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 死骸は即日に処分され、人々の目に入ることはなくなっが、耳からは死骸の話が入り、口からは憶測が出て行く。そんな日常が続いている。

 すでに取材するというていをジスは見せていない。

 気が滅入りそうになる。状況は徐々に悪化していることはもはや明白だ。しかし、自分の内に眠る本能が、楽しいと感じていることが気に食わなかった。

 ローはこのような状況下においても、淡々と職務を全うする。

 ダリスに住まうすべての狩人を動員して、森への探索を開始。

 傭兵や探索者を臨時で召集したことも合わせて、三十人規模にまで膨れ上がった。

 それを十人単位で行動させて、班はさらに細分化されていた。

 ジスもそこに組み込まれている。

 ローは、単独行動をしているというわけでもない。かといって、積極的に徒党を組みたがる人間でもなかった。

 ただ、奴隷たちのリーダーという立ち位置にいることを自覚しているようで、奴隷を纏める事に関しては、実に積極的だった。

 調査には、その奴隷らも動員されていた。

 元々が狩人だった奴隷が三人。武器の携帯を許可され、市民狩人らとは別に班を作り行動している。

 目付けとして、市民権を持つ狩人と同伴させているが、その三人もまた、ローのように森へ入ることの多い、熟練者だった。

 班の中には、ヴェルが含まれている。

 ジスがダリスを訪れる前は、相棒として良く森に入った仲だ。

「足跡が多い」

 まばらな木々の隙間に、曇り空が弱弱しく光を落とす。

 雪に埋もれた地面を染め上げるかのように、オオカミの痕跡が散らばっていた。

「街道の近くまで、群れで行動しているということか」

 足跡が無数に散らばり、そこかしこで走り回ったようだった。

 ここは、この森は本当に、オオカミが多い。

「この時期、街道には足を伸ばすことは珍しい」

「だが、牧場への襲撃はあるんだろう?」

「連日。それも、襲うだけ」

「襲うだけ……?」

 ローはオオカミの糞や足跡を観察した後、森の奥と進んでいく。ジスは黙ってそれに続いた。

 言葉を待ったわけではない。

 何かが、引っかかる。それが出てこない。

「散発的。いつもならば大挙して、見張りを分散させてやろうという陽動を仕掛けてくることだってある」

 ザッ、ザッ。

 規則正しい音だけが言葉に寄り添う。

「今は違う。襲うだけ襲って、何もせずに帰る」

 いつもいじょうに彼女は饒舌だった。

「警戒は増やしている。いつも以上に」

「……厳重な牧場を執拗に襲うわりには、食うに困った様子ではない、ということか」

 地面には何かを引きずったような後が残されていた。その後を、二人は追うが、途中でかき消されるように雪が荒らされていた。

「これも、オオカミがやったのか?」

 足跡という痕跡を消す。そこまで利口なのだろうか。疑問を浮かべつつも、ローは黙ってしゃがみこみ、痕跡を調べる。

「引きずられた跡」

 そう言って、ローはジスに毛を見せた。

 硬い、触りをしていて、真っ直ぐに伸びているそれは、人の髪の毛よりも随分と太かった。

「これは、また出たのか」

「うん」

 肯定の言葉と共に、ローは踵を返す。これ以上探したところで、欲しい情報は獲得できない。

 場所を探すかのように、二人は歩いていく。

 都市周辺の森林地帯を調べながら、オオカミの行動範囲を推測し、糞尿から群れの状態などを調べているのだから、ジスは舌を巻くしかない。

 ジスにとって、愛玩動物探しは経験あるが、野生の獣を慎重かつ大胆に調べていくことなどできはしない。

 ローの三歩後ろを、ジスは歩く。

「どう思う」

「異常」

 森に入ることの多い狩人であるローが、異常と断言する事態。

「やっぱりそうなのか」

 ジスは驚かなかった。

「オオカミが、消えた」

 痕跡もある。

 遠吠えも響き渡る。だが、姿が見えない。

 今も、遠くでオオカミが鳴いた。ただ、それだけだ。

 ずんずんと、ローは歩く。

 ジスは辺りを見回した。

