「今度こそ君を守る」と聖騎士様が溺愛してきます。……私、あなたの名前も知らないんですが?
今をときめく聖騎士様は天の使いと見紛うほどに美しい方だ。
さらさら風に揺れる黄金の髪。双眸は淡く優しい木漏れ日の色。
逞しい肉体と強者だけが有する特有のオーラで、対面する者は圧倒されてしまう。それでいながら笑顔はとても柔らかで、存在自体が光り輝いてすら見えるのである。
そんな彼は、頻繁に王都のはずれの花屋を訪れる。
花屋の店主であるフィリッパは、初めて彼と出会い、聖騎士様であるということを聞き出した時はそれはそれは驚いたものだ。
騎士隊の中で最高位の聖騎士の称号を持っている彼であれば、花なんてもっと豪華で美しいものが手に入るだろうに。
(今日もまたご来店だ)
それまで水やりをしていたフィリッパは慌てて立ち上がり、髪を整えながら店先へ。
そこには、平民向けのこぢんまりとした花屋には似合わないほどキラキラとした青年がいた。騎士服を纏っているから、きっと業務中に立ち寄ってくれたのだと思う。
「こんにちは、フィリッパ嬢」
「いらっしゃいませー。ご来店いただき、誠にありがとうございます。どちらのお花にいたしますか?」
「君がおすすめする花を買いたい」
聞くだけで耳がとろけそうになる澄み渡った声は、乙女心にキュンキュンきてしまう。
赤くなりそうな頬を押さえて、フィリッパはなんとか真面目に接客に努めた。
「では、デルフィニウムなどいかがでしょう? 少々お疲れに見えましたので、フラワーセラピーで用いられるお花を選んでみました」
フィリッパが差し出すのは、五枚の花びらを持つ青紫の花。それをまじまじと見て、聖騎士様がこくりと頷いた。
「清涼感のある香りだな。ぜひそれをいただこう」
代金を支払われ、花を手渡したら、聖騎士様はすぐにくるりと踵を返す。
特別、雑談を交わしたりはしない。彼が店に来るようになって最初の頃は、「騎士様なんですか!?」とか「どんな花がお好きなんですか?」とか色々質問攻めにしたものだが、すっかり日常と化してしまったものだから呼び止める理由もない。
かと言って、彼がそっけないというわけでもないのだけれど。
「お買い上げ、ありがとうございましたー!」とそれを見送ったら、フィリッパの接客は終了だ。
彼に売りつけたのと同じデルフィニウムの前にかがみ込んで、ふぅ、と大きく息を吐く。
(……今日も格好良かったなぁ。なんであんな人が、私に構ってくれるんだろう)
思い返すのは聖騎士様の顔。
しかしすぐに切り替えて、フィリッパは業務に戻った。
フィリッパにとっての聖騎士様は、単なる常連客の一人。
そりゃあとんでもない美形だからつい見惚れてしまうし、眼福だな、くらいには思うけれど、それ以上でも以下でもなかった。
でも、どうやら聖騎士様はというと、フィリッパをただの花屋の店主として見てくれていないらしいのだ。
だって普通はただの花屋の店主の小さな危機をいちいち助けたりなんてしないだろう。
例えば、希少な花を手に入れるために登った山で遭難した時とか。
例えば、うっかり路地裏に入ってしまって、物盗りに遭ってしまった時とか。
例えば、足腰が弱くなって来られなくなった元常連客な老人に花を届ける途中で馬車に轢かれそうになった時だとか。
フィリッパが困った時、危ない時には必ず聖騎士様が現れる。
必ずだ。とても不思議なことに、必ず、現れるのだ。
そして今日もまた、花屋からの帰り道で助けられてしまった。
道に転がっていた大したことのない小石に躓き、転びそうになったフィリッパ。彼女の体は地面に激突する直前、ふわりと優しい感覚に包まれた。
「大丈夫か、フィリッパ嬢」
「…………あっ」
「たまたま見かけたもので、駆けつけずにはいられなかった。抱き止めるような形になって申し訳ない」
誰だろう、などと考えるまでもない。
フィリッパの常連客の一人、美貌の聖騎士様だった。
前に助けられた時も、その前も、その前の前も、『たまたま』と言って誤魔化されてしまっている。
しかしあまりにも不自然だ。こんなに繰り返されて『たまたま』なんかじゃないに決まっているのだから。
「どうして――」
こんなところに、と続けたかったのに、思うように言葉を紡ぎ出せなかった。
聖騎士様の微笑のせいである。あまりの美しさに目を奪われ、何も言えなくなってしまった。
「『今度こそ君を守る』、そう決めたからだ」
熱のこもった言葉、触れ合い、まっすぐな眼差し。
まるで恋人に向けるそれだ。そこにほんの少し混じる悲しげな色を見ながら、フィリッパは思う。
(守るなんて言われましても、私、あなたの名前も知らないんですが?)
