第五話 冬-2
「なるほど、ね。そうか、そうだったのか……」
日が完全に暮れ、街灯の灯りすら届かない暗闇の中。いつもの場所で、いつもとは違う時間帯で、僕らは合流していた。家から出た時はちらつく程度だった雪も既に本降りとなり、周囲に積もっている白い層をどんどんと分厚くしていく。その雪の降る中、大きな樹の下で、僕らはこの地に隠された真実に触れていた。
「あの花は、トリカブトの花だったのか。本の中でしか知らなかったよ。トリカブトは鑑賞にも使われるとはいえ、私の家の用に、八畳分ほどの広さで栽培するものでもない。妹さんの推論はほぼ間違い無いだろうね」
「くそっ、どの家も、腐ってるっ!」
「うん……普段から腐っているとは思っていたが、ここまでなんて、ね。そして、気付けなかった私たちも同罪、か」
「……そうだ、僕は、美知を守ってやれなかった……なのに、なんで……」
『お兄ちゃんの、優先順位は? さっき、確認したよね? あたしを放って、逃げて。お願い……』
「どうして、僕らに逃げてくれ、なんて辛そうに言うんだ……」
従妹の台詞と、言った時の表情が浮かび上がる。泣きそうに懇願する従妹。それを見て、声を聞いて、僕は自分を縛りつけられるような感覚を覚える。
あの顔を見て、声を聞いて、自分たちだけのうのうと逃げられるわけがない。
だけど、僕らは……
「……ここで逃げたら、妹さんは、間違いなく殺される。助けることが出来ない。そんなこと、私は出来ない。人を見捨てるなんて、あいつらと同じになる」
「遙……」
「ここから出るのは変えないよ。だけど、妹さんも連れていこう。私たちと一緒に、東京へ。きっと私と妹さんは仲良く出来るよ。違うところは多いかもしれないけど、本質は同じだと思うから。行こう、三人で」
「……よかった、考えていることが一緒で。僕たちまで、堕ちてはいけない。間違えちゃいけないんだ」
「そうよ。誰かを犠牲にしてまで生きるなんていうのは間違い。ここでは正しいかもしれないけど、それは人としては間違ってる。この先、私たちは重すぎる後悔に押しつぶされながら生きなければならなくなる。そんなの、自由、じゃない」
「明日、一度美知に会いに行こう、二人で。そして三人で東京に行くプランを考えよう」
「わかったわ。朝一番で、いつものようにこっそり抜け出して、別々に病院に集合して、こっそりと行けばいい。人払いは、キミが事前に頼んでおけば大丈夫だろう。希望がないわけじゃないんだ」
「希望があるんだったら、捨てちゃいけないっ」
「行こう、明日、一緒に。……あ、いや一緒だとまずいんだったな」
「……あのね、そういうところはきっちり締めてもいいと、思うんだ」
「少しだけ緊張をほぐそうという乙女の優しさなのだよ」
「自分で言うのも何だかなあ……」
事前に祖父に、従妹の見舞いに一人で行きたいから誰も来させないよう釘をさし、一人でタクシー、電車と乗り継ぎ病院に向かう。ロビーに入って辺りを見まわし、うちの家のものは誰も居ないことを確認する。それから受付をすませて従妹の病室に向かうと、病室前の廊下に設けられたベンチで、珍しく所在なさそうに座っている彼女の姿があった。
「やけにそわそわしているね」
「中学のときに色々言いあって以来、道端で顔を合わしても会話は交わしていないからね。さすがにどんな顔で会えばいいのかわからないさ」
「いつも通りで大丈夫だと思うよ。下手に考えるのは君らしくない」
「……時折不安になるのだが、キミは私について一体どういう評価をしているんだい? 時折、恋人に対する評価というか、女に対する評価としては不適切なものが含まれている気がするんだが……」
「大丈夫。僕は遙の全てが好きで仕方ないから」
