5
貴族の住まう屋敷はどこも見事な調度品に溢れている。
貧相な内装では、他の貴族から侮蔑された嘲笑を受けることになるからだ。
少なくとも、王都に屋敷を構える貴族はそういった"人種"と言えた。
では、ジスが通されている部屋はどうなるのだろう。これは難しい問題だった。
何せ貧相というわけではないが、豪奢という言葉が似合うというわけでもない。
木目調が四方を囲み、燭台が壁からせり出し、明りとなっている。
暖炉では火が踊り、肌寒さは感じない。
壁には刀剣が飾られている。窓はないが、暖炉の煙を逃がす煙突はあった。
堅苦しい。格式ばった窮屈さがこの部屋にはある。
それは貴族の部屋特有のきらびやかさではなく、戦時を彷彿とさせる絶対的な規律統治に根ざしたある種の武骨さを持った作りからだった。
城砦としての観点ならば、ジスからしても文句はない。事実、今まで見てきたどんな城砦とも引けを取らないと舌を巻く。
ただ、領主城としては実に不誠実なものだろうとも思った。
領地の顔となる領主城は千差万別なる容姿をしているものだ。
ベルネルリ男爵領において、その外見さは威厳の一言に凝縮され、ここが辺境であり、隣国との緊張感をはらんでいるという印象を持たせ、背筋を思わず伸ばしてしまうものがある。
さすがは騎士から貴族になった者の居城だと唸るだろう。
けれども、内部は一点して交渉の場という多様な人間を招く場である。貴族ならば多少なりとも、見てくれに工夫を凝らしても良いのではないだろうか。
――少なくとも、女の使う部屋ではないな。
ジスはそう思いつつも、この城の主を一瞥する。
「ふむ、アンデッドか……」
無駄な装飾のない、瀟洒な机からコツコツと気味良い音鳴り、ジスの耳をくすぐる。
白い指が一定のリズムを作り出していた。
艶めく黒い髪は後頭部で球状に結われ、そうではない横髪が頬を撫でるように垂れている。
開かれた面で柳眉がしなり、レンズの向こう側にある瞳は見えない。
アリシアの表情は芳しくなかった。
それも当然だろうとジスは息を潜める。
領内で魔物が確認されてしまったのだから、領主としては頭の痛い。
対処するにも、国境沿いということで、下手に討伐隊を編成して外交問題にされても困る。かといって、少数では大勢だった場合、後手を打ち、領内の被害は増える。
重い空気に辟易しながらも、アンデッドを討伐した当事者として同席しなければいかず、ジスは窮屈そうに四脚の椅子に腰を下ろしていた。
長方形の机が目の前にある。上座にはアリシアが座り、対面にはロータスが座っていた。
上座の斜め前、ジス側で直立している男は、鎖帷子を纏った騎士で、ウィニペグ騎士団の副長を勤め上げている男だった。
先ほど手早く紹介を受けており、名をガルシアと言う偉丈夫で、今日は村の定期報告を行う当番仕事のためにダリスへ帰参している。
机の上には大地図が広がり、見ればこの男爵領が描かれている。
「街道に姿を見せた」
ロータスの抑揚ある声が僅かな反響を生む。ジスは僅かに燭台の輝きがうねったように見えた。
「森の中で魔素が凝集している疑いがありますな」
ガルシアの低い声が漏れる。苦慮する事案のためか、眉間に皺が寄っている。
「アンデッドなど早々出没する魔物ではないからな……とにかく、近日中に調査隊を編成しよう」
アリシアは小さなため息を漏らした。
流し目で机に広がる書類を眺めながら、彼女は腕を組む。
「騎士団が?」
「いや、警備隊と狩人で動かす」
「はっ」
アリシアの目がロータスを射抜く。
「奴隷も使ってかまわない。細部はローに任せる。ただし報告は上げること、良い?」
「はい」
ローの気味良い返事で、張り詰めた空気が消える。
ジスは静かに、緊張の糸を断ち切った。どうやら順番が回ってきたようだ。
「それで、貴方が探訪報知組合のジスで良いのかしら?」
先ほどとは違い、笑みを浮かべるアリシアに、ジスは席を立って礼をとる。
「えぇ、お初にお目にかかります。ジスブレットと申します」
入室のさいに挨拶はしたが、あらためてジスは立ち上がって礼を述べた。
「そうかしこまらなくて良い」
着席を促されると、ジスは腰を落ち着ける。
「ローから貴方のことを聞いたものね」
白皙の肌が、蝋燭の光で妖しく輝いているようだった。それでいて、病弱という印象など微塵も感じさせない。それどころか、その不敵な笑みから、秀麗な面持ちと言える。
「いえいえ、公人の面前で醜態をさらすわけにはいきません」
