14
寝かせてくれない夜がやってきた。
鳴いている。それは身体の至るところから滲み出てきている。
起きていると確信しながらも、これは夢の中だとも認識していく。
陽炎のゆらめきが、その気配がする。
酷く、遠い世界から届く感覚に、窓を隔てた外を舞う雪の音が、入り込む。
境界があやふやになっていた。
思考もふやけていきそうになる。身体が、水の中に居るようなほどに重く、雪のように溶けてしまっていそうだ。
やがては消えてしまう。
いつか見たのか。判らない、解らない。
誰かの泣き叫ぶ声がする。怒り狂う声がする。
笑い声が、歓声が、阿鼻叫喚の渦中とばかりに、耳へと入り込んでいく。
幻聴だ。これは、そういうものだ。
血みどろの戦場で、魔物に食われた町で生き延びてきた。
決まって、そうした惨状の後に、幻聴は襲ってくる。
眠ることを許さないとばかりに、鳴り止まない。
寝返りを打った。確かに、そうやって身体が動いたように感じられる。
視界に映ったのは、死体だ。
おびただしいほどの死体、赤く染まった地面。鼻をつんざく血の臭い。
都合の悪いものには蓋をしてきたのだろう。
忘れてしまえるはずはない。けれども、忘れてきたふりをしている。
だから、夢を見せる。自分が、自分自身が戒めているのか。
――お前がやるんだ。
男の声がした。
――お前なら、できる。
男が言い聞かせてくる。
――殺せ、魔を殺せ!
男が吼えた。
――見えるはずだ、お前には。
誰だ。アンタは誰だ。
――忘れるな。魔はいつも傍にいる。
***
「お前はッ」
手を伸ばしていた。天井に向けて、自身の右腕が真っ直ぐに。
息が荒い。身体中がベタついた。気分が悪い。
視界が回る。二日酔いをしているようだった。
上半身を起き上がらせて、衣類をまさぐり、手で身体を触る。
べっとりと汗が滴っていた。
眼が痛む。溜まらず、ジスは洗顔用に汲んでおいた桶まで歩いていき、水しぶきを立てながら、顔に叩きつけた。
擦る。取れない、何かが取れない。何度も、何度も水をかける。
熱い、ただ熱い。眼がまるで沸騰しているようだった。
無心で水を浴びていたが、部屋のドアを叩く音で、その行為を止める。
「誰だ」
自分でも驚くほどに低い声が漏れた。
相手も、一瞬たじろいだのかもしれない。
間を一泊ほど置いてから、
「オレだよ」
とシュートが答えた。
「着替えがまだだ」
「早くしろ、もう出てくぞ」
「すまない」
「夜は、」
シュートはそこで言葉を切った。
「いや、良い。お前も人間だってこったな」
意味深げな言葉にジスは人知れず首を捻った。
「とにかく、急げよ。他の連中はもう集ってるからよォ」
その言葉を聞いて、ジスは手早く準備をした。
といっても、具足を着用したまま眠っていたもので、上着を脱ぎさり、汗をふき取ると、上半身の着替えだけを行った。
武器などの手入れは夜のうちにすませてある。
朝食は軽くでもよいので取りたかったので、部屋を出るとすぐさまフロントに顔を出して、軽食を頼む。
パンと、ワインを貰い、一気に口の中に放り込んで咀嚼して、飲み込んだ。
仕事に行く。一言告げると、恭しく宿の主は礼をする。
それを一瞥し、足早に外に出て、大手門に向かった。
その途中で、シュートの背中を見かけて駆け寄ると肩を並べて歩き始める。
「魘されてたな」
シュートの言葉に、ジスは顔を顰めた。
「そうか」
そういえば、コイツは隣の部屋だったか。
魘されていたことを察したからこそ、部屋の前であんな言葉を吐いたのだろう。
「気にすることじゃないぞ」
「気にしてねぇよ」
口を尖らせていることが、フードを被っていようとも良く判った。
意固地になった子供じゃあるまいし。とにかく、ジスとシュートは言葉少なく、朝の大通りを下って、大手門に辿りつく。
すでに三人は到着していた。
「遅いわよ二人とも」
朝から元気なスキンヘッド、ベッキーがそんなことを言ってくる。
「まったく、夜更かしはお肌の大敵なんだから、特にシュート。貴方は綺麗な肌してるんだから、お手入れしないと」