「それはとても嬉しいんだが、私は新一のそういう誤魔化し方は嫌いだ」
「さあ、そろそろ行こうよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、まだ心の準備が、ってキミはまた誤魔化しただろ?」
「君の気のせいだよ」
「ほう、久しぶりに中学生の頃の私に戻ってみようかな」
「あー、それはちょっと困」
「あの、病室前ですのでもう少々静かにしていただけますか」
軽い言い合いという名の、彼女の緊張をほぐすためのスキンシップをしていると、通りかかった看護士に注意を受け、二人して頭を下げ、看護士が過ぎ去った後に苦笑しあう。
「ごめん、ちょっと悪ふざけが過ぎた」
「いや、こちらも悪かった。キミが私を押してくれようとしていたのはわかっていたのにね」
「なんだ、ばれてたのか……」
「それくらいはわかるさ。おかげで、私はどうにかこの目の前のドアを開けられそうだよ」
「じゃあ、本当にそろそろ行こうか」
「うん」
彼女は僕の前に立ち、目の前にある堅牢な扉を二回叩いた。
はい、と中から返事が来て、彼女は見舞いに参りました、と答える。
『どうぞ』
従妹の声に導かれ、彼女はドアを開けた。
ドアの向こう、ベッドの上に腰かけていた従妹の表情は、「何でこの人が来てるの!?」と「何でまだここにいるの!?」という二つの驚愕成分に全てを占領されていた。
「あ、え……?」
驚きは口回りの筋肉すら支配しているらしく、声が声になっていない。それを意に介さず、彼女は僕にも入室を促した後にドアを閉め、一歩更に進んで深く頭を下げる。
「覚えているかとは思いますが、私、醍醐遙と申します。本日は葛城美知さんが入院されたとお聞きし、お見舞いに参りました次第です」
「な、何で、何であなたがここに……どうして、お兄ちゃんまで……何で、逃げてくれないの……っ!」
「話は聞きました。あなたの推測はおそらく真実でしょう。両家で栽培されていた、大量のトリカブト。昨晩調べましたが、トリカブトの主な中毒症状は嘔吐、痙攣、貧血、そして歩行困難に呼吸困難。あなたが調べた葛城家の死亡者たちの症状、あるいは私が目の当たりにした、伯母や親戚の病死時の症状そのものです。伯母は時折、家の風習や継承制度等に不満を抱いていた人物であり、醍醐の家には不利益をもたらすと判断された、あるいは実際に彼女が何かしらの行動を起こした為に、毒を盛られ、病死に見せかけて殺された……どこにも不自然な点は見当たりません。そしてあなたの場合は……」
「上層部の、毒殺によるコントロールの露見を恐れた」
「まさしく、でしょうね。あなたがこの事実を発表するかどうかはさておき、もし発表でもされたら、信じられようと信じられまいと、不信感の種を巻くことには変わりない。それは、家の風習……あるいは、いえ、むしろこちらが主な理由でしょうが、既得権益の損失につながる」
「既得権益、って僕らの家は、それほどの利益を得ているのかい? まあ、じいちゃんはセルシオに乗ってるし、他にも家の中には高級品がわんさかあるけど」
「私のとこだって、どこぞの外車に乗っている。私たちの家は互いに町長、あるいは町議、県議などの座を争い、戦い続けている。結果、これらの役職は必ずどちらかの家の者が就いている、という状況すら続いている。二つの家に、町の権力が集中している状態だね。となれば、当然甘い汁、というのがいたるところからやってくるものさ。人間、一度吸った甘い汁を手放したくないと強く思うものさ。それが、権力への侵略者を排除するシステムを作り出した。少なくとも……明治の時代までには、このシステムは完成していたと思われる。互いの家のかかりつけの医者は、代々の世襲制だしね。上層部、ならびに医者がグルなのさ」
