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「……ねーねー、さっきの話の続きなんだけど、」
どの話だ。
伏し目がちに、だが視線はきょろきょろと動き回り、落ち着かない様子の理枝がやや小声で言った。
「あのさ、仕事とか全部決まってるって、本当?」
「本当ですよ、昔程じゃないですけどね。魔術師の家に生まれたら魔術師に、神官の家に生まれたら神官に、料理人の家に生まれたら料理人になります」
「結婚相手も決まってるのよね?」
「はい」
「どうやって?」
「女神からの神託があるんですよ、生まれる前と、十二歳になった時に。それで決まります」
「生まれる前に!?」
声が大きい。そんなに驚くことか?
「あ、妊娠した時って事? それなら――」
「いえ、妊娠はしないです、こっちは」
「え」
「コウノトリではないですけど、こっちは神殿で赤ちゃんが生まれます。その時に一緒に――」
「えええええええ!?」
声でかい。さっきから、そんなに、驚くことか?
「なにそれ!? どういう事!? 本気で言ってるの!!??」
「本気も何も……ええ?」
身を乗り出す、その勢いに引いてしまう。
なに、そんなに変な事言った?
まあ確かに向こうでは、どの国でも神殿で子供を授かるという風習はなかった。コウノトリっていう鳥が沼から拾ってくる、っていう話が一番多かった。後はお腹に力を貯めた女性が専用の病院に行って、貰ってくるっていうやつ。それが妊娠だよね?
「え、じゃあじゃあ、ここでは、その、あの、お父さんとお母さんってどうやって子供作ってるの!?」
しもどろになりながら、しかし最後は早口で理枝はまくし立てる。
いや、だから、
「子供は、授かりものです。結婚して三百日経つと夫婦一緒に神殿にお参りをして、そこでご神託を授かるんです。そのご神託と一緒に赤ちゃんが――」
「で、出来たてほやほやの状態で?」
「出来たてほやほやって……料理じゃないんですから、なんですかそれ?」
「ええと、生まれたて直後の状態ってこと?」
疑問形で言われても……聞いてるのはこっちだ。
「家畜は、牛とか他の動物はどうなってるんですか? まさか樹に成ってるとか?」
唐突に瑠璃が口を挟んだ。本にしっかりと目を向けたままで、器用な子だ。
そんな、まさか植物じゃあるまいし。
呆れていると、理枝が同じよう呆れて呟く。
「瑠璃ちゃんは小説の読み過ぎ」
何か元ネタがあるんだろうか。コウノトリ以外は聞いた事が無いけれど、だとしても、だ。
「すみませんが、私は魔術師なので知らないです」
「ええ、なにそれ? 学校とかで習わないの?」
「魔術師ですからね、習いませんよ」
何度も繰り返しになるが、魔術師は魔術師以外のことには関わらない。向こうに行くまで料理なんてした事なかったし、肉や野菜をそのままの姿で、調理される前の姿で見た事なんてなかった。
「私達だって考えてみれば電気の作り方とか、知らないもんね。電話はどうして繋がるのかとか。それと一緒の事じゃない?」
「そ、そーぉ? 結構基本的な事だと思うんだけど」
「それは私達の常識。こことは違うんじゃないかな」
「それは……確かにね」
瑠璃の冷静な指摘に、理枝は折れた。
「そっか、確かにね、ここは異世界で、女神様が居たりするんだもんね、そういうこともあるかもね」
そして、一人納得する理枝。
……どういう事だ。気になるけど、でも、どういう事かと追求するのも気が引ける。私が馬鹿みたいだもの。……いや、実際に分ってないから、馬鹿なのか。
二人は私の本棚にある本を読み始め、私はぼんやりと、ただテーブルに座ったままぼけっと時間が過ぎるのを待った。
そうして、時間はゆるやかに過ぎていった。
父さんが目の前で、とても難しい顔して立っている。場所は書斎だ。
「……お兄ちゃんはどうしたの?」
先に口を開いたのは私だった。昨日から姿が見えなくなっていた兄を、その時の私は心配していた。
兄は変わった人だ。魔術師の家の長男のクセして魔力がほとんどない人で、それを補うように術の研究に熱心だった。
術の研究は、禁止されている。
向こうの世界に伝わる数多の魔法と違って、こっちの世界に伝わる魔術は一つだけで、その構造は単純だ。
魔術文字を魔力を込めて書く。
それだけで魔術は発動する。
もしくはあらかじめ刻んでいた魔術文字に魔力を込めれば、魔術は発動する。魔術文字に魔力が込められる時、その文字達は薄く発光しながら展開していく。
