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「行きたい」
すとんと、オレは躊躇うことなく即答していた。
そこにはナニ言ってんだコイツという疑いも、オレ何言ってんだ?という恥じらいもなく、逆に焦る。
をいをいをいをいをいーーーーー!!
大丈夫か、オレ? 何言っちゃってんの? 異世界ってお前、本気かよ?
気持ちばかり焦るが、顔は平静を保つ。
「……」
女はオレを見たまま、押し黙っている。睨むような、挑むような目つきだ。
そらした方が負けだと、オレは女を睨みつけた。
「なんだよ」
促しても女は黙ったまま。真っすぐにオレを見つめるだけだ。
早く何か言え。オレは言うこと言ったぞ。次はお前だ。
女はその後もしばらくオレを睨んでいたが、やがて、
「――分りました。でしたら急ぎましょうか。お別れの時間はそうありませんよ。ご自宅はどちらですか?」
と、溜息を吐きながら実に面倒くさげに言ってきた。
「はあ!?」
こいつは本当にやばい奴だ! 家はどこだってお前……お前みたいな怪しい奴に教えられるか!
今まで流石に家まで連れて行けという変質者に会った事はなかった。
それにお別れって……マジかよ!? こいつマジか!?
オレは女を無視することにする。
まわれ右で来た道を戻る。家はすぐそこの曲がり角を曲がった先だが、こんな奴に家の場所を知られる訳にはいかない。
「どちらへ行かれるんです? あなたの家はこっちでしょう? まさか寄り道ですか? まあ止めはしませんけど、先程も説明した通り私は片道しか保証できませんからね、これが一生のお別れになるかもしれないんですよ。真っすぐに家に帰らなくていいんですか?」
一度口を開くとうるさい女だ。
オレは女がオレの家の場所を知っていた事よりもそっちの方が気に障った。
お前は何様だと。
「うるせーよ! てめぇに言われる筋合いはねぇ! オレがどこに行こうとオレの勝手だろう!?」
振り返って怒鳴ったが、女は全くビビる様子はなく、むしろ調子づいたように喋り出す。
「やれやれ、なんとまあ口汚いお言葉でしょう。それでは勇者様としての品格が問われますよ?」
勇者。
誰が?
オレか?
憧れの異世界ワードが飛び出したが、どういう意味かとオレが尋ねる隙もなく女はぺらぺらと、異常な熱をもって喋り続けた。
「皆さんはきっとあなたが勇者様の生まれ変わりだって事で、きっとあなたをちやほやするでしょうが、影ではなんとおっしゃっられることか。きっと笑ってますね、間違いありません。女性に、しかも年長の女性にこの口のきき方ですものねぇ、本当。ああいやだいやだ、こんな野蛮人を勇者様としてお連れしなければならないなんて。私はきっと皆さんの笑いものになるんです、もうお先真っ暗ですね、私の人生。こんな野蛮勇者を連れ帰るなんて……でもまあ、私は別にどうでもいいんですけど、きっと勇者様に憧れてる子羊ちゃん達や子猫ちゃん、子犬ちゃんがいますからねぇ、その子達の為にも、是非その乱暴な口のきき方は治して頂きたい!」
気取った言い回し。おまけにびしっと指さすその動きといい、
「うっせぇ!!」
全てが癇に障る。
「何勝手な事言ってんだてめぇ!? 勇者だのなんだの、頭おかしいんじゃねぇのか!!」
それは全てオレにも言える事だ。自分で言ってて少し切なくなったが、顔には出さない。女をがっと睨みつける。
女はやはり全くオレにビビることなく、素気なく言った。
「君に言われたくはありませんね。失礼ですが、この世界では異世界なんていうものよりもずっと、他の惑星……えすえふですっけ? そういう宇宙ものの方が信憑性ありますよね。確かにこの惑星だけに生命が誕生した、なんておこがましいにも程がありますよね、よく分かります。井の中の蛙ってヤツですね」
オレは言葉なく立ち尽くす。
そうだ。アポロが月に着陸したのはもう何年も前の事。宇宙ステーションは確実に建造されつつあり、何人も宇宙に飛んでいる。