見惚れるのもほどほどにして、ジスは営業中の顔を作り、ほがらかに崩した。一挙手一投足に余裕があり、貴族階級社会を経験した男だと暗にほのめかしている雰囲気をかもし出す。
「慣れたものね」
アリシアは感心したように声を挙げる。
「恐縮です」
「ジスと呼んでも良いかしら?」
「はい」
「どう、ダリスは」
「陰鬱とした片田舎という偏見が吹き飛びました」
正直な物言いに、アリシアは微笑を浮かべた。
「それは良かった。だが、到着早々に面倒ごとへ巻き込んでしまって申し訳ない」
アリシアの謝罪に、ジスは返礼する。簡単な社交辞令を終わらせると、アリシアは仕切りなおすように声を出す。
「では、ジス。貴方からみてオオカミをどう感じたかしら」
指を絡め、机に添える。背筋は伸び、真っ直ぐとジスを見つめてくる。
「オオカミ、ですか?」
既視感を覚えるその台詞だった。何よりも単刀直入な会話の入りに、先を取られてしまった。
いつもなら長ったらしい談話から始まるものだから、ついジスとしても貴族相手と高を括っていた。
後悔よりも、自分の短慮を恥じた。
「えぇ」
つり上がる口元に、ジスは何かを見透かされている気分にさせられる。とはいえ、当事者なのだからこの程度のことを隠す必要はない。
むしろアリシアに対する印象は良い。情報の通り、彼女は貴族であって騎士でもあるようだ。
「……アンデッドのことを理解しているように思えましたね」
率直な感想を聞かせる。と同時に、自分の中でその脅威を再確認させる。
「理解、か」
「まるで訓練された兵隊のようでした。あれほどに恐ろしいと感じたオオカミを私は知りません」
統率された兵隊は強い。しかし、それは人間という前提があっての話だ。
当然、戦闘に際して、それらへの対処方法は確立されている。古今、争いのない時代は訪れていないのだから。
しかし、オオカミとなれば別である。オオカミは獣であって、戦争をする相手ではないからだ。もし戦うことになれば、それは狩猟や駆除となる。
だからこそ、ジスは恐ろしいと感じている。
オオカミの森と呼ばれるくらいの集団が生息している土地で、まるで人間のように、獣たるオオカミに組織的な行動をされてしまう。それも森という視界不良の中で、鼻が利くオオカミがだ。
オオカミとの戦闘経験を持つジスからすると、それは非常に危険だと思えた。出来うるならば、戦いたくはない。
そう、果たして森の中という条件下で、人間は勝利を得られるのだろうか。
闇夜に乗じて奇襲を仕掛け、人間にはわからない言語のような遠吠えで意思疎通をこなし、集団で狩りをするオオカミは、もはや兵隊と呼べるのではないか。
「――ジス、実のところ頼みがある」
アリシアの声に張りが出ていた。高音に芯が通っている。
彼女が騎士団長として号令をかける様が脳裏に浮かぶ。やはり、アリシア・ベルネルリは武人だとジスは思った。
「お話だけでもよろしいですか?」
それでも保険は一応かける。経営手腕を鑑みて、ただの武人ではないことなど解っている。
「かまわない」
軽い牽制もどこ吹く風か、アリシアは微笑を浮かべた。
「では、伺います」
毒気を抜かれることはなく、ジスは愛想笑いを崩さす頭を軽く下げた。どうにもやりにくい。いっそ尊大に接してもらったほうがよほどに扱いやすい。
「今回の件が絡むならば、ジスのような実力者の言動が欲しい。冬の森に立ち入るということは、死を覚悟しなければならない。ならば、少しでも生存率を高めようとする努力を怠るわけにはいかないでしょう?」
同行者として、今回の一件に首を突っ込んで欲しい。アリシアはそう言っていた。
ジスは副長を見やるが、反論の意志はなさそうだ。むしろ、副長もこの一件には肯定的な意見を持っているようで、とくに口を挟む様子はない。
「――判りました」
初めから仕組まれていたようだ。
独自に動けといわれていたが、その実、どうしたって問題を解決しなければならない事態になってしまっては、ジスは行動を縛らざるを得ない。
ここで悪あがきしたところで状況は好転しないだろう。ならばこその諦めがジスの言葉に表れていた。
元々、暴れるつもりはあったのだから、何も問題はない。そう思いなおす。
「騙したようですまない。なにぶん、私も謀らねばならない身の上でね」
アリシアの言葉に、さきほどの愛想笑いを作りなおす。
「承知しております。辺境ゆえもありますが、やはり隣人の顔色は気になるというのも判ります」
森の変事に魔物が絡むのならば、討伐隊を編成したい、とはどの領主も思うことだろう。だが、あいにくと男爵領は国境線に近い。
軍事行動だと文句をつけられることも十分に考えられた。
