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ウィニペグ地方は、どうしようもないくらいに辺境だった。
王都より、隣人の住まう都市のほうがよほどに近い。
ただ、その隣人ですら足踏みするほどの国境線が山脈という雄大さで持ってして、国という枠を作っている。
大小さまざまな集落が点在するが、どれも友好的な協定を結んでいるわけではなく、王国から集落として認知されていない、いわゆるモグリの村も散在していた。
魔物の被害が出ようとも、国が兵を差し向けることもなく、兵士が街道を歩いて旅人や行商人から小遣い稼ぎをしても、何ら咎を受けることもない。
そのような辺境において、最大規模にして唯一の都市が、ダリスだった。
村々は精々数十人程度を有し、郷士は戦闘農民を数人擁するだけだが、ダリスは違う。
周りを二つの堀と城壁で囲まれた立派な城砦都市なのだ。
戦闘農民など生ぬるい。ダリスには戦闘特化の兵士を擁し、交通の要所も相まって、辺境で大盛況の集落だった。
城壁の周囲を囲むように荘園が広がり、農奴たちは春から秋まで、郊外で農作業をする。そうした農奴のために、簡易的な村も作られている。
今は冬の時分ゆえ、生活の火は見えないものの、旅人たちの休息所、旅籠として営業しているところもあるほどだ。
街道はダリスへと続くものと、山脈、そして隣国へと続くものに枝分かれしている。
ダリス経由で行く街道がもっとも広く、安全だと評判で大抵の旅人や商人が利用する。その行く手には迷宮もあり、その近くには村もあるのだから、人の往来が多いのも頷けた。
ダリスへは基本一本道で、その先に跳ね橋が見える。
外郭の堀は自然の川を利用したもので、蛇行した川の岸にそって土手が作り上げられていることが窺い知れる。
その川に架かる跳ね橋を渡れば、目の前には城門の代わりに、堅牢な様相を見せ付ける壁がジスを出迎えた。
城壁と同じ高さに見えるその壁は石作りだったが、良く見ると小さな穴がボコボコと開いている。上を見上げれば哨戒の兵が立っていることから防衛拠点であることが解った。
「やぁ、ロー」
警備隊の兵士にロータスは話しかけられる。
「横の男は連れかい」
「組合の人」
ロータスの言葉に、兵士は納得したような笑みを浮かべて、
「話は伺っています。ジスブレットという名前でよろしいですか?」
と言った。
「はい」
ジスは愛想笑いを浮かべてみせ手続きを行う。
治安は良い。とジスは判断していた。兵士にゆとりが見られる。そこには欲にかまけて賄賂をもらう相手を品定めていたり、罪人を常に警戒して緊張感を滲ませている様子もない。
さりげなく、自分たちの動作や癖、目線を観察している。表面上はほがらかながら、人間観察にこなれている印象が強い。
相手を怖がらせない配慮が出来る。つまりは自分たちの職務に自信がある証拠でもあった。
ジスは組合証となるブレスレッドを提示し、手荷物の有無を確認された後、市内への入場を許可された。
情報の伝達も素早く、滞りもないようだ。門番には優先的に知らせているのかもしれないが、高圧的な態度を取られたり、尋問めいた聴取をされないだけ、このダリスはすばらしい都市だとジスは感嘆する。
堀に架かった跳ね橋を歩きながら、ジスは振り返る。
「にして、大きいもんだな」
壁は、後ろにある城門と、ジスが渡っている跳ね橋を隠していた。
「馬出し」
この壁の名称が、馬出しなのだろう。
言葉足らずではあるが、まったくの無関心というわけではない。ロータスという少女はこれが、普通なのだな。
社交性は低いが、付き合いを拒絶することはないようだ。言動の解読に難儀しそうではあるが、扱いにくい人物ではないようだった。
「厩舎があるということか」
馬出しというくらいには、はずれではないだろう。
「そう」
ロータスは短く、肯定し、ジスは少しばかりの満足感を覚えながら、視線を前に戻した。
馬出しという建造物は二十メートルはあろうかというほどに高い。また迂回する際の体感では五メートルはあろうかという厚みのある壁だった。外敵からの防衛を意識した矢倉や、城壁には小さな穴も確認できた。そこから石弓を放つのだろう。
「最前線基地という位置づけで、なおかつ攻防の二面性を考慮に入れたのが、これか」
馬出しからの矢掛けに加えて城門からの援護も加われば、敵兵はそう簡単にここを突破することは難しいだろう。
「元々は村だったそうだが」
