第一話 夏-1
「空は遠く、遥か彼方まで澄みわたっていた。こちらとしては何一つ望んでいないのにもかかわらず、雲の欠片すら見当たらず、太陽が嫌らしいくらいに存在感を誇示している。風の一つでも吹いてくれるならまだしも、わずかな空気の淀みすらない。これはまさに……」
「長ったらしい説明はいいから、何が言いたいのさ」
「端的に今日はくそあちいということを表現したかっただけさ」
「あのね、全然端的じゃなかったから。端的っていったら普通二十文字くらいで終わるはずなのに、君は途中でこっちが遮ったところですでに百十字超えてたんだから」
「……人の喋った言葉の文字数を数えるなんて、キミも変人だねえ」
「否定はしないけど。というか、も、ってことは君にも変人だなって自覚はあったんだね」
「失礼だな。自覚がなきゃただの馬鹿だ。自覚があればこそ、変人として成り立つわけだよ。わかるかい?」
「特にわかりたくもないけど、まあ、暑いということに関しては同意するよ。なんたって……夏だしね」
隣を歩く変人の言うとおり、空は嫌になるくらいに真っ青で、太陽の光を遮るものは見当たらない。焼けたアスファルトの放射熱も加わって、道路の上は異様な暑さとなっている。靴底からも熱が伝わってきそうな勢いだ。
「排気ガスにまみれないだけ、東京よりはましだとは思うけど」
「ふん……どうせここはどがつくほどの田舎だ。こんな無駄な広域農道通したところで、利用するのは近所のおっさんのトラクターだけだしな。典型的な無駄遣いというやつさ。まったくもって馬鹿らしい。引っ張ってきたのはうちの曽祖父だけどな」
「地元にハコモノを引っ張ってくるのが政治家の宿命だった時代もあったんだよ。いや、今でも続いてるのかな」
「馬鹿馬鹿しい。道路だ新幹線だと言う前に、もっと大事なことが身近にあるのにな。わかってるくせに、目を向けないか全てを否定するだけか。老害といううまい言葉を考えた奴には金一封送りたい気分さ」
「お、おい、いくら君でも、あんまり人の悪口を言ったら……」
「構いやしないよ。どうせ誰もいないし、いたところで告げ口できるような根性持った奴はいないさ。むしろいてほしいくらいだよ」
真上から水平方向へと視線を下げてみたところで、青から緑へと色の構成が変化しただけで、一色限りの光景であることに変わりはない。一面、緑色に染めあげあれた田んぼばかり。両脇の山の麓まで家すら見当たらない。
「だいたい、なんでこんなくそ暑い中を歩こうと思ったんだい? せっかく冷房が効いた室内で惰眠を貪っていたというのに」
「あのね、そんなこと言われるとさすがにへこむよ……」
「冗談だよ。いや、なんでこんなくそ暑い中以下略に関しては本当に疑問に思っているのだけど」
「ただなんとなく歩きたかったから、じゃだめかな」
「……いいよ。キミらしくて実にいい」
久しぶりに歩く田舎道だった。春休み以来だから、約半年ぶり。半年といったら大したことないような気もするけど、こっちとしては長い期間にしか思えない。それで昨日東京から帰省してきて、早々にボディプレスを食らった挙句色々と挨拶回りや怒涛のトークタイムをこなした為に気力体力その他もろもろを使い果たし、本当は昨日のうちに済ませておきたかったことを今日している、というわけだ。
「それで、これはどこに向かっているんだい、って聞くのも野暮かな。第一、ここでは行くところなんて限られているしね」
「君の想像通りの場所さ。せっかく帰ってきたんだから、十回は行っておきたいんだ」
「そこは普通一回と言うところだと思うけど、まあいいか」
それっきりで会話は止まり、黙々と目的地まで進んでいく。だからといって沈黙が苦しいわけじゃあない。半年前の帰省時も同じように黙ったまま同じ目的地まで歩いてるし。もっと前には、こんな出来事をしょっちゅう作り上げていたし。
段々と川のせせらぎが、一時の清涼感を携えて耳の中に飛び込んでくる。わずかに体感温度も下がった気がする。