城塞都市の件は、あくまでも森の脅威から人々を守る、という大義名分があったからこそできたことだ。
そもそも、今のご時世に城壁をもたない都市のほうが珍しいのだから、国境に近いとしても、おおっぴらな批難は自らの首を絞めることにも繋がりかねない。
男爵領は迷宮を保持している。迷宮には魔物が巣食い、あふれ出す魔素により魔物を生み出しやすい環境を作り出す。そういった管理もあいまって、帝国も小言を言う程度で、外交戦争に発展することはなかった。
「その件も含めてだよ」
「やはり、そうでしたか」
ただ、露骨な軍隊の運用を黙って見過ごす相手ではない。
友好国というわけではないが、不可侵条約を結んでいるだけの仮想敵国が、軍隊を編成している。それも国境近くでというのだから、帝国としても行動を起こさないはずはない。
「魔物を討伐することにもなるかもしれない。いや、なるだろう。オオカミの生息数の報告は受けているけれど正確性はないの。彼らも生き物だから、群れから離れた固体も居るでしょうし、別の群れを構築しているかもしれない。大まかに言えるとするなら、百程度は確実にいるということくらいでしょうね。そうであるならば、掃除屋としてジスの協力は欲しいところなの」
オオカミの縄張り範囲は広い。
森だけを生活圏にしている者もいるならば、平原や隣国を股に掛ける群れも居るだろう。人間の把握も苦労しているというのに、獣の生息数を完璧に把握することなど不可能であった。
一体どれほどのオオカミがアンデッドとなったのか。あるいは魔素に取り込まれ、魔物に成り果てたのか。知る術はない。何よりも、オオカミ以外にアンデッドと化した獣が居ないとは限らないし、純粋な魔物が発生していることも考えられる。
「獣型の経験は?」
副長は言った。
「一番、多いと思います」
アリシアとの仲介にジーノという商人を使って、組合との接触を図ってきたことはもはや明白である現状で、ジスは己の役割を模索する。
殺すことになる。魔を、ジスでなければ殺せない魔を殺すことになる。自慢ではないが、ジスは多くの魔物を殺してきた。いわゆる呼称付き(ネームド)級を屠ったこともあるくらいには強いという自負がある。
つまりは、そういうことなのだろう。お誂えむきなことで迷宮も近くにある。建前として、オオカミの情報も得ていることから、その異常性を知識として把握してもいる。
オオカミとの初対面で、経験をも得るに至っている。
アリシアは全てを把握した上で、さらにジスを動かすつもりなのだ。そして、その対価として、恐らくはダリスにおいて最高戦力たるロータスを相棒として付ける。
ジスも良く理解している。だからこそ、自分がこの地に赴くことになったのだとも。
魔物を殺す生活をしてきた。魔物を殺して、金を貰って生きてきた。だからこそ、今、ジスはここにいる。
何も変わらない。これまでと同じことだ。魔を殺せばそれで良い。それだけで、自分の役割は終わる。
ふとロータスと眼があった。黄金の瞳が真っ直ぐと自分を射抜き、言い知れぬ身震いが起こった。
彼女の眼が光ったように見えた。赤黒く、鈍い光を発したような気がした。
――魔を払う者は魔に憑かれるものだ。
野太い男の声が、脳裏で囁く。
――気をつけろ。お前は、俺よりも強いんだからな。
瞼を押し込み、光を打ち消す。頭を振って雑念を殺す。
俺は違う、と叫びたかった。
硬く眼を瞑り、深呼吸を行った。
「大丈夫?」
アリシアの言葉で、ジスは笑みを作りなおすことが出来ていた。
「いえ、なんでもありません」
取り繕う言葉に、アリシアは心配そうに眉をひそめた。
「ジス。ローには仕事があるんだ」
アリシアはロータスに視線を向ける。
「はい」
「ジス。どうだろう。無理強いするつもりはないのだけれど」
コンビを組んで仕事に付き合って欲しい。そんな申し出に、気だるげな顔つきを作らないよう顔の肉を引き締めた。
湯浴みをしたい。と思いながらも、断る理由としては不適切だ。その場の欲求で決めてよいものではない。
観光の片手間に同行できるかも怪しいものだが、一応の名目はロータスの取材なのだから、この申し出は喜ぶべきところか。
「わかりました。同行します」
そう言って、面前のロータスを見やると、
「よろしく、ロータス」
と声を掛けた。
「ローで良い、ジス」
ロータスの言葉に、アリシアは微笑む。
「呼んでやって欲しい。これからは相棒になるという意味も込めて、ね」
相棒、ね。嘆息を気づかれないように飲み込んだ。
「よろしく。ロー」
ローは静かに、けれども満足げに頷いた。