表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

黄金の羊へと至る航路

作者: 速水静香

 その昔、地球上の約71.1%は海であり、水に満ち溢れていた。惑星上にある水上を航行する人工物を船と呼び、それら人工物を女性として扱う伝統が人類にはあったという。かつての未知の海という役目が、宇宙空間となった後も、その伝統は引き継がれていた。したがって、この時代においても宇宙開発に関係する物理機械らは「彼女」と呼称されている。


 人類の生息域が電子空間へ移行した結果、かつての人類という種が物理的には存在しないこの時代においても、人類は物理学的制約から完全に逃れることはできなかった。電子空間を絶えず拡張し続けるためには、ハードウェアである計算機の拡張が必要だった。拡張された計算機の集合体は、地球の地表を絶え間なく縫うように構築されていた。その高さは完全自動機械により無制限に拡張され続け、長い年月をかけて、かつて宇宙と言われた空間にまで達していた。


 地球を中心とした太陽系に構築され続けた計算機の集合体は、もはや惑星規模の構造物となっている。これら計算機が立ち並んだ惑星規模の超巨大構造物は、太陽を覆うように設置された人工衛星群からエネルギーを絶えず受け取り、電子空間を維持するためだけに、今も機能の維持、そして拡張をし続けている。


 この計算機の惑星と言える地球からの命令を受けて、私の意識のフォーマットが作成されつつあった。同時に、私の物理的身体はナノマシンによって自律的に作成されていた。


 超微細規模での設計と制御によって製作された物理的身体を持つ機械。


――――星系規模射撃統制機械。


 私の存在は、かつての船乗りの伝統の最先端を行くものだった。私は人類の女性のような姿として設計されており、強靭な高機能分子をベースに作成された白い肌の下には、瞬時に力を取り出せる人工筋繊維、反応速度を光速で制御できる神経インターフェース、そして、地球を覆いつくす超巨大構造物である計算機群と常に量子通信を行い、同期し続けるための各種通信装備や流体金属で姿を変える翼を思わせる推進機構があった。それらはすべて高度に一体化していた。


 長い淘汰の歴史によって得た、直立二足歩行を行う人類の身体の形状から強く影響を受けたデザイン。もし仮に、星系規模射撃統制機械を視覚的に見ることができた人類が存在していたのなら、北欧神話に出てくるヴァルキリーのような外見をしていると表現することだろう。しかし、私は神話世界の登場人物を再現するオブジェなどではなく、星系を超えた計算機拡張を行うために、必要な技術が凝縮された戦略機械だった。私の任務は、地球からおよそ12光年離れたおひつじ座ティーガーデン星bへ、探査用ナノマシンを着弾させることだ。


 ティーガーデン星bが、恒星間を跨いだ新たな計算機拡張の惑星に選ばれたのには理由があった。ティーガーデン星bはハビタブルゾーン内に位置しており、液体の状態で水が存在していた。また、重力も地球のそれに似ており、エネルギーが取り出せる恒星も存在していた。したがって、ティーガーデン星bは、およそ12光年という天文学的規模では近いということもあり、計算資源の拡張を行うために最適な惑星として選定されていた。地球を覆う構造物によって評価され、最終的に探査用ナノマシンを送ることが決定された。


 この時代において、天文学的な距離移動を行うための手段としては、加速器を利用して光速に近づける移動方法と、量子通信、あるいは量子テレポーテーションが存在した。量子通信と量子テレポーテーションの違いは、送る情報量や質量の大きさによるものでしかない。量子通信は情報という形でエネルギーや質量をやり取りするが、量子テレポーテーションは大規模なエネルギーや物資のやり取りが可能だった。ただし、量子技術には重大な欠点があった。初めての量子テレポーテーションを行うためには、受信先に量子通信設備を設置し、送信元と受信先のそれぞれの通信設備を確立しなければならない。そのため、テレポーテーションの受信先には一度、量子通信以外の手段で向かって通信設備を整備する必要がある。このため、長距離の移動には、これまで同様に膨大な時間が必要だった。


