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あまりにも一方的な通告。
一体なんだというんだ。最初に会った時はうざいくらいに確認を取ってきたのに、この変わり様はなんだ?
「お嬢さん方は離れてて下さいね、巻き込まれちゃ危ないですよ」
女は槍を引き、トンと地面を突く。
すると突いた先から光る白い光の線が地面に現れ、それはオレと女を囲む魔方陣を描く。
夜の所為か、それは綺麗だった。思わず見惚れるくらいに。均等な光ではなく濃淡で強弱があるのがいい。まさに幻想的。ミミズが這ったような文字と幾何学模様の意味はさっぱり分からないが、分からないのがカッコいい。
あれだ、英語とかのアルファベットのプリントは意味が分からない方がカッコいいのと同じ理屈。オレが英語を全くわからねぇバカだという意味ではない。オレだって中学から五年間、英語をやってきた身だ。多少なら分かる、分かるとも。馬鹿にすんな。だからこそ昔なら意味が分からなくてカッコいいと思ってたプリントTシャツ、それに書かれている意味が正義だとか空腹とか、竜とかそういう意味だと知った時、自分の知識を自慢にも思ったが、同時にだささも感じていた。以降そのシャツは着ていない。
をを、なんかマジで行けるくさい? 本物っぽい?
幻想的な光景に騙され、かける。
いやいやただの手品か? 手品に決まっている。期待するなオレ!分かってるだろ拓馬! いつまでも異世界だなんて夢を、ありもしない世界を求めるのはやめろ!!! それよりもこの光、変な爆弾とかじゃねだろうな? 有害光線とか、やばいもんじゃねぇだろうな?
「あ、あの!」
山崎の声でオレは二人の存在を思い出す。
やべぇ、あまりにもな展開ですっかり忘れていた。
「本当に異世界に行けるんですか!? それなら私も……!!!」
振り返ると後ろに居た山崎が、躊躇う事なく光る魔方陣に足を踏み入れるのが見えた。可愛い顔して根性のある奴だ、惚れ直してしまう。
山崎が足を踏み入れた瞬間、魔方陣の白い光が薄い桃色に変化した。可愛い色だ、山崎にぴったりだな。
「バカやめろ山崎、こんな女のいう事なんか――」
「来たいなら来なさい。自分の責任でね。まあ面倒は見ますけど」
やはり初めの頃と態度がまるで違う。あれほどオレを馬鹿にしくさったのに、この態度はどういう訳だ。まさかオレに対してだけきついのか? それとも親父が吹き込んだ事が何か――ってそんな事はどうでもいい!
それよりもこんな怪しい女から山崎を守らねぇと!!
「やまさ、」
「連れて行って下さい!」
とっさに手を伸ばしたオレを避けて、山崎はあのクソ女の前に立った。
「……」
行き場をなくす、オレの右手。
「……あなたはどうします? 一緒に来ますか?」
後ろでクソ女が誰を誘っているのか、オレは知りたくもない。それよりもこの右手をどうすべきか。引っ込めるしかないのは分かっているか、タイミングが……。
「そうねぇ、あたしも行ってみようかな。折角だし」
折角ってなんだ。
てめぇ、ちょっとそこらの一泊二日の旅行じゃねぇんだぞ!? つーかその軽さはなんだ? オレや山崎は割とマジなのに、なんだその気軽さは?
広瀬に憤りながら、さりげなく右手を引っ込めつつ山崎達の方に振り向く。
「帰りは、ちゃんと保証してくれるんでしょ?」
広瀬は片足をぎこちなく魔方陣の中に踏み入れていた。言葉は軽いが、それなりにやはり不安は感じているのだろう、表情も硬い。いい気味だ。
広瀬が足を踏み入れた所為か、色がまた変化した。今度は緑色。何か意味でもあるのか?
