来訪者
多田乃は珍しく遅刻した。当然ながら上司からは叱責され、同僚からは嘲笑されたが、今の多田乃にとってはそんなことはどうでも良かった。いつものようにクレーマーの老婆の応対をしていても多田乃はどこか上の空で機械的に相づちを打つに終わった。
多田乃の頭にはアラン・スミシーから言われたことがこびりついて離れず、今日会う全ての人間がまるで生気のないのっぺらぼうのように見える。
今いる自分の存在すらボヤけて来ているのではないかと思った多田乃は洗面所で顔を洗って引き締めようとしたが、気分転換にもならない無駄な行為だった。
定時のチャイムが鳴ったと同時に多田乃は帰途に着こうとしたが、上司が手招きをしているのに気づいた。多田乃は内心舌打ちしつつ、上司の元へと向かった。
「なんでしょう?」
「…多田乃君、突然ですまないが、この後来客に会ってもらえないだろうか」
「今からですか?定時過ぎたので明日以降に延ばしていただくことはできないですか?」
「…それが…先方はどうしても君を指名していて、今日中に話をしたいらしい。こんなこと、今の今までなかったから私も正直いって混乱しているんだ」
「アポはないんですか?」
「ない。本当に飛び入りなんだ」
「尚更帰ります」
「待ってくれ。相手は大口の取引先と弁護士なんだ。余計なことがあってもまずいし、君に後ろめたいことがないとも限らない」
「弁護士先生ともあろう人がアポも取らずに来るなんて失礼ですね」
「多田乃君!」
「…失礼します」
多田乃は上司の引き留めを無視して出入り口へと向かった。すると多田乃とすれ違うように男女二人が会議室の方へと歩いていくのが見えた。上司が慌ててヘコヘコ頭を下げながら男女二人にすり寄っていく。
来客とはあの二人か…多田乃は横目でチラッと見た。男は短髪のオールバックに濃紺のスーツ姿。鋭い目付きとへの字に曲がった口元が特徴、しかめ面でなければ女性受けは良さそうな感じである。年齢は30代前半といったところか、多田乃よりは若そうだ。
もう一人の女性はセミロングの黒髪に薄黒いリクルートスーツに身を包んでいる。メガネを掛けてややおとなしそうな印象を受ける。歳は20代半ばだろうか。
ま、自分には関係ない。と多田乃がやってきたエレベーターに乗り込もうとしたとき、
「見つけましたよ、多田乃さん」
刺すようなドスの効いた声が多田乃の背後から聞こえた。声の主は先程の二人組の男のようである。多田乃が恐る恐る振り返ると上司が真っ赤な顔をして多田乃のワイシャツの首根っこを掴み、男女二人組の前に引きずり出した。
「じゃ、私はこれで」
そういうと上司はそそくさとその場を後にした。逃げやがったな…と多田乃は上司の背中を恨めしそうに睨み付けたが、ふと視線を二人組に向けるとニッコリと多田乃に笑みを浮かべた。
「立ち話もなんですから会議室へ行きましょう」
男が先導する形で多田乃は二人組と会議室の中へと入った。




