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「記憶というものはね、本来なら誰もが全てを覚えているものなの。ただ忘れているフリをしているだけ」
ふり、ねぇ……。
「全てを覚えている人間がいるでしょう、ここでもまれにそういう人間は居るわ。でも彼らは記憶する能力があるのじゃないの、ただ忘れたフリをする能力がないだけ。本当は誰でも覚えているものなのよ。神官達があなたに掛けた術は、その忘れたフリした記憶を呼び覚ます術なの。本当は全部、あなたが初めから持っているものなのよ」
んな馬鹿な。
例え記憶云々が女神の言い分通りだとしても、オレは向こうの世界で新しく生まれたんだ。
勇者はオレじゃない。
勇者はオレそのものじゃない。
前世だ。
……もし、前世なんてものがあればとすればだが。
「納得していないようね」
女神がずいっと身を乗り出して、また、オレの目を覗き込んだ。
女神の目の中に、また、あいつがいる。
……いや、あれはオレの目の中なのか?
女神の目に反射した、オレの目の中――……
――父と母は、俺の扱いに困っていた。
自分で言うのものなんだが、一人息子だ、可愛くない訳がない。
ただ俺は少しばかり他人と、同じ年頃の子供達と違っていて、それがとても凄い事らしかった。
そう、凄い。
周りの大人達の言葉を借りると、俺の存在は凄いらしい。
「君の存在は奇跡だ! 奇跡なのだよ!! 何故君のご両親はその事を理解しないのだろうか!?」
知るか。
「君は他の兄弟達の窮状を知らないのか!?」
俺は一人息子だが。
初めは、まだ初めのうちは静かなものだった。
俺の事で騒ぐ人間が居ても、それはあくまで裏での事だった。表で、人前で大声で騒ぐ連中は居なかった。
それが、いつの間にか、騒ぐ人数は増え、その声は大きくなった。
そして、アイツが現れた。
「――へぇ、キミが奇跡?」
彼は魔導師でありながら、魔導師を憎んでいた。
何故そうなったのか、彼は絶対に教えてくれなかったし、俺にはさっぱり分らなかった。何か魔導師に酷いことをされたのか、と始めは思っていたが、どうも違う。
彼は人を人種で、階級で一括りに判断する人間ではない。
例えひどい事をされていても、おそらく手を下した人間のみにその恨みは向かい、他の魔導師達にはその恨みは向かないと俺は信じている。
「初めまして、奇跡。ボクの名はカイル。キミの掲げる打倒帝国に、ボクも一枚咬ませてよ」
その時初めて、俺は打倒帝国を決意した。
俺は誓った、カイルに――
ピンポーン
耳慣れたインターホンが響いて、オレは我に帰った。
がたんっ!と、女神は険しい顔をして乱暴に席を立ち、玄関に向かう。
誰か来たのか? しかし一体誰が? 女神の家だろ?
オレも急いで女神の後を追う。誰が来たのか興味あるし、女神のあんな険しい表情も気になる。
「……あなたみたいな化け物が生まれるって時点で、この世界の矛盾はもう抱えきれないものになっているわ。私に矛盾を正す力はもう残っていないけれど、でも諦める訳にはいかないの」
女神はまた浮いていた。金の髪は広がって波打ち、まるでカーテンのようだ。だから誰がその向こうに居るかは見えない。
女神は一旦そこで言葉を切り、いやに力を込めて言った。
「この世界は私達の理想なのだから」
「……あなたは、」
向こうに居る誰かの声。聞き覚えがある、この声は、
「消えてちょうだい、化け物。私達の理想の世界にあなたは要らない」
風が起こる。ふわふわと柔らかに、それから徐々に強くなっていく。
「待って下さい、私は――」
戸惑ったクソ女の声。やけに弱々しい。それが癇に障る、なんだその殊勝な態度は? いつも人を舐めきった態度がお前だろう!?