……ここまで来て、僕はある恐ろしい事実に、今更ながら気付いてしまう。
「……待って、まさか、美知の件に、じいちゃんも……?」
「おそらく、いや、間違いなく関わっているだろうね。なにせ、上層部中の上層部なのだから」
「う、嘘だっ!! じいちゃんは、じいちゃんは僕らのことをあんなにかわいがってくれてるのに!」
「……嘘じゃないよ、お兄ちゃん。私のことに、一族の長が関わっていないわけが無い。積極的だったかどうかまでは知らないけど、当主として必要だと思ったなら、あるいはそういう進言が内部であった時に跳ね返せる材料を持ち合わせていなかったのなら、孫すら手にかける決断を選ばなきゃならない。それが、あの家、なんだよ」
「何で……何でさ……じいちゃん言ってたのに、『……新ちゃん、すまん。これはわしが悪い』『いや、わしが見抜けんかったのが悪い。早く気付けておれば、こんなことには……』って言ってたのに!」
「おそらく、それには“当主として手を下してすまない”、という意味と……」
「“私の行為に早く気付いていたら、こうなる前に止めることが出来たのに”、という意味があるんだと思うよ。おじいちゃん、あたしにもこう言ってた。『本当に、すまない。わしが悪い。わしが、不甲斐ないばかりに……』って。お兄ちゃん、おじいちゃんだけは責めないであげて。多分、おじいちゃんはどうしようもなかったんだと思うから。ここで手を打たなければ、いずれは内部から崩壊しかねないような出来事だったんだから。志郎さんとこが、あいつらと繋がってるなんていう可能性を考えなかったあたしも悪い」
「だけど、だけどさぁっ! なんで、殺す以外の選択肢を見つけられないんだよ誰もがっ!?」
「……それが、家のシステムだからよ、新一。システムの規定に従い、システムの規定に従わないものは、物理的に排除してしまう。がちがちに固まってしまったシステムが、人の思考を奪ってしまうんだ」
「おじいちゃんは外から来た人だから、あたしのことにも苦しんだ。だけど、システムの基幹が、規定から外れるわけにはいかない。……そして、これがお兄ちゃんたちに、逃げて、といった一番の理由。あの家に、お兄ちゃんが安全に過ごせる場所はない。おじいちゃんの側ですら、脈絡と受け継がれてきたモノにより、いつでも殺される立ち位置になってるから。……だから、逃げて。今すぐにでも、海沿いの空港から、飛んで逃げてよ……」
僕の手を掴み、僕の目を涙を浮かべながら直視して、従妹は訴えてきた。だけど、今の話を聞いた以上、祖父の側ですら従妹はこの先殺されてしまうのが容易に予見される以上、僕と遙だけで逃げるわけにはいかないという思いが強固なものとなる。
握られていた手を逆に握り返し、僕は告げる。
「一緒に、逃げようよ、美知。僕らと一緒に、東京へ」
「……え?」
「私からもお願いする」
驚く従妹。その手を握る僕の手の上に、遙も手を重ねて、告げる。
「私たちと一緒に逃げよう。あなたを置いて、逃げるわけには行かない」
僕らの言葉を聞き、従妹はしばらく顔色を失っていた。
一分、二分と秒針が回転するたびに、少しずつ表情が崩れていく。目からは大粒の涙が溢れ始めていた。
「どうして……どうして、二人して、あたしに残酷なこと、言うの……?」
「残酷な、こと……」
従妹の口から飛び出てきた単語に、僕は思わず首を傾げてしまう。彼女は何か察するところがあるのか、何も言わず、じっと従妹のことを見つめていた。
「そうよ。あたしに、一緒に来てくれ、なんて……よく言えるね、二人とも」
「なんで……僕らは、」