三十年という月日が経っているとはいえ、たかだか数十人程度が住んでいた村が石造り主体の都市に変貌を遂げていることに、ジスは純粋に驚いた。
「人を呼んで、資材は森と、山から。仕事も増えた」
人、物の流れは立地からしてあり得る話だった。戦争史料においても、復興の名目で、開拓民をこの地方で募集したという記録も残されている。
軍屯として、兵士をこの地に配しもしているのだから、王国の力の入れようが良く判る。
アリシア・ベルネルリの父親たるヴァルドアは王国の将軍職。独自の軍団は持たずとも、有事には王直属の禁軍指揮を任せられるほどの権限を有している。そのような男が支配した土地は、ジスも目の当たりにした通りに、軍事拠点としての整備がなされている。
軍屯を考え付くのも頷ける。
ならばこそ、金は湯水のように使わねばならなかったはずだ。その金はどこからもたらされるのか。それを考えてしまえば、ベルネルリ家が妬まれている理由を垣間見ることが出来る。
英雄の存在と終戦こそしたものの、領土が増えたわけではない戦争の傷跡。そして持続する戦争の場は外交に移った。逼迫した国家運営に、貴族たちの野心が渦を巻いていた、そのような時代だ。
王家からすれば、忠臣は是が非でも欲しかったはず。それも、荒廃した土地を開拓するに必要な、兵や民からの受けが良い人物が必要だったはずだ。エスペランサ辺境伯との繋がりも少なからずある。五年戦争で、辺境伯は領土を侵されながらも抵抗し続けた忠臣だった。
「王都の貴族が妬むわけだな」
「妬む?」
一瞥がジスの瞳を捉える。ほのかに混じる嫌悪の想いに、ジスは肩を竦めた。まるで自分が批難されているようだ。
「貴族の中には、どんな土地でも市民かぶれに支配させることを嫌う奴がいるってことだ」
ロータスは顔を顰めた。
「くだらない」
「そう、面倒な話だ」
馬出しから大手門へ向かう。堀に架かった跳ね橋を渡り終えると、落とし格子の鋭い刃の下を通り抜ける。
そうすると、大手門までは左右に防御壁がそびえた一本道を歩いた。大手門の左右には、ノコギリ状の狭間胸壁よりも大きな隙間があり、ジスはすぐに、これは石落としのものだなと気づいていた。
目の届く範囲に角塔が、防御壁越しからでもそびえていることが見えた。
城壁も長い大手門を潜り終えると、市内に入ることになった。
まず目の前には外庭のような広場があって、真ん中には噴水が鎮座していた。丸いオブジェによって馬車や人の流動は弧を描き、ゆったりと歩んでいく。
噴水を取り囲むように立ち並ぶのは、馬車や馬を管理する市民用の厩舎があり、旅に使われた馬はここでお勤めを終える。ここで、積荷がある場合は運搬人や市内専用の馬車を使って商家などに荷物を運ぶ。
商人や旅人はここで待つ間、紹介屋という観光案内を職業とする人々から宿や店の紹介を買うのである。
「直接向かうのか?」
「着いて来る?」
「……えらく放任してくれるんだな」
奴隷ならば、権限は最下級に位置するところが常識な王国で、ロータスは市民のような権利を獲得している。それが、ジスにとっては驚きだった。
「組合は信用が一番」
ロータスの言葉に、ジスから思わず苦笑いが飛び出した。
なにせ、情報を扱う組合だ。信用にはよそよりも気を使う。
知ってか知らずか、まさかそのような正論を吐くとは思わなかった。
その程度には、彼女のことを田舎者と思っていた自分に自嘲を感じざるを得ない。とはいえ、まさか自分の方が何か粗相をしでかすかもしれないと思われていたとは……。
「良く判っていらっしゃる」
落胆を隠すジスの賛辞だったが、ロータスは無視を決め込むかのように大通りを歩いていく。
興味がないようだ。不快に思うまもない。彼女の横顔には何ら感情の浮沈がないのだから、これが当たり前なのだろうと予想がついた。
「馬車は使わないのか」
「歩く」
「そう、か。助かるよ」
ロータスは僅かに横を歩くジスの顔を、上目遣いで覗き込んできていた。
今の発言が、彼女にとって不思議で仕方がないとばかりに、金色の瞳がジスを捉えている。
ダリスは王都のように十万もの人口を有してはいない。
千人ほどが住まう、決して大きいとは言えない都市といえる。住民だけならばもっと少ないことだろう。つまりは、歩いて見回るのに多大な労力を払う必要がなく、大通りを歩くだけで都市に根付く印象をつかむことも容易にできる。
地方都市は部外者に対して排他的な傾向がある。部落社会の閉塞感には及ばないが、それでもジスは視線によって嫌な思いをしたことが何度もあった。今では慣れたといえてしまうことだが、嫌なものは嫌なままだ。単独行動の辛い所で、一人というのは攻撃するに最適なのだ。それが暴力か暴言かなど関係ない。
