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空っぽ聖女と完璧聖女(♂)

作者: イシクロ

 世の中というのは不平等だ。

 どれだけ努力しても勝てない天才がいる。――ということを、ブランは聖女候補生として神殿に入ったところで思い知った。




 日課である図書館での勉強を終えたときにはすでに夜も深まっていて、就寝時間に遅れないようにとブラン・レミニアは足早に廊下を歩いていた。


 ここは聖女育成機関。

 二十年ごとに聖女が代替わりする直前に、国の各地より素養のある者が集まり候補生として修行している場所だ。


 聖女は聖樹の守護者として、その力を用いて魔獣やその他の脅威から国を守る役割がある。もちろん、聖女になれるのは三十余人からなる候補生の中の一人だけ。


(部屋に戻ったら修行内容の復習と明日の予習をして……)

 俯き加減で早足で歩きながら、ブランは分厚い本と羊皮紙を抱きしめた。

 今は夕食後の自由時間だ。他の聖女候補たちはそれぞれ好きな場所で好きなことをして過ごす。長いようで短い修行生活の中で気の置ける仲間を見つけることもあるが……ブランにはそんな余裕はない。


「っ」

 考えごとをしながら歩いていた足が誰かの足にひっかかり、ブランはその場に倒れた。


「あらいたの。地味すぎて見えなかったわ」

 聖女候補生の一人が突き出していた足を戻してくすくすと笑う。

 そばにいる子たちも「いい気味」と笑いながら去っていく。その美しく手入れをした後姿を見ながら、ブランは廊下の窓ガラスを見た。


 映るのは、眉間に皺を寄せて仏頂面をした、そばかすが浮く可愛げのない自分の顔だ。手入れもしていないボサボサの茶色の髪をひとつにくくっている。


(……聖女になれないからって、諦めて見初められようとしているあなたたちと、私は違う)

 苛立ちを胸に小さく息を吐いて起きあがろうとしたところで白い手が差し出された。


「大丈夫? ブラン」


 軽やかな声がして顔を上げると、そこには金の長い髪をした愛らしい『女性』がいた。


 綺麗な髪が小首を傾げる動作で光をまといながら揺れる。神様が丹精込めて作った人形としか思えない造形のその人は、切れ長の目を細めた。


 聖女候補生の一人、トリシア・マリスだ。十六歳のブランより三つ年上のその人の体からは聖女に相応しい神聖魔力が溢れている。


「今日も麗しいわトリシア様」

「ええ、あの方こそ聖女に相応しいわね」


 周りはトリシアを見てひそひそと言葉を交わした。

(そんなこと、……)

 差し出された手を前に動かないブランを見て、トリシアがそっと腕を掴もうとした。


「――触らないで!」

 手を振り払って一人で起き上がる。

 そこでトリシアが他の聖女候補生たちに囲まれた。


「そんな人放っておいて、力の制御について教えていただけませんか」

「祭事についてわからないことがあるのですが!」


 声を後ろに聞きながら歩き出すと「ブラン、待って」と、きらめくような笑顔のトリシアがこちらに駆け寄ってきた。


「一緒に行きましょうよ、同室でしょ」

「結構です」

「……だめ?」

 低い声がささやく。

 思わず顔を上げるとトリシアの目が光った。小鳥のような、と形容されることの多いその緑の目。今のブランには猛禽にしか見えず、だらだらと汗が流れる背中にトリシアが手を置いた。


「ごめんなさいね、質問はまた今度」

 完璧に微笑むトリシアを前に、聖女候補生たちはうっとりと頬を染めた。


(こ……――この人、男なんです!)

 そんなブランの心の叫びはもちろん誰にも聞こえるわけがなかった。


 



 部屋に戻ったところで背中から手を離したトリシアはベッドに座り、ぎこちなく視線を逸らしたブランの顔をのぞきこんだ。

「そんなに警戒しなくても」

 先ほどまでの『美女』の雰囲気のままトリシアが肩を竦める。そしてブランが抱えている本を彼女――彼が見た。


「今日は何を勉強してきたの?」

「……」

「同室のよしみじゃない」

 震えながら羊皮紙を渡すと、トリシアが髪をかきあげてそれを眺めた。すらりとした顎に置く手も、真剣に文章を読む顔も整い過ぎて本物の人形のようだ。

 聖女候補は成績順で二人ペアで部屋が分けられている。今、トリシアとブランは同室だ。


 成績は、ブランがトップ。


 ブランとトリシアは神殿にきてからずっと二人部屋だった。

 ――よろしくね、ブラン。

 初めて会ったとき、そう笑顔で微笑んでくれたトリシアに憧れなかったといえば噓になる。ぎゅっとブランは腕を握った。



 彼を男と知ったのは数ヶ月前。

 珍しく起床時間に起きないトリシアに近づいたのが間違いだった。

 カーテンの隙間から見えた胸元に……あるべきものがなかったのだ。

(お、おとこ……っ?)