「そういえば妹さんは元気だったかい?」
「大荷物を抱えて玄関くぐった瞬間にフライングボディアタックをしてくるくらいにはね」
「ははっ、相変わらず愛されてるねえ」
「パワープレイでの愛情表現されてもね。それよりも、この半年間に会わなかったのかい?」
「会うことはあるさ。狭い場所だしね。だけど会うことと会話をすることは別問題」
「……やっぱ、アレ?」
「アレ。こればかりはどうしようもないこと」
道の端に設けられた古い階段を降りていくと、小さな小川に出くわす。草木の緑に囲まれた狭い谷の底、上流の山々から生まれでた冷たい清水が岩肌を伝っていく光景。見るだけでマイナスイオンを感じるこの地が、地元で一番好きな場所だった。
階段が草木のカムフラージュに隠れているためか、地元民といえどもここを知っている人はあまりいない。少なくとも小さい頃に見つけて以来、ここに来ている間で、今横で川の流れに手を突っ込んで涼を取っている人間以外に出くわしたことがない。素敵な場所で、且つ人気のない場所。絶好の隠れ家だった。
「本当にキミはここが好きだね」
「向こうじゃこんな光景は金出すか時間かけるかしないとお目にかけることができないからね。単純に好きだってのもあるけどさ。君は嫌いかい?」
「まさか。嫌いだったらついてこないよ。ここは好きさ。これだけ閉鎖的で反現代的な場所の中で、唯一といっていいほどね。ここは落ち着かせてくれる。いろんなことでささくれだった心を、ね」
「……同意」
二人並んで、ひときわ大きな岩の上に腰かける。広域農道ではまったくなかった風も、ここだと流れに乗って頬を撫でてくれる。大きな木々の葉にも太陽光を遮られたこの空間は、安直な表現だけど天然の冷蔵庫となっていた。時折、頭上から鳥たちのさえずる声も降ってくる。
「ここは好き。だけどそれ以上に居たい場所があるんだ」
そんな中で。一瞬の静寂を経て、普段見せない十九という年相応にか弱い表情を浮かべ、彼女はいつもの台詞を口にした。
「私は、キミの傍に居たい。こんな淀んだ奴らしかいない場所じゃなくて、どれだけ排気ガスまみれで空気が汚いとしても、東京で生活しているキミの元へと逃げたい。ただそれだけなんだ……」
上を見上げる。萌えるような緑色の隙間から見える空には、未だに雲一つ見つけることができない。
幸せが、見えない。
「……あと半年、あと半年の辛抱だから……」
「うん、うん……」
今の僕には、そっと抱きしめて口付けを交わすことしか出来なかった。
彼女と一時の抱擁その他もろもろ(恥ずかしいし内容的にアレなので説明する気はない。ようは、アレだ)を楽しんだ後、行きと同じ道を軽い疲労感と重い満足感を抱えつつ戻り、適度に誰にも出くわなさそうで且つ距離的にも手ごろな十字路で別れ、一人実家の道を歩く。時計の長針が二周以上回った分、太陽の活動にもほんの少しだけ陰りが見え、幾分歩くのが楽になる。アスファルトやコンクリートからの照り返しがほとんど無いために、都心部とは違い日中の暑さは太陽の活動の盛衰に直結しているのだ。この点は、本当に素晴らしい。石原さんはもっと緑化運動を進めていくべきだと切に思う。カジノなんかよりももっと重要なことだと思うのに。
無駄なことに思考を費やしながら道を進めば、いつの間にやら実家の前に辿り着いていた。土地があまっているせいか無駄に広い敷地、その周りはいかつい石塀に囲まれている。中へと進入できるのは、塀を乗り越えるか、目の前に存在するこれまたいかつい門をくぐるかの二択のみ。たかが家の中に入るだけで無駄に体力を使いたくないし、おそらくこの直後に更なる体力ゲージ減少イベントが待ち構えていると思われるので、素直に門を通過する。右手に無駄にでかい恋の泳ぐ池、左手に無駄に広い、なんだかよくわからない、夏になるとまるで歴史資料集に出てきた烏帽子のような形の紫色の花を数多く咲かせる草の育つ家庭農園的庭園を眺めつつ、石畳の道を二十歩ほど進み、玄関前。
