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 どこかでオオカミが鳴いていた。

 遠吠えだ。

 ジスはその声を耳に挟み、意外に近いと判断していた。

 すると、幌が揺れる。木の骨組みと板で作られた天井部が軋む。見張りは屋根の上だ。


 その気配を感じ取りながらも、山道にでも入ったかのような勾配が、ジスの身体を傾かせる。

 街道が変わっていた。

 唯一、外を拝むことの出来る幌の後方を見やれば、やはり坂を上っていた。


「森に入った証拠だよ」


 ジスの視線を感じ取った対面に居る傭兵の一人がそう言った。

 その一言が終わる頃合いには、元の平坦な街道に戻ったところだった。


「お前さん側には森がある。その先をどんどんと進めば山脈に突き当たって帝国ベルガになる」

 ジスは大きく頷いた。

「防衛線の指標か。良く考える」

「だてに英雄の父から教育を受けてはいないってことだな」

 ベルネルリ男爵家。それは武門の名家として三十年の歴史を持つ新興貴族の名。

「ヴァルドア将軍閣下の愛娘か」

「それを本人の前で言えるか見物だな」

「おまえさんは同席しないだろうに」

「言葉のあやだ」


 かつて起こった隣国ベルガとの五年に及ぶ戦争で、ヴァルドア・ベルネルリが、バッヘル騎士位から男爵において最高位であるイングランド男爵位の叙勲を受けたことで一躍有名になった家門だ。


 五年戦争と呼ばれる国家間戦争は、終戦までに両軍合わせて四十万にも及ぶ兵力を投入したとも言われるほど、まさに総力戦に近しいものだった。

 ここでヴァルドアは兵士として武功を挙げて騎士へ、そうしてさらに武功を挙げてついには貴族になってしまったのだ。


 騎士位とは一代限りの名誉位であるが、騎士だからといって全員に授けられるほどに安いものではない。


「それに、こうして土塁状にしておけば、街道から滅多なことでは逸れないだろう。人為的に下りない限りはな。それに――」


 傭兵の視線が外に向けられる。街道の両端には杭が打ち込まれていた。目印なのだろう。


「街道沿いに木々が生い茂らないよう、空き地の整備なんかもしている。そうすることで、獣や物取りを近づけさせないようにしているもんなのさ」

 とはいえ、見張りは必要だ。今も全ての馬車に見張りが居る。


 交代制で幌の上に居るのだ。防寒着を着込み、白銀世界を観察する。

 丁度、交代の具合だったようだ。馬車の後方から傭兵が降りてきた。


 ジスは見張りの交代とともに幌に上がる。息抜きのために何度か行っているため、傭兵たちもとやかく文句をつけることもしなかった。

 見張りは弓や石弓を握っているが、ジスは布に包まれた棒を背負っていた。


「深いな」


 森は白く、それでいて暗い。木々に雪が付着し、余計に光を遮断している。


「森の奥地には、この森のあるじが居る。なんて伝説もあるさ」


 見張りを交代した青年が答えた。名をハンスといい、彼は傭兵を生業としている。

 傭兵といってもダリスが故郷で、こうしてダリスを行き交う隊商の護衛をして生計を立てている気立ての良い男だった。

 彼は戦争に参加したことない。けれども、彼は冒険をする元気もなければ故郷を捨てて金のために他所の戦争に顔を出すほど野心に溢れても居ない。ジスは道すがらそのようなことを聞き出していた。