「うるせぇな、朝かよォ」
うんざりしながらも、変に抵抗しないあたり、ベッキーの怖さをわかっているようだ。おおかた、性別とか、口調とか、その辺の暴言を吐いたのだろう。
「お、おはようございます、ジスさん」
「ジスでいいぞ、ジン」
「は、はい!」
ジンはジンで、元気が良い。その元気さが、ジスには辛い。
何せ、今は二日酔いのような気持ち悪さが少しばかり残っていたのだ。
「悪い、少し二日酔いでな。静かにしてくれ」
「す、すみません!」
「あら、ダメじゃない、大事な仕事の前に深酒なんて、お姐さんはそんなことを教えてないわよ!」
煩い奴らだ。
シュートは横で、万遍の笑みを浮かべているし、門番らは興味津々とばかりに、盗み見している。
まったくそんな役回りを買って出てしまった。
こういうときに、ローの静けさは清涼としていて、実に心が休まった。
自然とジスはローに近づくと小さく、
「おはよう」
と声を掛けた。
しかし、ローは眉間に皺を寄せた。
「大丈夫?」
珍しく、心配そうな声を挙げた。
「あぁ、大丈夫だ。少し飲み過ぎてな」
咄嗟に、先ほどの嘘を吐き出したものの、ローはそんなものを端から信じていないようだった。
何かを言いかけたものの、ローは顔を背け、
「そう、なら良い」
と突き放すように言い放った。
ジスは頭を掻く。どうにも今日は調子が狂う。ローはいつもとは少し違った雰囲気を纏っている。相変わらず人間らしからぬ容姿をしているものの、妙に感情の浮き沈みが解るほどだ。
「全員揃ったことだし、行きましょう」
ベッキーの声で、ようやく、彼らは村へ向かいだす。
***
馬出しで馬を借り受けて、足早に馬を走らせる。
街道を辿り、迷宮近くの村までを走破していく。雪は降っておらず、昨日の晴天のためか、今日も引き続き晴れ間が雲間からちらつく、穏やかな天気と相成った。
シュートが馬にも乗れることに、若干の驚きを残しつつも、ジスはいまだに疼く眼を気にしながらも、手綱をしっかりと握って、先頭を行くローを追った。
馬を潰さぬほどの速度を保ちつつ走る彼ら五人であった。
突如として、先頭のローが馬を止めた。
そのいななきによって、他の四人も馬を止める。
「どうしたんですか?」
ジンの言葉に、ジスは手を挙げて、静止しろと指示を飛ばす。
ローは四頭分ほど先で立ち止まって、鐙で踏ん張り、上体を上げている。
ジスは彼女が、前方で何かを発見したと直感していた。自分の眼では何もわからないものの、不思議とそうであると確信していた。
「人が逃げてくる。多い」
その言葉に、ジスは素早く反応した。
「村の住人か」
「多分」
「追われているな?」
「うん」
「ちょ、ちょっとまって」
ベッキーがジスの隣まで歩み寄りながら慌てて声を挙げた。
「見えるの?」
「あぁ」
ジスの強い肯定に、ベッキーは押し黙った。彼がここまで固く肯定したことが、ベッキーの記憶にはなかった。
「どうすんだ?」
シュートの声が活き活きとしている。
実のところ、シュートも判っているのかもしれない。ジスとて、今になってようやく、変調を感じ取っていた。
何かが光る。この光はどういうときに見る。
鼓動が早くなった。
身体が、頭の中が、血管が、沸き立つほどの熱気に茹だり、弾け飛びそうになる。
「援護するぞ」
咄嗟に出た言葉に、
「魔術を使うぜ。時間をくれ。方陣を描く」
シュートは即座に反応し下馬をすると、雪を掻き分け、術式を大地に書き込み始める。
その行動に、ジンとベッキーは幾ばくか呆けたが、ジスとはそれなりに長い付き合いであるからして、こうした判断によって何度か窮地を救われていた。
そのため、胡散臭くともよどみない行動に信用を置いた。
「アタシたちは先行して、援護するわ。追っ手は?」
ベッキーは、ローに問いかける。
「魔物」
即応に、ジンはすでに駆け出していた。教徒として、民をむざむざ殺すのは忍びないのかもしれない。
「ロー」
ジスの呼びかけに、ローは小さく頷き、ジンの後を追う。
彼女は、弓が上手い。強弓を持ってして、どこにそのような力を隠し持っているのだろうかとジスも唸るほどである。