 そのときの衝撃といったらない。ブランよりも美しいけれど、男。確かに背が高いし女性にしては身体がかっちりしているなと思っていたけれど。


(聖女候補生が男でいいの!? ――っ)

『ひ!』

 そこで音もなく起き上がったトリシアに腕を取られて悲鳴が出た。そのまま引かれて抵抗もできないまま、ベッドに仰向けに押し倒される。

 上にのしかかったトリシアはいつもと違い、眼光鋭い目でブランを見下ろした。寝起きの気だるげな雰囲気のまま長い金髪をかきあげたトリシアが口を開いた。


『――見た?』

『何も!』

『それは言ったも同然だよ?』


 その唇から出る低い声は、どう聞いても男性のもの。


 二人部屋の中で押し倒されながらブランの頭をいろんな考えがよぎる。

 歴代の聖女が男だったことは、もちろんない。このことをブランが神官に告げ口すれば、トリシアを機関から追い出せる。

『条件』

 顔を近づけたトリシアが耳元でひそりとささやいた。

『成績で君を追い越さないから、このことを内緒にしていて』

『……あなたは、聖女になる気はないの?』

『うん。二番目がいいんだ』

 軽い言葉とともに拘束がゆるむ。

 肯定はブランにとってはありがたいはずなのに、胸に湧き上がったのは喜びよりも怒りだった。


『私は、一番(せいじょ)になりたい』

『わかっているよ』

 トリシアが肩をすくめた。

『だから交換条件。君ならともかく、俺を追い越さなければ聖女になれないなら諦める子も多くなるでしょ』

『……』


 うさんくさい。


『俺の秘密をバラすなら、君の秘密も道連れだ』

『っ』

 その言葉にぎくりと身体を震わせたブランの服の上から大きな手が滑った。

『もしくは……聖女サマの条件は純潔だろ、ここで奪ってしまえば――ごふっ』


 思わず出た膝が、彼のみぞおちに綺麗に入った。拘束が緩んで慌てて距離をとる。

『いったた……冗談……いやまぁ割と本気だけど』

『男がなんのために聖女候補に?』

『秘密』

 両手を揃えて手の前に置く。こてんと首を傾げる動作はどう見ても可愛い少女だ。


『君は一番になりたい、俺は二番になりたい。それなりに利害が一致すると思うよ』


 少し考える。

 確かに、利害は一致している。ブランにしてみると条件が良すぎるのが気にかかるが……。

 警戒の視線を向けながら頷くとトリシアは微笑んで手を差しだした。


『あと数ヶ月、よろしくね』

 ブランはその手を握らず、本を持って部屋を後にした。




 部屋は同室だがトリシアは正体がバレてもいつも通りだ。部屋の中にはカーテンを引いて、ブランの領域には入ってこないよう徹底させた。


(まったく何を考えているか読めないけど……まぁいいわ)


 トリシアの正体を知ったときのことを思い出して息を吐いたブランが顔を上げる。


 目の前にあるのは、神殿の中心部に生えた聖樹の姿。高い天井から落ちてくる光に、その姿をさらしていた。


 何百年も前から神聖な気をまとう樹。白い幹と黄金色に輝く葉は神々しい。――まるで誰かのようだ。


「聖女の勤めとは……」

 その聖樹を前にして現聖女が講義をする。

 心の在り方、振る舞い、儀式のこと。もうすぐ役割を終える彼女は、聖女候補たちを前にして母親のような慈しみの目を向けていた。二十年の長きを勤めた現聖女は国中の者に愛されている。


(私も、ああなれるのかしら)