「勿論」
待てこら。
ナニ自信たっぷりな感じで肯いてやがるこのクソ女! さっきは片道切符だのなんだの言ってやがったくせに、この変わり様はマジ何なんだ!?
「それじゃあ行きましょうか。ご案内しますよ、私の世界へ」
女は槍を掲げた。
宝珠から光が溢れる。
眩い白い光。
不思議な光だ。眩しい筈なのに目に全く痛みがない。むしろ穏やかで暖かな光だ。
あっという間に。
広がる蒼い空。空には島が浮かんでいる。有り得ない光景。
そこは異世界だった。
黒い霧がかかった小さな島と、富士山みたいな大きな山がある島。そしてその周りには幾つかの島。どういう訳か、幾つかある島の端からは水が流れ、まるで橋みたいに島と島を繋いでいた。
なんて綺麗な世界だ。だが、初めて見る景色じゃない。
初めて見る景色な筈なのに、オレは少し懐かしさを覚えていた。
特にあの黒い島。心がざわつく。嫌な感じじゃないが、なんか気になるな。
「お帰りなさい、エレン。思ったよりも時間がかかったわね、って、あら?」
背後から女性の声がした。
振り返ればそこには眼鏡の金髪碧眼美人が立っている。二つに分けた髪を三つ編みにし、前へに垂らしている。のほほんとした、穏やかな美人だ。
女性は緑のローブを纏い、よくアニメとかマンガとかに出て来そうな、木の杖を携えていた。
「あらあらあら」
女性は困ったように笑い、オレ達を無遠慮に眺め回した。嫌な感じがしないのはそこに悪意がないからだろう。単純に好奇心なんだと分かる。
オレ達は一面真っ白な、屋根のない神殿にいつの間にか移動していた。
写真でしか見た事がないが、あの有名なパルテノン神殿のように装飾が施された大きな柱が規則正しく並んだ大神殿だ。違うのは壁や天井が無い事。神殿には床と柱しかなかった。
「随分、人数が多いのね……?」
女性にとって好ましくない状況らしい。
躊躇いがちに女性は言った。
まあ元々オレだけを連れてくる話だったみたいだし、それにあの女は来て欲しくないみたいだったしな。山崎はともかく広瀬はおまけもいいところだ。
「それにエレンってば老けた? あんなに綺麗だった髪までそんなになって……あなた何年向こうに居たの?」
「まぁまぁ、積もる話は後で。お土産話はたくさん用意してますから、ちょっと四人きりにしてくれます?」
「なぁに、悪巧み? 私は仲間に入れてくれないの?」
「聞かない方が身の為ですよ。先輩嘘下手ですし」
クソ女は眼鏡美人を先輩と呼んだ。だがしかし、女性は見たところ二十歳そこそこ、いっても二十二、三くらいで、クソ女よりは年下に見えた。
偉そうな態度でありながら、実はあのクソ女、落第生なのか。だから年下に見えるこの可愛い女性を先輩と――
「あらひどいわね、エレン。これでも私は神官の端くれなのよ? 主と勇者殿の為なら嘘の一つや二つ、立派について見せるわ」
「いえ結構ですから。そう言った先輩を信じてえらい目に合いましたからね、もうこりごりです」
「それっていつのこと?」
「自覚がない辺り最悪ですね」
「……本当に混ぜてくれないの?」
「はい」
「そう……」
悲しげに女性は頭を垂れると、すごすごと引き下がる。
なんていい人なんだろう。オレだったらキレてるな。年上とはいえ、後輩にそんな舐めた口きかれたらオレは黙っていられない。
二人の話はそれで終わりらしい。女性は大人しく神殿の端に移動し、何やら杖を掲げ、何か始めた。
その間オレは所在なさ気にぼんやり突っ立ってた。山崎はきょろきょろとあちこち動き周り、広瀬はその後をついていた。普段の二人からすると立場が逆転している。
「はい、君達! 集合!」
クソ女はとん、と槍で床を突いて集合をかけた。