その彼女が援護するならば、領民も少なくない数を救えるだろう。
「手伝うぞ」
「おぅ、とりあえずここらの雪をどかしてくれ。大地に血を巡らせたい」
シュートはすでに息が荒くなりながらも、雪を掻き分け、大地を露呈させ、自身の血を垂らしていた。そのシュートの左手には書物が見受けられる。
「魔道書か」
「そんなもんよ」
ジスはその答えを聞きつつも、作業の手伝いを始めていた。
次第に聞こえてくる喧騒は、明らかに悲鳴や怒号が混じってくる。そうして、かすかに聞こえる咆哮が、追っ手という存在を正確に認識させた。
シューは着実に術式を作り上げていく。そして、それに比例するかのように、ジスの視界に映る彼の左半身が光っていく。
それがなんであるか、もはや、ジスは疑いもしなかった。
「忘れていた。いや、忘れようとしていた」
自嘲が漏れた。
シュートが初めて、視線を大地からジスに移す。
「俺には、魔が見える」
「やっと、気付いたか」
シュートの笑みに、ジスも笑った。
「知ってたのか」
「今の眼、オレの間じァな、魔眼っていわれてんだよ」
やはり、この焼けるような痛みを放つ眼は異常だったのか。少しばかり、それが他人と共有できたことに安堵する。
「まっ、これくらいで良いか。足止めするくらいだからな」
シュートは立ち上がった。
街道の端から端まで描かれた方陣は長方形だった。形作る線には、ジスでは判らない言語が刻まれている上に、書物から時折紙切れをちぎって、方陣の中においていた。
「人には影響ないんだろうな」
「んあ? 発動させなければ、何も問題はないだろ」
「それも、そうか」
人々の声と駆け込む音が、地鳴りとなっていた。二人の視界にもはっきりと領民らが見える。必死の形相で走ってきていた。
まず先に馬車が駆け抜けていく。幌の上に人がしがみついていた。続いて馬が何頭も走り、相乗りして住民らしきものたちが必死の形相で逃げ去っていく。
そこから徒歩の行列が続々と続いた。村の総勢が逃げ出しているようである。
「踏まれても消えないんだな!」
「そりゃ、オレの血と魔力で描いたからな!」
怒鳴りあうように会話しなければならないほどの騒ぎとなっていた。
ジスはシュートに近づいて、会話を続ける。
「で?」
「とりあえずだな、魔物の先陣でもこの陣にいれちまえば、囮にできる。そうした後を、どうするかは、お前に任せるぜ?」
「判ったよ。とりあえず、村を目指しつつも状況を見極める」
「おう、それが良い」
判っていたくせにとは口にだすまい。気を引き締めた。
ローが走ってくる。
「準備は?」
ジスはシュートは見た。
彼は万遍の笑みだ。
ローは無言で馬首を返した。
「さて、前に行くかな」
「おぅ、行って来い」
ジスはそんな声を背中で聞いて、民を通り越し、前に出た。ジンとベッキーが居る。そして、数人の騎士の姿が見えた。
ボロボロだ。ジンは前線で魔物の圧力を散らすように、盾を前に出した騎士と同列に並んでいる。
傭兵や探索者も騎士に混じって戦列をかろうじて維持していた。しかし、数が少ない。やはり部外者ということで、早々に逃げた出したのだろう。それを批難するつもりはなく、むしろ残った者たちを奇異の目で見てしまう自分が居ることに、ジスは苦笑を禁じえなかった。
ベッキーは、拾ったであろう槍で持って、壁の隙間から魔物を殺した。
ジスは街道からそれて、馬から降りると、馬の尻を叩いた。いななきとともに、馬は森へと消える。足がなくなるのは痛いが、目の前で食われるよりはよほどにマシだ。
ジスは短槍を構え、走る。
焦げ付くような臭いが鼻をくすぐった。血が踊る。破裂しそうなほどに心臓が高鳴った。もはや、ジスはなにも言わない。思わない。
ただ、殺せばそれで良い。
魔物は光っている。光る根っこが魔物を絡め取るようだった。
魔力の流れ、そして、その発端、すなわち、心臓は余計に光っている。そして、その光は渦を巻く。
魔物がいる。居た。目の前にいるぞ。さぁ、殺せ、ジスブレット!
