表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/21

10

 死体は今も刻々と腐っていっており、比例して増していく臭いがきつい。

 今も、ほのかに香っているような気がするのは、果たして隙間風に誘われてなのか、それとも己に染み付いてしまったのだろうか。

「異常な腐食具合からみて、魔物であることは間違いありません」

 ジスは述べる。資料として書き記したくしゃくしゃになっている手帳を紐解きながら。厚く、粗い紙だからこそ、乱暴に扱っても破れてはいないようだった。

「すでに液状化しつつある。あれでは調査もできなくなるかと」

 ローが続いた。液状化するほどに腐るということは死してなお動いていた魔力が完全に消失したことを意味する。

「廃棄させる手続きをすませたわ。細部は絵として残しておくつもりよ。絵描きには悪いことをしたけれど」

 アリシアは嘆息を漏らした。苦い顔つきからして、彼女も腐乱臭に辟易したようだ。

「眼球がないので、恐らく魔石があったのは眼、あるいは頭部かと思われます」

 ヴェルが緊張した面持ちでアリシアに言葉を並べ立てた。

 もっとも、眼球は腐りやすいということも事実ではあるが、あのような腐臭を放つ異形の物を、魔物といわずなんと呼べば良いのかジスにはわからなかったが、

「森に出没する魔物の傾向として頭部から魔石が発見されやすい」

 というローの補足を聞いてやはり魔物で正しいものだと改めて納得した。

 判断要因の一つとして、昔から認知されてきているのだろう。アリシアも頷いて、

「あくまでも状況的な場合では、というところかしら」

 と注釈を入れた。ジスに向けてのものだ。彼だけはこの地方の常識に疎い。

「元々、魔物自体は確認がとれていたようですね」

「そりゃ、おめぇ数は迷宮があるんだからよ……」

 ヴェルはいつもの口調で思わずジスに小声ながら話しかけた。

「そうね、我が領内には迷宮が存在しているからこそ、我々も慣れてはいるのよ」

 アリシアに自分の言葉を拾われたヴェルはばつの悪そうに肩を竦めた。

「そう緊張することはないわ。いつもの調子でお願い」

 苦笑とともに、そのような言葉が彼女の口から漏れる。

「は、はい。判りました」

 確かに、迷宮が存在しているのだから、魔物が出現しやすい環境ではある。探索者として迷宮に潜った経験を持つジスからしても、それは当たり前のことだと認識している。

 魔物は魔力によって生きている物と、動いている物が存在し、そのどれもが魔素と呼ばれる空気中に漂う魔力を元にして存在することができる。少なくとも、学説としてもっとも有力なもので、もはや一般的な見解として認知されているほどだ。

