魔王の娘は愛されたい。
私にとって、お父様は立派な魔王でした。
お父様は頭に王冠を載せ、王座に座って配下に指示を出すよりも、悪しき魔物から臣民を守るべく、先導を切る、まさしく軍神に愛された男だと聞かされて育ちました。
私の腹違いの兄妹たちは三十人を超えます。私の母サーナトリアは八人の側室のうちの一人で、母の父は元平民でしたが武勲を立て貴族となりました。私が産まれたとき、お父様は一言、ご苦労、と母に声をおかけになってその場を立ち去られたと聞いています。お父様にしてみれば、私が産まれたとき子供の数は二桁に入っていたので、慣れた行事のようなものだったのでしょう。
私にとって、お父様は立派な魔王、ただそれだけでした。
お父様と会うときは、兄弟のうち誰かが武勲を上げたときに催されるささやかなパーティーの時くらいでした。それでも、私に声をかけることはおろか、目を合わせることもありませんでしたけれど。
私は無能でした。
私の母サーナトリアは軍人の娘として、剣の道に進んだ女でした。私が幼いころ、お母様は一度だけ私に剣を握らせたことがあります。中庭で木製の模擬剣を渡され、振ってごらん、と言われたあの日。一振りもいかず、お母様は硬い声で制止しました。
「お前には、剣の才能も、魔術の才能も無い。聡明な頭脳も、頑丈な肉体も、莫大な魔力も何一つね。本当に、私の子かい?」
お母様のお言葉は私の耳にこびりつき離れません。覚えています。本当に、よぉ~く覚えています。夢にまでその無情な声が響き、魘されるほどに。
「あの人に不貞を疑われなくてよかったよ。……一人二人、失敗作が産まれるのは仕方がないと慰められた私の気持ちが分かるかい?」
私はお母様の問いかけに何も答えられませんでした。私はあの日から無能の烙印を押され、両親にも腹違いの兄妹にも見放されたのです。
弱きは罪なのです。魔王国ではたとえ王族であっても常に命の危機にさらされています。歴史上の数多の魔王様は子を多く成します。王位継承権を争う子供たちが、骨肉の争いよりも戦地で命を散らすことで、その戦いに終止符を打つために。
私は一度も戦場へ赴いたことはありません。魔物はおろか、小動物すら殺せず、私たち魔族と姿の似ている人族などもっての外という有様でした。魔物はともかく、戦場に足手まといにしかならない私を出して、人族に討たれ私の死を士気向上に活用されるよりは、城に閉じ込め、兄弟たちの蔑みの対象として飼い殺しにしておこうと考えたのかもしれません。
魔王国は北方に巨大な魔窟があり、臣民は魔窟から湧き出る魔物に命を脅かされ生活しています。魔物は倒した労力に見合わない。死体が残らず跡形も無く消えるため、国力を低下させる忌々しい国敵。魔物たちを蹴散らし、臣民を守るべく戦う王族は、力の象徴であり、魔王国の光なのです。
戦場で兄弟が死ぬたび、私は蔑みの目で見られました。私より幼い弟や妹がお父様やお兄様、お姉様とともに戦地へ向かうたびに、私の胸は焦燥感と罪悪感に蝕まれました。
「反吐が出る。お前の顔など、もう見たくないよ」
私の母サーナトリアと父の間に生まれた子は三姉妹で、男児に恵まれることはありませんでした。一番下の末っ子ベルトリアが戦死したという報を受けたとき、お母様は私にそう吐き捨てました。
「ああっ、私の可愛いベルトリアっ!! どうして軍神は、前途ある若者を好んでお導きになるのか……ッ!!」
お母様が寝室に臥せってそうお嘆きになるのを、私はただ扉越しに聞きながら涙を流しました。
『お姉様! このベルトリア、不肖の身でありますが、父上様同様、憎き魔物どもを蹴散らして見せます!!』
ベルトリアは優しい子でした。腹違いの兄弟から蔑まれ、日々、下を向いて過ごす私を見かねたのでしょう。私の好きなお花を贈ってくれたこともありました。
『ありがとう、ベルトリア。これ、前にもらった花を栞にしたの……。無事に帰ってきてね』
『勿論です! ベルトリアは父上様と母上の子ですので!』
「嘘つき! ベルトリアの嘘つき! 無事に帰ってくるって約束したじゃないッ!! っうう」
お母様の部屋から離れ、自室に向かいながら、私は唯一の妹であるベルトリアのことを想って嘆きました。廊下は暗く、黴臭いがします。
「その汚らしい顔を面前に向けて、何を考えているのかな、無能。ああ、もしかして無能を慰めて肯定して甘やかしてたベルトリアが死んで、いよいよ頼れる人がいなくなっちゃった?」
「アドベラお兄様……」
お父様譲りの灰色の髪、赤い瞳は妖しく輝き、こちらを射抜いています。正妃の長子、アドベラ・クレイニ。私たち兄弟の中でも隔絶した強さを誇る、お父様の生き写しと呼ばれている人です。
お兄様の言う通り、私の顔は瞼は泣き腫らし、涙と鼻水塗れでとても見れたものではないでしょう。
「私のことはどうとでも……ベルトリアのことだけは悪く言わないで下さい」
氷花の園、という魔王の正妃と側室が住むこの場所では、腹違いの兄弟と顔を合わせることは珍しくありません。しかし、ここはお母様に充てられた住居です。正妃の長子であるアドベラお兄様といえど、勝手に入ることは無礼に当たります。
私はお兄様の赤い目を睨みつけながらそう言いました。お兄様は私の眼光に嘲笑で返すと口を開きます。
「アドベラお兄様? 無能にそう呼ばれるのは不愉快、いや屈辱といっても足りないくらいだ。なぜ、無能のような無能が偉大なる御父上様の血を引いているのだろうね? あのサーナトリア夫人でなかったら、不貞を疑うところだ」
――あの人に不貞を疑われなくてよかったよ。
不意にお母様の言葉が、耳に木霊する。私はお兄様の顔を見ることができませんでした。いたたまれない、しかしこの場から逃げ出すこともできずに、頭のあたりに視線を感じながら、できることと言ったら、この時間が早く終わることを願うしか。
「私のせいでお母様が不名誉を受けているのは知っております」
唇を震わせ、私は自分自身で無能さを認めました。お母様の子のうち、ベルトリアは死に、私は無能の烙印を押されている。お母様の唯一の希望は一番上の娘であるメラリアただ一人です。
「ベルトリアが死んだのは無能のせいだ」
お兄様は間髪入れずにそう言い捨てました。
「軍資金は戦場に行く兄弟たちに配布されるが、国庫金は度重なる遠征や魔物の被害で万年カツカツの状態だ。配布する軍資金は最低限度のものになる」
聞きたくない。私は思わず、やめて、と弱弱しく呟きました。お兄様はそんな私の様子を意に介すことなく続けます。
「そういえば無能、ベルトリアに栞を贈ってたよね? あの花って珍しいものだったと思うんだけど、引きこもりの君が一体どこで手に入れたのかな?」
「お願い……、止めて、やめてっ」
「ベルトリアは無能のために、軍資金で花を買ったんだよ」
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