「へぇ、誰か確かめたのかい?」


 猫を被る事をやめたのはいつだったか。最初の七日くらいは敬語を意識していた気がするが、飽きたかのように口調を素に戻している。

 傭兵らも慣れたもので、変貌をとやかくいう輩も出てこなかった。


 今回は明確な取材仕事ではないのだから、相手の顔を伺う必要もない。肩がこる仕草を気にせず、気楽に旅が出来ることはジスにとって有難かった。


「いんや、この森は別名オオカミの森とも言われてな。入るのには領主様の許可が必要なんよ」


 オオカミの森。

 ジスは白く染まった森を見つめる。どこか、その森の中に光る眼を垣間見た気分にさせられる。


「まぁ、主を見た奴は存外と多いもんさ」

 ハンスの言葉にジスは興味を持った。

「誰も確かめてはいないんだろ」

「主は森に引きこもっているわけじゃないってことさ」

「怖い話だな」

 ジスは肩を竦めた。

「取材をするんだろ、ダリスの」


 商人からの依頼でもあってか、都民向けの観光取材なのだから、一応は市内を回る必要がある。別件とあわせて動けば楽に終わるだろう。

 まぁな、とジスは気軽に頷いた。


「ならいずれ会えるさ」

「教えてはくれないのかい」

「それじゃあ、味気ない」


 そう言ってハンスは笑った。意地悪な笑みだ。子供のような無邪気さを併せ持つ、良い顔をしている。


「そうかい。楽しみにしてるよ」

「今日中にはダリスへ到着だ。ゆっくりしていってくれ」


 雪は深い。しかし、森に入ってからは街道に積もる雪は少ないと感じられた。馬車の速度が増したのだ。

「予定より遅れたが、まぁ、予想の範囲内だ。今回は初顔も居ることだしな」


 そういって、ハンスは目線を後方の馬車に向けて呟いた。ダリスへ初めて赴く商人が、緊張や疲労。そして寒さで寝込むことは恒例のようだった。

 ジスとしてはさすがに湯浴みもせずにいるため、身奇麗にしたいという欲求に駆られている。

 雪で顔や頭を洗いはしたが、やはり湯浴みで温まりたい。


 そういえば宿を決めていなかった。


「おすすめの宿はあるかい?」

「安い宿か」

「それなりに安くて綺麗で、出来れば湯浴みが出来るところが良い。後食事が美味しくて、部屋が暖まっていることも追加だな。嗚呼、それとベッドもなるべくやわらかい奴な」

「注文つけすぎだ。それなら素直に高い宿を探せよ」

「出来る限り安いところはないのか?」

「ったく……都会暮らしはこれだから」


 文句を言いつつも、ハンスは『赤い尻尾の猫』という宿を紹介してくれた。大通りに面しており、領主城に近い。


「伝達屋に話を持っていけ、さすがに部屋の状態はわかんねぇからな」


 そのうち、森の中で少しだけ開けた空き地が見えてくる。自然に開けた、というよりかは人の手が入ったように見えた。何よりも雪の手入れが成されていた。

 あれが整備の一環によって作られた空き地なのだろう。雪に埋もれた掘っ立て小屋の建てられた空き地を通り過ぎながら、ジスは感心していた。


 軍人として優秀なものが、必ずしも優秀な領主になるとは限らない。むしろ、武功によって名声を得た家ほど、領地経営の逼迫具合は酷いものだ。

 ジスは何度もそうした家を取材した。


『あの家門の今!』


 と言ったような見出しで、没落ぶりを市民に見せ付けた。組合にも相当の利益に繋がるため、人気の仕事だ。

 もっとも、没落した貴族の領地は荒廃し、人も精気の抜けたような陰鬱さをかもし出している。

 それに危険も増す。追いはぎに違法な奴隷商人に、盗賊騎士。運良く取材できたところで、領主は怪しい儀式に目覚めていたり、魔術に頼って生贄代わりにされそうになる、なんてこともあるのだから、堕ちるところまで堕ちてしまうというのは恐ろしい。


 その分、現実味がないと思われるのだろうし、現場を知らない市民から好評なのだ。

 そういった事例を目の当たりにしたジスからすると、素直に良いところだと言える世界が広がっていた。そうでなければ傭兵が無邪気に笑うわけがなかった。それも商人や旅人とともになど。


 そうこうするうちに、街道の先にふたたび空き地があるようで、今度は小屋付きのようだった。焚き火の煙も上がっていることから、人が居るようだった。そのとき、オオカミの遠吠えが轟いた。


「近いな」


 その言葉とともに、ジスは空き地に人を見つける。

 切り株を椅子代わりにしているその姿は近くで見たわけでなくとも小柄と判る。

 俯いて紐で肉を括りつけているところだった。顔は良く見えない。


「また全滅か、難儀だな!」


 青年の声に、切り株の人は顔を挙げた。

「ありゃ全部に毒が仕込んであるんだ。それで、あれを食った獣を殺すんだよ。ここいらにはオオカミが多くてな」


 ジスは息を呑んだ。

 その光景ではない。切り株で作業を続ける人間を見て、彼は言い知れぬ圧力を感じていた。


「あの鉄材は罠なんだ。臭いがついてしまうと、鼻がきくオオカミはすぐに罠を見破るから、血肉につけて使うんだ。だからすぐにダメになる。ダメになった罠は、この街道沿いに設置するのさ。罠があるぞっていう警告みたいなもんだが、オオカミなんかは賢いからむやみやたらと街道に姿を見せない。まぁ、街道の罠は勝手に森へ入るなっていう人様に向けたもんでもあるかな。時折シカやイノシシなんかが引っかかっていたりするから、まるっきり無意味というわけでもないさ」


