての数値で、実際はどれほどの人が住んでいるのかを調べることから、ベルネルリ家の仕事が始まったという。


 当初は赤字だったようだが、今では微量ながら黒字に転じているようだ。今ではちょっとした浪漫を追求するため、鉱山探索に手を出している。

 その探索のかいあってか、山脈の中腹で巨大な洞窟を発見。魔物の存在も確認され、一昨年に国から正式に迷宮ダンジョン認定を受けた。


 これも探索者を積極的に呼び寄せ賑わいを見せている。


 山麓には新しい集落が出来、宿場として発展を続けていた。

 今年に入ってからは迷宮に巣食う魔物が活性化し、入場が規制されている。

 現在では表層一階、ならびに這い出てくる魔物を処理する仕事を、探索者に委託しているところであった。


 掃除屋家業の者もちらほら見えているようだ。


 諸外国からの商人や旅人も北方の都市にしては随分と多かったのは、街道の整備が順調である証拠でもあり、男爵領ダリスの都市で購入できる紙や酪農製品が好評だということだろう。


 やがては文化の集合地点として、もっと大きく発展する。

 そう信じる者達が朝日の浮かぶ前から仕事に出かけ、夜になれば酒場で陽気に歌う。


 誰もが領主ベルネルリ家を讃える。こうして酒を飲めるのは領主のおかげだと、感謝しているのだ。

 使用人の応募があろうものなら都市や近隣から若人が押しかけるとか。

 とにかく、辺境でこれだけ豊かな暮らしができるのは領主のおかげというわけで、人気は凄まじいものだ。


「領主さまは、女とあって周辺貴族からのやっかみも多いようですがね。何よりも自身が騎士団に属しているってんで、腕が滅法立つ。それで、近隣の若造どもが勝負を仕掛けてくるんですよ。勝ったら嫁にする。そうして、ここいらを手中に収めちまおうって寸法ですわ。ただ、アリシア様も今年で二十六歳ですから、そろそろ結婚してもらっちまったほうが安心ではあるんですがねぇ。勝てる男が居なくていなくて」


 誰でも良いから夫を見繕って、子をなして欲しいもんだ。というのが、近年沸き起こっている領主への愚痴のようだった。

 なんとも贅沢な悩みである。男も女も井戸端会議が始まれば、最後にはその話題に移るのだとか、とにかくそんな他愛のない話までも、同業者は語っていったのだ。


「ダンナ、あっしはねぇ。ここが好きなんですわ。だからこそ、ダンナには期待してるんですよ」

 何をだ。とジスが問えば、

「それは、よくわからねぇもんなんですがね。ただ、お隣さんがここ三年ほど慌しくてね。領主様も兵員の増強を隠れてやったりしてるもんで、それで、そんなときにダンナがきたんでさァ。それも一人だってェいうもんだから、きっと、飛び切りのすげぇ依頼なんだろうなって察しましてね。いやはや、まさかあっしにも連絡がくるなんておもいもしませんでしたよ――」

 と、長々と語りながら、具体性のない会話が続くばかりだった。


 ただ、男ははっきりという。


「ダリスは良いところなんですよ。あっしの故郷は南部なんですがね。ここに骨埋めるつもりでさぁ」


 そういって、はにかんで笑う姿は、みすぼらしい姿とは裏腹に、純朴なものだった。

 同業者が好いているその都市を望むわけでもなく、ジスは座している。

 

 切り株に腰を落ち着け、ただ前を。


 彼が夜の見張り番に着いてから三時間が経過していた。


 それを知らせるかのように、ダリスの鐘が鳴っていた。

 水時計は凍らぬように室内で暖をとりながら管理人が番をしているためか、夜中でも鐘がなる。


 見張りに立った奴隷は十四人。三人一組で四方を見張り、犬を放っている。不測の事態への応援に詰める二人を残し、三時間で交代する警備体制を敷いていた。


 ジスはおまけだ。


 男爵領はゆるやかな発展を遂げている。

 男爵としてはあえて、ゆるやかな発展を心がけていると言った具合だ。


 そうでなければ大々的に男爵自らが社交の場に姿を見せて貴族間の交流を持つだろうし、王都へも足を運び、商人らとの交渉の場を持つはずだ。だが、男爵は口頭による噂を広げる程度で、大きく動いてはいない。


 王宮への貢物は一定の物を納めているだけで、人脈作りに勤しんでも居なかった。そのことを、男爵に雇用されている小作人にして、奴隷の身分であるローは良く心得ているようだった。


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