魔術文字は女神から与えられた物で、その意味は全く解明されていない。魔術師が魔術を行使する時は必要な術式を丸暗記。どういう文字を書いたらこういう術が発動する、と、ただただ丸暗記。
魔術式は何千と種類がある。類似性を見つけるのが阿保らしくなる程に、その数は多い。
向こう行って思ったのは、その魔術文字に似ている文字が多数あったこと。漢字、アルファベット、アラビア数字、ローマ数字に象形文字。
兄は、その魔術文字を分類し始め、それを父にひどく咎められていた。が、まあ兄は変人だから親の言うことなんか聞きはしない。
父と言い争う回数が増えて、昨日のは特に言い争っていた、と思い返していたら、
「……ギルベルトは家を出た。今からお前がこの家の後継者だ」
「……は?」
「神託も下った、お前に使命が与えられた」
「……それは、後継者として、ですか?」
「お前個人にだ。お前にしか出来ない使命だ」
――しかできない。
甘美な響きだ。
甘ったるくて酔いそう。
くらくらする。
くらりくらりと、周りの景色も回り出した。そのまま走って飛び出せそうで、走ったらきっと何よりも早いだろうと思った。
「……最悪」
そこで目が覚めた。
唐突に、すっきりと。
随分気分爽快な、すっきりした目覚めだ。だと言うのに気分は、言葉にすることすら煩わしい。
「……随分なご挨拶だね」
「!?」
「いや、当然の事なのかな? あれから三年、二人きりの兄妹だっていうのに、さよならだとか、これからの事を話す機会はなかったものね」
急いで起き上がって声の方を向くと、そこには兄がいた。それと、あの大男。勇者殿を攫っていった大男だ。
大男はドアの近くに立っていたが、兄はベッドの傍まで来ていて、私をじっくり見下ろして言った。
「……三年ぶりだというにはお前、育ち過ぎじゃないか?」
「! !」
人間、ビックリしすぎると、言葉が出ないらしい。私だけかもしれないけど。
「報告読んでないのかリーダー。三年ではなく十年、いや、十三年ぶりだろう」
「ああ、そうか。じゃあ十一で別れて、それから三年してから、また十年か。もうお前二十四になるんだね、ボクより年上じゃないか」
「!」
兄さんの何気ない一言に、まるで硬くて大きな、ゴツゴツした岩に頭を殴られたような、鈍くて鋭い痛みが走る。
兄さんは私の動揺なんか構わず、淡々と続ける。
「向こうはどうだった? 面白かったかい? 正直言うとね、ボクは何かの冗談かと思ったよ。お前は真面目だものね、使命に逆らうなんて思いもしなかった」
突き放されたように感じて、――しくてつい反論が口から飛び出す。
「……別に、逆らってなんか……」
ごにょごにょと、小さく、拗ねたみたいな。
「ん? もっと大きな声で言わないと聞こえないよ。ボクに聞いて欲しいんだろう、頑張りなさい」
クソ、上から物言いやがって! 畜生! って、思うけれど、身体は反応しない。びっくりうなだれたままだ。
兄さんはそれ以上何も言わない。
私の言葉を待っているんだろう、根気よく、何十分でも何時間でも兄さんは待つと決めたら待つ。誰に似たのか、頑固で融通がきかない。
「すまんが、そのような話をしに来たのではないだろ。リーダーよ、少しは危機感を持て」
堪りかねたのか、大男が口を挟んだ。
「いやね、つい。やっぱり妹って可愛いものだね」
「……」
大男は何も答えない。
私も言葉がない。苦々しく兄さんを眺める。
沈黙が下りる。
兄さんはしばらく私を見ていたが、やがてくるっと向きを変え、窓際に歩いて行く。
「……用件を手短に話そう」
窓際で、明後日の方向をぼんやりとした様子で眺めている兄さんは、カッコイイ。
「勇者殿がね、攫われたんだ」
「情けない話だ」
「全くだね」
「まあ、俺達に攫われた連中には言われたくはないが」
「エレンは関係ないだろう。エレンが本調子なら、この世界でエレンを止められる者はいないさ」
「妹馬鹿な発言にも程があるぞ」
「理論に基づく結論だよ」
「……で、いつになったら本調子に戻るんだ?」
「さて、そこが問題だ。この世界も枯渇しかけているからね、自然回復を待っていたら何十年もかかってしまう。しかしだ、エレンよりも燃費の悪い女神がまだ存在しているという事はつまり、まだ濃密に残っている箇所があるという事だ」
「どこに?」
「空だよ、決まっているだろう」
兄さんは窓を開けた。
兄さんは、外の空を見ていたらしい。
空を指で指しながら、私の方を向いて言った。
「お前、今から結界を食べておいで」
何でも無い事のように、いつもの調子で兄さんは言った。