第七話 冬-4
耳をすませば、確かに遠くで鐘の音が鳴り響いていた。
それは、消防車の鐘の音だった。
「……火事?」
美知にも聞こえたのだろう、問いかけの声が上がる。
「まあ、盛大に誇張してみたが、そう、消防車のサイレンの音さ。さて問題。一体、どこが燃えているのだろうね? こんなところで油を売っていてもいいところだといいのだがね」
「……貴様、何をした?」
ここで始めて、能面を被っていた父の表情が崩れ、焦りの色を浮かべる。絶対的に有利な状況であるのは大人たちであるにも関わらず、遙の言葉が少しずつ道を切り開いていく。
「私は嘘を言っているかもしれないぞ? 真実を知りたいなら、誰か一人外に遣わせればいいだろう。ものの一分で帰ってきて、何が燃えているかわかるだろうさ」
渋面のまま、父が近くに居た人間に、遙が言ったことそのものを命令する。
そして、予言通り一分で帰ってくる。
「た、大変です! 家が、葛城の本家が、醍醐の本家が、燃えています!」
従者の言葉には、場を凍て付かせるには充分すぎる威力があった。
「な、なに……?」
さしもの父も、遙の父も、言葉を失う。
「おっと、勘違いしてもらったら困るが、私が発火装置をしかけたわけではない。私が葛城の家に入れるわけもないしな。当然、何も知らずに驚いている新一と美知が関わっているわけもない。しかし……今の彼の言葉には間違いがあるな。正確には、家自体は何一つ燃えていないだろうよ。燃えているのは……今までに、おまえらが作り上げてきたシステム、その基幹だよ。今日がただの雪の日でよかった。吹雪く状態だったら、辺りに毒がまき散らされることになるからね」
毒――と、いうことは。
「「トリカブト!」」
「二人ともご名答。いやあ、きっちりハモられると、すがすがしい以前に何だかいらつきを覚えてしまうが、この際よしとしよう。燃えているのはそう、トリカブトの畑さ。まあ灯油付きだから、火の勢い自体は強いだろうがね。
……さて何が燃えているかはっきりしたところで、先ほどの話、男どもがサルと化している間に思いついたという話さ。いきなり少し話がずれるが、私は無理を言って、この地にブロードバンド回線を通してもらった。ああ、あの節はありがとう外道父様。おかげである事実を知ることが出来た。実は、昔からの両家の繋がり以外に、とある二人の人間は、家の間にある壁を越え彼ら独自の繋がりを持っていた。
時は敗戦直後、昭和二十一年に遡る。在阪のとある鉄道会社の創業者夫妻が、養子となる子を探していた。彼らは戦争で自分の子を亡くしていたが、当時では出産が難しいと言われる年齢だったために、実子を諦め、跡取りとなる養子を探していた。そんな彼らに、当時の葛城家と醍醐家は、とある企みの為に、それぞれの直系の子を養子入りさせた。企みというのはなんてことない、地理的に近い関西企業との繋がりを強くするため。夫妻も企みに気付いてはいたが、自分たち以外のところ以外に会社が乗っ取られるのなら、と渋々承諾。何も知らぬは子供たちだけかな、二十年近くにわたって、二人の子供は血の繋がりのない夫妻の元で仲良く育てられた。だが、時の高度経済成長により急成長した他社に、結局は経営権を握られ、創業者の夫妻は没落。葛城、醍醐の両家も再度子供……既に成人を迎えていた二人を、それぞれの婿養子として引き取った。
もう誰だかおわかりだろう? 現在の両家の当主のことさ。いやあ、なかなかにマニアックな情報をウィキペディアも載せているものだね。何故そんな情報を載せようとしたのか、私には到底理解できないが、役に立ったのだからよしとしよう」
すらすらと、頭の中にインプットされている情報を吐き出すかのごとく、遙は淀みなく言葉を紡いでいく。
誰もが、遙に圧倒されていた。
「ってちょっと待ってよ遙。今のが確かなら……おじいちゃんも、遙のおじいちゃんも、直系?」
「そう。正真正銘の直系筋。一部しか知らないことらしいけど、うちのおばあ様も葛城のおばあ様も、実は直系ではなく従姉妹の位置に居た人物さ。どこかの誰かさんはしきりに外部外部騒いでいたけど、それは大きな間違い。その証拠に戸籍にはしっかりと掲載されている。戸籍よりも家計図な人間たちの集まりだから、殆ど知られてないんだろうよ。