「あたしがこのままだったら殺されるのはわかってる! それがお兄ちゃんたちにとって辛いものと思ってもらえるのは嬉しいよ! でも聞いたよね、お兄ちゃん。何が一番の優先順位かって。お兄ちゃんは、遙さんだって答えた。だったら、なんで、なんであたしまで助けようとするのよ……こんな状態のあたしを連れていこうとしたら、間違いなく足手まといになる。逃げられるものも、逃げられなくなるよ? それがあたしには、辛い」
「逃げられるさ! 飛行機で飛んでしまえば、都内まで追ってくることも無い。今とは別のアパートを借りる契約も済ませてるから、住所もばれることは無い。大学には以前のままの住所でしか登録してないし、情報も保護されるから親が出てこない限りは大丈夫。出てきたって、住所がばれることは無いから、追跡だけ気をつければいい。何せ、田舎じゃないから、強引な手段は取れない。僕らのホームなんだ。大丈夫、狭いけど二部屋ある所だから、三人でも住むことが出来る。足手まといになんかならない。美知が足手まといになることなんかない。だから、だからさぁ! ……一緒に、行こうよ」
「わかってない、わかってないよお兄ちゃんは……あたしは、」
「その後に続く言葉は、『すぐそばで、好きな人があたし以外の女といるのが嫌で仕方ない』、かな。この手の感情への理解を、別名鈍感男に求めるのは酷というものだよ。私もずいぶん苦労している」
「っ……!?」
……え?
「ほら、わかってない顔をしているだろう? いつも言ってるがね、キミはもう少し乙女心というものをわかったほうがい。私が愛想を尽かすことはないが、それでもムッとくることはある」
「……あなたは、わかってて、誘っているんですか? もっとタチ悪いですよ」
「私は変人だからね。こういうことも平気で勧めるさ」
「ほんとに、タチが悪い。残酷」
「あの、えっと、え?」
「……先に、この朴念仁に説明することが必要のようだが、どう説明してやろう?」
「お兄ちゃんには、直球以上の直球じゃないとわかってもらえないからなあ……ずばっと、言っていただいて結構です。あたしとしても、その方がすっきりしますから」
「え、と、あの、」
「なら遠慮なく言わせていただこう。ニブチンなキミにもよくわかるようにね。ところでニブチンというのはどこから派生してきた言葉なのだろうね。男相手に使われるのが多いことを考えると、自ずと想像つくがね。いや、そういう意味ではキミはニブチンじゃあないね」
「品性が疑われるようなこ」
「キミは少し黙っていてくれ。……あまり無駄な会話をするのもどうかと思うので、美知さんの望む通り直球以上の直球を投げさせてもらおう。彼女は、キミが私といちゃいちゃしている光景を見たくないと言ってるのだよ」
「……あ」
「……何だか、普通だったら修羅場になりかねないシリアスなムードなのに、どうして三流コメディみたいな展開になってるんだろ」
「修羅場は私は望んではいないが、確かに締まらないものがあるね。まあ、全てはこの男が悪いわけだが」
「ええ、そこは同意します。何だか気が合いますね、あたしたち」
「美知さんには失礼かもしれないが、私たちは根が一緒なのだろう。決定的な証拠があるだろう?」
「あー、なるほど、わかりやすい証拠だことで」
半分以上非難めいた視線が二組、僕へと突き刺さる。
「えーと、さっきの流れから察するに、ここは僕は少しばかり自己主張強くしてもいいところなのかな?」
「間違ってはいないが、そう言われると照れくさいより先に苛立ちが募るんだが」
「うーん、第一それってお兄ちゃんのキャラじゃないし]
「僕にどうしろと……」
「キミは、ここに来た目的をも忘れたのかい? 彼女を説得するんだろう? キミは、美知さんに、どうしてほしいんだい?」
それはわかってる。だけどそれは、僕が考えるのも変だけど、従妹にとっては……