 ハンスの言葉に、そうか、とうわごとのように呟いた。職業柄、反射的に出た言葉だった。


 ――なんだこれは。


 ほのかに、身体全体が光りを放っているような錯覚を覚える。

 赤い脈流が、かすかに見える。

 まさか、そんなはずはない。


 雪ばかりを見ていたためか、眼がボケてしまったのか。慌ててジスはその瞳を閉じた。

 じっくりと力を込めてから、瞼を開けると、眼が合った。


 白皙とした雪原のような白い肌に、長いまつ毛の陰りがかかった瞳は月のように、淡くも神々しくも、黄金に実る稲穂がゆらめく様を連想させる不思議な色彩が、映りこんでいた。


 まるでこの世界のようだと、ジスは思った。

 魂が吸い寄せられる。ただ呆けてしまって、あれは、人間なのか疑うことしかできない。

 銀の髪がフードの隙間から、風になびいている。


 相手は一瞥しただけで、視線を手元に移していた。

 少女でもあり、少年でもあると思える。性別という垣根を越えた。神の趣向を垣間見てしまった。


「……狩人なのか」

「あぁ、ダリスにおける最良の狩人さ」


 喜色ある声が返ってきた。視線は見えなくなっていく姿を追っていた。


「――ロータス」


 ジスは呟く。それが彼女の名だ。知っている。事前に聞いていた。ジーノは確かに信用にとる証言をしたということを裏付けている。いや、情報に誤りがあるとするならば、これほどまでの造形を事細かに説明していなかったことだろう。

