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「どういうことだ?」
ソファの軋みが声に寄り添った。
続いてほのかに紅く染まる茶を啜る音が室内に響きわたる。
近頃、南部から流れてくる紅茶という飲み物が流行している。
「不味いな、これ」
その紅茶を流行らせた本人が悪態を浴びせかけていた。
「指名だよ、ジス。それも飛びきりのね」
しわがれた老人が逆光を受けてテーブルに肘をつけ、顔の前で指を絡ませている。ティーカップに湯気はない。
陶器の擦りあう音が鳴り、欠伸の声が漏れる。
「だから、いきなりなんだよ。こちとら半年も取材交渉したんだぜ?」
ジスは黒い髪の毛を掻き毟った。
謎のカルト教団に密着取材。それがジスの請け負っていた仕事内容だった。噂では魔術を研究し、悪魔を崇拝するというオカルト的な内容が散在する組織だ。
ジスは半年間、教団と交渉を重ね、信徒と行動を共にする許可を得ていた。そうして、近頃、教団内での取材が可能となっていた。
友好的な関係を築くことに成功したジスは、親しくなった教団の信徒が旅に出たいと言っていたので、同行許可を組合に申請しようと赴いたものの、受け付けで呼び出しを食らい、こうして不味い紅茶を啜っていた。
ジスからすると、こつこつと続けてきたもので、当然憤るのも頷ける。
「教団は、ジンとベッキーが担当している」
「おいおい、冗談はよしてくれ。俺に手を引けと?」
半眼厳しく、横目に入る老人を睨みつけた。労働に見合う報酬も成しに、仕事を奪われてしまえば、ジスからしても当然のように納得行く話ではない。それもすでに別の面子が動いているとなれば尚のことだった。
「交渉した奴が行かないと、奴らも取材に応じないこともあるんじゃないか」
「もともと組合にきた話だ。私が話をつけた」
「くそったれ。勝手にしろ」
老人は組合の長だ。教団の奴らも聞く耳を持つのも判る。それを差し引いても、老人の話術は巧みだ。だからこそ、ジスは組合員なんて仕事にありついていたりする。
ソファがギシリ、と一層大きな音を立てた。ジスは背もたれによりかかり、天井を仰ぐ。
「それで?」
報酬はなし。替わりに別件。それも指名。とくるならばジスも察しはついている。
元々荒事が得意な男だ。探索者として、それなりに旅をして、少なくない魔物や人間を殺してきた。掃除屋なんて呼ばれもしている。
体格も王国の平均的な成人男性よりも大きい。そのくせ絵心も持ち合わせているから、実のところ今の仕事とは相性が良かった。今ではスケッチブックが相棒の一つである。
「ウィニペグ地方、ベルネルリ領へ行ってもらう」
「辺境じゃねぇか。帝国との戦争取材でもしろってか?」
ベルネルリ領は山脈地帯を国境線として、かつて大戦争を起こした隣国と接している領地だった。
「面白い奴隷がいるそうだ」
「却下」
即答にため息が追随する。
「まぁ、待て」
「爺、判ってんだろ?」
「気持ちはわかるさ」
組合は情報を商品として扱っていた。
金になりそうな情報を探訪し、報知する。集めた情報は新聞という紙媒体によって販売したり、書籍として、看板として、あるいは掲示板に張り出す形と様々な方法でばらまくことが仕事だった。
日々、組合には情報が舞い込んでくる。
組合員が自らの足で調べた地方で起こる迫害の実態といった重いものから、王都で人気のお食事どころ十選なんてものを持ち込む市民。
魔物の生態を売りに来る傭兵から、魔物の情報を買いに来る探索者が居ると思えば、魔術を売り込みに来る胡散臭い老人から、ほら吹き乞食が、魔人やら悪魔だとかの与太話を持ってくる。
今頃も、ジスの踏みしめる木造の床を隔てて、多くの人間が往来し情報が売買されている
ことだろう。
面白い奴隷がいる。誰だってそんな言葉を吐き散らす。それくらいに気軽で、運がよければ金になる情報だと捉えられてしまった。
始めは割としっかり取材したものだが、数は多くて当たりがないとくれば、誰も取り扱わなくなるのも仕方がなかった。