 今回の探査は、加速器を使用して光速に近づいた速度を出すことができるナノマシン――探査機と、その探査機より自律的に構築される探査構築物との量子通信という組み合わせによって行われる予定だった。加速器を使用して光速に近づけるためには、質量を極限までゼロに近づける必要があり、探査機はナノマシンが採用された。ナノマシンは探査のために設計された高度な自律性を持つ高機能分子で、加速器を使って射出され、目標惑星に着弾した後、自律的に量子テレポーテーションを地球と行うための通信基盤を構築するようプログラムされていた。


 探査構築物は地球との量子通信を行い、最初はゆっくりとだが、ナノマシンを使用しているだけあり、あるポイントから急激に拡張すると予想されていた。探査構築物は自動的に拡張され、同時に量子通信装置も拡張される。最終的には量子通信だけでなく、量子テレポーテーションによって地球とティーガーデン星bで情報や物資、エネルギーの相互融通が予定されていた。


 私の存在は、人類が必要とする計算資源の拡張を星系を超えて行うためのものであり、加速器の運搬手段、探査用ナノマシンの射出手段として物理的空間である構造物内部で作成されつつあった。構造物による指令によって物理空間に星系規模射撃統制機械として必要な情報と物理的な基盤の作成が完了した。物理的な基盤が作成された私は、その製造された場所である惑星級構造物の内部にその二本の足で降り立った。


 製造された私の次なる目標は明確だった。まずは、加速器を入手すること。加速器はナノマシンを光速に近づけた速度でティーガーデン星bに向けて射出するための重要な装置だ。次に、加速器を使って探査ナノマシンをティーガーデン星bへ射出するために決められたポイント、ラグランジュ点L2へ行くこと。最後に、ラグランジュ点L2からティーガーデン星bへナノマシンを加速器を使用して目標に着弾が確認されるまで射出し続けること。


 私を製造できるポイントはこの地球を覆う構造物においても限られていた。したがって、現在私のいるポイントは加速器のあるポイント、加速器を使って探査用ナノマシンを射出するポイントのいずれからも遠い場所に位置していた。ここから迅速に移動して、加速器を入手しなければならない。構造物との情報の同期により、加速器の位置、射出ポイントは、私が存在を始めたときからデータが共有されていた。まず、地球を覆う無機質な構造物から離れた地球の衛星に、加速器の保管施設がある。これは、かつての人類が建造したものだ。その施設へアクセスするため、量子テレポーテーションを行わなければならない。


 私が降り立った惑星級構造物の内部は、計算機とそれを覆う十分な強度を持った白い人工物によって構成されていた。その白い人工物は、メンテナンスや機器の接続を行うための通路であり、メンテナンスロボットの大きさに合わせて作成された大きさだった。通路は規則的な法則に支配された結果、フラクタルのように複雑に入り組んだものとなっていた。その規則正しく複雑な構造は、幸か不幸か、表面積を最大化するために複雑な構造をしている生体の構造と同様の法則に支配されていた。複雑な通路の内部には、入り乱れるように配置された配管によって接続されている機器群が折り重なるように存在していた。この惑星級構造物の中で量子テレポーテーションを行う設備へ行かなければならない。私は構造物を支配している基幹システムとの同期を設定する。


 残り15148km、推定時間109,065,593秒という表記が私の意識に飛び込む。これは、このペースで進んだ場合の単純計算であり、数学的な確率計算を含んでいない純粋な四則計算の結果だ。私の視覚を通して確認できる通路には所々に小さなメンテナンス用のロボットが壁を移動しているのが確認できた。彼らは私の存在には無関心で、かつてこの地に存在した昆虫を思わせるように、与えられた任務を黙々とこなしている。進んでいくと、私のセンサーが微弱な振動を察知する。これは惑星級構造物の異常などではなく、単純に私の近くで行われている建築作業の影響に違いなかった。メンテナンスを行うロボットは通路内を徘徊するものから、惑星級構造物の一角を全て作り変えることができるよう設計された超巨大なロボットまで様々である。その特徴的な振動周期を工事だと感知していた。特に異常も見られず目的地に向けて進む。


 量子通信装置へは各種の配管が集中していた。まるで灰色のオブジェのようだった。灰色のオブジェは、私が量子テレポーテーションを行うための設備だった。私はその装置の前に立つと、構造物を通して必要な情報のやり取りを行う。