ジスは槍を突き出した。騎士たちの隙間を縫うように躍り出ると、一番手前にいた山羊のような顔をした猫背の魔物に対して、魔石の位置するもっとも輝く、眉間へと短槍を突き立てた。
途端に、色をなくし、魔物は崩れ落ちる。一瞥すら必要ない。死んだ者に興味などないのだ。
風を切る。もう一つの息遣いが聞こえてくる。
フツフツと、身体の中が煮えたぎっていく。血が、肉が、心が、暴れている。
揮えと身体を急かす。殺せ、とせっつく。
何を、殺す。
目の前の光を殺すんだ。
臭い、臭いを断つ。
ジスは数えることをやめた。どうせ、殺すのだと。そこだけは冷静だった。
「ジス!」
ローが後ろで叫ぶ。
「ジス!」
ジス、ジス。
ジンが、ベッキーが名前を呼ぶ。
判ってる。判っているよ。ジスは短槍を抜き去り、横に薙ぎながら振り向いた。
二体の魔物が左から右に吹き飛んだ。
片腕が、右腕が躍動する。痙攣を引き起こしそうで、たまらなく、身体が熱い。
「退くぞ、魔術師が魔術を行使する。その地点までおびき出せ!」
騎士に指示を飛ばす。彼らも急な援軍を受けたにもかかわらず動きが雑にならず、むしろ軽い。
「ジスブレット、援軍感謝する!」
ガルシアが真っ赤な顔をしてそう叫んでいた。
「援軍ではないが、成り行きだ。俺たちは村と迷宮の調査に向かう。後はやれるか!」
「村は魔物に侵入されてしまって、放棄するしかなかった。先の集団で最後だ!」
「判った。あの魔物どもはウチの魔術師がなんとかする!」
「ま、魔術師だって!?」
「本物さ」
「わ、判った。われらはダリスへ向かう!」
楽しいとジスは感じる。けれども理性はあった。
死んで良い人間なんて、この場にはいない。
死んで良いのは、殺して良いのは化け物だけだ。
殺せ、殺せ。ジスの内で誰かがうそぶく。
心地よい。身を任せてみようか。そんな誘惑が、理性を溶かそうと躍起になって、ジスは思わず、地面の雪を掴んで頬張った。
砂利が、血が、色々なものが付着した汚い雪を食して、身体を冷やす。
焼け付くような痛みが駆け巡る。
弾け飛びそうな身体を維持するかのように、ジスは叫んだ。
左手から魔物が迫っている。両手が刃になっている甲冑姿の魔物だ。
堅そうだ。関係ない。殺せ、単純な答えだ。
額を突き刺せば、終わるのだ。
眼が痒い。細めつつも、魔物を殺す。
熱い。充血していくことがジスにもわかる。
横薙ぎを避ける。首を狙ったものだ、狙いすぎだとほくそ笑む。
身を翻し、わき腹に短槍を叩きつけて、魔物を吹き飛ばす。
てんでバラバラだった。数は百ほどもいるかもしれない。それなのに、足並みが揃っていないから、ジスやジン、ベッキーだけでも十分対処できた。騎士は領民を守っていたためか、傷だらけ、彼らだけでは厳しかったかもしれない。なにせ、重装備だ。容赦なく身体を重くさせ、疲労を蓄積させる。
ジスは走っていた。とにかく、魔術を見てみようと好奇心が心を躍らせた。
魔物は殺したいけれど、シュートの魔も見てみたかった。
殺す必要のない魔とはどんなものなのか。
「走れ、走れ!」
檄を飛ばす。
騎士らは走りだす。
彼らは足が遅い。
ジスがしんがりを務めるように最後尾だ。ローは矢で援護し、ベッキーやジンらも加わる。
魔物は足の速い身軽なものがつぎつぎと迫ってくるにも拘らず、四人は器用に走りながらも、駆逐していく。完全に殺すこともせずに、いや、ジスとローは正確に魔物を殺していく。
「ちょっと、本当に大丈夫なんでしょうね!」
ベッキーが叫ぶ。
「ボ、ボクは信じますよ!」
ジンは高揚した赤い頬を揺らしてそう言った。
「大丈夫だ!」
浮ついた言葉だ。それで、今はそれで良い。鬼気迫る状況では、気休めでも楽観は欲しいものだ。
ローは無言で、振り返り、矢を射ると、また走り出す。