一つ、深呼吸。それから柔軟体操。身体を動かす前の準備は大切。右手で引き戸を開け放つ。
「ただい……」
「お帰りお兄ちゃん!」
帰宅時の挨拶を言いきる前に、正面から身体が文字通り飛んできた。全身を、宙に浮かせて。昨日とまったく同じように。昨日は長距離移動の疲れに加えて荷物も抱えていたのでそのまま押し潰されてしまったけど、今日は違う。あるのは行為後特有の倦怠感だけ。一瞬身体を静め、デスバレー状態(相手をうつぶせ状態のまま両肩に乗せた状態)に抱えあげる。これの欠点は、十九というかまもなく二十歳という年頃の女の子相手だろうとむさっ苦しい野郎相手だろうと、正面から股の間に腕を突っ込み、太股を抱えて持ち上げなければならないということである。まあ、本来女の子相手にやるもんじゃないけど気にしない。……スカートだったのは正直気にしてしまう。
「さて、ここからどうしてほしい? ブロック・レスナーばりに回して顔から落ちるかい? それともジョン・シナみたく背中からドロップ? あるいはくるりと身体を回してアントニオ・ロッカのアルゼンチンバックブリ―カーで固まってみる?」
「ちょっとお兄ちゃんが積極的過ぎて正直びっくりというかどれも妹的には何というか出来れば遠慮願いたいなーという防衛本能も働きつつバックブリ―カーならこのまま腕で挟む必要があるはずだから禁断の扉をこじ開けるというかこすり開けることになると思えば今からでもその快感を想像するだけで涎モノのシチュでついついMじゃないのにお兄ちゃんがSになるんだったら私Mになってもいいわ的な乙女心を発揮してみ……」
「あーもうわかった、下ろすから。それとせめてブレスと句読点はつけて話してくれ話してくださいむしろくださいませ」
もともとこの後につなげるつもりも無かったけど、怒涛の精神攻撃に押されて妹を静かに下ろす。もちろん、危ない箇所には触れないように。肌にも極力……ってこれはジーンズじゃなくてスカート、しかも割と短い部類のだった以上どうしようもないのだが。まあ下着には触れないように。
「ちぇーっ。妹としてはこのままベッドにゴーダイブでもよかったのにー。お兄ちゃんもひどいよね、三段活用させてまで回避するなんて。もうちょっと妹と心と身体のコミュニケーション図ってくれたりしてくれない?」
「心はともかく身体って何だよ身体って……」
「そんなの決まってるよー。お互いの大事なトコロを抜き差ししあうことー」
「あのね、僕らもう半年で成人式挙げるような歳なんだから、発言内容、そしてそれ以上に行動内容には気をつけてほしいんだけど」
「大丈夫、お兄ちゃん以外の男にはこんなこと言わないしー」
「それもそれでどうかと思うんだけど……とりあえず、いい加減玄関から上がりたいのと、静かな部屋でゆっくり過ごしたい」
「あー! それって妹を思いっきりないがしろにする発言だよねだよねって人の話は最後まで聞くー!」
いつまでも玄関で騒ぎたくはないので、うるさいのをやり過ごして二階の部屋に篭る。文明の利器であるエアコンのスイッチを入れてベッドに横になったところで、階段をどたどたどたーっとかけ上がってくる音を聞いた後で、悲しいかな、鍵をかけ忘れたことに気づく。迂闊。家の中に鍵が無い一人暮らしの習慣は抜けるものじゃあない。
「やっぱり開いてたーということで再度ダ―イブ!」
いい感じの高さと勢いで、身体がやっぱり文字通り飛んできて、フライングクロスボディ気味に無防備な人間の腹へとのしかかってきた。
「……重い」
「なっ!? それはお兄ちゃんといえども失礼発言だよ!? これでも世間様にはスレンダーな美少女で通ってるんですからってこれだとまるで貧乳みたいで今更ながら複雑なことに気づいたーっ!!」
昔っからこの子は、自分で言うのもなんだけど過度のブラコン(本人談)で、この程度の彼女的には乙女心満載のやりとり僕的にはある意味逆セクな行為は互いに物心ついたときから日常茶飯事だった。さすがに、この年にもなってやられるのは勘弁してほしいのだが、止めてくれといったところで受け入れてくれる人じゃない。