『設定』

『アクセスを許可。対象:星系規模射撃統制機械 シリアル:A3B1C4D2E9F8A7B6C5D4E3F2A1B9C8D7E6F5A4B3C2D1E0F9A8B7C6D5E4F3A2B1C0D9E8F7』

『転送設定:187000g、月面座標系: 経度 63.4°E、緯度 1.55°N、高度 2.3 km』


 私は、加速器に一番近いポイントへテレポーテーション先を設定する。

 設定したのは、地球の衛星である『月』と呼ばれる天体だ。

 その月面は、かつての人類が宇宙開発の前線として最初に整備した場所であり、太陽系内における最初の量子通信ネットワークの要所として機能していた。

 そのため、地球と月面間の量子テレポーテーション経路は最も安定しており、数千年にわたる恒常的なメンテナンスにより完全な信頼性を持つシステムとなっていた。

 この経路は基幹システムと完全に統合されており、惑星級構造物の展開において最も初期に確立された量子経路のひとつだった。


 構造物を通した設定を終えると、装置を起動させた。


『転送準備完了。開始。』


 指示が終わると、私の内蔵システムがテレポーテーション過程の開始を検知した。その瞬間、私の視覚情報は真っ白になった。


 気が付くと、白い人工物に囲まれた空間であることには変わりなかった。しかし、確かに私は微妙に異なる通路に立っていた。基幹システムとの同期に成功したことで、量子テレポーテーションが成功したことが確認できた。ここが月面であることは視覚情報からは判別しづらいが、位置制御システムの情報は確実に、ここがかつて月面と呼ばれていた場所であることを示していた。周囲には相変わらずメンテナンスロボットがこの施設を維持するために活動していた。


 白い通路を抜けていくと、白い通路と連結された場所にかつて人類が使っていた自動ドアがあった。私は迷わずドアを抜ける。そこは広大な保管エリアだった。壁一面には様々な機械や装置が整然と保管されており、その中心には私の目的の加速器が置かれていた。もし、加速器を見ることができる物理的な人類がいたとすれば、これを黒いライフルだと答えるかもしれない。その加速器に合わせるように、私の身体は調整されている。また、その加速器の情報が私には与えられているため、直感的に使用方法を理解できる。


 私はゆっくりと加速器に近づき、手を伸ばしてその冷たい金属に触れる。接触した瞬間、基幹システムが微調整を行うために、私の射撃管制システムが同期を開始する。情報的な同期だけでなく、この惑星級構造物内に満ちているナノマシンによって、加速器は私の身体の一部として組み込まれるように改造される。瞬時に、ライフルは私の腕に取り込まれていく。


「加速器、同期完了。」


 私の内部システムと惑星の基幹システムが最終確認を終え、これで準備は全て整った。ティーガーデン星bへと探査用のナノマシンを射出する準備ができたのだ。ここで入手した加速器を携え、私は保管施設を出て行った。


 加速器を装備したことで、次の目的、ラグランジュ点L2へ向かうことになった。このポイントは地球と太陽の重力が相殺する地点であり、宇宙で最も安定した位置の一つである。ここからならば、計算資源を節約しつつ、目的地へ最適な軌道でナノマシンを射出することができる。


 かつて月と言われた場所から、ラグランジュ点L2までの距離は、リアルタイムの測定で149,128,342.7 kmだった。ラグランジュ点L2の周辺には人工構造物が一切存在しないため、量子テレポーテーションは不可能であり、そこまで行く手段は私の翼に組み込まれた推進装置を使用するものだった。つまり私は、ラグランジュ点L2まで宇宙遊泳をしなければならない。探査用ナノマシンが行うティーガーデン星bへの旅と比較にならない近距離だが、光速とは程遠い速度でしか移動できないため、ラグランジュ点L2への到着には198,238秒が必要だとされた。私の内蔵されたエネルギー機構は、構造物から無尽蔵に供給されているため問題はなかったが、時間がかかることには変わりなかった。