さあ、そろそろマジックの種明かし、つまりはツメの段階に入るとしよう。実際は直系とはいえ、二人の現当主は幼少時代を外部で過ごし、至極真っ当な常識を持っていた。だから常に常識と、町の常識との間で悩まされ続けてきた。養子時代に仲が良かったせいだろう、二人は時折、次代当主あるいは当主そのものの肩書きを捨て、個人的に、とある場所でお互いのことを話していた。このままじゃいけない、だけどどうすることもできない……そんなことを、この町の中に存在する、こんなちんけな一軒家ではない、雄大な自然の中の隠れ家で、ね。もっともその場は後世では単なるラブホとも化してしまったがね」
不敵な笑みを僕に見せる遙。
「え、まさか、あそこ?」
「そう。私が知ったのはほんの偶然でね、誰かさんに岩場で組み敷かれている最中に二人の姿が階段から降りてくるところを見たのさ」
「……げ、それって、見られてたってことじゃ」
「私たちが生まれながらの姿になっていたのを見つけ、そそくさと帰っていったがね。新一は事の最中でももう少し回りに気を配ったほうがいい。まして外なら、ね」
……なんだかだんだん僕に対する羞恥プレーになっている気がする。おかげで逆サイドからの視線が痛い痛い。
というか、そうか、だから夏の時、じいちゃんは僕たちが会っている事を知ってたんだ……そりゃあ、フォローも出来るわけない。
「私たちの性生活暴露大会は、一組の突き刺さる視線と、私たちを犯そうとしてた人間すら引き始めている空気が流れているからそろそろ止めにして。後日、私はおじい様に会い、実は直系の人間だけど養子に出ていた、その際葛城家の当主とは兄弟のように育ったことを聞いた。そして誰にも言わないよう忠告を受けた。無論、ウィキペディアで調べたのはその後だし、その時点でおじい様から直接、両家のつながりを聞いていたわけではない。
さて、長くなったけど、本当に最後の最後。私は念のために保険をかけておいた。念のため、というか確実に使うことがわかってたのだがね。両家に繋がりがあって情報を共有している。ならそれぞれの家の問題児が、朝早くの同時刻に家を出ていけば、何かしらの行動を取るだろうという推測は簡単につくだろうからね。その保険の中身は、こんなものだ。今朝家を出る前に、私はおじい様と会い、あることを言ってあった。それは……」
「今日、葛城家の二人と一緒に東京に逃げます。その際、何もなければいいですが、ばれないとも限りません。なので、もし私から、九時までに連絡が無かったとき、そしてもしおじい様に後悔、あるいは苦悩といったものが今でもあって、且つ私を助けたいのならば、九時を回ればただちに毒の草を灯油を掛けて燃やし、消防に通報してください。そして葛城家の当主にも同じことをしてもらってください。それから、両家共用の秘密の隠れ家みたいなところがあるでしょうから、そこに葛城家の当主、そして大勢の警察官と共に来てください。もし連絡がないとき、つまりは私たちの行動がばれていたとき、まず間違いなく殺されるでしょう。それを防ぎ、今までの町のシステム自体を破壊するには、これしかないんです。おじい様たちが到着するまで、私が時間稼ぎをしますから、極力早く来てください……
どうやら間に合ったようじゃの、遙」
「いやあ、噂には聞いておったが、自分と恋人との性行為すら時間稼ぎの話題にしてしまうなんて、なかなかの女傑じゃな。新ちゃんにはもったいないくらいじゃ」
二人の老人が、遙の言葉の後をつなぎつつ、扉から中へと入ってきた。
「じいちゃん!?」
「おじいちゃんっ!」
「いいタイミングでの登場、言い方を変えれば人の見せ場を奪うような登場ありがとうございます、おじい様、そして葛城家当主。更に言うなら一言一句私の言葉を暗誦しなくていいのに」
葛城家当主、葛城啓一。
醍醐家当主、醍醐沖次。
この町の常識ではありえない二人の揃い踏みはしかし、先ほどの遙の説明を受けた後なら当然とも言っていい光景だった。
「ちっ、老いぼれ二人が今更現れて何に……」
「そりゃあわしらは還暦を迎えたひ弱い年寄りじゃが、遙さんの言葉に合ったように、外には若い国家権力さんたちがたくさんおるんでね。まあわしらが呼ぶ前に来ておったんだが……これは新ちゃんの差し金、かな」
「なんだ、新一もちゃんと保険をかけていたのか」
「……君の用意周到さ加減には到底及ばないけどね」
「というか、いくら入院中で手も足も出なかったとはいえ、あたしの出番がまったくないよ……」
「美知は指くわえて見てるだけでいいさ。私が全部持っていくつもりだからな。……これが、ツメを間違えない、ということさ、醍醐の次代当主よ。今更覚えたところで当分は使う機会などないだろうけどね。後、最初の猿轡が云々のくだりは単なる時間稼ぎ。ついでに言っておくと私はそんな大声を上げるタイプでもない」