その彼女はというと、人の上でひとしきり転がった後、ふと何かに気づいた様子を見せた。
「……別の女の、匂いがする」
鍵をかけ忘れたとき以上に、シャワーを先に浴びるべきだったと心底後悔。僕の胸から、僕を見やる眼差しには、非難の色がありありと浮かんでいた。
日が完全に山の向こうに落ちた後、無駄に広い実家の大広間で、親戚一同が勢揃いしての宴会が始まった。なんとまあ無駄なことをとは思うが、色々あるので出ないわけにはいかない。大学でも毎年四月になるとあちらこちらで新観コンパをわざわざやるのと似たようなものかと思い、我慢する。アレとは違い、瞬発的に大量の酒をあおる必要が無いのがせめてもの救いである。代わりに継続的に飲まされる心配が出てくるが、それは立ち振る舞いでどうにかなる。多分。
右側の席に座った、割と親しい親戚というか思いっきり叔父さんに並々と注がれた日本酒に辟易しつつ、こっそりと逆隣で不満なんですオーラを全身から放散している人間の様子を伺ってみると、
「って、おい、この際まだ未成年というのは問題ある無し以前の問題なのでおいとくけど、おかしいだろその飲み方は!」
「うるへーのです。酒でも飲まないと妹的にはやってらんねーのです。うー……」
開始十分で、既に出来あがっていた。こちらとしては早くも二日酔いの原因が出来た気分だ。コップの中身が日本酒ではなくビールだったことに幾分の幸運を感じるが、量を飲まれたら大差無いことにも気付き、悲しくなる。
深いため息を一つ吐き出す間にも、自分でビールビンを握りしめては、コップをあおっては注ぎ、あおっては注ぎを繰り返す。
「そんな風に飲んでると、明日つらいぞ? いくら夏休みだからって……」
「いいんです。妹的にはお兄ちゃんに二日酔いの看病をさせられれば充分なのです。お兄ちゃん、身体拭いて……とうつろな声でばっちり言っちゃうからそれでオーケー牧場」
丁寧語の使い方変だしそもそも年齢を疑われるようなボケはどうなんだろう、というツッコミをする気力も早々に失せ、仕方ない、どうにかして飲むペースだけは落とさせるかと決心。相変わらず空になった途端に叔父さんが注ぐ日本酒とも格闘しつつ、左から流れてくる言霊にも肯きつつ、つい一時間ほど前のことを思い出してみたりもした。
「……別の女の、匂いがする」
僕の胸から、僕を見やる眼差しに浮かぶ非難の色。
「さっきまで、お兄ちゃんはあの人と会ってたんだね?」
すぐには肯くことが出来ない。誤魔化すことなんて出来るわけがないのに、無駄な抵抗をしてしまう。
「……やっぱり続けちゃうんだね。あたしが、この前帰ってきたときにも、それ以前にお兄ちゃんがこっちに住んでた頃にも、何回も何回も警告したのに。馬鹿だよね、お兄ちゃんもあの人も。お互いの立場を全然わかってない。やっぱり教え込まなきゃダメなのかなあ」
着ていたシャツのボタンが、上からゆっくりと、一個ずつ外されていく。直に着ていたので、外された隙間からはあまり健康的とは言えない僕の素肌が見える。彼女は服と肌の隙間に手を忍ばせ、長い爪を立てて、傷をつけていく。爪の通り道にはうっすらと細く赤い糸が浮かび上がった。
「あの人とあたしを比べたら、この地の場合はあたしの方がその先まで行ける可能性が遥かに高いのに、どうしてお兄ちゃんはあの人選ぼうとするかなあ。ねえ、何で? どうしてお兄ちゃんはあたしを選んでくれないの?」
「……それは、やっぱり別だから……」
「ふう、強情だよねねえ、お兄ちゃんも。そんなところも好きだけど、ちょっと嫌い」
盆の窪と呼ばれる部分まで辿りついた指に、少しずつ力がこめられ、綺麗に手入れされた爪の先端が、埋まる。埋まった先から、赤い液体がにじみ出す。
「どっちも後悔する道だとは思うけど、あの人との方が、より多くの人を巻き込むよ。それでもいいんだ、お兄ちゃんは。あ、違った、お兄ちゃんとあの人は」