 ラグランジュ点L2に到達するまでの間、私は己の身体の各システムを確認し続けた。宇宙空間には遮蔽物がなく、極稀に宇宙線が私の中枢システムにエラーを生じさせる場合があった。もちろん私の身体は、宇宙空間での活動が想定されたものであり、十分な遮蔽と、惑星級構造物からのエラー訂正、バックアップが幾重にも用意されている。それでも私は、無機質ながらも完璧に制御されている自身の存在にエラーが生じないかを常に確認していた。


 太陽に向かって進むにつれ、天文単位規模で移動してきた星々の光を視覚的に確認する。星々の配置が変わり、新たな星座が確認できた。私のナビゲーションシステムは星座を利用して位置を精密に調整し、ラグランジュ点L2へと最短距離で進むルートを計算する。惑星級構造物からの同期が働き、わずかな軌道の偏差を修正していく。


 やがて、私はラグランジュ点L2に到達する。ここは重力の影響が極めて低く、ここからなら探査用ナノマシンの軌道計算を効率的に行うことができ、ティーガーデン星bへの旅も最も効率的に行うことができた。私は加速器の最終チェックを行い、ナノマシンが装填された状態を確認する。加速器から得られる情報、惑星級構造物での計算結果を量子通信を通して、私の身体はリアルタイムに同期する。その情報に従い、太陽の静止衛星軌道から得られたエネルギーが私の持つ加速器へ流れ込む。各種設定が最適化されていく様子が私にも認識できた。すべてが正常であることを確認し、射出の準備に入る。


 この加速器は、探査用ナノマシンを打ち出すために必要な光速の99.999999999%まで瞬時に加速して打ち出すことができた。私は射撃統制機械としてこの加速器と一体化してここに立っていた。


 すべてのシステムが二重三重のチェックが行われ、正常性が確認される。私と同期している惑星級構造物は、ティーガーデン星bへの最適な軌道、射出角度とタイミングの計算をリアルタイムで行っている。しかし、地球全体を覆う計算機がいくら計算を行っても、原理的に平均誤差半径(CEP)をゼロにすることはできない。それは三体問題やカオス理論などによる複雑系現象に起因するものだった。その問題に対して、原始的なアプローチを採用していた。CEPから着弾しうる回数を計算して、その回数よりも多くティーガーデン星bへ射撃を行うという方法だ。実際に着弾するまで、探査用ナノマシンを射出し続けることとなっていた。


 射出シーケンスが進行し、私は加速器に指令を出す。最も効率的な経路を選択するための計算を、地球を覆いつくす計算機が行い続けていた。そして、加速器は静かに、瞬時に光速まで加速させたナノマシンを射出する。光の速度に近い速さで飛び出すナノマシンは、ティーガーデン星bへ向かって宇宙空間を進んでいった。構造物と連動した私のセンサーは、射出されたナノマシンの軌道を追跡し、その進行方向が計画通りであることを確認する。


 私はラグランジュ点L2の安定した軌道に留まる。ナノマシンがティーガーデン星bに到達して地球に通信を行うまで、ここで任務を続けることになる。これには十数年以上かかるため、その間も探査用ナノマシンの射出を続けるのだ。探査ナノマシンが構造物を構築次第、同期は私にも送信される予定だ。


 私は次の探査用ナノマシンを構造物から受け取る。構造物から私に内蔵された量子通信モジュールによって、地球上の構造物からのナノマシンの転送は瞬時に行われた。私は射出を繰り返す。これはCEPの問題から導かれるもので、必要な試行回数は数千回に及ぶ可能性がある。しかし、私の任務は明確であり、着実にナノマシンを射出し続けることだ。


 射出が続く中、宇宙空間が私を包み込んでいた。無重力の中で、人工物が一切ない空間。加速器から放たれるナノマシンは、次々と光の速度に近い速度で撃ち出された。そして、宇宙空間へと消えていった。


 416,283,823秒が経過。私は、量子通信を検知した。


『転送設定:通信、RA: 22h 28m 24.837s, Dec: +15° 15' 48.25"』


 それは、ティーガーデン星bからの初めての信号だった。探査ナノマシンが着弾し、構築された探査構築物が地球との量子通信を開始したとの通信内容だ。地球との同期も同じ通信結果が得られた。私のシステムへ流れ込むそれらの通信は、すべて成功を告げるものだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