そういった点からロータスの申し出は、有難かった。
市民から信頼される狩人と同伴して歩く。
これは良い気配りを得た。無駄な諍いに労力を費やさずにすみそうだ。。
ジスは石造りの大通りを悠々と歩く。
馬車は通りの中心を走り、進行方向が統一されているためか、人の歩みに緊張感はない。二台の馬車が十二分に往来できるほどに、大通りはゆとりある作りがなされているばかりか、しっかりとした石造りだ。
白い雪が舞っていたが、歩行を妨げるほどの積雪はない。きちんと雪がかかれていた。
雪の中、通りを歩く人は多い。ここの市民からすると、この程度で外出を取りやめる必要もないということなのだろう。
「専門の業者がいるのか?」
それくらいには、ここダリスの都市に雪は落ちてくる。雪をかかねば都市機能に影響が及ぶのは眼に見えている。
「必要だから」
ロータスは抑揚ある声を飛ばした。
雪をかく。ジスはその大変さを道中で味わっている。
「大変な仕事だな」
通りを闊歩していれば、雪かきを行う者たちの姿がやはり、目に入った。外套を着込み、せっせと作業をしていた。
このとき、ジスは彼らが奴隷なのだろうか、と逡巡した。
寒い外で雪を掻き分ける大変な仕事だ。市民は率先してそのような仕事をやりたがらないだろう。しかし、彼らの着る防寒着はどれも毛皮をふんだんに使用したもので、実に温かそうだし、雪を各道具も鉄材を用いてあって、踏み慣らし固まった雪でも難なく掻き分けていた。
奴隷にあれほどの品を供給できるのだろうか。その疑問を抱きつつも、ジスは面と向かって、
『あなた方は奴隷ですか』
と言えるほどに図太い神経をしていなかった。
彼らに直接問えないのならば、都合の良い人材が横に居る。
「雪をかいている人がいるな」
ロータスは眼もくれなかった。しかし、一拍の間を置いて、
「彼らもワタシと奴隷」
とジスの聞きたかった答えを出した。
答えなれているとジスは直感した。やはり、部外者が驚くほどにダリス(ここ)は違う。
「やっぱりか、しかし――」
「それだけの仕事をしている」
さも当然のように言うロータスに、ジスは思わず頭を掻いた。王都の貴族様が聞けば鼻で笑うだろう。
奴隷に人権はないと、態度でしめす輩がいる。それが決して少数ではないくらいには存在していることをジスは知っている。
自分も似たようなものだった。奴隷に市民と同等の権限を持たせることに、驚きと何故だろう、という疑問を生ませる。それくらいにはジスも王都の市民だった。
「なるほどね」
動揺を見せるつもりはなかった。
地方による風習の差異は良くあることで、ジスは取材や旅を通じてわかっているつもりだから、とやかく否定する言葉をならべることはしない。
ただ、気になることはあった。
「奴隷の証はつけているのか?」
奴隷という身分を示す証。それが見当たらなかった。
外套を纏おうと、奴隷の多くは目の着くところに証を装着している。義務ではないが、暗黙の常識だとされている。
「余所者は奴隷に暴力を振るう輩がいる」
市民ですら仕事がなく路頭に迷う者がいるのだから、奴隷であろうとも仕事を貰っていることは十分に恵まれている。
「衣食住も管理されているんだろ?」
「当たり前」
ジスはため息を吐いた。
「……ここまで待遇の良い奴隷は珍しいと思うがな」
ロー自体にも奴隷の証は見受けられない。狩人という職業についているのだから、余計と区別すべきではないか、と考えるのは自分がおかしいのだろうか。
「そう?」
前を見据えたままに、彼女は呟く。
色のない返事だった。
「ダリスから出たことがないのか」
「ワタシの仕事は狩りと調停だから」
「調停?」
「森と」
「森と、ね……」
いつもならば、世辞か冗談でも交えてしまう発言だったが、ジスはそれを即座に否定できず、むしろ肯定寄りに考えてしまっていた。
確かに必要かもしれないと思ってしまう。
あれほどのオオカミが住まい、このダリスを囲っている森を支配しているというのならば、この地は人間の支配の及ばぬ魔境といえた。
王都の与太話も馬鹿にはできない。実際には見聞してこそ、今のダリスが見えてくる。
奴隷だからと差別しては、この極寒で死んでいくだけなのだ。ならばこそ、身分の区別はしながらも貴重な労働力を虐げる愚挙に及ぶ者は出なくなる。
薄暗く、陰鬱とした空が垂れてくる。
眼下では、人々の息遣いが冷気と共に通りを抜けていった。