 そんなところ想像もできない。

 いつも通り講義を終えるとトリシアが話しかけてきた。

「一緒にご飯に行きましょ」

「……悪いけど」

「だめ?」

「っ」

 今までなら断って図書館に行っていた。しかしトリシアの目が猛禽のように光ったのを見てしぶしぶうなずく。

 最近妙に距離が近い。


 嬉しそうなトリシアは隣に並ぶと、軽くメロディを口ずさみながら歩を進めた。


 陽光に輝く彼の歌声に誘われたのか小鳥が窓辺にやってきて、トリシアの肩に乗った。

 その光景を見ていたブランの視線に気づいて、こちらに顔を向けたトリシアが微笑む。

 ふわりとまるで宝物を見るような表情に思わずどきりとしてしまった。

「な、なに?」

「ふふ、こい……いや友だちみたいだなって思って」

「とも……っ」


「トリシア候補生、ブラン候補生」

 そこで後ろからおっとりした声がした。振り返ると、聖女がひらひらと手を振っていた。

「聖女様」

「二人とも頑張っているわね」

 そう言って聖女がじっとブランを見る。

「お母様にそっくり。懐かしいわ。あなたのお母様や、皆と修行した日々が」


 ブランの母は二十年前の聖女候補生だった。


 最終成績は三位。地方の神殿に勤めたが貴族に見初められて妻となり今は贅沢な暮らしを送っている。

 けれど、母はことあるごとに現聖女への恨みを語った。実際どのくらい違いがあったかは開示されることはないが、母の言い分では一位と三位までにはほとんど差はなかったと。


 ほんの少し、何かが違えば自分が聖女だったかもしれない。その諦めきれない夢を彼女が娘に託したのは当然の流れだった。


 母はブランに聖女候補中にあった出来事、修行内容、知識をすべて教え込んだ。文字通り寝る暇も食事の時間も与えないで。

 もちろん内容は二十年前と全て同じではないが、国の大事な行事に改革はそういれられない。ブランが一位を保てているのは、母からの入れ知恵があるからだ。


 だから他の候補生がブランに対して苛立っているのはわかる。母からは聞かれても絶対に試験の内容は言うなと言われていた。


「母も……聖女様に会いたがっていました」

「まぁ、勤めを終えたらぜひ会いたいわ」

 おっとりとした彼女は微笑んで、聖樹の元へ戻った。


「……やっぱり、私ご飯はいいや。勉強してくる」

 トリシアに言ってその場を離れた。


「いいわよね、ズルができて」

「前回の候補の試験を知れるのですもの」

 その様子を見ていた聖女候補たちがひそひそと話しているのが聞こえた。

 そんな声を後ろにいつも通り図書館に向かった。


 そっと腕をさする。

 もし聖女になれなければ、母は決してブランを許さないだろう。

 そこにある鞭の痕がブランが怠けることを許さない。他の聖女候補と交流する暇などない。


 成績は相変わらずブランが一番だ。約束は守られている。


 ぎゅっと手を握った。できればもう一つの秘密がバレる前に、最終試験を終わらせてしまいたかった。

 数日後に行われるそれで聖女がようやく決まる。

 すでに三位とは差が開いていて、ひっくり返ることはない。


 絶対的な一位、それに次ぐ二位。そこでふと、試験を前にして母はどんな気持ちだったのだろうかと思った。


 同時に――前回の二位はどんな人だったのかと初めて疑問が湧いた。


 呼んでいた本を閉じて図書館を巡ってみる。歴代の聖女候補の一覧など記録に残っていないだろうか。当時の新聞などにも目を通したが極秘扱いなのかその名を探すことができなかった。


(きっと王宮かどこかに仕えているのね)

 どんな気持ちなのだろう。もしかして、ブランの母と同じように聖女を憎んでいるのだろうか。

 トリシアは……試験が終わった後、どんな感情をブランに抱くだろう。


 そこまで考えて首を振った。どうせいつも通りほわほわ笑っているのだろう。何せ自分でニ位を渇望している男だ。

 ブランのもう一つの秘密も、おそらく知ったうえで。


「ブラン候補生」

 そこで声をかけられた。振り向くとそこには聖女候補の総責任者である神官長がいた。

「今日も頑張っているね、何か気になることはないかい」

「……」


 聖女候補に男が紛れています、という言葉が喉まで出かかる。


(言いたい……!)