そう。フィリッパは、彼の名すら知らない。
聞き出したのは聖騎士様という役職と、好きな花だけ。帰り際に質問攻めにした際、「赤い薔薇が一番美しいと思う」と答えてもらった。
その他については本当に何も知らないのだ。
なのになぜ、ここまで助けてもらえるのかわからない。
フィリッパが鈍臭いからだろうか。……それもあるだろう。でも、それだけではない気がする。
(溺愛、されてるみたい。おとぎ話に出てくるお姫様みたいに)
そんな馬鹿なことがあるものか。
けれども、どうしても聖騎士様から向けられる熱は冗談や嘘には思えなかった。
困惑するしかない。何せ相手は聖騎士様だ。花屋で店主と客として接することしかない間柄なのだ。
どこで惚れられる要素がある? 薄紅の髪に薔薇色の瞳をしているフィリッパは「可愛い」とお世辞まじりに言われることはよくあるが、この国で最強の人なら、もっと麗しいお嬢様がたにたくさん出会うことができるはず。
血筋は平民だ。親が実は没落貴族の娘で……なんていうこともない。巨大な商家と繋がっているとか、そういうコネもない。無い無い尽くしのフィリッパのどこに惹かれたのだろうか。
そこまで考えて、聖騎士様が先ほどぽつりと漏らした『今度こそ』という言葉がやけに気になり始める。
彼は、かつてフィリッパを守れなかったことでもあるのだろうか。両親を早くに亡くしているものの、別にフィリッパ自身に不幸が降りかかったことはないのだが……。
「やっぱりわかりません。どうしてなんですか」
「わからなくて当然だ。当然、なんだ。――君はわからないでいい」
言葉は突き放しているかのようなのに、その声はとても優しくて、胸が締め付けられる思いがした。
結局何も明確な答えは得られない。むしろ謎は深まるばかりだ。
「そろそろ行かなくては」と急に聖騎士様が立ち上がったものだから問い詰めようにも間に合わず、ただただ彼の後ろ姿を見送った。
(本当に何なんだろう、あの人)
首を傾げながらも、嫌な気はしない自分が心底不思議である。
それからもずっと、聖騎士様とのなんとも言えない関係は続いた。
花屋を訪れる彼に笑顔で接し、時には危機を助けられる。
「好きだ」と告げられたことはない。
「愛している」と囁かれたこともない。
すぐどこかへ行ってしまうから、名前さえ聞き出せていないままだ。
それでもフィリッパは日に日に彼に溺愛されている自覚を強めていった。
窮地を救われる度、店で顔を合わせる度、胸中を占める割合が大きくなっていく聖騎士様の存在に、もどかしさを覚え始めた。
(こんなの絶対おかしいのに)
彼を目の前にすると、懐かしさを抑えられなくなる。
大きな掌で甘やかすように頭を撫でてほしい。跪いて、いつものように手の甲に口付けてほしい。
気づけばそう考えている自分が恐ろしくなった。
そのような接触をした記憶はどこにもない。どこにもないのに、確かに在った気がする。
(気のせい、だよね)
しがない平民が騎士に仕えられるなんて夢のまた夢。
きっとフィリッパの妄想だ。
「フィリッパ嬢、どうしたんだい。もしかして何か不安なことが?」
「いえ。心配事も、不安もありません」
聖騎士様以外は。
「それなら良かった。もし何かあったら、すぐに教えてくれ」
聖騎士様ならどんな心配事でも取り除いてくれるのだろう。
フィリッパのいかなる願いでも叶えてくれるのだろう。
「――まったく。私の騎士様はお優し過ぎるんですから」
意図せず口から漏れた呟き。
それを受けてハッと目を見開いた聖騎士様は、はくはくと唇を開閉し、普段の朗らかさからは想像できないほど頬をこわばらせて。
突然、ぎゅっ、と強く強く抱きしめてきた。
まるで、恋しい相手を離すまいとするように。
唐突な触れ合いに、全身がかぁぁぁと一気に紅潮してしまう。
すぐそこまで整った顔が近寄せられ、熱を帯びた吐息が届き、逞しい両腕が自分の腰に回されている。あまりにも刺激が強いし、名前も知らない相手にこんなことをされていると思うと恥ずかし過ぎた。
フィリッパはふらりと意識を失うと、聖騎士様の胸の中へと倒れ込んだのだった。