なら、このまま置いていく? 冗談じゃない。
「美知。僕はね、君に生きていてほしいんだ。確かに、僕の一番大事な人は遙。これは変わることはない。だけどね、僕の中では美知も、とても大事な人なんだ。だから、死なせるわけにはいかない。一緒に、来てほしい」
僕は自分の気持ちを精一杯、伝えた。殺されてほしくないから。生きていて、ほしいから。
「……あーあ、酷いなあお兄ちゃんも。とても酷いこと言ってる」
「うん、言ってる」
「だけど、なんでだろうね、あたし……東京、行きたくなっちゃった。二人の様子なんか見たくなかったけど、まあいいかなって思えるようになっちゃった」
「美知……」
従妹は笑っていた。笑って、涙を流していた。
「私はね、犠牲の上を乗り越えてまで自分の幸せなんて掴みたくないんだ。そんなの、あいつらと変わりが無い。幸せになるときは、犠牲なんて生まずに、なりたい。私からもお願いだ。このワガママを聞きいれてくれないか?」
「遙さん……」
僕と遙は、それぞれ手を差し出す。
従妹はゆっくりと腕を伸ばし、それぞれの手を、握る。
「行くよ。あたしも、行く」
僕たち二人からの願いは、従妹の元に、届いた。
「美知……ありがとう」
「いいよ、お礼なんて。それに、あたしは一ついいこと思いついたし」
「いいこと? ……なんだかあまり僕的にいいことじゃない気がひしひしとしてるんだけど」
「うーんとねー、どうせ二部屋あるんだったらお兄ちゃんたちお楽しみの夜とかあるんだろうから、そこで隣の部屋で一人寂しく嬌声上げてるから。ああお兄ちゃんお兄ちゃんって言ってたら、少しくらいはいやがらせになるし、興味を引けるでしょ?」
「あ、あのねぇ……というか、本当にやりそうだなあ……」
「ほほう、それは私に対する宣戦布告と受け取ってもいいのかい?」
「ええ、そのつもりです、いいや、もう敬語なんか止め止め。第一昔は喧嘩口調だったはずだし、改めて……あたしは、そのつもりよ!」
「いいだろう、受けて立とうじゃないか。もっともこちらには大きなアドバンテージがあるから、負けることなど万一もないがね」
「ふふ、どうせお兄ちゃんのことだから、身体でたぶらかしたらあっさり落ちてくれるかもねぇ。ほら、よく従兄妹どうしだったら相性もいいって言うし」
「そんな嘘八百の掲示板的迷信を信じなければやっていけないくらい追い込まれているのかい?」
「まさか。単に鬼に金棒勇者にメタルキングの剣的な装備としか思ってないけど?」
「かけだしに棍棒の間違いだろう? そもそも、新一は私の上では思春期のパトスを全身から発散させているんだ。身体でも、負けることなんて無いさ」
「たまたま遙しかいなかったからでしょう? 今度からはあたしの上で腰降っていることになるわよ」
「ふふっ、なかなか言うねえ、キミは」
ふふふ、と口で言い合いながら、数分前に誰かが言っていた修羅場的風景を二人は作り出していた。これから共同生活するのに喧嘩スタートなんてしてたら、この先どうなるんだろうと軽い頭痛。おまけにその原因が、その自分でいうのもどうだろうとは思うけど、僕にあるのだから解決のしようが無い。
だけど、この頭痛は幸せの前兆なんだと強く感じた。幸せへと、自由へと繋がる頭痛ならいくら襲われたってかまわない。
だから。相変わらず、精度の高い作り笑いを浮かべる二人へ、僕は言った。
「君ら、乙女がどうたらいうんだったら、まずそのセクシャルな発言を止めるべきだと思うよ」
……二人に、まったく同時に殴られた。
何故だか二人からああだこうだとぐだぐだぐだぐだ散々言われた後、今後の予定について話し合った。
