17
「結界は解かれたんだよな?」
ジスはディアブロに言った。
『そうだ』
「なら、何で都市の周りに新たな結界が出来ている?」
ジスには真っ赤な膜が見えていた。洞窟という閉鎖的な空間に張り付く薄い膜が、爛々と怪しく光っている。
『主が結界の外に出てきたということは、この都市全域に新たな結界が発生することになる。主は万が一、自らの封印が解かれた場合を想定して、このような措置をとった』
「封印した奴らを殺し、自らはふたたび封印されるため、か」
高台からオオカミたちは器用に駆け下りていく。階段もない、ただの急な斜面を、突起物と化している岩を足場にしてするりと降りる。
遠く、左耳をくすぐった人々の歓声が上がったかと思えば、右耳は怒号とも悲鳴とも思える金きり声の雑音を拾う。
「どこへ行く?」
『主の元へだ』
ディアブロの言葉で、ジスは得心がいった。
「魔素が濃い。お前達は大丈夫なのか?」
ジスは初めて出会ったアンデッド化したオオカミを思い出す。
『ここに居る者らはすでに獣ではない。血が濃い者達を選んでいる。心配無用』
「そうか」
市内に侵入を果たすと、ディアブロは一目散に路地裏を駆け抜けた。整然と、路地は張り巡らされており、遮蔽物もないくらいに綺麗なものだった。
その路地の一角から出てきた魔物をオオカミは軽々と飛び越え、時には襲い掛かり自慢の牙で噛み切っては道を切り開いて前を進んだ。
行く手を阻んだ白い壁をも乗り越えて、一軒の屋敷へと侵入を果たす。
屋敷の外壁にある小さな突起物を足場にしてオオカミは颯爽と駆け上がる。屋上に降り立ったところで、ジスを降ろした。
屋上からは、円柱状の建物がそびえている。城砦に作られる角塔のような構造に見えた。
『この建物から、地下に降りることになるが、中は螺旋階段となっているうえには狭い』
ディアブロは隙間なく積み上げられている壁に近寄っていく。
すると――
「き、消えていく!」
ジンが驚いたように叫んだ。
そこには、ディアブロの身体が、たゆむ壁の中に消えていく光景が広がっていた。
「一体どういうことなのよ……」
ベッキーも唖然としているが、シュートは真剣な眼差しを送っていた。
「魔術か。見たこともねェ代物だが、こういうモンで入場するには証が必要だ。オオカミはエカテリーナ様を知っているから大丈夫かも知れねぇし、ロータスもそうだろう」
ローは頷いた。
「だったら、オレらはどうするんだい?」
「手」
そういって、ローは手を差し出した。
「ジスは、最後」
「そういうことかァ。意外と単純なんだな」
シュートは何かを察した。
「説明してくれよ、シュート」
ジスは苛立たしげに言った。
「ロータスが入場券を持っている。それを手からオレたちにも分け与えるってわけさ。最後尾にジス、お前が着いて手を繋げば、いわゆる線が結ばれる。お前は、こんなことをしなくとも、入場できるようだがなァ、手伝ってもらうぜ?」
シュートの言葉に、一応の納得を見せた三人は、手を繋いでいく。
繋ぎ終えると、ローは僅かに眼を細める。
「……何かが」
「暖かいわ」
「魔力の流れだな」
ジスには真っ赤な線が自分の手にめぐってくるのが見えた。直接、手を握られているような感覚が広がっていく――。
――なんだ?
ジスは手を握っている。その手は、彼の目の前にいる人物で、それはベッキーという男である。ゴツゴツとした手をしっかりと肌で感じ取っている。だが、ジスはその手に別の、何者かを感じたのである。
ローのようだ、と最初は考えが及んだ。魔の元になるはローに他ならない。しかし、どうにも違うと身体が教えてくる。
ローはゆっくりと壁に消えていく。ジンも、ベッキーもそれに続いていく。
ジスは迫り来る壁を見つつも、その壁がどこか揺らいでいるような印象を受けた。恐怖はない。
視界が一瞬、暗くなったかと思うのもつかの間のこと、ジスはわけのわからない浮遊感に苛まれた。
『別の通路も複数用意されているようだが、ここが一番近く、帝国兵に会うこともないだろう』
先頭を行くディアブロがそんなことを言っているのが、聞こえてきたことで、ジスは意識を確実の元とした。
気がつくと、すでに建物の中に入っていたのであった。
***
長い長い螺旋階段を下りていく。どこまで進めば良いのかすらも判らない。まるで冥界に続く死者の穴のようだった。
魔素が寄り添い、足を踏み外すことはないくらいに光を放つ。
息遣いと、石を踏み鳴らす人とオオカミの足音が、反響を生んで怯えを生み出す。
誰かに聞かれていないだろうか。
死神に?
