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第8章 神のイタズラ

 バズの操縦するツイン・オッター機は、滑らかな着陸でドームふじに降りた。大河内有理が外に出ると、真っ先に片山教授が飛んできて握手し、熱烈な抱擁をしてくれた。


「大きくなったなあ!」


 とは言っても、二年ほど前に会ったばかりだし、大人になった今、それほど成長もしていないはずだが、彼は会うと必ずこう言うのだった。女性には「きれいなった」くらいの言葉がほしいところだ。


 彼はドームふじのスタッフを順番に紹介していった。


 ただ、一人だけ混じる異国人————彼はフランス出身だと英語で紹介した————アンリ・ペネクスという白人男性が気になった。柔らかい厚手の手袋越しの握手だったが、そのときの目つきは鋭く、明らかに敵意にも似た、嫌悪の表情が浮かんでいた。印象はあまり良いとは言えなかった。


 たしかに有理は正規のルートではなく、特別なルートで南極という特別な場所へ来た。卑怯な余所者であるという気持ちに囚われた。ただ、後から、彼はバズと同じで、マクマタウンから派遣されてきた、除雪や機械修理などを行う外部スタッフだと聞いて少しだけ安心した。


 休む間もなく、片山教授は見せたいものがあると、氷床コアを掘削する部屋へと案内した。室内は、外気温とさほど変わりはなく、零下27度に設定されていた。それを忘れてうっかり手袋でも外そうものなら、金属製のドアノブに掌の皮膚がすぐに張りついてしまうだろう。


 入り口付近には、誰が描いたのか、ほっかむりをしたかわいい泥棒さんが抜き足差し足で歩くイラストがあり、「コア掘削室ではお静かに!」との注意文が添えられていた。


「3,000メートル以下から掘り出される氷柱はね、あまりにも脆くって。ちょっとした室内の温度、気圧の変化や振動で、崩れることがあるんだよ」と片山教授は説明した。


 室内の棚には、何センチメートルかにカットされた氷柱がビニール袋に入れられ、整然と置かれていた。袋には、どちらが上だったのかを示す矢印が書かれ、おそらくどの地点、どれくらいの深度かを示しているのだろうか。有理にはわからない数字や記号も添えられていた。


 どれも無色透明で、何も混じりけがないものばかりだった。素人がこの氷柱を見たら、何が分かるのかと訝しがるところだろう。


「ここまで圧縮されているとね、酸素原子も水の分子の中に押し込められて、気泡さえなくなるんだよ。だからふつうの氷よりも透明度がずっと高くてきれいに見えるだろう?」


 この氷柱は特注の冷蔵庫を搭載した飛行機で、日本や世界各地の研究機関に送られ、目には見えない、遥か古代に氷の中へ詰め込まれた酸素や、窒素原子を調べられるのだそうだ。


「でも、見せたいのはこれじゃあないよ。君を急遽呼んだ理由でもある」


 そう言って彼は、棚の奥にある、さらに大きくて頑丈そうなプラスティック製の箱を取り出してきて、中を開けた。


 他の氷柱と同じく、それはビニール袋に入っていた。他のが無色透明だったのに対して、その氷柱の中には、明らかに岩石のようなものが含まれていた。


 彼はその氷柱を室内の光にかざした。


 それは、ただの岩石ではなかった。化石だ。蜘蛛のような、いくつもの脚がある。節足動物のようにも見える。


「驚くのはまだ早いよ」


 彼は楽しそうに、その氷柱を裏返すと、蜘蛛のような生物の後ろにスクリュー上のプロペラが付いているのがはっきりと見て取れた。


「スクリューですか?」


「はっきりとは断言できない。でもそうにしか見えない」


 よく見れば、この蜘蛛の化石は、どこか生物的に見えなかった。関節上を取り巻くように何かが見えた。


 片山教授がそれを察して、すぐに拡大鏡を貸してくれた。有理は興奮していて、その拡大鏡を取り落としそうになった。


 覗いて見てさらに驚いたのは、関節の周囲に、保護するためのバンドのようなものが巻かれていた跡がある。これは生物ではあり得ない。明らかに人工的に創られたものだ。


 有理は、多軸方向からの力を検出するような高精度なセンサーが組み込まれた多機能ロボットアームがこうなっているのを思い浮かべた。この生物————いや、この機械は、水中をスクリューによる推進力を使って泳ぎ、この自在に変形する多関節の脚で海底を歩いていたのではないか。