 あまりにも、陳腐な言葉だ。しかし、ジスは美しいとしか思えなかった。

 ただ周囲に漂う違和感が、ジスの理性を刺激した。


「なんだ、アンタは知ってるクチだったかい」


 痛みが、身体を巡る。


 ――底が知れない。


「取材するつもりだよ」


 そう言ってジスは立ち上がった。

 風が全身を撫でる。冷気が体温を持ち去っていく。


「おいおい、危ないぞ」

「ここで良い」

「あ?」

「降りるぞ」

「おい!」

 静止も聞かず、ジスは幌から飛び降りた。

「バカッ!」


 見張りの罵声が飛んだが、ジスは膝を折り曲げてから踵を叩きつけるように地面につける。そうして、今度は勢いそのままに身体を横に倒して横転し、綺麗に立ち上がった。

 痛がる素振りもないジスにハンスは呆気に取られる。


「荷物は、宿に届けておいてくれよ」


 ジスの大声に、ハンスは意識を戻したかのように慌てて

「勝手な野郎が、保障はしねぇぞ」

 と悪態をつけた。

 ジスは背を向けたままに手を挙げた。


「ったく、猫被り野郎が……無茶すんなよ!」


 後続の馬車がジスの横を通っていく。幌に乗る見張りが苦笑いを浮かべていたり、興味深そうに見下ろしていく。


「お~い」


 幌の後ろ部分から身を乗り出した商人が布を、外套を振っていた。


「餞別だよ。持っていきなさい」


 そう言って、投げ捨てるかのように外套を手放す。ジスは慌てて手を伸ばし、風に乗る外套を掴んだ。


「ありがたく」


 ジスは手早く着こんでまた歩く。

 空き地は目の前だった。

 先ほどと変わらず、ロータスは切り株に座っている。しかし、作業は中断されていた。


「おーい!」


 ジスは声を挙げた。ロータスは振り向かず腰に手を伸ばして、切り株に立てかけてあった弓ではなく、短剣を抜いていた。肉厚の刃が鈍くも光る。


 視線は森だ。そして、ジスもまた視線を森に向けていた。


 何故だろうか。それはジスにも判らなかった。ただ身体が勝手に反応した。武器を握れと、教えていた。


 布に巻かれた棒を手で握り締め、紐を解き開放する。

 切っ先を光らせる短槍が、しっかりと森から生み落ちるかのように現れた生き物にむけられる。


 尖った耳。突き出た口。しなやかな尻尾に茶の体毛を背負い込み、白い毛が顎に見える。

 唸り声を上げるそれは、およそジスが見たことのある個体よりもはるかに巨大なオオカミだった。


 オオカミは雪の地面など気にする素振りもないくらいに、素早く駆けた。

 彼女の状況を把握する余裕はあったが、だからといって視線をはずすことはできなかった。


 オオカミの向かう先はジスだ。それも彼の首を狙っているかのように跳躍までしてみせて、口を大きく広げて、涎を飛び散らせている。


 迷いはなかった。

 オオカミを見たことは何度もある。駆除も経験している。だからこそ、大きさに驚きつつも冷静だった。


 ジスは呼吸を止めていた。意味はない。ただ、そうしたほうが良いと漠然ながらに思った。

 腰を落とし、弧を描くように飛び掛ってくるオオカミの側頭部目掛け、短槍は実に良く曲がり、そのしなやかな反動を持ってして、オオカミを弾き飛ばす。

 ジスは弾き飛ばしたオオカミには目もくれず、森に意識を向けた。

 ここにきて、ジスは攻防の間を見出して一呼吸する。


「なんだ、これは」


 空気が不味い。だが、呼吸は続けられる。そうするとつぎに身体が震えた。恐怖しているわけではないが、息も上がる。


 平常ではない焦燥を味わいながら、森を見据えたのち、一撃を与えたオオカミを見やる。

 目が合った。少なくともジスはそう決め付け、立ち位置を変えて走った。

 真っ赤に輝く光りが見える。おぞましい精気の炎が燃えている。


 オオカミが再び飛び掛った。

 ジスは身を翻してその攻撃を避けた。


 風が裂ける。えた臭いをはっきりと嗅ぎ分けた。そして、森の喧騒を耳で聞き、肌で感じた。

 加勢が来たと理解したときにはすでに、背に黒い毛色を持ったオオカミが、目視で五頭も確認できていた。


 オオカミは集団で狩りをする。だからこそジスはロータスと合流したかった。

 今となっては悪手になった。囲まれてしまえば難儀なことになる。


 身体が張った。何よりも熱い。

 どうしてか、ジスの頭は冷静で、この上なく身体は興奮している。いつもの状態になったと確信した。

 戦いの中で、自分の調子に左右されることはある。ジスはその身において現状が最良になった。そうして、生き残ってきたことが何度もある。


 オオカミ風情が、と強気になりながらも侮ることもしない。ましてや一頭はおかしいのだ。油断して死ぬなど、新人探索者の死亡例として組合の講習で披露されるくらいにしょうもない死に方だ。

 ジスは構わずに、先ほどから付きまとってくるオオカミの眉間を貫いた。

 味気ない。そう思った頭をそくざに切り替えた。危機的な状況に変化はない。まだ、楽しみは続くのだ。


 オオカミは生気が抜け落ちたかのように、地面にもんどりうった。ジスは止めを刺したかも確認せずに走る。

 味方は一人でも居たほうが良い。背中を警戒する面倒が減るからだ。狩人ならば、足手まといにはならないだろう。

 窮地に心が躍る。


 追ってくる息遣いが背中を押す。そう感じたかに思えたが、オオカミらは始めにジスへと襲い掛かった一頭目掛けて牙を突き立てていた。

 ジスがその凶行に気づいたのは、ロータスの居る空き地に到着して振り返ったときだった。


「どういうことだ……」


 同族をむやみに殺傷することのないオオカミが、一目散に仲間を殺しにかかった。理解できない。

 これは異常なことだった。そして熱は溶けていく。残りは冷ややかな理性のみ。


「なぜ、こんなところに?」


 ロータスはジスの背中にそう語りかける。

 物怖じしない。淡白な物言いだった。


「何故って……取材を申し込むつもりだったんだ。俺はそのためにここへ来た」

「そう」


 ジスはオオカミたちを視野に入れながらも、ロータスのそばに下がってくる。そこには怪訝にジスの顔を見上げるロータスが居た。

 顔には、きちんと感情が出るのか。ジスはそんな安堵の思いを飲み込む。


「ジーノという商人からの依頼でな。ロータスという狩人奴隷と、オオカミを調べにきた」


 オオカミたちは、ジスの攻撃でぐったりしていたオオカミの四肢や喉を噛み尽くすと、一頭のオオカミが死骸を引きずりながら森へ引き返し始めていた。残りの四頭はジスたちを警戒しているように、牙を見せている。仕掛けない限り、襲われる心配はなさそうである。