その矢は正確に、魔物の眉間に突き立てられていた。ジスは振り返り、その矢がやっぱり、魔石を射抜いていることをしっかりと確認した。
「見えるのか?」
ジスの言葉に、ローは確かに頷いた。
「彼らも、ワタシと同じ」
「同じ?」
つまりは、ローも魔物だというのだろうか。しかし、彼女から魔の光は見えない。それに、知能もある。こうして喋れるのだから、魔物ではない。
ドクン、心臓が跳ねた。
魔人。そんな単語が脳裏を掠める。
「なんだって良い!」
気付けば、ジスは叫んでいた。そうであってほしくないと思ったからだ。ローは珍しく驚いていた。眼を見開いた顔をしている。
「ローは、ローだ。俺が俺であるように。そうだ、それで良い。そうだろ――」
お前が言ってくれたじゃないか。
「今は、それで良い」
「――うん」
ローは笑った。
ジスはその笑顔で、心を撃ち抜かれていた。
呆けたまま、けれども走り続ける。
そうして、シュートが見えた。
すでに書物を開き、呪文を唱えているのだろう、口元がもぞもぞとせわしなくうごいている。
「シュート!」
ジスの叫び声を上げる。その瞬間、二人の目線がぶつかり合った。
口の端を吊り上げていたシュート。ジスは不敵に真似をして答える。
シュートの横を四人が通りすぎる。
しかし、シュートは術式を行使しようとしない。その瞬間、ジスは思惑を理解して、シュートを守るように、前にたって迫ってきていた犬の頭をとってつけただけのような人型の魔物を短槍で持ってして吹き飛ばす。
「シュート、もう少し魔物をひきつけるってことで良いんだよな!」
それと、今は喋ることもできないのだろう。恐らく、術を行使するための呪文は、他の言葉が混じるだけで失敗に終わるということで、彼は一言も喋らないのだ。
「援護してくれ」
ジスは前に出る。
「危ない!」
「下がってください!」
ベッキーとジンが叫ぶが、ジスは止まらない。
シュートの言葉を信用していた。何故だろうか。
アイツが、自分の得意な分野で、嘘をつくどころか不確定な要素を混じらせることはしない。そんな思いがあった。
それは半年間、交流を深めてきたきたジスだからこそが、察することが出来た信頼だった。
ジスを援護するローも、淡々と矢を放つ。矢筒から次々と矢が消えていくが、初めから大量に所持していたものだから、まだまだ余力があった。
ジンとベッキーはジスを心配しながらも、自分たちでは足手まといになってしまうと思っているからこそ、シュートの前に出て、ジスやシュートのあまりものを駆除した。
ジスは魔物に容赦しない。彼の通った後に生きた魔物居ない。
彼は<掃除屋>と呼ばれた最初の人物。いつから言われ始めたのかも、ジスは覚えていない。だが、それは正しい呼び名だ。彼は掃除をするだけなのだ。この世界におけるゴミを処理する。それも、死を隣りあわせという損な役回りといっても良いことことに従事している。
魔物が迫る。点在する光は、夜空に光る星星のような神々しさすら纏っている。その外皮は禍々しいかぎりではあるが、ジスにとってそれは、確かに輝きを放つ星だ。
一点突破。一突き、また貫く。次々と死に絶える尖兵と言っても過言ではない魔物を駆除していくと、いよいよ魔物の群れが濃くなっていく。
一際大きい、それこそオグルやトロールのように巨躯な魔物が見える。
巨大な魔物が、ジスを三人ほどくっ付けたと思えるほどの木を振りかぶっていた。根っこが土の付いた状態で揺れたその鈍器は、ジスを標的としている。
頃合いだと、ジスはよく理解しており、すぐに方陣の外に出た。
すると、シュートの左半身が一層激しくなる。書物が眩い光を見せるが、ジスとロー以外は判っていなかった。
ジスは全身が震えていることに気付いた。総毛だってことも感じ取る。
「さァ、生と死の宴へご招待だ!!」
