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 あの衝撃が一体何であったのか。

 瞼を閉じて、状況を整理する。世界は先ほどまったく代わり映えがない。

 ただ、一つの変化というべきことは、確実に自分の中で起こっている。

 シュート自身もそのことを良く理解しているようで、怪訝な表情を浮かべていた。

 これはいったいどういうことなのだろうか。

 ジスはベランダから眼下の大通りに眼を向けた。

 いつもと変わらぬ人の流れ、威勢の良い声、馬車の闊歩する音、談笑という名の喧騒が、耳をくすぐる。

「魔素の拡散があったぜ」

「なに?」

「こいつはァ、本物だな」

 シュートの瞳がギラギラと怪しく燃えていた。

「何か、判るのか」

 シュートは首を横に振る。悲壮感の欠片もなく、判らないとだけ答えた。

「わからねェもんはわからねェんだよ。だがな、こいつは領主さまに会って話した方が良い問題だぜ。オレにも、アンタにもな」

 好都合ということだ。ジスはシュートの見せる普段とは違う稟とした空気に気圧されながらも、身支度を整えていく。

 短槍を携え、さらに三十センチメートルほどの短剣を腰に二本ぶら下げ、十五センチメートルほどのナイフを脇下の鞘に収める。

 石弓を持っていくかも考えたが、荷物がかさばるのはよろしくない。迷宮に潜るつもりでもないので、背嚢はいのうもそのままにしておく。

「えらく重装にするんだな」

「用心に越したことはない」

 革で作られた袖を肩口にかけてきつく結び、肩部の駆動に支障がないかを確認する。続いて、篭手こてすね当てを取り付けた。

 胴体などの面積が大きい箇所には重装を取り付けず、厚手の衣類を着込むに留めた。重装すぎては、鋭い動きができなくなる、それを嫌ってのことだった。

 ジスの着替えを見ている間、シュートは何も言わなかった。ジスもとくに会話をするわけでもなかった。

 装備に関しては、ローブの下がどうなっているのかをわざわざ聞くつもりもなかったし、シュートが現状で満足しているのならば、とやかく口をだすこともないと判断してのことだった。

 自称魔術師なのだから、そういった不思議な効力を持つ装備なのだろう。荒唐無稽とは言え、そのような納得の仕方をしたジスは、自身の用意がすむと部屋を後にする。

 フロントで宿の主に、外出する旨を伝えて鍵を預かってもらい、外に出た。

 少しばかり身構えてしまったものの、やはり、世界に変化はない。

「まぁ、すぐに問題はやってこねぇよ」

 シュートはうそぶく。

 信用できるのかと打算が動く。

 くだらないと頭で理解しつつも、身体は少しばかり火照っていく。

 また、だ。また、身体は何かに興奮している。ということは、面倒なことが待ち構えているに違いない。

 この都市に着てから、この身体が調子良く動いたときこそ、厄介の渦中に居たりするのだから、気分が良いわけもない。

 機嫌悪く、かといってそれを周囲に振りまくこともせず、淡々とジスは領主城へ続く大通りを歩く。

 途中から徐々に傾斜を得るようになるこの大通りを登る二人の前から、一人の男が走ってくる。

 随分と急いでいるようだったが、ジスには見覚えがあり、それは相手も同じようだった。

「ジス!」

 こちらに気がついたのか、髭の濃い強面のヴェルが大声を挙げていた。息を切らしていることがわかるほどに双肩が揺れている。その様は、山賊が隊商に襲い掛かってきているようだった。

 シュートが、少しばかり身構えるような空気をかもし出したことに、ジスは思わず笑う。

 ただし、ヴェルの剣幕からしてろくなことではないようだ。

「領主様がお呼びだ。至急、領主城に来てくれ!」

 そう言って、ヴェルはジスの返答も待たず、坂を下っていった。

「知り合いか?」

「あぁ、ここの奴隷だよ」

「へぇ、あれが奴隷かい。良い生活してんじゃねぇか」

 興味深そうにヴェルの背中を見つめている。

「さて、急ぐかい」

「ケッ」

 シュートは不満げだった。

「オレとの楽しい楽しい会話の時間を蹴ったくせによ、こういうときだけは脱兎のごとくだぜ」

「カルト教団の勧誘と間違えられたんだな」

「ったく、七面倒くせぇ。役人仕事の鉄面皮野郎が」

 領主が女であることは、知っているだろうに。すこぶる機嫌がよろしくないようだ。

 先ほどまでのご機嫌は何処にいったのやら。

 狂信者などと呼ばれるゆえんだろうか。

 くだらないことを考えつつも、ジスは先ほどよりも幾分、足早になって城へと向かった。

 城についてみると城門の前で先導の騎士が二人を出迎え、そのまま執務室まで一直線で案内されてしまう。

「随分と無用心なことで」

 とは、シュートの皮肉だ。

 彼は面談することが叶うまで少々の時間を要したのだから、気に入らないと思うのも仕方のないことだったが、ジスにまで剣呑な空気を浴びせてくるのだから、溜まったものではなかった。