それとも冥界の王にか?
よくは判らない。けれども、この螺旋階段は罪人が歩む断頭台への階段よりもきっと、よほどに心を鷲掴む。
『ここは古代人の住まう都市だった。彼らは魔力を内包し、また、それを発散させる高度な技術をもって文明を築いた。都市を照らす街灯に木材や油は必要なく、そのかわりとして半永久的に供給される魔力を消費して光を出させ、水、火、風、土。それすらも魔力を持ってして作りなしていたそうだ』
反響する中で、ディアブロは声を発する。口は小さく動いているが、やはり、どうやって声が出ているのかは謎なものだ。
「魔術文明か。伝説じゃ、禁断の実を食し、魔人へとなった古代人が繁栄した時代。上の奴らの考えだと、人間文明の暗黒時代だったか。今となっちゃァ真実はわからねぇが、どの道、禁忌の歴史だなァ」
シュートは気にもせずに言った。この場を、実に良く楽しんでいる様子だった。
「人類の祖が、実のところで今の御伽噺で魔族と呼ばれる、今の魔物と大差ない存在だったなんてよォ、そんな歴史は、必要ないんだってなァ」
シュートの言葉に、ジンは神妙な面持ちを浮かべている。ベッキーは彼を気に掛けている素振りを見せていた。
ジスはジンが聖都教を信仰していることを知っていた。だからといって、シュートは邪教徒で殺さなければいけない邪悪な存在だ、とのたまうほどに敬虔な信者ではない。
ただ、彼には家族がいて、家族は信仰していたからという安易なものだ。だからといって、聞こえの良い話ではないだろう。
「聖都教は特にそうだろう。魔は聖との対比。邪悪な存在としている。人間は聖なる存在として、死後、聖都で安寧を享受できるとされていることからも、認めるわけにはいかなかった」
ジスは言った。
聖都教の起こりは人種を超えた統一。その中で、人種間の敵対よりもさらに強大で、邪悪な存在が必要だった。
敵意の矛先を、古代人に向けられたのは必然といえる。
『古代文明が滅んだ原因は判らない。しかし、この都市が地下に存在するのは人為的なものだ』
「人為的って……」
ベッキーの呆れた声が漏れた。
『古代文明の遺跡は各所に存在しているようだが、そこには共通点があるそうだ』
ジスは顎に手をあててから、何かに気付いたようだった。
「――迷宮」
ディアブロは小さく頷く。
『主は、全ての迷宮に、似たような古代文明の都市が眠っていると推測していた』
「つ、つまり……この都市に溢れる魔素が、迷宮を作りなしてるっていうの?」
ベッキーは慌てたように言った。
『そうだ』
「い、一体何のために?」
「同類を、探すため、か……」
ジンの言葉に、ジスが答える。その答えに、シュートは続く。
「なるほどなァ……悪魔を殺せるくらいの奴なら、迷宮を攻略できてもおかしくはないと思うぜェ?」
その言葉に、ジンは押し黙る。迷宮の存在意義が、おぼろげに見えた。
「試練、だっていうんですか」
ジスを選定した存在たるディアブロが居るということは、他の迷宮にも、ディアブロのような存在がいるかもしれない。
ジンやベッキーも、噂で聞いたことがある。組合でも取材したことがあり、実在も確認している。いわゆる呼称付き(ネームド)の化け物という存在を。
『我らは長い間待っていた。魔鏡を破壊できるものを。魔物を生み出し続ける忌まわしき魔王の遺産をこの世から消し去ることを』
「魔王ですって……」
「じ、実在しているんですか?」
あまりにも現実離れしすぎた言葉だった。
『もはや形骸しているが、生きているといえばそうではないか、と主は考えていた。魔鏡とは、魔王を封印するために使った装置のようなのだ』
「古代人が、やったッてぇのか」