「待て、何する気だ!?」
女神の髪のカーテンを押しのける。はじかれるかと思ったが、すんなりと通り抜けれた。風の抵抗も止む。
そして、そこに居たのは――。
「な、んで、勇者殿がここに? どうして、?」
そこは、ごく普通の玄関だ。オレの家のとは違うが、普通のマンションの玄関。ドアは前後ろの開閉式で、女が奥へ、女神側に押して、手はドアノブに置かれたまま。
女。
女が一人、そこに立っている。見た事が無い女だ、いや、よく見れば見た事あるような気がする。
肩に触れる、緩やかに波打った銀の髪。不思議な煌めきを放つ黄金の瞳、何故か目が離せなくなる。
オレが知っているクソ女は黒髪黒目、日本人なら珍しくない色素の持ち主だ……って、アイツはここの世界人か。
いやいやいやいやいや。
頭をぶんぶん振って、衝撃を振り払う。
それよりも、だ。
落ち着けよ、オレ。
髪も白いし、服もパジャマみたいな白っぽいヤツだし、一瞬分らなかったが、この女、背中から羽根が生えている。
蝙蝠とか虫とかの羽根じゃないぞ、てん……いや、鳥の翼みたいな、真っ白な翼。
「……お前、」
言葉が出ない。忘れてしまったみたいだ。
言いたい事はあった。
何弱気になってんだ、とか。お前前から思ってたが、オレ以外に対する態度が違いすぎるだろ、とか。
聞きたい事もある。
殴られていたようだが身体は大丈夫なのか? その頭はどうしたんだ、とか。
その、まるで天使みたいな羽はどう、した……。
「下がりなさい、化け物。お前のようなものが私のアーサーに触れないで」
女神がずいっと、オレとクソ女の間に割って入る。
それはまるでカーテンのように、女神の黄金にたゆたう髪はオレの視界を遮る。
「……アーサー?」
違う、オレは、谷崎拓馬だ。
「そう、ここは私とアーサーの聖域。私達の事はもう放って置いて頂戴! 私だって頑張って来たんだから、ちょっとは好きな事、やりたい事やってもいいでしょ!! 私は、その為に!!」
「いや、勇者殿がそれで良いなら良いですけど、いや、やっぱりちょっと待って下さい、あなた誰ですか? どうしてこんな所に勇者殿と一緒に――」
「女神よ、分かるでしょう、お前なら」
「……ええと」
クソ女はこほんと、わざとらしく咳をした。
厳かだったり怒り出したり、くるくる変わる女神のテンションについて行けないようだ。それはオレも同じ。それに、さっきから言っている事が意味不明。
頑張って来たって、何を?
女神の仕事か? 一体何を――
「本当、私だって頑張ってる!! 頑張ってるの!! へとへとなの!! なのに誰も私を褒めてくれない!!!!」
「お疲れ様、です?」
「煩い! お前は黙れ!!」
「……」
ぴしゃりと拒絶され、クソ女は沈黙した。
次は、オレの番か? いや、番とかじゃない。ここにはオレと、クソ女と、女神しかいない。クソ女がダメなら、オレが行くしかない。
「おい、」
正直、女神が何を頑張っているか全く分からないが、
「よくやってると思うぞ、オレは」
だから――
そう次を、思いつかないまま適当に続けようとした時、
「……本当に?」
ぐるりと、女神は振り返った。
目がヤバい。
目に釘付けになる。
ぎらぎらと異様に光る、碧の瞳。
すげー眼力。空に稲妻が走ったような、そんな衝撃。
「アーサーは、本当にそう思う? 私、すごいと思う!?」
だから、オレは、アーサーなんかじゃねぇっ!!