集合っつってもオレはほとんど移動していないから、その号令は山崎と広瀬に向けられたものだった。
「集合だって、るりちゃん」
「あ……うん」
「時間がないからちゃっちゃっと行きますよ。よく聞いて下さい」
山崎達が戻ってくるのを確認しつつ、オレの方を見ながらクソ女は偉そうに言った。
「いいですか、君はついさっき私と初めて会った設定で。それでもって無理矢理連れてこられた感じでよろしくお願いします。お嬢さん方はそれに巻き込まれたということで。いいですね?」
「了解です!」
元気よく答えたのは広瀬のみ。
山崎は心ここにあらずといった様子で、ぼんやりと宙を眺めている。
オレだって突然の展開について行けない。
「……どういう意味だ?」
ようやくそれだけ言えた。
訳が分からない。こいつの態度の急変にもついて行けてないし、無理矢理連れてこられたって、そんな事実と正反対な事にさせる理由が全く分からない。もしかしてこいつやばい事に足突っ込んでんのか? オレ達はそれに巻き込まれたのか? いやまあ異世界に召喚されてる時点でもう十分に巻き込まれてんだが、そういうのとはまた違うヤバイもんをこのクソ女は抱えてんのか?
クソ女はあのむかつく笑顔で言った。
「そのままの事ですよ。君達は無理矢理連れて来られた。そういう事にしましょうと言ってるんです。その方が色々楽ですからね」
楽っつー事は、アレだ。やっぱり何かまずいんじゃね?
オレは嫌な予感に身体を震わせる。
「そんなに心配しないで下さい。仮にも君達はお客様ですからね、そう悪いようにはされせんよ」
ったりめーだ。
「でも気を付けて下さい。いくらお客様だと言っても、思想が合わないと感じたら容赦なく『再教育』を施すのがあの人達ですから。滅多な事は言わないで下さいね」
をいをいをい。さらっと何怖い事言ってんだ。
「再教育?」
広瀬が興味津々といった様子でたずねた。
「そのままの意味ですよ。君達も教育されているでしょう、社会に適合する為の知識とか耐性をつける為の訓練」
何でもないようにクソ女は言ったが、オレには少し違和感があった。
教育と言われて思い浮かぶのは学校。学校になんで行くのかと言われたら、それしかないからだとしか答えられない、オレにとっては。自国の言語に歴史、地理、化学等の知識の習得、団体生活への訓練。どれもこれも社会に適合する為、と言われたらそうなんだろうが、いまいちピンと来ない。なんで学校行くかなんぞ、考えた事なかったからな。
「補習みたいな感じ?」
「どちらかというと洗脳ですかね」
またまたさらっととんでもない単語が飛び出してきた。だが広瀬は動じる事は無く、ふーんと適当な相づちを打つだけ。山崎は宙を見つめたままだ。戻ってこーい。
「話を進めますね。我々の世界では『運命』とか『必然』って言葉がみんな大好きなんです。逆に『偶然』とか『自由』って言葉は嫌われますから、ご注意を。あんまり口にしないで下さいね」
「了解です!」
ノリよく返事をしたのは広瀬だけ。だがクソ女は満足げに肯くと、ふいに空を見上げた。
「まあ、気を付けて欲しい事はこれくらいです。後はおいおい彼らが教えてくれるでしょう」
彼らって。
疑問に思いながらもつられてオレも空を見上げた。何故つられたかは考えたくない。あえて理由を挙げれば、クソ女の寂しげで懐かしさに憂いた顔が不細工だったからに違いない。
広がる蒼い空。たゆとう白い雲。そして見上げた先には白い二つの月。ああ、ここは本当に異世界なんだと、オレはやけに実感した。
「エレン、来るわ!」
眼鏡女性の緊迫した声。
この人は果たして味方なのか。
反射的にそう考えた自分に呆れる。味方もなにも、じゃあ敵ってなんだよ。このクソ女の敵が敵か?