『いくつかの鏡に魔王の力を分散させ封印した。しかし、古代人では鏡を破壊して、完全に現世と隔絶させることはできなかったようだ。魔を断つ存在は、魔王との戦いで滅んだとされている。ゆえに、彼ら古代人は、鏡を守護するように都市を作った』
しかし、疑問は沸いてくる。
「で、でも守護する者たちが、その文明がどうして」
「滅んだのよ……」
二人の戸惑いをよそに、シュートは言った。
「わかってねぇな」
その言葉に、二人は訝った。
「迫害や弾圧。数年、数十年は古代人たちを敬ったかもしれねぇが、百年も過ぎれば当時のことを知る人間なんざいねぇ。残ったのは嘘か本当かもわからねぇ御伽噺と、強大な力を持つ自分とは違う魔力を扱う存在」
「――力を持ちすぎた存在は、危険なものと見なされる」
ジスの低い声が響く。
「ま、まさか」
「そうさ、魔人さまの完成よ」
「魔族として、人類の敵に認定された。そして、現在、魔人は御伽噺か、与太話でしか出てこない」
「……そ、率先して弾圧したのは、聖都教です」
ジンは視線を足元に落とす。
「だろうなァ。異教徒狩りの歴史はすなわち聖戦の歴史だもんなァ」
シュートは平然と言った。
『魔人が何故、負けたのか。それはやはり、人間の中で魔を断つ存在が生まれたことだろう。しかし、どうやって生まれたのかは主も判らなかったようだ』
ジスが一つ、深呼吸をした。
「……魔人は劣勢に立たされていく」
『やがて古代人は魔鏡を守るため、魔術を使い地形を変えた。しかし、迷宮を作り、人間に望みを託した』
「いつか、魔鏡を破壊するものが現れることを願って、か」
シュートは眉間に皺を寄せて言った。
『主は、そうした歴史を持つこの都市に逃げ隠れてしまった。まったくの偶然だったようだが、この都市を調べる過程で、運命だったと確信していた』
「彼女は、魔人の血脈だったのか?」
ジスの言葉に、ディアブロは静かに首を横に振る。
「エカテリーナ様は、不老不死に関する資料を破棄する使命を帯びていた。皇帝や教主はこぞって不老不死研究をしていたからァ。古代文明も穿り返して、必死に生き長らえようとしていたようだぜェ?」
ディアブロの代わりにシュートが言った。
『主は、そうした活動から眼を付けられ、刺客を放たれた。主は教団に被害が及ぶ前に、教団を裏切ったと偽装して単身、旅に出た。そして、たどり着いたのがこの都市だった』
「ここにも不老不死の資料があったの?」
ベッキーの言葉とともに、シュートの視線が鋭くなる。ベッキーは欲しいわけじゃないわ、と反論しつつも、少し落ち込んでいる。
彼のことだから、やはり綺麗なままでいたいとでも、思っていたのだろうと、ジスは思った。
別段綺麗だとは思わないが、とも胸中で苦笑した。
『いや、違う。しかし、帝国はそうは思わなかったようだ。主の痕跡を目ざとく探し、ここを突き止めた。そして、長いことを移動していないことから、ここに重要な資料があるに違いないと勘違いした』
「ここにあったのは、ホムンクルスを作る技術だけ」
ローが口を開く。
「ほ、ホムンクルス?」
聞きなれない言葉に、ジンは首をかしげた。シュートも知らないようである。口を挟まず、回答を待つ。
「ワタシと同じ」
ローの言葉で、全員の視線が集った。
ジスは、ドクンと、脈動する自分の身体が苛立たしかった。
彼女は、自分のことを同じだといった。ならば、自分も化け物なのか、という落胆と、やはりそうなのかという思いが溢れてきた。
『我らは、人造生命体――ホムンクルスと呼ばれる存在だ』
「そ、それは一体……」
『静かに……』
ジンの言葉を遮るように、ディアブロのかすれた声が囁かれた。