 しかし、もちろん飲み込んだ。


「と、特には」

 顔が引き攣るのは仕方がないだろう。

「ブラン候補生、いつも素晴らしい素養と努力を見せてもらっているよ」

「恐れ入ります」

「聖女としての素質を見る最後のテストについてなのだが……」

 そこで神官長が一歩近づいた。ブランの肩に手を置く。

 夕暮れの図書館には誰もいない。神官長の表情が陰に隠れて見えなくなってしまう。そこで彼が口を開いた。


「――わざと、トリシア候補生に負けなさい」

「え」


 固まったブランを前に、言葉が続けられた。

「聖女としての君の力は十二分にわかった。だからもう頑張る必要はない。それよりも、君に足りないもののほうが気がかりだ。わかるかい? 謙譲と慈愛の精神だよ。それを見て総合的に判断させてもらう」

「で、でも、それは……」

 背中に冷たい汗が流れる。

 こんな風に試されることなど、母から聞いていない。


 当たり前だ、母は聖女ではないのだから。


(わざと負ける? でもそうしたら本当にトリシアが聖女になってしまうのではないの?)

 

 聖女になれないのでは、という不安が押し寄せる。

 そうしたら、母は何と言う?今度は何日狭い仕置き部屋に押し込められるのだろう、何度も何度も鞭でぶたれて……。

 青ざめて言葉が出ないブランの背中を、神官長は叩いた。

 そして揺るぎない口調で念押しをした。

「わかったね」


 なんと返事をしたかもおぼつかないまま部屋に戻ると、机で本を読んでいたトリシアがこちらを見た。

「何かあった?」

「……別に」


 本を自分の机に置く。

 そこで大きな手が視界に入った。額に置こうとしているのだと気づいて思わずその手をはじいた。

 ひやりとした指が額に触れたのはほんの一瞬。上を見るとトリシアが困った顔をしてブランを見返した。


「触らないで!」

「熱をはかろうとしただけだよ。もうすぐ最終試験でしょ」

 喉がひくりと鳴る。

 

 トリシアはただ心配そうな表情だ。


 ズルい手で一番になっているのはわかっている。でもブランは聖女にならないといけないのに、この男に負けないといけなくて。けれどもし、ただそれが神殿が、この人を聖女にしたいがためだけだったら?


「悩みがあるなら聞くよ?」

 首を傾げるしぐさだけでも彼はどうしてこんなに可愛らしいのだろう。


 男ということを差し引いてすら、どう見ても聖女にふさわしいのはトリシアのほう。


 けれど意地を張って負けなければ、ふさわしくないという口実を上層部に与えてしまわないだろうか。どうするのが正解なのか。


「……消えて」

 言葉とともに涙がこぼれた。

「……」

「男がどうして聖女候補になってるの、どうしてそんなに……っ」

 ブランには何もないのに。

 聖女候補の一番がゴールではない。聖女になればもちろん、国の行く末を担っていくことになる。それにふさわしいのは誰かなんて、ブランですらわかっている。

 なりたいわけではない。母が怖いから、指示に従っただけだ。


「っ」

 ただ己が惨めで、その場にいたくなくて逃げ出した。


 トリシアから離れられればどこでもいいと思っていたのに、気づくと足は神殿の中心に向かっていた。祈りの時以外立ち入り禁止のはずの扉が、少しだけ開いていて、思わずそっと中に入る。


 見上げる聖樹は今日も美しい。幹に手を伸ばしたところで扉の向こうから声がした。はっとして思わず後ろに隠れた。


 入ってきたのは、神官長と聖女だ。


「……やぁ、この時期が来ましたね」

「ええ。成績としては、ブラン候補生でしょう?」

 聖女の言葉に神官長が首を振った。

「残念ながら、今回はトリシア候補生に聖女になってもらわなくては困ります。そのために彼女には釘を刺しておきました」

(やっぱり……)


 どう頑張ってもブランは聖女になれない。


「トリシア候補生は目立ち過ぎましたからね」

(? ……――っ)

 しかし続く言葉に首を傾げたブランは、ふと足元を見て息を呑んだ。


 今いるのは近づくことを許されなかった聖樹の裏側。

 その白く輝く根が少しだけ地面から露出しているところに人の頭蓋骨が見えた。悲鳴が出かけた口を慌てて押さえる。


「まさか二番目の候補生が聖樹の生贄になるなんて、皆思いも寄らないでしょうね」

 そう呟く聖女の声は、いつもの慈愛に満ちたものではなく笑みを含んだ人間的なものだ。


「一番は誰もが覚えている。だが、敗者の二位など誰も見向きもしない。そういう取り決めでしょうが、今回はトリシア候補生が目立ち過ぎました。彼女が今いなくなれば騒ぎが大きくなります。ブラン候補は惜しいが……」