店先でそんなやりとりをしたせいで道ゆく人に目撃され、一瞬で街中の噂になるとは想像もしないままに――。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
危なかった。
本当に危なかった。
我に返った聖騎士は、意識の抜けた少女――フィリッパ嬢の身を、近くの公園のベンチに横たえさせる。
まだ明るい時間だ。遊ぶ子供も多いから、安全だろう。
『聖騎士様が女性を見初められた』だの何だの外野がうるさいので、彼女を残してさっさと退散しなければならない。けれども名残惜しくて、最後にフィリッパ嬢の顔を覗き込んで見た。
「相変わらず、愛らしい寝顔だな」
ぽつり。
本人が聞いていないのをいいことに、小さく独りごちる。
誰も思わないだろう。こうして無防備に眠っているフィリッパ嬢が、癒しの乙女と呼ばれる聖女だなんて。
聖騎士は騎士隊の中の最高位。そして、五十年に一度現れるとされる聖女を護るのが役目だ。
先代の聖女が儚くなってかなりの年月が過ぎた。新たな聖女を探し出せとの国の命令を受け、毎日騎士たちはせっせと働いている。
そんな中、フィリッパ嬢を知っていながら黙秘するのは裏切り行為もいいところ。
でも、聖騎士は知っていた。
フィリッパ嬢が聖女になったあと、悲壮な運命を辿るのだ。
歴代聖女の中でも特に治癒の力が高く、多くの民に救いを与えられるフィリッパ嬢は、各国から求められた挙句に戦争の火種となる。
戦場に立たされ、兵士を癒やしながら「私が原因で人が傷つくのは嫌だ」と泣いて。やがて、自ら命を絶つ。
たとえ戦争を回避したとて、その功績を讃えられ、酷使されるようになる。行き着く先は食事も睡眠も取れず心身ボロボロになっての衰弱死。
なぜそんな目に遭わなければならないのか、彼女に仕え、誰よりも彼女を知る聖騎士にはわからなかった。
フィリッパ嬢は純真で無垢で、何より、ごくありふれた花屋の少女に過ぎないのに。
彼女が話す花の知識が好きだった。
「あなたの御髪は向日葵みたいで綺麗ですね」とか、「花言葉は『光輝』なんですけど、ピッタリだと思いません?」とか。
疲労や不眠に悩んでいる時、疲れに効く花や眠りやすくなる花などを見つけては摘んで、「いつも世話を焼いていただいているお礼です」とにこにこ差し出してくれる優しさも、愛おしかった。
お返しに薔薇の花を贈ったら、驚いた顔をしながら喜ぶ様が、とても可愛かった。
傍に在るだけではフィリッパ嬢の心身の支えにはなり得なかった。
力不足を何度嘆いたことか。血が出るほど喉を掻きむしり、涙を流して絶叫した記憶は数知れないけれど。
――それでも、彼女を幸せにしたい。
すでに聖騎士は同じ時間を年単位で何度も何度も何度も何度も繰り返している。
彼女のためなら、禁忌の秘術なんていくらでも見つけられた。彼女が死んで色褪せた世界は無価値だから、容易く捨てられた。
目指すのは彼女が心置きなく笑っていられる世界。
聖女にならず、花屋として健やかに過ごしてくれればそれでいいと思う。
彼女の心のどこかに、なかったことになった未来の残骸が残っていたとしても。
「欲を出してはいけないだろうが」
『私の騎士様』と呼ばれて、理性が弾けそうになった。
うっかり抱きしめてしまった己の愚かしさを悔やみ、固く固く唇を噛む。
聖騎士は聖女を護る者。
今の務めは、秘密裏に彼女の平和を脅かすものを遠ざけること。それ以上でも以下でもないのである。
過干渉すれば、国にフィリッパ嬢が見つかってしまうかも知れない。たった今、彼女を抱擁しただけでもあらぬ関係の噂が立ってしまったくらいなのだから。
「明日、謝りに行こう」
花を買いに訪れた風を装って。
昨日のことはなんでもなかったのだと、そう笑って。
お読みいただきありがとうございました!
いかがだったでしょうか。激重を目標に書きましたので、ヒーローの愛が重いと感じていただけたなら幸いです。
余談ですが聖騎士ヒーローのモチーフである向日葵の花言葉は、『光輝』の他にも『あなたを見つめる』『情熱』などあります。
ちなみにフィリッパのモチーフ、薔薇の花言葉はシンプルに『愛』や『美』などで、色によって様々です。
花言葉っていいですよね。