 そんな、まさか————


「僕たちが掘っているところは、ちょうど岩盤にできた盆地の縁だ。おそらく底には、プレカンブリア時代の地層が含まれているはず」


「プレカンブリア時代ですって?」


 片山は、有理のあまりの驚きように、うれしそうに笑った。


 その時代はおよそ約6億年前から約5億4,200万年前、せいぜい小さな多細胞生物か、現在のものとは全くちがう軟体動物の痕跡が見つかっているだけだ。その次の時代、カンブリア紀大爆発と呼ばれる時代には、その前時代の生物たちは忽然と消え、代わりに、現在地球上にある生物すべての「門」が出揃ったと言われている。


 だが、その爆発的な多様性進化が起きた原因は、今をもっても謎とされている。


「氷床の底から長い年月をかけて、化石が引き剥がされたのだろう。そのあとは、粘性のある氷床に流されて、盆地の縁で、あふれ出るように上がって来て顔を出した。そこで僕たちが偶然、それを掘削して確保したってわけ」


 この化石のどこも壊れることなく、きれいにボーリングされた氷柱に収まっていたことも奇跡だが、それ以上にこの化石が発見されること自体奇跡だ。


「ここには年代測定を行う機器がなくってね。でも、少なくとも5億年前の地層だと思う。カンブリア紀にはかかっている」


 有理は呆然とした。


「あと、もう一つ」


 片山はそう言うと、助手の一人を呼んで、一枚の写真を持ってこさせた。


「これは?」


「この氷柱に入っている機械化石の頭、剥き出しになっている部分を電子顕微鏡で拡大してみた。いやあ、氷から取り出さずに投影するには骨がいったがね」


 その紙には、迷路のような筋が規則正しくプリントされていた。


「まさか・・・・集積回路ですか?」


 片山は、そこでようやく真剣な眼差しで、有理を見た。


「このウェハーらしきものの上に形成された回路の各幅は、およそ20ナノメートルだ」


「ええっ?・・・・」


 もはや有理には返す言葉も見つからなかった。インフルエンザウイルスでさえ、50ナノメートル~100ナノメートルもある。


 でたらめな配置ではなく、きちんとした直線で配置されているという事実————それは古代文明が、どうやって精密な観測で天体の位置を知り、夏至や冬至の天体の動きに合わせて、直線の道路や建造物を配置したのか、というのとはまるで比肩できるものではない。


 有理の脳裏に真っ先に浮かんだのは「アンティキティラ島の機械」だ。だが、あれは後の研究で、せいぜい紀元前100年ほど前で、天体の位置を予測するためのアナログ天文計算機、もしくは太陽系儀だと推測された。判読不能だったギリシャ後の解析も進んで、現在ほとんど裏付けが取れている。


 だが、これはもはやそれ以上に、精密で精巧な機械であることは間違いない。そもそもこれが発見された地層の年代には、人間はおろか、複雑な生物すら存在していなかったのだ。


「君はなぜ、この化石が今まで見つからなかったかと思っているだろう?」


 まったくの図星だったので、思わず笑ってしまった。


「誰かのイタズラとか?」


 これは冗談でもなんでもなく、大真面目に答えた。片山教授には失礼だが、誰かが壮大で、かつ精巧なイタズラを仕込んだとしか思えなかった。


「そう思うのにはムリはないよ。僕もこれを見つけたとき、何処かに捨ててこようと本気で考えたくらいだから」


 つまりこの発見は、進化生物学はもちろんのこと、地球の成り立ちから、生物、ひいては人間が生まれた理由、あらゆる学説がひっくり返る可能性すらある。あるいは神学論にも飛び火して、すなわちインテリジェントなアーキテクトがいたことを示す証拠にもなり得る。


「やはりこれは君に託すべきだな。私の判断は間違ってはなさそうだ」


 片山教授は言ったが、有理は躊躇した。


「この化石はホンモノなのか。つまりこの化石は生物だったのか? それを明らかにしてくれないか」


 片山教授はまたいつもの笑顔に戻り、家族を見るような眼差しで言った。


 大河内有理は、この笑顔を見せられては、断るわけにはいかなかった。

「第9章 薄れゆく感情」へ続きます。

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