「いいえ」

 聖女が息を吐いた。


「母親に言われるがまま主体性がない空っぽのあの子は、聖女にはふさわしくありません」





「次代の聖女はトリシア候補生です」

 聖女の穏やかな声にわっと歓声が湧く。


 修行を始めてからずっと二位に甘んじていながらいつも穏やかな彼女が最後に勝ったのだ。候補生たちは名前を呼ばれたトリシアに惜しみない拍手を送った。


「――」

 その中で、トリシアは呆然としながら周りを見ていた。


(まさか計画が漏れてたのか? ……それよりブランは)

 人ごみの中にその姿を探す。いつもうつむきがちだが、本当は可愛い顔を髪で隠している子を。

「当然よね」

「ズルなんてないもの」


 周りの声に舌打ちしながら、訂正の時間ももどかしくその姿を探した。そしてようやく、端にいる姿を見つける。

 拍手をしている彼女は一瞬だけ目が合って、初めて少しだけ、トリシアに微笑んだ。


「……ブ」

「よく励みましたね、次代の聖女として期待しています」

 叫ぼうとしたときに聖女が肩を叩いた。そちらにはっと気を取られている間に神官長がブランに話しかけているのを見た。彼女がうなずいて踵を返すのも。


 人垣の向こうでうながされたブランが部屋から出ていく。


「――どけ!」

 まとわりつく少女たちを、トリシアは思いきり振り払った。



 後ろからトリシアの声が聞こえた気がしたが、ブランは振り返らずに部屋を出た。

(これでよかったのよね)


 廊下を歩きながら神官長は言った。


「君の努力は本物だ。譲る気持ちも持っている。けれどなぜ、聖女そのものを辞退したんだい」

「トリシア候補生のほうがふさわしいからです」

「そうか……」

「っ」


 人けのないところまで来て、神官長がブランの口に布を押しつけた。

 くらりと甘い匂いがして意識が急激に遠ざかる。

「あの時、あの場にいただろう」

 気を失う寸前、彼の声がした。




 次にブランが気づくとやけに明るい、白い場所にいた。上からは光が差し込んで、眩しさにブランは目をすがめた。


 頭上や足元に金色の葉が落ちている。おそらくは聖樹の中だ。やたらと甘い匂いがして、身体に力が入らない。そして敷き詰められた葉と根の合間にはいくつもの骨が見えていた。

 服はいつの間にか着替えさせられていた。ほとんど一枚の布のようなシンプルなそれ。

 薬をかがされたのかうまく身体が動かない。そこで、ツルが伸びてきてブランの手や足に蔦が絡みついた。


 しかし戸惑うように聖樹はすぐにそれをひっこめる。

 そこで、ブランは去ろうとする蔦を握った。


「……残念ね、養分にできる神聖魔力がなくて」

 唇の端を持ち上げる。


 ブランには聖なる魔力がない。それが己の持つ秘密だ。

 本来であれば母はその時点で聖女候補にさせることを諦めるはずだったのだが……ブランにはひとつだけ特異体質があった。


「私は、相手の魔力を吸い取れるの」

 ちょうど母からもらった力が底をついたところだ。握った手から聖樹の力を奪った。

「ぐっ」

 養分にならないと知って蔦が喉に絡みつく。その苦しさにブランは顔を歪めた。

 ブランに神聖魔力がないことがわかれば、神殿は三番の子を生贄にするだろうか。せめて偽装できるように魔力を吸い続ける。聖樹も苦しそうに風もないのに金の葉を揺らした。

 光が瞬き、いつか見た歌うトリシアの姿が瞼に浮かぶ。聖女として傅かれるだろう姿も。


(魔力があれば、……初めてできた『友だち』の力になれたのかな……)


「ブラン!」

 意識が遠のきかけた瞬間、声がして、ふいに蔦の拘束が緩んだ。

「っ、ごほ、……は、ぁ」

 見れば切れた蔦が骨の地面に散っている。

 顔を上げればそこにいたのは剣を持ったトリシアだ。


 彼に泣きそうな顔で抱きしめられる。

「――よかった」

「待っ」

 ブランの魔力吸収は直接肌が触れ合うことで行われる。

 一枚の布しか身に着けていないので、止めるまもなく触れたところから彼の魔力を吸ってしまって、ブランは硬直した。


(っ、甘い! 胃がもたれそう!)

