1章 夢見人
30歳になる航は、引きこもり8年目のベテランだ。家に篭り、人から隠れて生きることに関しては慣れたものだ。
そんな風に自虐的にでも言わなければやってられないほど、この引きこもり生活に飽き飽きしてる。当然だ。毎日夜通しゲームをして、それ以外は寝るかご飯を食べるかしかないのだから。
しかし、航も生まれてこの方こういう生活をしてたわけではない。少なくとも、大学を卒業するまでは。
地域のトップ進学校に入り、大学は浪人したものの、それなりに名の知れた都内の中堅私立大学に入った。運動も勉強も、そこそこそつなくこなせていたし、友達も少なくはなく、むしろクラスの中心メンバーの1人で、リーダー的存在ではないが、その補佐役といったポジションにはいることができた。
なので、それなりに自尊心も満たされ、就職も「普通に」はできるだろうと思っていた。
しかし、就活の蓋を開けてみれば、連敗に次ぐ連敗。志望していた企業は軒並み落ち続け、春から始まった就活は1年経っても終わらず、次の年の秋くらいまで粘り、それでもどこにも採用されず、最終的に、保険にと受けていた中小企業すら落ち、自分が大したやつじゃなかったという現実に突き落とされ、そこから一気にやる気が失せた。
気がつけば、就活のために大学も留年し、それでも功をなさず、結局その年卒業を迎え、友達はすでに働き始め、初任給の喜びも味わえないまま、都落ちし、そこからは20年近く慣れ親しんだ自分の部屋を再びセーフスペースとし、社会に干渉されないまま、時間を無視し続け、気がつけばあっという間に三十路という、あの頃は絶対的に「おじん」だと感じてた年齢に達してしまった。
それでも、この男は自尊心だけはやたら高いのだ。
「俺は成功するに決まってる。俺は中堅私立大学まで出てるんだぞ。大学を行きたくても行けなかった奴らよりは上だ!今はまだ力を蓄えているだけ。きっと今年中にいいことがある。今考えてる漫画がヒットする未来が見える。それをより良いものにするためにも、今はゲームや漫画を研究してるんだ。俺の時間は無駄じゃない。きっと金があったからやってくる。何なら恋人だってやってくるのさ!」
と、毎年のようにそんなことを言うのだ。でも、頭の中で考えるだけで、それを作品として作り上げたことなどない。結局、行動が伴わないのだ。夢だけが膨らむ。そして、夢のまま終わるのだ。誇れるものも、その中堅私立大学卒業という、火に配て暖を取るくらいしか役に立たない学位証だけ。何とも情けないおじんである。
「くそ、今日も気分が悪い。またゲームをやって、通行人を襲いまくってやる。俺はどうせアウトローよ!」
選択肢が無限に存在するオープンワールドゲームで、ひたすら悪人を演じる。漫画の参考になどしたことがどれだけあるのだろうか?映像やストーリーを研究するなど、これも書き残すことは面倒で、頭でひたすら考えるだけ。それも、一時だけのことで、熱中するうちに、ゲームの世界に没頭する。もはや、そこには研究者ではなく、ゲーム廃人しかいない。
「どけどけ!そんな所にたむろするんじゃねえ!撃ち殺すぞ!」
このアウトローは、自由な意思を持たない人間たちにだけ強気に出て、そして行動するのだ。そんな時間が、彼にとっては精神的な安定であるのも事実だ。辛い現実を省みる必要はない。まさに最高のセーフスペースだ。
「ああ、今日は100万ドル稼いだぜ。これを今度は賭け事に使ってやる!」
普段は100円以上のものでも高いと思うような金銭感覚なのに、ゲームの中では1億など端金だ。宵越しの銭など持たん。一気に稼いで一気に使ってやるのが粋ってもんさ、などと陽気な鼻歌を歌いつつ、頭で考えるのだった。
現実でない夢の世界で、航はひたすら理想の人間になれるのだ。この夢見人が見る夢の世界を、これからお話ししていきたいと思う。