011 海咲マリンの海
「よくこの辺りで釣りをするの?」
海咲さんが針を海に投げてから少し経って、特になんの変化も起こらない状況に耐えかねて言葉を紡いだ。
私はしゃがんでいて、海咲さんは立っているために余計に海咲さんが大きく見えた。
「う〜ん……正確にはこの近辺の釣りスポットを転々としてるって感じかな。好きなんだよね、海」
「ご両親が海運業の社長さんなんだっけ。その影響?」
「うん。大きな船に乗って見る海も好きだし、こうやって前方に広がる海を目の前にして、その幸を釣り上げるのも好き。でもあたしは料理なんてできないから、いつもリリースしていたんだけどね」
なるほどなるほど、海咲さんはずっと昔から海が好きだったというのが推測できる。
私はこの近辺に住むお婆ちゃんの家によく来ていたし、この海にもよく来ていた。つまり入学前の私を海咲さんが見かけていても不思議ではないのだ。
海咲さんは私に惚れた「お嬢さま」なのだろうか。
考え込んでいると、海咲さんの持つ竿が震えた。
「キタキタ! 爆釣だぁ!」
独特な声をあげ、魚を釣り上げた海咲さん。宣言通り、クロダイを再び釣り上げている。
「すごい……また釣れたんだ」
「へへっ、今日はノッてるね。じゃあ約束通り、料理してもらおうかな」
「うん。じゃあお婆ちゃんの家が近くにあるから、そこで料理するね」
迷ったけど、クロダイを持って行って調理できる場所は限られている。お婆ちゃんの家に行くしか選択肢はない。
歩いて少し。すぐにお婆ちゃんの家に到着した。
「……ここがお婆ちゃんのお家?」
「え? うん」
なんだか目を丸くしている海咲さん。
そうか……活発な子だから忘れていたけど、海咲さんだって立派な社長令嬢だ。こんなボロい家、人が住む物じゃないとか思ってるんだ!
「ごめんね。ちょっと古いけど」
「い、いやいや! 風情というか一周回って映えそうなとこでいいと思うよ、うんうん」
フォロー下手か。
おっと、こんなやり取りでクロダイの新鮮さを失うわけにはいかない。
「お婆ちゃーん! 台所借りるね」
「火に気をつけてねぇ。……おや! その子は?」
「えっと……海咲マリンさん。クラスメイト」
「はじめまして、海咲マリンですっ!」
「ふふ、元気だねぇ。それに結衣ちゃんがお友達を連れてきて……ふふふ」
海咲さんを見てからずっと笑顔のお婆ちゃん。なんだか照れ臭くなってしまう。
さてクロダイの料理を始めるか。
本当は刺身でいきたいところだけど、ご令嬢である海咲さんに寄生虫のリスクを与えるわけにはいかない。
なので今日は簡単にできるムニエルを作ることにした。小麦粉とバターと胡椒があればできるし、普通に美味い。ただバターは貧乏な私の家系では高くて買えないので、代用品としてマーガリンを使用する。
まず100均で売ってた鱗取りで鱗を取り、頭を落とす。内臓と血を除いたら捌いて、骨を身から離していく。
「へぇ、手際いいね」
「そうかな? まぁ……慣れてるからね」
お母さんが夜仕事をしていた関係で、料理のスキルは嫌でも身についた。今では普通に生活のためとしてありがたい経験だったと思える。
「慎見さんはいいお嫁さんになるね」
「へっ?」
意外と攻めてきたことを言われたため、少し身を傷つけてしまった。こ、これは私用にしよう。
「あははっ、動揺しすぎだって。可愛いなぁ慎見さん」
「からかわないでくれるかな……」
可愛いだなんて親族以外から初めて言われた気がする。嬉しいような、小っ恥ずかしいような。
裁き終えたら身に小麦粉をまぶして、マーガリンを多めに入れたフライパンに投入! 香ばしい匂いと、空腹の虫を刺激してくる音ですでに美味い! と叫びたくなる。
残念ながらトマトやパセリといった色合い豊かな添え物などないので、クロダイのムニエルオンリーの皿になるが仕方ない。
「はいどうぞ、クロダイのムニエルです」
「やった〜♪ いただきまーすっ!」
元気よく、そして躊躇いなくムニエルを口に運んだ海咲さん。作った身としては嬉しいものだ。
口に運ぶとクロダイの旨みと脂質、サクフワな食感が口内を刺激してきた。我ながら美味い……!
「ん〜〜! 美味しい! ムニエルはウチのシェフもよく作ってくれるのに、なんでこんなに美味しいんだろう」
「きっと自分で釣ったクロダイだからじゃないかな」
「そうかもね!」
へへっと海咲さんはいたずらっ子のように笑った。その笑顔はとても爽やかなもので、裏を感じるようなものではない。
結局、「お嬢さま」だったのかのヒントはあまり得られなかったか。でもまぁ美味いクロダイを釣ってくれたし、良しとするか。
「じゃあ今日はありがとね。美味しかったし、初めて誰かと釣りできて楽しかったよ」
「うん。こちらこそ美味しいクロダイをご馳走さまでした」
「じゃあまた明日、学校でね!」
そう言って海咲さんは走って帰っていった。
ご令嬢とは思えないほどのパワフルさだ。でもあの元気、見ていて気持ちの良い物であることに間違いはないな。