怪しい飛行物体、UFOとかミステリーサークルとか、そっち方面の話題は事欠かない。一説にはあのナスカの地上絵は古代の宇宙ステーションだった、なんて言われているくらいだ。
そうだよなぁ、テレビの特番でこういうSFの特集はよくある。夏休みの時期とか特に。だがオレの好きな異世界ものの特集は一度として見たことがない。
それでも、オレは異世界に心惹かれる。ずっと。
「……意地悪が過ぎましたね、すいません」
女は目をふせて、小さく頭を下げた。
頭を下げるなんてやめてくれ。オレが動揺してるみたいじゃねぇか。やめろと言いたかったが、うまく言葉にならない。
だが女が神妙な顔で頭を下げたのはごくわずかな間で、顔を上げた瞬間にはまたあの人を小馬鹿にした腹立つ笑顔に戻っていた。
「まあ確かに、こんな突拍子もない話をすぐに信じる事は難しいかもしれませんが、あなたは答えた。異世界に行けるなら行きたいと。だから私はあなたを連れて行かなければならない。私達の世界へ」
女はそこで一旦言葉を切った。
「と、いう訳で、お別れを済ませましょう。しつこく言いますが、本当に向こうに行ったら帰れる保証はありませんからね? 今のうちにちゃんとお別れを済ましてください。本当ならもっと時間をかけるべきでしょうが、こちらにも色々事情がありましてね。こんな時期になってしまいました。まあ、これも運命ってヤツですね」
女は自嘲気味な笑みを小さく浮かべながら、言った。
女も色々苦労しているらしい。茶化しているが、疲れが見える。
オレは何か声をかけようとして思いとどまった。
大変だな。
苦労してるんだな。
どれも違う気がした。それにだ、女の言葉を真に受けるのもどうかと、オレの理性と常識が全力で声を上げている。
例えば、今日は女がまるで狙ったかのように月に一度、必ず家族全員が集まる『肉の日』だが、そんな中で言ってみろ。父さん、母さん、オレついに異世界に行くことになったから今日でお別れだ! じゃあな!……言えるかあ!!
両親はどちらもオレの異世界好きを知っている。母さんなど病気扱いだ。父さんは自分がSF好きだから多少の理解は示してくれるが、だからと言って異世界行ってくるからさよならだ、なんて言ってみろ。どうなる事か……。
オレは家とは反対方向に進む。
あてはない。夕飯までどっかで時間をつぶそう。本屋かゲーム屋でものぞきに行くか。
「聞き分けのない人ですね、面倒くさい」
女のだるそうな声と共に、何かがオレの腰を締め付けた。
「!!」
ぎょっとして見ると、黒いベルトのようなものがオレの腰に巻きついている。
「ご友人とか恋人とかへの挨拶も大事ですけど、親御さんへのお別れはちゃんとしてた方がいいですよ。子供が先に亡くなる事程親不孝な事はないんですから。おまけに君は大事な一人息子ですもんねぇ、本当に申し訳ない……」
女はオレの家の場所だけではない。家族構成まで知っていた。
ぐいっと引っ張れられる。
黒い何かは細い癖に、信じられないくらいに力が強かった。踏ん張ってみたが無駄だった。みっともなく後ろに引っ張られるまま倒れこんだ。
ごつん
古典的だがそうとしか表現できない音と、頭に走る鋭い痛み。肩も打った。
いてぇ。マジ痛てぇ。
カバンも落としてしまう。
「てめえ何者だ!?」
オレを上から見下ろす女に問う。
家の場所を知っているといい家族構成を把握しているといい、ただの変人じゃねぇ。
「……ああ、そういえば自己紹介もまだでしたっけ?」
辺りは夕暮れ。赤い夕日が目にしみる。
女の顔は逆光でよく見えない。見えはしないが、きっと笑ってやがるとオレは確信している。この女はそういう奴だと、オレは悟っている。
「私はエレンフリート・ファーレンハイト。以後お見知りおきを、勇者様」
オレは全力で答える。
「断る!」
誤字訂正しました……恥ずかしい! 10/11/22