 オオカミだけじゃない。生き物が、どこかへ行ってしまったようだ。

 静寂が、途方もない焦燥を生む。

 どういうわけか、息切れを起こした。

 軽いめまいとともに、酒を飲んだときに似ていると思った。

 足取りはしっかりとしているのだが、身体が火照り、視界が鈍く、ふやけていく。

 駄目だ。これは駄目だ。

 ジスはどこかで焦り始めていた。ただ、何が駄目なのかは判らない。

 だから、声に出せなかった。出せば、それはきっと、雄叫びになってしまう。

 ローはただ、前を向いて歩いていくだけで、何を言うわけでもない。けれども、違和感は酷く、ジスの頭を叩く。

 足取りが重い。行きたくないから、というものではない。芯が通っているのだ。まるで、行き先が決まっているかのようによどみがない。

「ロー……」

 呟き。瞼を閉じて、それでも、足は前に出る。見える世界が変わっていくのが判った。

 吐き気を催すむかつきをしまいこみ、ローの背中を見つめる。

 やがて、たどり着く。

 隆起した小高い丘が何かに抉られたような傷をつけて、が森の中でひっそりと、だが、見上げるほどに大きく姿を見せた。

 岩肌が見え、苔がこびりついている。それは崖だった。

 そして、崖の根元に、角ばった岩が乱雑に積みあがっている。岩山が雪に埋まっていた。

「ふさがっているか」

 ローはそう言った。つまり、ここが目的の場所。

「一体、ここはなんだ」

 空気が違った。ジスだけが判ってきた臭い、色、感触。そのどれもが異彩という言葉に凝縮されて、今、彼の目の前から滲み出てきている。

「丘」

「見れば、判る」

 この空気をどこかで感じたことがある。当たり前だと確信している。けれども、思い出したくはないと頭が記憶を封印している。

 歯がゆいなんてものじゃなかった。とにかく気持ちが悪い。

「ここでなければ、別のところ」

「ここ、以外にも?」

「知らないだけ」

 ローの言葉に、ジスは青白い顔で同意するしかない。

 身体が熱い。チリチリと、何かが焼ける。

 息が上がる。喉の奥から、這い出てくる。名状しがたい焦燥の塊が、渦を巻いて、身体を苦しめる。

「ジスは、感じている?」

 そうだ。ジスはこの空気を知っている。

 吸い慣れたものだ。嫌というほど、身体にしみこむほど。

「――魔素」

「そう」

 即決に、ジスは天を仰ぐ。

「常人ならば気付かない。どんな探索者でも、光を放つまで気付かない。気付く者は、異端の存在」

 ローの視線が、ジスを射抜く。

「ジスは、ワタシと似ている」

 答えを知り得るはずのジスの脳裏に、ローの言葉が反芻はんすうしては、溶けていく。

 自問自答に溺れたこともある。

 果たして、自分は何者なのか、と。

「ジスはジス」

 ローの淡白な言葉が、どういうわけかジスには沁みた。

 彼女は黙々と岩山を見て回っている。

「今は、」

 いずれ、判るのだろうか。途方もない話だ。そう思うと、途端に馬鹿馬鹿しくなった。

 卑屈になる必要はない。

 いつもの調子で、そうすれば、今までの通りに生きていける。それは、とてもすばらしいことだ。

 そして、沸き起こる苦笑に、顔が歪む。

 ――ロー。お前こそ、何者なんだよ。

 口に出すことはしない。それが以下に好奇心を刺激してこようとも、そこは男としての矜持ががんとして口をつぐませた。

 きっと、自身の素性がわかったときを見計らって、教えてくれるかもしれない。男が、女の素性にがっつりと興味を持つのも、なんだか悪い気もする。

 ジスは切り替えて、この場所に自分を連れてきた理由を求めるために、視線とともに、頭を動かした。

 雪に埋もれる岩山と小さな丘。ジスが二人分くらい必要な高さで、丘というにはこじんまりとしている。

 それにくらべて、岩肌に群がって身を寄せ合っている岩の集団は、まるで見るものを威圧するかのように、重苦しい。

 一個を動かすだけでも大変そうなくらいに積みあがっている。また、薄い板状のものから、ひし形に近しい岩と、非常に豊富な形状をみせつけてきており、何よりも、ジスには綺麗すぎる印象を持たせた。

