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「この世界の始まりはね、」
道すがら、勇者様は語り始めた。
いつも煩くは無いが、それなりに人が行き交い活気のある神殿の中は、無人だ。しんと静まりかえり、勇者殿の声がよく響いた。
「箱庭だったんだ。小さな小さなね。私たちは世界から逃げ出して、この箱庭を作った。あの時世界はね、古い国と新しい国とが争っていたんだ。その争いから逃げる為に、僕達はこの世界を作った――ん、違うな、始めからここは造っていた……あれ、何でだっけ?」
知るかよ!!
手に力がこもる。ぎゅっと握る。
イライラする。勇者様の、この無責任さに腹が立つ。
「やはり貴方は当てにならないな。女神に聞くのが良さそうだ」
「ははは、確かにね! ちょっとあやふやだ。まあ、彼女も正気か怪しいものだけれどね」
誰もが無言だ。兄さん以外は。
「女神は正気ではないのか?」
「二千年も独りだったからね、仕方ないさ」
なんで。
なんで他人事なんだ?
彼女は、女神は泣いていたのに。何か言ってよ!って。
あんたを待っていたんじゃないのか、彼女は。
たった独りで。
ずっと何年も。何百年も、千年も。
女神が居るのは、神殿の底だった。気づけばそこに居て、魔術か何かで移動させられたようだった。
底は、まさしく底だった。
底には死が溢れている。暗く、重い魔力で満ちている。
女神は死にかけで弱々しく、女神が浸かる水槽、そう、まさしく水槽だ。馬鹿みたいな表現だが、そこには巨大な水槽があった。
何故水槽なのか。浴槽でも良いじゃ無いか。と、思うが、もうどうでも良い。
多分、ここはもう要らなくなる。
女神が死ねば、ここはその機能を失う。
「――これは、なんだい?」
「女神の……寝所? ああ、折角だし、伏して拝んでみれば?」
兄さんの声は、少し震えていた。流石の兄さんも、驚いている。
「君の願いに、応えてくれるかもよ?」
「……」
「冗談冗談! そんな怖い顔しないでおくれよ!」
勇者殿は、さっきからひどいテンションだ。けらけらと朗らかに笑っているが、誰も笑わなかった。
そう、笑えない。
全然笑えない。
私は、世界を救う為に勇者を連れてきたのではないのか。
「煩いわ、どういうつもりなの、アーサー? 人を連れてくるなんて」
女神の、声だけが響いた。
「折角のお客様だよ、君の方こそどういうつもり? 主人なら、客をもてなさなきゃ」
「主人? 私の事? 貴方じゃなくて?」
「僕はほら、隠居した身だから。僕は君の我が儘に付き合ってあげてるだけ」
「隠居? 寝ぼけているの? 目覚めたばかりでしょ?」
「君に起こされた。だけど、僕に出来る事は無い。君達と違って、僕には何の力もないのだから」
「世界を創った勇者の癖に」
「創ったのは、君達魔術師だろう」
「関係ないみたいな事、言わないで」
「僕は部外者さ。置いていかれた僕は、関係ないだろう」
「置いていったのは、貴方でしょう!」
ざざーっと、音はしないが、勢いよく水槽の水面が盛り上がる。
「もう、放っておいて!!! いい加減にして!!!! もうこのまま、静かに眠らせて!!!」
盛り上がった水は、人の形を作った。人の形になると、不思議な事に只の透明な水が、色を持って服を着た女性の形なる。服は白い、ふわふわした裾の広がったドレスだ。ドレスがすらっと白くなると、頭から金色がばっさぁと広がる。髪だ。
「勝手だなぁ、アガスティアは。僕を起こしたのは、君だろう?」
女神の叫びに、勇者は冷ややかだった。
「違う!!! 私は何もしていない!!!」
駄々っ子のように、なおも言いつのる女神に、勇者は冷たい。
「そうだね、君は見ているだけだ。あの時だって、見てただけだったんだろう」
怒りすらあった。
「――説明を、求めても?」
空気を読まない兄さんが、するっと入った。
女神が何か言うよりも早く。
「この世界はね、残り滓なんだよ。つまらない世界だ、行き詰まって当たり前だ」
「貴方が、それを言うのか?」
「そうよ、貴方の為の世界じゃない!!!」
それ、初耳だなぁ。
兄さん以外の面々、私も含めてだが、何も言えない。割っては入れない。
だって、女神と勇者だぜ?
そして、多分この世界の反乱者のリーダー。世界の重要人物だ。私のような役目も終わった、そう、まさしく残り滓の人間が口を挟む余地なんてない。あったとしても、挟むべき言葉は何も思い浮かばない。
他の人も、そうなんだろう。
一番後ろ居るクライブさんの顔は見えない。前にいるアスベルさんと、大男の顔も見えない。
兄さんの顔も見えないが、声は良く聞こえた。
「この世界は、やはり滅びるのかい?」
唐突ぅ……。
しかも、やはりってなんだよ……。滅びる予兆って、なんかありましたか? 全く思い当たりませんけど。あ、いや、勇者を喚ぼうと決めたには、それなりの理由が――ないって、言ってたな。谷崎拓馬が生まれたから、偶々だと。
「この世界は初めから詰んでいた。誰かの死によって出来た世界なんて、呪われている。そうだろう? そんな呪われた世界、滅びてしまえ」
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金切り声。
絹を引き裂く、なんて上品なものじゃない。
引き裂くなどとは生やさしい。つんざくだ。耳の奥に直接鋭く叩きつけられる、音の暴力。
女神だ。
女神の全身が水のように震え、水槽自体も震える。そして水槽自体にも無数の皸が入り、水がしみ出す。静かに音も無く、水槽の中の水は流れ出す。水槽は縁を残したまま、綺麗に無くなった。
女神を残したまま。
「うるさいなぁ、これだから女のヒステリーは嫌だよ」
勇者はけらけらと、笑う。
女神は怒りに震え、声を失う。
私は呆然と、何の言葉を挟めずに居た。