 この魔素が固まったものを魔石と呼び、探索者はこの魔石を換金することで富を得ている者もいる。

 上質な魔石は、所持する者に魔力を帯びることができるようになり、魔術を行使することが可能になるのだから、価値は計り知れない。

 そのほかにも、自然発火や水の浄化作用に転化させる能力も発見されているため、生活に欠かせないものとなっている。

 魔物がいるからこそ、今の文明が存在しているといっても過言ではない。

 とはいえ、話に聞くところによると、迷宮は山脈にあるという話だ。

 山脈とは北方に広がるキュドレーという山を持つ山脈のことだとは聞いたが、そこからダリスまでは中々に遠い気もする。

 少なくとも、馬車で半日は掛かるのではないか。いくら山麓を抱えている形になる。くわえて森も閉塞的な空間だとして、魔素が溜まりやすいと言われてはいる。

 しかし、果たして広大な森の全域に魔素が蔓延るというのか。

「仮に、森の中で発生した魔物とするならば、何故、シルヴィアが出てくる?」

 アリシアは皆に問いかけた。思い出してみても、あの巨躯は恐ろしかった。威嚇するでもない、けれども媚び売るわけでもない。淡々としていたとジスは振り返る。

 背筋が凍る思いをした。そして、自分はあんな化け物を前にしても戦いたいという衝動に駆られてしまった。そのことが何よりも驚きであり、悲しくもあった。

「あのオオカミは、獣、というくくりにしてはいけない」

 ジスの言葉には畏怖があった。

「あれこそが、森の主の片割れよ……化け物だぜまったく」

 ヴェルが同意を漏らつつも、

「ただ、人を襲うことは滅多にないのが救いだ。だから、賢いなんて言われてる」

 と、言葉を続けた。

 対面してこそ理解する。森の主と言われる存在であると確信できるほどには、あの生物はオオカミであってほしくはないという思い。

 生きたいと願いつつも、あの場で戦うことになったのならば、別に死んでも良いと思ったのだ。

 沸き起こる衝動を抑え込む。勝ち負けを考える必要はないと自分に言い聞かせる。今は、別の問題を片付けなければならない。

「すでにシルヴィアは魔獣として認知されているわ。といっても我が領内という限定的なものだけれど」

 アリシアの苦笑いがジスの心を落ち着かせる。

「と、なると伴侶となる黒の魔王もですか」

「そう、御伽噺に出てくる魔王の名前そのままに<ベルゼヴュート>と呼ばれているわ。黒い体毛を持つオオカミの王」

「俺たちのように、奴らに向けて畏敬の念を抱いている者が多いからな。自然とそういう呼び名が普通になってる。それに、奴らはここで重要な役割を担ってもいるんだぜ?」

 この地方は迷宮があるためか魔素を溜め込みやすい。その環境下において、魔物の大半が森の外で目撃されない理由は、オオカミの存在が大きかった。

「オオカミが間引きを行う」

「なるほど……」

 彼らオオカミすると、突発的に出現する魔物など、領土を侵略しにきた敵の尖兵という認識なのだろう。

「だから、死体を発見することも、森に入る者からすると珍しくはない。そうでしょ? ロー」

「はい、その通りです」

「そして、だ。今回の事件――これは、まるで彼らが我々人間に何かを知らせに来たようなものだと思うのよ」

 アリシアの言葉に、ジスは頷いて、

「それは、確かにそうでしょうね」

 と言った。

 ローが腕を組んで眉間に皺を寄せた。

「新種の魔物が森で増殖している可能性もある。今までにこんなことはなかった」

 そうね。と、アリシアも口を揃えた。

「オオカミだけでは対処できない事態が起こった。ローはそう思っているのですね?」

 ジスの問いかけに、ローはゆっくりと頷いた。

「増殖か、流入かはわからない。けれど、対処できなくなった、あるいは今後その危険性が高まる。彼らはそう判断しての行動だと思うの」

 なぜ、ここまでオオカミを信用するのか、という疑問は一先ず頭の隅っこに片付けておく。

 実際に、目の当たりにすると、現地の人々がオオカミを彼ら、と言ってある種の隣人気風を匂わせて話す様もどこか納得できてしまう。

 それくらいには、

「オオカミは知恵が回る」

 ローの言葉に納得せざるを得なかった。

「そのオオカミを束ねる王の后が直々に姿を見せたということは、それだけの変事が起こっている何よりの証拠、ですか」

 こんな話は前代未聞だ。獣が姿を見せただけで、人が多く死ぬかもしれない事態に陥ることを予期しなければならない。

「……迷宮を管轄させている騎士隊から書信が届いている」

「内容は、」

 良くないことに決まっている。

「繋がっていると見るべき案件だよ。ジス」

 予想通りの言葉だ。だからといって晴れやかな気持ちになるはずもない。

「迷宮の魔物が活性化?」

 ローの言葉に、

「そう捉えている。なにせ表層から外に出ようとする物が増えているそうだ。現場の判断で探索者を雇用して対処しているようだが、今後の動き次第では、ダリスから応援を送ることになるだろう」

