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依代始という男

 多田乃と二人組が入った市役所の会議室は三つある内の一番小さい部屋だった。長机が一つにパイプ椅子が10脚ほど。そして外線を繋ぐ電話があるだけの極めてシンプルな作りである。


 多田乃は二人組と向かい合わせになるように椅子に座った。窓の外は夕暮れで赤く染まってきており、部屋に射し込む西日が眩しい。二人組も席に着くと男が恭しく懐から名刺入れを取り出し、一枚の名刺を多田乃に差し出した。



「依代法律相談事務所 所長 依代始(よりしろはじめ)



 なるほど上司がいっていた弁護士先生とは男の方だったのか。多田乃が心の中で納得する。すると大口の取引先の相手はもう一人の女性の方か。



「わざわざどうも、依代先生」


「突然の訪問で大変失礼しました。多田乃さん、どうしても貴方に確認したいことがありましてね」



 依代が顔の前に手を組んで多田乃の顔をじっと見据えた。全身から形容しがたい威圧感が漂う。しかし、多田乃とこの依代は初対面であり、多田乃は何故呼び出されたのか全く覚えがなく検討もつかない。



「…一体全体なんでしょう?私にご用があると伺っていたのですが…」


「はい、実はそのことですが、彼女の身元のことなのです」


「彼女…?」



 依代に促されて多田乃は依代の横に座る女性の顔を見た。女性は俯いて不安げな表情を浮かべている。まるで何かに怯えているようだ。



「彼女の身元ですか…?」


「ええ。実は彼女は市内でも有数の企業の社長令嬢だったのですが、先週仕事からの帰宅中に突然意識を失い救急車で運ばれたらしいのです。生死の境をさ迷ったうちに突然意識が戻ったそうです。しかし昨日退院できたものの自分の名前と一部の記憶以外は完全に無くしており、私が立ち会いの元、市役所で確認してほしいと企業側から依頼を受けてやって来た次第です」


「はあ…」



 多田乃の脳裏に特大のクエスチョンマークが浮かんだ。別にそれなら多田乃が指名される理由はないと思われる。何故自分なのだろう…多田乃が疑問に思っていると、依代が再び口を開いた。



「実はですね、多田乃さん。先程彼女の記憶の話をしましたが、貴方の名前が彼女の口から出たのですよ。もしかしたら何かご存知かと思い、失礼を承知で貴方を呼んだのです」


「えっ………!?」



 多田乃は言葉を失って固まった。慌てて女性の顔を見る。女性はまだ俯いたままで多田乃と視線を合わせようとはしない。しかし、多田乃はこの女性について全く心当たりがない。



「どういうことです?私はこの女性と会うのは初めてで全く心当たりがないのですが…何故私の名前を存じ上げているのか分からないのです」



 多田乃は自分の戸惑いを率直に二人に述べた。依代は顔色を変えることなく、多田乃をじっと見据えて息を吐いた。



「いいでしょう…もしかしたらと思っただけです。ですが、彼女の名前に何か心当たりがおありではないでしょうか?」


「何ですって…」


「彼女の名前は脇谷、脇谷久那子(わきやくなこ)さん。いかがでしょうか?」



 彼女の名前を聞いた多田乃の顔からみるみる内に血の気が引いていった。と同時に脂汗が額を伝った。

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