 騎士とて、全幅の信頼を寄せているわけではない。ジスが居るから、一応は客人の連れということでしぶしぶといったものだ。

 顔も固い上に、動きの一つに油断がない。

 怪しい動きをしてみると、そくざに抜剣して、捕縛か最悪殺されてしまうだろう。もちろん、ジスがそんな下手な真似をすることなどありえない。なによりも、今はそのような行動を起こす余裕もない。

 執務室に通されると、予想通りの二人と、予想外の二人が居たことにより、ジスは面を食らった。

 アリシアはいつものように正面の机に腕をおいて、背筋はピンと伸びている。凛々しい限りで、蝋燭の弱弱しい光が、陶器たるその肌を火照らせるように映すのだから、妖艶な雰囲気すら醸す。

 アリシアの眼前に長机があり、左右に四脚の椅子がある。右側に予想外の二人――ジンとベッキーが座っていた。ジンは頭を下げ、ベッキーはウインクして見せた。

 相変わらずの二人を見て、緊張の糸が適度に緩む。

 その左側、机よりもアリシアに近しい位置に佇むローは、ジスを一瞥したかと思えば、早々に視線をはずして、どこともない場所へ向けた。

 アリシアの指示によって、ジスは左側の席に腰を落ち着けて、シュートも同様に座った。その顔は険しいものの、騒ぎ立てる気はないようだ。

 今日は公的な場ではないという注釈とともに、アリシアはジスを一瞥した。

 ご丁寧なことだ、という言葉を、ジスは胸にしまい込む。

 シュートが会談の場で暴れないか心配こそしていたが、心配ないようだ。ここにきて、シュートを人間扱いしていないような気分になっていた自分に気がついた。

 ベッキーが、シュートに向けて意味深げな笑みを浮かべていることを鑑みるに、問題はないと判断する。

「さて、これで全員だ」

 アリシアの澄み切った声が響く。

「ここにいる六人が、今回の衝撃に気付いた、ということか」

 ジスの低い声に、アリシアはよどみない動作で頷いた。

 いつもの口調ではないことなど、気にもしていない。

 重要な魔素の拡散。シュートは確かにそういった。

 魔素とはなんだ。迷宮に多く存在すると言われ、魔物を、延いては魔石を生成する、誰もが知りながらも、全てを知らない謎の存在。

「それで、ベルネルリ卿は如何するおつもりで?」

 ベッキーが真剣が表情で言った。

 スキンヘッドに浅黒い肌。無骨な体格に似合わず、口調は女のもので、使う得物も長剣から短剣、弓矢と幅広い。記者としての能力も中々に良いらしく、指名依頼も多いが、内容は探索が多いことから、探索者としての能力も高い。

「迷宮で何かが起こっていると見ている。諸君らには現地調査を依頼したいの」

「ま、待ってください。迷宮近くには村がありましたよね」

 ジンが反論する。上目遣いで、猫背で頼りない風貌をしている。赤茶の髪の奥で、翡翠の瞳が申し訳ないように揺れ動いていた。

 小柄な身体立ちに反して、体力自慢のためか今も重装をしている。全身を鉄製の鱗鎧スケイルアーマーで防御し、日除けには、聖都教の紋章が小さくあしらわれた外套を羽織っている。

 足元に置かれている得物は、盾の上に置かれている。鋭利な棘が張り付いた鈍器であり、その攻撃は甲冑を容易く貫通、あるいは中身に直接、響くほどの威力を誇り、彼は難なく使いこなす。

「確か、その村には探索組合と、騎士隊が常駐していると聞いたが」

 ジスは、ジンに同意して言葉を足した。ジンは嬉しそうにジスを見つめてくる。子供のような体格に、子供のような甘えっぽさを残す同僚に、わずかばかりに微笑みかけた。

 ジスにとって、ジンは小動物のような扱いをしているもので、今回も怯えているようだと感じて和ませているだけなのだが、ジンは熱っぽい顔をしたまま、呆けてしまったようだ。