と、何故か突き放すような事は言えなかった。言ってしまったら、彼女は壊れてしまいそうだから。崩れてぼろぼろに、朽ち果ててしまいそう。
人間がそんな風になる訳ねぇのに。
だがしかし、女神と見つめ合う間中、彼女は小さく震えている。小刻みに震え、瞳の輝きは増すばかり。
綺麗だが、恐い。超恐い。
爛々と輝く蒼い瞳は綺麗だが、狂気じみている。普通じゃない。
「何か言ってよ!!」
じれた女神は叫ぶ。
癇癪だ、ヒステリーってヤツか!? ちょっと待てよ、少し黙ったくらいで、そんなに怒らないでくれ。余計に何も言えなくなる。
女神の叫びと共に、ぴりぴりと突き刺すような風が女神を中心として起こる。
痛てぇ。
すっげー痛いとは言わないが、痛い。なんだ、これは? これも魔法なのか?
「ちょっと勇者殿、早く何か言ってあげて下さいよ! このままじゃ彼女が、」
クソ女が悲鳴じみた声を上げる。あいつも痛いんだろうか、少しいい気味だ。
「黙れ! お前の声で私の耳を汚すな!!」
「っ!」
クソ女が声を上げると、女神はすかさず振り返り、両腕を振り下ろす。
その瞬間、空気が震えるのが分かった。
何かと何かがぶつかる感じ。
「やめろっ!!」
やばい。
本能的に悟る。
これは、超ヤバいと。
「……どうして、私に何も言ってくれないのに、こんな化け物には言葉をかけるの? やっぱり、私は私じゃないから? 私は私で良いって言ってくれたのに、アーサーはやっぱりこの子が良いの? こんな化け物……」
嗚呼畜生、意味分からん。分からねぇよ、お前の言うこと全部、分からない!!
人間、訳が分からなくなると、言葉を失うようだ。
おまけに何か言わなければ、と強く思うほどに言葉が出なくなる。言葉の意味も、声の出し方も忘れるみたいだ……というか、忘れたい。今の彼女にかける言葉を、オレは思いつくが言いたくない。
そんな事無いぞ。
とは、言えないし、
悪い。意味が分からん。
と、突き放す事は言えない。言える訳が無い。言えば、彼女はまた――
また。
また――何だって?
既視感が気持ち悪りぃ。
こっちに来てから何度もあるが、現れる度に、それに慣れる度に居心地が悪くなる。
オレと何と混じって、オレが薄くなるような、そんな馬鹿げた感覚。
薄くなるってなんだよ!
「誰か私に、」
彼女は泣いている。
目の縁に透明な雫が溢れ、頬を幾筋も流れ落ちる。こぼれる涙を拭うこともせず、彼女は震えている。
震え、泣いて、彼女は叫んだ。
「何か言ってよ!!!」
宙を見上げ、女神は泣き叫ぶ。
小さな子供が癇癪を爆発させたみたいだ。みたいだ、と思ったのも一瞬。
女神は音も無く霧散した。
「!?」
理解できなくて声が出ない。
さっきまで女神が泣いていた場所には、何も無い。
まさしく塵一つ残さずに、彼女は消えた。その向こうでは、クソ女が呆然と立ち尽くしている。
消えた? いや、転移という可能性も……いや、あの消え方はなんていうか、ぱっと消える感じじゃ無い。ふうっと白い霧を息で吹きかけて、霧を吹き消したような感じ。
Plllllllっ……
また、電子音が鳴り響く。
ファンタジーなこの世界に相応しくない音だ。音の源は、分かっている。
「くそっ!」
訳が分からない。
何度も言うが、訳が分からない。
女神が言うこと全部、この世界も、全部。
「はい、もしもし!?」
乱暴に受話器を取ると、その瞬間に青白い魔法陣がオレを包む。
「っ!?」
クソ女を呼ぼうとして、オレの視界は真っ白な光りに覆われる。
目が痛い。
光りが目にしみる。そして、それは一瞬だった。
光りが収まると、そこは薄暗い神殿のようだった。普段生活している神殿の、地上の広間のような場所。壁はないのか、見えない程に広いのか。とにかく暗くて見通せない。天井も同じ。床は白っぽい滑らかな石。裸足にはひんやりとしていて、気持ちよい。