 とアリシアが答えた。

「慢性的な人手不足の危険性ですね。ロー」

「予備兵員は百二十名。召集をかけるならば、翌日には動ける。それ相応の訓練も施してある」

「アリシア卿、兵力はいかほどでなのでしょうか?」

「警備隊が三十。騎士団は二十四名。外部兵力として傭兵と探索者がいるけれど、現在の人数の把握は無理ね。有事の際に募集をかけてどれほど集るか……」

 アリシアは眼を伏せた。

 戦闘を専業とする者を五十四名も雇用しているだけでも、ジスからすると有難かった。

「アリシアさま、自警団を実働部隊に組み込めば、」

 ヴェルの言葉に、

「もちろん、自警団も戦闘になった場合は参加してもらうわ。けれども、それは防衛だった場合。こちら打って出る場合は、前に立つのではなく、後ろで仕事をしてもらう予定よ」

 とアリシアは固い顔で肯定した。市民を巻き込むのは本位ではないという思いが透けている。

「近隣貴族に書信は出したが、当てにはならないだろう。辺境伯にも出しておいたけれど、軍は無理と見て良いわ」

 気持ちを切り替えたかのように、アリシアは話題を進めていく。

「刺激物としては強烈すぎますからね」

「そうよ。だから、王都にまで援軍要請を出すハメになる。到着予想では一月ほどになるわね」

「まず間に合わないことになりますなぁ」

 ヴェルは髭を撫でた。

「だからこそ、こちらから動きたいところなの」

 その言葉で、ヴェルは驚きに顔を染めた。

「ほ、本気ですかい?」

 冬の森に入る。それがどれほどの危険をはらむのか。ヴェルには良く判っているようだった。

「えぇ、森への立ち入り許可を申請します」

 アリシアのその言葉に、

「相棒も一緒に?」

 と、ローは付け加えた。ヴェルは飛び上がるほどに驚いて見せた。

「冗談じゃねぇぞ、ロー。素人を冬の森に入れるっていうのか」

 そうか。ヴェルには何一つ伝えてはいなかった。ジスは苦笑いを浮かべてしまう。

 嬉しくもあった。出会ったばかりの人間を気に掛けてくれていることにだが、それはもちろん、足手まといになるという心配からであろうとも。

「もちろんですよ。それに、オオカミ取材も仕事ですから。それに、」

 ジスの軽口に、ヴェルはなおも何かを言おうとしたものの、アリシアが手で制した。

「もともとそのつもりだった。けれども、いざとなれば考えてしまうの。頼りにできる。けれども、人数は力にもなることを私は良く知っている」

 一個が集団に勝つことは出来ない。一人相手に千人もの兵士が襲い掛かれば、一人は負けるだろう。

 人間は脆い。簡単に死んでしまう。

「戦闘はしない。あくまでも斥候としての行動を主眼に入れている」

 ローはそんなことを口に出していた。

 柄にもなく、心配しているような印象を持ったジスはほほえましく笑みを浮かべた。

「ローは最良の狩人だと聞いています。それに、私もこんな見てくれですが、実戦経験はありますので、引き際は心得ていますよ」

 アリシアは疲れたように笑みを作った。ヴェルは静かに着席し、

「判った。仲間を纏めて哨戒にまわすようにしておく」

 と難しい顔で言った。

「手形はすぐに出すよう、手配する」

「はい」

「手形を渡すまではゆっくりしてほしい。ロー、これは命令だ。十分に静養すること」

「……判りました」

「ジスも今日はしっかりと休んで欲しい」

 昨日から一睡もしていない身からすると、この申し出は有難かった。それに、

「ちょうど、私の荷物を取りに行きたいなと思っていたところです。それに、紹介された宿は楽しみですからね」

 と、ジスは笑う。

「荷物がなくなっていた場合は連絡をよこして欲しい。治安維持も私の役目だからね」

「大丈夫でしょう。信用できる傭兵に頼みましたから」

「そう?」

「はい」

「宿はどこにしたのかしら?」

「赤い尻尾の猫です」

「なら、安心かしらね。あそこは人気があるもの」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