「……どうにかするさ。どうにかしない限り、誰にも最悪な結果を残しちゃうからね」
回転させてえぐろうとする指を掴み、どかす。僕を傷つけることだけじゃ物足りないのか、彼女は血の付いた指を口に持っていき、舌で舐めだした。
「……お兄ちゃんの味がする」
「いったいどんな味なんだか……というか、いい加減にどいてほしい。さっきから呼吸するのが苦しい」
少しだけ息苦しそうに話した言葉が嘘の無いものだとわかってくれたのか、僕の上から降りてベッドサイドに立つ。数分前とは違い、瞳の中に僕を非難する力は灯されていなかった。代わりにあったのは、潤いをまとった憐れむ視線。
「まあ、今回のことに関しては、お兄ちゃんの血で許してあげる。次は知らないよ? そしてあいつらにばれても、あたしはフォローできないから。今度は、あの時よりは間違いなくひどいはずだよ」
「……うん、わかってる。ありがとう」
その後一人何も言わずに部屋を出ていった人間が、今やコレなのだから恐ろしい。いつの間にかグラスがジョッキに、ジョッキからビン直飲みに代わり、容器が代わる度口は重くなり、喋らなくなっていく。なので、僕らの周りに来ては酒を進めていく親戚一同の対応は全て僕が行うことになる。そしてイコール酒の量もひどくなる、ということで。
「……気持ち悪くなってきた」
「弱いねえお兄ちゃんは」
「あのね、そっちはビール、こっちは日本酒。アルコールが三倍強なんだから……うぷっ、ちょっと外で風に当たってくる」
「じゃあけなげな妹もそれについてくことにしますのですええ有無を言わせません。出るなら、先に許可もらわないと」
一部首を傾げたくなる部分があった気もするがスルーして、この場にいる一番偉い人間……祖父の許可を貰い、二人で無駄に広い庭へと繰りだした。
見上げれば、文字通り満天の星空が僕らを歓迎してくれた。都心部ではまず見られない、びっしりと敷き詰められた星々は、地上へと今にも降り注がんばかりの勢いを持っている。星見酒と洒落こみたいところだけど、コレ以上のアルコール摂取は願い下げなので、グラス一杯の水で我慢する。
池のほとりに備え付けられた、誰が使うのかよくわからないベンチに、せっかくなので腰かける。単なる田舎の家なのにこんなものを備え付ける余裕があるくらいなら別のことに使ったほうがいい気もするが、まあそんなものだろう。
酔っ払いさんはというと、当たり前だといわんばかりの赤ら顔で隣に座ってきた。いちいち何か言う必要もあるまい。涼むだけなんだし、上を見てればいい。
「あ、流れ星」
視界を一筋の光が現れては流れ、消えていく。
「そんなもの今更。こっちにいればいくらでも見ていられるのは知ってるでしょ?」
「まあそうだけど、やっぱりあっちで暮らしているからなかなか見る機会がないんだよ」
「そんなに流れ星を見たいなら戻ってくればいいのに。妹としてはいつでも隣で夜空を見上げる準備は出来てるのに」
「……その日本語、絶対おかしい」
「あー! 肝心なところは無視して些細な部分の揚げ足を取るなんてまるで脳の無い政治家どもみたいで妹的好感度は一瞬だけマリアナ海溝より急降下だけど深い深い兄妹間にあるもの以上の愛情で埋め合わせてみたらとりあえずチョモランマの高さは超えちゃいましたよどうしましょうどうすっぺどうするっぺか」
「あのね、この辺の方言はそれじゃないから。それと句読点とブレスを入れて喋ってくれって」
「ほら、やっぱり肝心なところの返答はもらえない。乙女心をわかってないなあ」
「僕は男だから、乙女心をわかるわけにはいかないね。そういうのは古めかしい風習か空想かインターネットの中だけで充分ですよ、ええ」
「ここはあんまり現実的な例えではぐらかしてほしくなかったのが、妹としてじゃなくて女として正直なところかな」
「……ごめん」