そこには真ん中に一つ、大きな水槽がある。常に水は底から湧き続け、水は水槽の縁から零れ続ける。しかし床は濡れてはいない。見ると床に零れた水は床を濡らさずに、まばらな水たまりをつくった後、徐々に消えていく。
水槽のでかさは見上げる程にだ。広さは……良く分からん。横は六,七メートルぐらいありそうで、奥行きは見えない。薄暗い水槽の中が見通せないから。いくつか影があるような、ないような……。
影が動く。
影は上に向かって動き、その動きによってかさざ波が立つ。
溢れる水は静かに流れ落ち、いくつかは消える前にオレの足に触れる。
水はぞっとする程に冷たかった。だが、その冷たさは氷の突き刺すような尖った冷たさではなく、温水と冷水の混ざったような、妙な暖かさも持っている。よう分からん水だ……いや、水では無いのかもしれんが。
そっと、白い指が水槽の縁にかかる。
ほっそりとした女の指だ……アレだ、誰の指か考えこむ必要は無い。もし彼女以外ならそれはそれで驚きで、意味不明だ。
ざざぁーっと、水が静かにこぼれ落ちる。本当の所、音は一切していない。ざざーっと音が出そうな程に水は溢れ、零れ続けているのに、静かなものだ。静かすぎて、不気味だ。
指がかかった後、金色の何かが浮かんでくる。さらに水が零れる。零れた水は床で大きくはね、水たまりをあちこちに作る。
ホラー映画みたいだ。
薄暗い部屋の中、不気味な水槽、動く影。さっさと逃げれば良いのに、主人公は何かに圧されて、動けない。
あれか、動いたら何にも無くなって番組終了だからかっ!? いや、番組じゃなくて映画。って、これは映画ではありません。いや、まあ、哲学的に言えば人生は劇場であるから――
下らない事を考えている間に、暗く沈んだ蒼い瞳と、かち合う。
「……ようやく、会えた」
縁に手をかけ、こちらを覗き込むように見下ろして、彼女は小さく笑った。
やはり、彼女は女神だ。
濡れて額に、頬に、顎に張り付く金の髪と、輝く蒼い瞳。
「……夢みたい。ここに連れてくるつもりは無かったけれど、こうして直に会えるのは、やっぱりわたしじゃなくちゃ。ね、そうでしょう?」
同意を求められても、困る。
意味不明だ。
さっきの女神も、どうした?
「……さっきの子が気になるの?」
戸惑ったオレの顔で、彼女は全てを察してくれた。
「優しいわね、アーサーは……そうね、どこから話せばいいのか……けほっ」
咳き込む彼女。
さっきの部屋で、電話の向こうの女もひどく咳き込んでいた。あれは彼女だろうか、彼女しかいない。
すっと、彼女は水槽に潜った。
水槽の中は全く見えない。薄暗いだけではなく、中の液体自体も黒い水なんだろう。何となく影が動いているのが見える、ような気がする。
……。
しばらく待つ。彼女はすぐには出てこなかった。
もう訳が分からなくて、オレは待つ事しかできない。何もやる気力が、ない。湧いてこない。説明してくれと思う。
――何か言ってよ!
そう叫び涙を浮かべる彼女の姿が、やけにオレの頭に突き刺さすように再生される。
気持ち悪りぃ。
不安と焦りで、どうしようもない哀れさと意味不明な存在への不気味さと。
居たたまれなくなってくる。
このままオレも消えてしまいそうだ。いや、消えてしまいたい。消えてしまえば、これから何があろうと知らないで済む。いつもの、オレのままでいられる。
オレは、オレのままでいたい。
いくら勇者とかアーサーとか言われようが、オレはオレ。
オレしか居ない。
この身体の中にいるのは、オレ。
谷崎拓馬。
オレ以外には何もない。
これは全てオレの物。
お久しぶりです!
なんとなぁーくここが後半戦のような、終盤のような。
お付き合いをよろしくお願いします。




