チートみつかりました
職場の始業はいつもの通り課長のテンプレ通りの挨拶で終始する。始業を終えると大方は自席に戻って仕事を始めるのだが、多田乃は市民課の窓口に向かった。
多田乃は基本的に窓口業務に当たっているのだが、多田乃に当たる人間はクレーマーか癖の強いお年寄り、もしくは仕事をサボって愚痴を言いたいだけのサラリーマンである。
逆に言えばそういう人間相手に回されているだけであり、他の真っ当な来庁者は同僚や後輩たちが親身に対応していた。対処に困った人間のみ多田乃に割り振られるよう暗黙のルールが職場内に出来ていたようである。
この日、多田乃は嫁の愚痴を散々溢すお婆さんに午前中付き合うことになり、午後はクレーマーからの対応に追われることになった。自席に戻れたのは実に定時間際であり、これからメールチェックを済ませないといけない。
結局多田乃が一日の仕事を終えるのは午後7時過ぎになり、なるべく残業ゼロを目指したい上司からは目を付けられる存在になっていた。
「多田乃君、今月の残業時間は累計どのくらいになっていると思うのだね?他の職員は定時内か、遅くとも定時一時間以内には帰っているのに。君だけだよ、ここまで仕事に時間を掛けて残っているのは」
いつものように上司から嫌味が飛んだ。そんな上司は鞄を手に「残業するなら後はよろしく」といって、そそくさと帰っていった。上司が帰った後、ポツリポツリと職員たちが帰宅の途につき、気づいたら残っているのは多田乃一人になっていた。
多田乃は気にせず、メールチェックに勤しんだ。寧ろ誰もいない方が仕事が捗るので願わくば一人になれる部署に飛ばしてもらいたいと思っている。
多田乃は膨大なメールに目を通しているが、大半は表題で中身の察しが付くので、サッサと「ごみ箱」にメールを放り込んだ。いつものようにメールの山を整理していると、とある表題のメールで多田乃はマウスを動かす手を止めた。
「チートみつかりました」
表題はこれだけ。本文はなく、差出人の宛名やメールアドレスもない。一目で迷惑メールか、イタズラと分かるものだが、多田乃の目付きが一気に鋭くなった。
昼間の役所仕事を淡々とこなしていた姿からは想像できないほど、険しい顔つきになった多田乃は席を立つと、自動販売機のあるエントランスホールの片隅に向かった。
多田乃は回りに誰もいないことを確認すると徐に携帯電話を取り出し、ある番号へダイヤルした。
……プルルル、プルルル……
発信音が何回か鳴った後、ガチャ、っと受ける音が聞こえた。
「届いたようだね」
穏やかな、それでいてどこか鋭さすら感じさせる男性の声が聞こえた。
「はい、抜かりなく」
多田乃は電話先の相手に返事をした。古くからの知り合いのような、勝手知ったる関係のようだった。
「よろしい、いつも通り頼む。詳しい情報は後程連絡入れる。方法や手段は君に任せるが、一連の作業が終わったら報告を頼む」
「かしこまりました。いつも通り「ダイブ」にて潜入の上、目標と接触を試みます」
「頼もしい限りだ」
ガチャ、と電話の相手が切った。多田乃は携帯電話をしまうと、自席に戻り早々と残りのメールたちを「ごみ箱」に放り込んだ。そして鞄を手にすると急かされるように職場を後にした。