 ジスはローに視線を向かわせた。彼女はじっと、雪面を見詰めていたが、何かを見つけたようで、しゃがみ込んだ。

「誰かが、ここに来た」

 緊張の糸が、張っていく。

 ジスには判らない。ここに誰かが来たことで、それがどれほどの問題になるのかが判らない。

「どうして判った?」

「雪」

 ジスは近寄って、雪を注視するものの、何がどうすれば、この真っ白い雪から誰かが来たと判断できるのか、皆目検討もつかなかった。

「感触が違う」

 ローの言葉を受けて、ジスは彼女の触った箇所に触れる。何の変哲もない雪に触れただけだ。続いて、ローは立ち上がって、ジスの背後に回った。

 ジスはしゃがみ込んだ状態で振り返る、二歩ほど前で、再び、ローは雪を触っている。同じように、ジスは雪に触れた。

「……ん?」

 僅かな違和感。だがしかし、これはあまりにもあり得ない。

「硬さが違う」

「いや、それは、ローに言われたから少し気になっただけだぞ?」

「重要」

 そういうものなのだろう。狩人だけに判別できる何かということか、あるいはローだけの特技なのか。

 つまりは、

「雪を、被せた?」

「そう」

「何のために」

 回りくどい。そんな気がした。

「必要だから来た」

 必要だから。頭を捻ってジスは考える。これは難問だ。まるでなぞなぞを解くような面倒くささがあると、思わず顔をしかめてしまう。

「何人かは判るか?」

「いいえ」

「男女」

「いいえ」

 ここまでは、予想通りだった。足跡が残されているならば、二つの質問も、大まかな予測を立てられただろうが、雪を被せて立ち去ったとあっては、判るはずもない。

「足跡を消すため?」

「いいえ」

 そうだろう。今は雪が降っていない。その上で、周囲に自分たちいがいの足跡はなかった。上手に消したところで、消そうとした痕跡が残る。そこは狩人のローが目ざとくみつけることができる。実際、オオカミの痕跡はそうやってみつけられただから、信用できる。

 つまりは、雪が降り積もる数日前に人が来ていたということになる。

 何のために。ここに用があったとみるべきだろうことは、ローの対応からしてわかる。ならば、この岩山を調べるためか。

「狩人、か」

「正解」

 狩人は知っていたという可能性はないのだろうか。ローを見やるが、その表情からヒントを得られそうもない。

 ならば、魔素を知っていた。という可能性が高い。つまり、この岩山が目的で、延いては、

「岩山を崩そうとしていた」

「そう」

「この岩山は、出入り口」

 ローはコクリ、と頷いた。何の出入り口か。それは、やはり迷宮へと続く洞窟なのだろう。そうでなければ、ローがここまで気を向けることもないはずだ。

「ウィニペグの地下に、大迷宮か」

 ダリスの狩人がコソコソと動くとは考えにくい。領主に強い忠誠心を持つ者が多いのだから、彼女に内緒で、迷宮を調べるという愚を冒すとは考えにくいうえに、迷宮に立ち入り生きて帰れる保障はない。

 狩人だからといって、閉鎖的な空間での戦闘に慣れている者は少ないだろうし、未踏の迷宮は、どれほどの数の魔物、その種類。構造、空気の良し悪し等、環境の優劣。様々な事柄を調査する必要がある。

 そんな知識をただの狩人が持っていることはない。まったく別の、知識になってしまうからだ。日常に必要のない技術と知識を蓄えたところで、狩人は食べていくことは出来ない。それならば、生活に直結する技能を修得したほうが建設的だ。

 ましてや、ここに来る狩人が、どうしてわざわざ雪が積もったように見せかけた。判らないことだけが増えていく。

 確かなことは、隣人が、血相をかえて、お隣さんの庭に怒鳴り込んでくることくらいだ。

「領主は知っているのか?」

 ローはふたたび、頷いた。

 知った上で、放置してある。

 改めて辺りを見回して見る。

 大掛かりな土木工事を行うことにより、ようやく岩山をどけることができる、と推測できるくらいには、頑強な岩ばかりが積みあがっている。

 それに、街道からそれている上に、都市からも中途半端に遠い。

 保全するにもしても、理由付けに苦心するだろうし、逆にここを開拓することによって、何からしらの眼を引いてしまう。

 ここは、辺境。王都からは遠く、隣国の都市からは近いのだ。

 ダリスの狩人が定期的に見回ることもない。特筆すべき点のない森の一部。

 誰かがそ知らぬ顔で、この岩山をどけようと画策したところで、なんらかの、それこそ今回のような事件が起こらない限り、気付くのが遅れてしまうだろう。

 季節も冬だ。外に出るのが億劫になる時分。頃合いを見計らってこの岩山にやってきたということも考慮にいれて差し障りがない。

 つまりは、王国の狩人というよりかは、

「……不機嫌な隣人か」

「多分」

「厄介ごとだな」

「うん」

「報告するか?」

 ジスの言葉に、ローは立ち上がり、踵を返した。

 ガチリ、と歯車がかみ合って行く。

 そして、同時に、畏敬の念を禁じえない。

 オオカミは、シルヴィアは、帝国の同行をダリスの――いや、ローに教えるつもりで、あのような死体を置いたのだ。

 妙な確信とともに、三歩前を歩くローを見やった。

 ――調停、か。

 出会った頃にうそぶいた彼女の言葉が、ジスの脳裏を駆け巡っていた。


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