冗談よせよ。
「お早いお着きで」
皮肉が滲むクソ女の呟きと共に。
眩い光が神殿内に現れる。
「ようこそ、我らが世界アガスティアへ」
やけにキザったらしい男の声が響く。
目を向けるとそこには二人の男が立っていた。
金髪碧眼の眼鏡の男と、茶髪金目の男。二人とも赤いローブを纏っている。炎のように鮮やかな赤で、可愛いというよりはカッコイイ赤。
光と共に現れるとは何かの魔法か。魔法、魔法だろうな。
「歓迎しますよ、勇者殿」
金髪碧眼の男がにこやかな笑みを浮かべ、歓迎の意を表した。
緩くウェーブがかった髪、切れ長の瞳。白馬の王子様みたいに甘いマスクの持ち主だ。白い縁の眼鏡がおそろしく似合っている。
対して茶髪の男は地味だ。にこりともしないし、挨拶一つしない。
まあ、それはオレ達にも言える事なのだが。
「えーと……どうも、初めまして」
広瀬がぎこちなく挨拶を返すなか、オレはただ黙っていた。山崎も横でぼんやりとしている。そりゃそうだろう、急に、こんな。マジで異世界って……アホだろ。バカだろう。手品にしちゃこりすぎだ。頭がついていかない。何故広瀬は多少ぎこちないものの、普段と同じように振る舞えるんだ!? 流石広瀬だ、図太い神経を持っている。
「ファーレンハイト君もお疲れ様。無事使命を果たせたようで安心したよ」
「どうも」
にこやかにクソ女を労う男に対し、クソ女は素っ気なくこたえた。随分冷たい態度で、二人はきっと仲悪いんだとすぐに分かる。分かり易すぎだろう。
「ここは僕達に任せて君はゆっくり休むといい。随分と消耗しているようだしね、後は任せてくれ」
「よろしくお願いします」
小さく頭を下げると、クソ女は少しオレ達から離れた。
まるでこの男達にオレ達を差し出すみたいで、少しだけ居心地が悪い。別に不安がってる訳じゃない。
「あ」
広瀬が不安げにクソ女の方を向いた。
「見たら分かると思いますけど、向こうで少し手違いが起こりました」
クソ女はいけしゃしゃあと嘘を吐く。自分で連れてきといて、手違いも何もないだろうに。
「うん、大きな手違いみたいだね」
甘いマスクの持ち主の割に嫌みったらしい奴だ。さらりと笑顔のままで言うのがなお陰険。
「勇者殿にとっては大切な方々です。くれぐれも失礼の無いようにお願いします」
「勿論だとも」
「それを聞いて安心しました。それでは私はこれで。少し休ませていただきます」
淡々と言葉を吐くクソ女からは感情めいたものが見えなかった。まるで先程とは全くの別人だ。
少しだけ、緊張する。
ほんの少し。
なんつったって異世界だ。
緊張や不安を感じない方がおかしい。おかしいに決まっている。
「……ねぇ、えりちゃん」
山崎がようやく、異世界に来て初めてまともに口を開いた。
その声はひどく儚げで、ほんの少しの力を加えるだけで消えてしまいそうな、か弱いものだ。
「私達、今異世界に居るんだよね?」
「……うん、そうだよ」
広瀬の声が震えているように聞こえたのはオレの気のせいに違いない。
「そっか」
ぼんやりと宙を眺めている山崎の目には今何が映っているんだろうか。心ここにあらずの山崎の様子は儚げで可憐で、まるで一枚の絵画だ。美しいには美しく、心奪われるが、それはどこか危うい。触れれば毒されそうな、危うい美しさが今の山崎には溢れている。 初めて見る山崎の姿で、ぞくぞくする。
「異世界かぁ……」
山崎はもう一度繰り返した。口元に小さな笑みを浮かべながら。
それは初めて見る、めちゃめちゃ綺麗な笑顔だった。