夏の夜とはいえ、風が出てくればそれなりに涼めるのがこの地のいいところである。昼間あれ程鬱陶しく付きまとった湿気も消え去り、日中の格好ではおそらく肌寒さを感じるような温度である。おかげで酒も抜けて思考がクリアになっていく。それは彼女も同じようだった。
「あーあ、ほろ酔い気分もすっかり醒めちゃった」
「あれだけ飲んでほろ酔い……あいたっ!?」
「ほろ酔いだったのー」
本人が主張して止まないので、そういうことにしておく。というかそういうことに、しておかないと後でどうなるかわからない。僕は、自分の身が大事。
「明日は合同のお墓参りだねー。お兄ちゃんも一応、名目上はそれの為に帰ってきたんでしょ?」
「……変に帰ってきても怪しまれるだけだしね。それに……お世話になった人たちには、どんなことがあったとしても、ちゃんとお参りをしたいんだ」
「お父さんお母さん、とか?」
「……そうだね」
この地を二つに隔てるあの川のほとりから、蛙たちの鳴き声が何重にも折り重なって響いてくる。向こうじゃまず聞かない、田舎の風物詩である。正直、寝る時には耳障りの音としかならないのだが、夜風に触れながらだと素敵なハーモニーに変わるのだから不思議である。
「……やっぱりね、お兄ちゃんとあたしが推測した通りだったよ」
そのハーモニーの中、彼女が放った言葉によって、僕の心は一気に生臭い場所へと戻された。
「と、いうことは、古文書にもちゃんと載ってたんだ」
「ある程度……明治時代中期のものを古文書といえるかどうかはわからないけど、そのくらいまでなら遡ることが出来た。お父さんお母さんと同じように、病気で無くなった人は、直系傍系問わず、この血にはあまりに多過ぎるよ」
「病気、か。症状はどう?」
「わかる限りではみんな同じ。段々と体調不良が頻発し出した後、突然の痙攣を起こして出血、それから呼吸困難になって死んでしまう。あたしたちの家系はみんな志郎さんとこが代々のかかり付けの医者だから、あそこに行けばカルテも見せてもらえたけど、原因は不明だって」
「個人情報保護法とかはどこ吹く風だなぁ……」
「あたしたちは直系筋だから、傍系には子供だろうと実力行使できるしね。使わないで見せてもらえたけど。ともかく。原因不明である以上、考えられるのは……」
「血の集中……過度の近親交配の結果、か」
「おそらくね。血の濃さが、遺伝的な欠陥……たとえば劣勢遺伝子の形質発生などで、あたしたち一族、そして、向こうの一族に、原因不明の病として災厄を引き起こしてるとしか思えない。
……前のときに言ったと思うけど、あたしはお兄ちゃんが好き。もう一人の男として、しがらみなく好き。そして、ここではまず間違い無く望まれるカップルになる。だけど、そこで結ばれて、身体を交わらせて、子供を授かったとき、その子に病が降りかかる可能性は血の論理で言ったら非常に高くなる。あたしや、お兄ちゃん自身が病に掛かる確率よりもね。だから、あたしは諦める。どれほどお兄ちゃんが好きで、この想いはあの人に負けない自信があったとしても、家族として考えたときにはきっと不幸が待ってるから。お兄ちゃんが不幸になるのは、一番つらいから。例えお兄ちゃんとあの人が、この地で権力争いを何年も、何十年も続けるくらいにいがみ合ってる二つの家系の、共に次々代当主になる人間同士である以上、二人が結ばれることなど許されるわけもなく、成人を待っての婚約、そして駆け落ちという選択肢しか残っていないくらい厳しいものであったとしても、あたしは祝福するから。フォローは出来ないと思うけど、祝うことだけはしてあげるから。
……今だけは、あたしを、抱きしめてください。キス、してください」
月をバックに、同じ家で育った同年代の従妹である彼女が決意……僕との決別の決意を込めて口にした言葉。
出来ることといえば、言われたとおりに抱きしめ、口付けすることだけだった。
最初で最後の接吻の間にも、蛙はけたたましく声を上げ続けていた。普段見せない従妹の涙を背景にしていると、さすがに耳障りだった。