「オオカミ」

「ん」

「知ってる?」


 逡巡が生まれながらも、

「死んだオオカミのことか?」

 とジスは返した。


 ロータスは小さく頷く。

 ジスは頭を掻き毟った。面倒なことになったと顔をしかめる。


「ありゃ、知っているも何も……」


 ――死ねない物たち(アンデッド)だろ。


 魔物なる異形なる存在。魔に憑かれた哀れな亡者。

 ジスは引きずられていったオオカミの痕跡を眺めながら呟いた。


 森に迷宮のように魔素が溜まっているのかもしれない。指名だったとはいえ、対象との出会い初日か難儀なことに巻き込まれてしまった。

 けれども、悪い気はしない。 


「帰る」


 ロータスの言葉に、ジスは振り返る。

 彼女の背後に見える大地には血や臓物が散らばっていた。そうして、何かを引きずった後が、森へと続いて消えている。その数は四本。

 ジスは思わず息を呑んだ。


「四頭、やったのか」


 ロータスは怪訝に眉をひそめたが、肯定することもなく、街道へ向かって歩き始めていた。

 ジスは彼女の身形を観察したが、どうやっても、四頭を相手取ることが出来そうな武器を持っている様子には見えない。たった一振りの短剣で、しのいだというのか。


 衣類に血痕は見当たらなかった。つまるところ、返り血も浴びなかったとみるべきだろう。

 いくら開けたところだろうと、足場は雪だ。動き回るには難儀する。足に力を入れて、滑る危険もはらんでいる。


 熟練の探索者でも、短剣一本で見たこともない巨躯を持ったオオカミ四頭を手玉に取ることなどできない。少なくとも、ジスは自分ではないできないと確信できた。


 ジスは口をつぐむ。

 心証は悪いようだと態度で判る。


 どのような手法でオオカミを仕留めたのかなど、聞けるはずもない。

 もしかすると、短剣以外に武器を隠し持っているかもしれないのだ。狩人とて武器は商売道具でもあり切り札。そう簡単に教えるはずもなければ、自分はロータスとは初対面ということに間違いはない。

 全てを初めから知ろうなどとしてはならない関係だ。ジスは良く心得ている。幸いに制限はない。気長に交流を深めていくつもりだった。


 とはいえ、頭痛の種になるだろうと腹を括る。

 通常の取材などできはしない。

 アンデッドを見てしまったのならば尚のことでもあるが、それ以上に思うはロータスだった。

 彼女は強い。

 ジスは背中を追う。


「俺の名前はジスブレットという。取材許可は改めて領主様に請うことにする」

「そう」


 ロータスは人と接点を持とうとしない人種ではないようだった。会話に強い拒絶は感じられない。

「ダリスまでの道中。共にさせてほしい」


 ジスは自分のことを強いと思っている。自画自賛ではあるが、他者の評価も強者で一致しているのだからきちんと自己判断ができている。だからといって無茶をしようとは思わない。何よりも、すでに交渉という段階に突入している。


 つまりは、後日改めて取材するつもりではあるが、今回は目的地が一緒だから同行したい。

 アンデッドの件もあるし、見知らぬ土地で単独行動は嫌だ。という建前と、ダリスまでの道中で何か情報を得られないかという本音がジスの言葉には混ざっていた。


 それを知ってかしらずか、

「好きにして」

 ロータスは淡白に言い放つ。

 足取りに乱れはない。短槍という間合いの広い武器を持っている者に対して、完全に背後を取られているにも拘わらず平然と歩むその後姿に、ジスはただただ感心していた。


「最良なる狩人、か」


 間違ってはいないようだ。

 領民たちは正当な評価を下している。

 ジスは静かに無邪気な笑みを浮かべていた。

 実に楽しそうに、軽やかに一歩いっぽ前に出て、ロータスと肩を並べて歩き出した。

 ダリスの都市は、まだ見えない。


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