「二十歳も若い人間に、余裕を見せて弁論の機会を許した時点で負けなんじゃよ、馬鹿息子どもめ」
「もう終わりじゃ。こんなくだらん慣習も、権力の上に座りつづける両家も、わしらの世代で終わらせる」
形勢逆転。勝敗は決していた。
周囲の大人たちは皆一様に言葉も出せず、うなだれ続けるだけ。満足そうな笑みを浮かべる遙とは対照的だった。
ただ、一人を除いて。
「まだ……まだ終わっていない」
そう呟いた後、遙の腕を掴んで立ちあがらせ、こめかみに拳銃を当てる男。
「……諦め際が悪いな、葛城の次代当主」
僕の、父だった。
「ふん、確かにこちらのツメが甘く、大変残念な結果となってしまった。だが、この場を切り抜けるだけなら、いくらでも手段がある。こう、人質を取るなどして、な」
「父さん……あんたは、まだ」
「うるさい馬鹿息子。おまえに何がわかる? 間もなく手に入った力が目の前で逃げてしまうなんてことは許されないこと。どうあがいてでも、奪い取る。必要なら、幾多の屍を越えてでも手にしてやる」
「……そこで阿呆な顔して呆けているわが父様より愚かだな」
「何とでも言いたまえ。最後に勝つのは、この私だ」
……確かに、この一瞬で、またも立場は入れ替わっている。何か動作を起こせば、この父親はためらいなく遙を撃つ。そしてまた新たな人質を作り上げる気なのだろう。そして、最終的な父親の逮捕は免れえなくても、僕らにとっては敗北だ。
僕の真横で立たされ、拳銃を突きつけられてる遙はしかし、僕に対してあの不敵な笑みを向ける。
何故、こんなに余裕を……?
遙の手首が、こっそりと上下に動く。それから僕へ小さくウインク。
手の……鎖?
なるほど、ね。
「そうかそうか。まあそう思うのは勝手だが、一つ聞いておこう。その拳銃、どこから引っ張り出してきた? 埃を被っている、ということはあらかた家の倉庫にでも隠されていたのかい?」
「ああ、そうだ。だがそれがどうした?」
「私の記憶にある限り、今まで銃殺で死んでいった者などいないのに、何故拳銃があるのだろうね。考えたことはあるかい?」
「知らん。先祖が趣味で集めていたとでも思えばいい」
「趣味の拳銃、ね……ちなみに使用経験は」
「特にないが、この至近距離で外すわけない」
遙が父の視線を引きつけている。その間に、僕は腕の戒めを外し、腕の鎖をも外す。父以外は既に気力を失っていたのか、黙って下を見ているだけ。何事もなく作業は終わり、目線で遙に伝える。
「そうか……まあ、今のも単なる時間稼ぎなんだがね」
遙の言葉が合図だった。
握り拳を固めたまま一気に立ち上がり、驚く暇すら与えずに、父の顎へと腕を振り抜く。顎に会心の一発を食らい、父はそのまま意識を失い、床へと倒れこんでいった。拳銃を取り上げるのだけは忘れなかった。
本当に、全てが終わった。
「いやあ、最後に自分の恋人の見せ場を持ってくるなんて、私はなんて恋人思いのいい女なんだろうね」
……最後を締めくくる遙の言葉は、父親を殴り飛ばした興奮を一気に冷ます代物だった。
そこから先はあっという間だった。
扉から大量の警官がなだれこみ、次々と大人たちを逮捕、連行。とりあえずの罪状は逮捕監禁。この後、町の裏側で行われてきた、大量の毒殺事件を立証していくらしい。やはり状況証拠がほとんどではあるが、捕まった人たちの一部に供述する意志のある人たちもいて、僕らだけでやるよりも早い解決が出来そうである。
僕らの祖父二人も、警察に連れていかれた。自宅内とはいえ、草木に火を付ける行為は罰せられるらしい。だが、町の暗部面に関しては、どうやら詳しく事情を聞くだけのようだった。
「醍醐家でも葛城家でも、おじい様たちが就任してから今までに、謎の病で倒れた人はいないのだよ。おそらくはおじい様たちが手を回してぎりぎりのところで回避してきたのだろう。それに私が、おじい様たちを外部の人間と思いこんでいた人たちが、当主となる前のおじい様たちに暗部について関与させていたとは思えない、という趣旨の話をしておいたからね。ついでにいうと、先ほど鎖に縛られている間の会話も全部ボイスレコーダーに録音しておいて、それも証拠として提出してある。いやあ、便利な世の中だよ、本当に」
県警から、用意されたホテルへの道の途中。相変わらず雪は降り続け、音を吸い込んでいく。
白い世界の中で、遙は今日一日だけで何度となく見せつけてきた例の笑顔を浮かべた。
「遙……あまりにも用意周到すぎて、さすがのあたしも驚く以外に何も出来ないんだけど」