シュートの嬉々たる声と共に、方陣は輝き始め、やがては薄い膜を作りなした。その中心で黒い球体が姿を見せて、周囲にいた、それこそ陣の中に居た魔物を捕縛するかのように飲み込んでいく。
大きな魔物も、小さい魔物も皆が皆が、黒い球体に消えた。
ジスにはその黒い球体に怖気が走った。
とてつもなく眩しくも、荒立っている。それはただ単に光っているという表現では生ぬるく、その色すらもわかるほどだった。
黒は殻、その中身は赤い。それも、黒と赤が交じり合った、薄気味悪いものだった。
ァァァァァァァッ――。
魔物が雄叫びとともに、地響きが視界を揺らす。
「生の宴の始まり、その喜びをかみ締めしろ。そして苦しめ。欲望を発散しろ。生きとし生きるものよ、強欲であれ!」
シュートの歓喜とともに、方陣の中の魔物が開放される。
数体は飲み込まれていたはずだというのに、姿を見せたのは一体だった。
それは異形のものとなっていた。
まず、大きかった。すくなくとも、ジスが二人いて、一人が方の上に乗ってしてようやく頭に手が届くかというほどに大きかった。
今までは犬だとか、山羊だとか、人型だとそういった呼称がつけられたが、今の魔物はそれができない。
眼は八つもあって、まず猿ような顔をしているところに四つ。左肩に二つ。両手に一つずつあった。
犬歯が異常に長く、顎を突き破っており、出来た隙間から蛇が顔を覗かせている。足は四本あるが、二足歩行で、太ももからもう一本の足が生えている状態で、その足裏から、鋭利な刃のような口がとってつけられている。
ギャァァァァァ。オォォォォォ。
猿の顔にも口があり、足の裏にも口がある。その口々から声が漏れる。
背中が隆起し、手が生えてくる。
肩から骨が見えては肉に取り込まれ、角のように変化していく。
見るたびに、その魔物は姿を変えるが、ようやく落ち着きを取り戻したかのように、ぐにゃぐにゃと動く身体は穏やかになった。
その途端、巨大な魔物は後続の魔物を襲い始め、そして、食らい始める。問答無用で、他の魔物を襲い始める。
頭から猿の口に食われ、下半身だけが大地に残り、もんどりうった。
腕を振るって魔物を捕まえると、グチャグチャに潰して、啜るように肉を食べた。
頭を捻り潰し、赤く光った物体を口に放り込む。
大型の魔物は、同類の魔石を食っていた。どうしようもなく飢えたオオカミのように、大して咀嚼もせずに飲み込むだけ飲み込んで、ただ、魔を食っていた。
「一体、何が」
ジンは恐怖に歯をカチカチと打ち鳴らしていた。
遠くで悲鳴があがる。逃げている民や騎士にも見えたのだろう。より一層、必死になって逃げていく。
「これが、魔術……なの?」
ベッキーは信じられないとばかりに、捕食していく大型の魔物を見つめていた。幸いにして、魔物はこちらを襲う素振りを見せていない。とはいえ、長居は無用だ。
「移動するぞ、ロー案内を頼む」
ジスは状況を理解していた。
魔物が同類を食っているだとか、あの魔術はなんだとか、そういった興味はもちろんあるが、それよりもまずさきに、自分たちがどうするべきかを判っていた。
つまりは村を目指すのである。
ローは無言で、森へと入っていく。迂回して村を目指すのだ。
魔物を確認する必要もある。今捕食されている魔物が、本当に迷宮から沸いてきているのか。そして、今の断続して増殖ともいうべき速度で、この地上に出てきているのかを調べる必要がある。
何よりも、建前として村を調べなければならない。
やるべきことはあった。ジスの足に迷いはない。
「命が、燃え尽きる瞬間ってェのは、たまんねぇなァ」
恍惚とした表情をしたまま、シュートは森へと入るローとジスを追っていく。
少々の間を置いて、ジンとベッキーは、汗を滴らせながら、後を追った。
魔物の咆哮がけたたましく上がる。血飛沫が上がり、贓物が散らばり、雪を染め上げていった。