さすがに午後出るのは、僕ら的にはよくても従妹的には体調の問題、あるいは退院の手続きもあり、翌日朝二の便、九時半の飛行機で羽田へ飛ぶことにした(朝一は七時半と、病院から向かう時間としては厳しかった)。
その他、病院から空港までの行き方、あるいは向こうに着いてからの細かい打ち合わせを経て、僕らは病室を出た。担当の医師の元に向かい、「家の都合で地元の親戚の病院へ明日移したい」ということを話し、偽の祖父からの委任状を渡して信用させて、家に電話することなく表面上の転院、中身は退院の手続きを終わらせる。
東京ではどこかの病院に入院してもらう、ということにはしなかった。トリカブトへの治療方法は実はなく、中毒症状を和らげる程度の療法を行いつつ毒素が排出されるのを待つ方法しかない。倒れた日からは当然トリカブトの摂取もないので快方に向かっているので、改めて入院する必要はないとの判断だった。
後は、互いの家の暗部についてだが、こればかりは何も手を出さないことにした。残念ながら、証拠といえる証拠のほとんどは状況証拠だったからだ。唯一といえる証拠は従妹の体内に残るトリカブトだが、もしこちらに残ったまま訴えようとした時には、取調べを受ける際の拠点が必要となる。それは金銭的に厳しいし、時間的にも辛い。かといって向こうに移った後に訴えられるかといえば、可能ではあるが、やはり時間を取られてしまう。そして管轄外だといわれれば、結局戻らざるを得なくなる。
こればかりは、妥協するしかなかった。
「向こうでも、妨害、というか阻止する手段はあるはずよ。例えばマスコミを使うとか、弁護士に訴えるとか。新たなる犠牲を作らないことは、あたしたちの宿命だと思う。今は直接的に手を出せなくても、近いうちに必ず、チャンスは生まれるから。そしてそれは、あたしたちがいなきゃ、出来ないことなんだから」
従妹の言葉が、全てを物語っていた。悔しいけど、目的をはきちがえちゃ行けない。まずは、東京へ。
念には念を、ということで、僕らは時間をずらしてそれぞれの家に戻った。家に着くとすぐに、帰宅途中で購入した便箋に、祖父宛の手紙を書く。中身は、僕らが真実を知ったこと。殺されるくらいなら家を出て、関係を絶つ選択肢を選んだこと。もう戻ることがないだろうということ。そして、彼女と、一緒になること。
書いている途中は、申し訳無さと憤りが入り混じるという、よくわからない感情に襲われた。おかしな家ではあったけ、祖父に対してだけは、強い親しみを覚えていたからだろう。祖父から離れなければならないこと、しかし祖父は従妹への毒の投与を止められなかったこと、この二つの出来事が僕を混乱させる。
どうにか気持ちの整理をつけつつ書き切り、封筒に入れてわざわざ町外れのポストまで投函しに行った。そのポストは一日一回の集配時間が早く、出しに行ったときには既に集配後となっていたからだ。今日中に届けられては、全てが露見してしまう。明日に届くよう調整するためだった。
出し終わった後は、祖父と面会し、従妹が入院している間はこちらに滞在するつもりだが、そのための荷物は持ってきていないので、明日一度東京に戻り、荷物をまとめて再度やってくる、ということを告げた。なかなかに苦しい嘘ではあったが、それ以上にいい話を思いつかなかったので仕方がなかった。祖父は「そうか、わかった」とだけ答えてくれた。駅までの送迎の申し出を受けたが、個人的に寄りたいところがある、といってどうにかかわした。こちらも苦し紛れだったが、祖父は信用してくれたようだった。
祖父と対面している間も、先ほどの奇妙な感覚に襲われた。裏切ることへの心苦しさと、怒りと。どうにか内面に押し隠し通せたのは、こちらに戻ってから……つまりは従妹が倒れてから見せる、少しだけ疲れた表情を祖父が浮かべていたからだった。まるで、別人の様相を見せる祖父に対して、違和感と同時に不信感を覚えた。