 アリシアとベッキーがそんなジンを見つめて苦笑する。

「ベルネルリ卿、そこのところはどうなので? もし、本当にそうだとするならば、意図はなんでしょうか」

 ベッキーが間を取り持つように言葉を出す。

「本来ならば、そうあるべきなのだ。だからこそ、非常事態において信頼できる人材を使いたいと思ったまで」

 アリシアは意味深げに視線をジスに向け、

「三日間、村からの定期連絡が滞っているの」

 と言った。

 今までにこんなことはなかった。日に一度の報告を忘れてはいない。早馬を走らせれば一日で往復できる。何よりも訓練としての一環もかねて交代制で受け持っている業務である。これを怠るということは職務怠慢ということになり、罰則もきちんと設けられている。

 騎士たちがそれを知らぬはずもなければ、怠惰な生活を送っているとは考えにくい。

 村は迷宮に近い。そのため傭兵や探索者が多く集る。みなが旅人であるからして、様々な人種が居て、いつもどこかで諍いが起こる。

 日ごろから命をかけている者たちだからこそ、譲れぬ者もあったり、変に気が立っていたりするものだから、それらを仲裁するのも騎士の仕事である。

 村が閉鎖的で、余所者を受け入れにくい土壌はそうした諍いの影響が強かった。

「村にはガルシアを置いている。彼は、父が領主の頃から仕えていた騎士よ。裁判の権限も持たせているくらい信頼しているわけだ」

 さも当然のように語るアリシアの表情は硬い。

「連絡がないことは異常だ。そして、現状ではダリスの防備をおろそかにできない」

 使える駒は少ない中で、信頼性を高く、実力もわかっている者が居るのならば、率先して使いたいと思うのも道理である。

「イイね、すげぇイイ」

 そう言ってシュートが笑った。

「請け負うぜ」

 シュートの言葉に、アリシアが少しばかり柳眉を曲げた。

 ジスもまた突然の言葉に、理解が遅れた。

「ただし、オレの条件を呑んでくれるのなら、だがなァ」

 報告には知っていただろうが、ジスの知り合いという程度だ。なにせ、シュートとは文面で、面談するか否かの交渉を行ったに過ぎないのだから、その人の容貌を知るすべはなかった。

「条件?」

「エカテリーナ様について、話してもらう。知っていることを、洗いざらいな」

 ジスはため息を吐き出す。

 なんともなしに、シュートの機嫌がよろしい理由を察してしまったことが、少しだけ残念に思えてしまう。

「君が例の邪教徒だったか」

「おう、そうだ」

「……君は真実を知ることが出来る。約束しよう」

「話が早くて助かるぜ」

 アリシアが苦笑する。

 万遍の笑みを浮かべるシュートを見ては、確かにそんな顔をしたくなる。ただ、彼女の口から真実を伝える気はなさそうだった。

 いずれ判ることだろうし、ジスには興味がなかったから、特に問いただすことはなかった。シュートの機嫌を損ねても面倒で、それが一番の問題でもあったのだから、尚のことだ。

「まっ、シュートが行くというのなら、アタシたちは着いて行くしかないわね」

 ベッキーが腕を組んでそう答えると、ジンも顎に手を置きながら、

「そうですね」

 といって、ジスを見た。

 上目遣いで懇願してきていることが良く判る。不安がっているというよりかは、意見を求められているようだ。

「俺も、反対しているわけじゃない。あの衝撃には興味がある。それにだ」

 ローを見据えるジスの瞳に、迷いはない。ローもそれは同じだった。

「ロー」

「当然」

「なら、決まりだよ」

 二人の短いやり取りに、アリシアは微笑を浮かべた。ジンは不満そうに頬を膨らませたが、ベッキーがやんわりとしたボディタッチで慰めている。

 アリシアの双肩が僅かに下がった。

 気持ち安らいだ様子を見せたからに、アリシアも領主として領民の生存を本気で願っているようだった。

 何もなければ、良い。そうあるべきだ。

 三日ほど連絡がつかないことなど日常茶飯事だ。村同士の繋がりが希薄で、対立しているところすらある中で、ダリスとその周りに点在する村との関係こそが、ジスからすると異常である。

 それだけ、ベルネルリ家は磐石とも言える。そして、その一端がこうした迅速な行動と領民に配慮する言動だとも思えた。

 アリシアは瞳を閉じた。

「――助かる」




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