「まあ私もある程度のことがあっても逃げ伸びることが出来るようにとは考えてあったんだが……よかった、手品の種が尽きる前に決着が付いて。あれ以上のはったりはもうなかったんだ」
「でもさ……あんな放送出来なそうな文面を臆することなく話していたのがばっちり録音されているテープ、必要とはいえよく警察に渡せるね」
「いや、私の名前は私自身で言ってはいないからね。新一の名前は散々出ていたかもしれないけど」
「……げ……」
「あー、あの内容だと、外で嬉々としてサルになるお兄ちゃん、仕方なく付きあう遙って構図になるかも」
「そういうことさ。私は特になんとも思わない」
「……僕としては、今すぐ取り戻して該当部分だけビープ音重ねたいんだけど」
「そんなことしても無駄だよ。コピーはいくつもあるからね」
「な、ど、どうしてそんなのがあるんだよ!?」
「実はあたしのノートパソコンに取りこんでるんだよねー」
「消してくれよ! まったく……そういえば、さ」
まだ当日だというのに、能天気な会話。まるで今回のことが全て夢物語だったかのような錯覚を覚えるが、身体全身に残る強烈な現実感が、あれは実際に起きたことなんだと訴えて止まない。
「町ってこの先どうなるんだろ? 今回の件で、牛耳ってきた人間の大部分が消えてしまうんだから、町政とか維持できるのかな」
「お兄ちゃんは心配性なんだから。なるようになる、よ」
「美知の言う通りだろうよ。人が居なくなれば、また新たな人が必要な立ち位置に立つ。それが、本来のあり方なのさ。次の人が現れるから、いい方向に循環していく。そうやって人は次のステップに立つことが出来る。あんな閉鎖的なシステムでは仮初の幸せは成し得ても、本質では違ったものか生まれない。人が自由に巣立てるような開かれた未来こそ、」
「……そうだね。なるようになる、か」
「そーそー新しいのはいいことなんだよ。だから、お兄ちゃんも古女房はとっとと捨てるべきだと思うけどなー」
「……はいぃ?」
「ほほう? 古女房がいったい誰を指しているのか私にはとんと見当が付かないが、あっさりと古きを見捨てるのもどうかと思うがね。古いものには古いものなりの……いや違うな、古いものとか新しいものとか関係ない。いいものが、いいものなんだよ。何をいいものとするかは色々あるだろうけど、相性とか、性格とか、様々な要素を考えて判断すべきだ。一概に新しいものがいいとは限らない。ものによっては、保証期限が切れた瞬間に修理が必要となるような代物も紛れているからね」
「そのソニータイマーが誰を指しているかは知らないけど、別に永久保証だったら構わないんじゃない? 他にも随時アップデートを更新したりするとかしたら満足でしょ」
「……あの、どこからそういう話になったのか全く理解できないんだけど、僕には」
僕の呟きを無視して、二人は言い合いを派手に始める。街の往来でマイクロソフトがどうたらとか、なんだかよくわからない内容だったので、僕も対抗せんとばかりに完全無視。一歩遅く歩きながら、先を見つめなおしてみる。
……結局、僕らは三人で、一週間後に東京に移ることになった。
ほぼ全てが解放された状態の町では、僕らの行動に何も制限はかからなかったのだが、遥や美知には別の大きな目的も存在した。
――東京の大学で、色んなことを学びたい。
女が大学なんて、などという時代錯誤の言動に縛られた二人には、大学で勉学をするというのが大きな魅力でもあったのだ。無論、今から今年度の受験は間に合わないので来年度の受験になるのだから、別にそれまでは残って勉強してもいいような気もするし、何も東京でなくても、距離的に近い近畿圏の大学に進んだっていいような気もするが、そこは、それらしい。……これ以上は自分で言うのも恥ずかしいので、やめておく。まあ、嬉しいことには違いない。同時に身体がもつのかどうかも怪しい。というか、年頃の女の子をよく男と一緒に住ませる決断するなあ、じいちゃんたちは……絶対、単に面白いからって理由の方が大きいと思うけど。
先にも、きっとつらいことは待っている。だけど、それは縛るモノが何もない地だからこそ受ける、嬉しい苦しみであって。
「おーい、お兄ちゃん、あまりに遅いと置いてくよー?」
「そうだぞ、いくら今晩体力を使う予定があるからって、そういうせこい温存はどうかと思う」
「ってそれどういう意味よ!?」
「さあ、あそこのサルさんが知っているんじゃないかな」
いつの間にか十歩分も離れていた二人が立ち止まり、僕へと振り向く。
「僕は何も知らないから! 多分!」
二人に追いつくために、滑らないよう慎重に、だけど大きな一歩を、僕は踏み出した。