誰だってただ働きはごめんなのだ。
「奴隷の情報は凍結中だろ。いちいち取材するのも面倒だって言う理由でよ」
飼い主の自慢話を聞かされるこっちの身になれ、と愚痴る組合員のなんと多かったことか。徒労に終わらないほうが珍しい情報など扱いたくはない。
「特例だよ。私が許可した」
「職権の乱用し放題だな。さすが組合長、権力をもっていらっしゃる」
「茶化すなよ。……話を聞く限り奴隷は確かに面白い。若くして狩人の職を貰い受けている」
「奴隷なのに狩人か」
「そうだ」
奴隷に武器をもたせることはない。
戦争においてもそうだ。奴隷兵には武器はない。
与えられるのは盾だけだ。それで正規兵を守る肉壁になることが仕事になるくらいに、奴隷は武器を手に出来ない。
別段に法令で決まっているわけではない。けれども、誰が好き好んで奴隷に反抗させる機会を与えるというのだろうか。
事実ならば、異常なことだと驚かれるところだ。
ジスは首を捻って老人を見やる。逆光でどのような表情をしているのかは読み取れなかったが、どうせよからぬことを企んでいるに違いない。
「表向きは、奴隷の取材だ」
「……なるほどね」
合点がいったようだった。
「お前にしか頼めない話だ。取材なんて建前を取り付けてはあるが、お前の考えで行動しろ。それはあちらさんも十分承知の上だ。ゆえの指名。良かったな有名人で、仕事に困ることもない」
「うるせぇ、だったら俺の仕事を取り上げてんじゃねぇよ」
「埋め合わせをしているだろう。さて、確定事項だからね。すぐに動いてもらうよ。三日以内に、王都を発て」
「おいおい、時期を考えろよくそ爺」
窓を叩く寒風に、鼠色に染まった雲がどんよりと垂れ込んでいる。外を歩く市民が防寒着を着込んでいる。
「ベルネルリ領といえば、北西部じゃねぇか。この時期だと降雪もしっかりしてるだろ」
ジスは旅になれている。かといって、自ら進んで雪の降る季節を見越して、北へ向けて旅に出るなんて馬鹿な真似はしない。
「ルーベへ向かえ、そこからダリスへ向かう隊商が出るそうだ。七日後だな。依頼主の商人が手はずを整えている。ジーノという名を出せば同乗の許可は下りるだろう」
組合長はおかまいなしに話を続けた。
「三日でたどり着けるかどうかって場所じゃねぇか。カツカツすぎんだろ」
「幸いにも、取材期間は設けない。好きなだけ居ろ。ただし定期的に書信をだすこと」
事実上の長期休暇を受けたようなものだった。ジスは面倒くさいとばかりに顔を顰めたが、決まっていることはどうしようもない。組合での最大権限はいつだって組合長が持っている。
「一式は組合から出そう。倉庫から適当に選んでいけ。武具の着用も許可する」
「装備はありがたくもらっておくよ」
ジスは立ち上がった。すらりとのびた四肢を伸ばす。
「そうだ。詳細は?」
「これだ」
組合長は机の引き出しから円柱の書類入れ取り出した。
「はいはい」
そういって対面に立つと書類入れを受け取り、踵を返す。
「ジス」
組合長の呼び声に、ジスは振り返らなかった。
「ダリスは良い所らしいぞ。領主も中々の人物だというしな」
朗らかな声とは裏腹に、ジスは組合長の空気が変わったと判断した。
「確か、女性の男爵だっけか?」
「隣人からの評判も良いらしいぞ」
そうなると厄介ごとに巻き込まれた。遠回しではあるが、ジスに向けて何かを<良い所らしい>というのは、探れという隠語でもあり、隣人などベルネルリ領の立地を考えれば、厄介すぎた。
それにらしいと言われてしまえば、組合員がすでに派遣されているようでもある。
ますます雲行きが怪しい。けれども、断る理由はない。ジスは旅が好きだった。愚痴や文句をこぼしながらも、これまで何度も大陸を歩き、しようもない取材をしてきている。
今回も変わらない。ジスの中では変わらない。ただ、今度の取材は、肉体労働になるだけだ。
「精々、ゆっくり観光してきてやるよ」
ジスはおどけた声を挙げて、組合長室を後にした。