 神聖魔力は個人差がある。初めて吸ったがトリシアの力はとても甘くて――重い。


「ど、どうしてここに」

 遅れて騎士が入ってくる。

 その後ろには縄で縛られた神官長と聖女の姿も。


「……長年の聖女選出時の行方不明者と、不審な点を調査していたんだ」

 トリシアが息を吐いた。

「歴代行方不明であるニ番手になって俺が実際に探るつもりだったのに……最後にこんな」


 トリシアが身体を離してブランを見た。

 まじまじとブランを眺めた彼は視線を逸らして着ているマントを着せてくれた。

「あなたは一体……」

「第二王子、こちらは終わりました」

「ああ」

 騎士の言葉に目を見開く。

(お、王子??)


 ほっとしてトリシアがこちらを見て、いたずらっ子のように微笑んだ。


「先に諸悪の根源の聖樹を確認する。話はあとで……」

 そこで、バキッという音がした。

 上を見れば聖樹がゆっくりと幹を崩壊させている。ふと、自分が聖樹の蔦を掴んだままだったことに気づく。

「あ」

 ブランに力を吸いつくされた聖樹はそのまま派手な音を立てて倒壊した。





 神殿の長きに渡る生贄の事実。それが明るみに出て国民が混乱した。しかし内部調査をしていた王宮の手柄と、とある少女の出現によって主要な儀式はつつがなく行われるようになった。


「む、むむむ無理!」

「無理じゃないわ」

 トリシアが手袋をしたブランの手を握った。

「私が聖樹の代わりとか……っ」

「だってブランが全部吸いつくしちゃったんだもの」

 こてんと首を傾げる彼はいつも通り綺麗だ。


 トリシアが聖女――男だが――に決定したというのに、ブランは王家監視の神殿に留め置かれることになった。最重要人物として、両親にも面会できず厳重に保護されている。


 理由は、ブランが国の要である聖樹を枯らしたためだ。


 歴代の聖女候補たちの神聖魔力を吸った樹の力はすさまじく、いくら使っても減らない。


「切り倒すつもりだったから好都合だし、ブランが聖女になってくれれば一番いいけれど」

 ぶんぶんと首を振るとトリシアが困ったように笑った。

「まぁいいか」

 トリシアがブランの手袋を外して、両手を握り合わせた。指同士が組まれてそこからまた甘ったるい魔力が入ってくる。

 完璧な笑顔でトリシアはささやいた。


「絶対に……」

 その妖艶ともいえる表情を前に、ブランは固まった。



 世の中というのは不公平だ。

 どれだけ努力しても勝てない天才がいる。それをトリシアはブランで知った。


 長年の疑惑のあった神殿に入り込んだのは、神殿に頭を下げてばかりの王家に生まれた者のせめてもの矜持だった。

 せっかくの聖女交代の隙を逃すつもりはない。幸い王家のしきたりで成人の儀まで第二王子の顔は表には出ていないし、手柄を立てれば今後が優位になると見越してのこと。


 ブランとトリシアの魔力量はほぼ同じ。

 せっかく神殿に潜入したのだからより神官たちから情報を得ようと思っていたのに、一位になれない。


 事前に試験も修行内容も入手しているので、彼女と同じ条件のはずなのだが。


 同室になってその姿をずっと見ていた。ブランの勉強量は他の候補生とは桁違いだ。真面目に、毎日、当たり前に。その上、応用力もある。土壇場での度胸も。

(勝てない)

 そう思ったのは、何事にも要領がいい第二王子にとって生まれて初めてのことだった。


 手を握り合わせたブランは細くて華奢で、どこにあれだけの神聖魔力を収納しているのか不思議だ。

 彼女は大きな目でびくつきながらトリシアを見た。


 髪も肌もトリシアの手で手入れされて、髪で隠されていた愛らしい顔が顕になっている。

 聖樹の代わりとして申し分ない働きをしてくれているが――『歩く聖樹』と密かに噂されて、他国からも狙う者がいる。


「な、なんですか」

 いつの間にか、じっとブランを見ていたらしい。怯える彼女にトリシアは微笑んだ。

 

「絶対に、一生逃がさないから、覚悟してね」




 後に聖樹の名代として人々に愛された聖女ブラン。その傍らには、いつも穏やかに微笑み彼女を慈しむ、金の髪の麗しい国王がいたと伝えられている。

お読みいただきありがとうございました。

少しでも楽しんでいただければ幸いです…!

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