その後は自分の荷物、そしてこっそりと従妹の荷物をまとめ(必要と思われるもの全てだったので、下着類すら触れなければならないのが辛かった)ほとんどを、家まで取りに来てくれる宅急便を利用し、家の近くまで来てもらって東京へ送る手配をした。人目を避けながらの作業だったが、幸いにも本家邸宅内には祖父と僕しか居ない状況だったのですんなりと終わらせられた。
寝る前に、東京の友人数名に、「明日九時までに僕からの連絡が無かったら実家でトラブルに巻き込まれているから、次の住所まで警官を派遣するよう、鳥取県警に連絡してくれ」というメッセージを、実家の住所つきで送った。念のための保険だった。予定では八時半に空港に到着しているはずなので、それまでに到着しないイコール、何かあった、ということになる。信頼してる奴らだから、実際連絡がないと確実に警察に通報してくれるだろう。
そして、翌日。つまり今日。天気はあいにくの雪模様だったが、いつものことなので気にも止めない。
早めに起床し、朝食を取ってから家を出る。何か感慨深いものがあるかと思ったが、何も無かった。
駅までタクシー、そこから列車。県のターミナル駅で降り、従妹の病院へ向かう。
ロビーで彼女と合流。
「見つかってないよね?」
「当然。私を誰だと思っている」
それから医師、従妹と面会して退院(正確には転院)手続きを終える。昨日の時点で僕らがタクシーで送ると告げてあったので、救急車で移送、などという提案もなかった。
従妹の荷物をまとめた後、三人でロビーへ降り、辺りを確認してからタクシーを呼ぶ。
「さあ、行こうか」
「目指せ、東京」
「自由の地へ、だな」
呼んだタクシーが玄関先に現れる。三人で後部座席に乗りこみ、空港へ、と指示する。
ゆっくりと発進。市街地を突き抜ける国道から北に向かう。
市街地を抜け、国道のバイパスに入り、道路標識に空港の文字が現れ始める。
生へのフライトは、もうすぐそこ、だった。
すぐそこで、費えた。
「あの、黒い車にどうも囲まれてるんですが」
タクシーの運転手の言葉ではじめて気付く状況。
周囲を黒塗りの車数台に囲まれ、そして強引に停車・横付けされる。
どよめく間もなく、その内の一台から、二人の男が現れ、白昼堂々、運転手へと拳銃を突き付ける。
「ドアを開け、おまえは消えろ」
拳銃にすっかり怯えた運転手は、ドアを開け、どこかへと走り去る。その様子を満足そうに眺めた後、二人組の男は後部座席のドアを開け、僕らを路上へ引きずり下ろし、一台の車を指差して告げた。
「乗れ」
一瞬の出来事だった。何が何だかわからなかった。ただ、一つ言えたのは、
「父、さん……?」
「お義父、さ、ん……」
「……父様」
拳銃を手にした二人組の男が、葛城家と醍醐家の、次代当主、ということだけだった。
反目しあっているはずの両家次代当主に、三人とも強引に、一台の車の後部座席に詰め込まれる。
二人の男も運転席、助手席に乗りこみ、車は発進。他の車も後ろをついてくる。
車が走っている間、誰もが無言だった。前二人は僕らの方など見向きもせず、ただひたすら車を走らせるだけ。僕らは閉ざされてしまった希望への道、そしてこの先に待っているモノ、一言で言うなら絶望しかない状況に、言葉などを生み出す余裕が全く無かった。美知も、そして遙すらも、顔面を真っ青に染めて、脂汗をにじませ、脚を震わせていた。真ん中に座っていた僕も同じだったが、二人の緊張を少しでもほぐそうと、それぞれの手を握る。僕自信、誰かにすがりたかったから、手を握ったのかもしれない。
それほどまでに、最悪な状況だった。そして、何故葛城と醍醐が手を組んでいるのかもわからなかった。




