第6章 捕捉
桐生游輔は、日比谷公園のベンチに座り、ハトに餌をあげていた。11月とはいえ、今日は暖かい春めいた匂いがした。日だまりが芝生やベンチにいくつもできていて、そこに人が集まっていた。
時間は昼時で、意外にも都心の公園は、スーツ姿の人間で賑わっていた。
通りすがりのスーツ姿の同年代くらいの男が、桐生を怪訝そうに見た。
そりゃそうだろう。
目の前の芝生には、「ハトに餌を与えないでください」との看板がある。オマケに隣のベンチには、きつい臭気を放ったホームレスの男性が荷物とともに占拠していた。だから混雑したベンチの中でも、桐生のベンチ周辺には誰も座ろうとはしなかった。
だがそのとき、桐生の視界を遮るように立つ人間がいた。
やっぱりか————
見上げると、思ったとおり、どこからともなく黒いスーツ姿のドラキュラ伯爵が現れて、立っていた。
桐生が、場当たり的で、予想できないような行動を取っても、確実に見つけられてしまう。こいつはいったい何者だ?
「あまり驚かれませんな」老紳士はにこやかに言った。
「いえ、あまりにもびっくりして声も出なかったんですよ」
老紳士は、ふふと小さく笑ったので、桐生は続けて言った。
「ただ、今はあのとき、閃光弾ではなく、手榴弾にしておけばよかったと後悔していますよ」
「私を殺ったところで、別の人間が来るだけですよ」
老紳士は声のトーンを落として言った。脅しか? それにしてはオシッコをちびるほどの凄味はない。
「新聞には載らなかった」
「どういうことですかな?」老紳士はとぼけてみせた。
「閑静な住宅地に、あの爆発音ですよ?」
「ええ、たしかに消防車は来ました。ボヤ騒ぎと知って、すぐにお帰りになりましたよ」
あの女将には悪いことをしたな、と桐生は思った。
「あなたの居場所を計算するのに、たいへん手間取りました」
「そいつはすごい。計算でオレの居場所がわかるなんて。どんな方程式だい?」
「我々は未来を予測できるのです」
おっと————狂信的な宗教組織か? あるいは自分が超能力を持っていると信じて疑わない電波系の人間だろうか。となると、少し厄介だな、と桐生は思った。だいたいそういう連中は陰湿でしつこい。
「未来とは言っても、ほんの少し先です。それを、スーパーコンピューターを使って計算します。座っても?」
そういって空いているベンチを指したので、桐生は笑顔で言った。
「ベンチには爆薬が仕掛けられているけど、それでも構わないなら」
「巻き添えですか。本当にあなたは厄介な人格をお持ちだ」
人格————『性格』と言わなかった。桐生はそれが引っかかった。
「仕事を依頼したいのです」
「さっきも聞いたよ」
「ある人物に接触し、その人間を殺してほしい」
「殺しはもうやらない。メニューにはないよ。俺の他にも良い人材はいたでしょう?」
「いいえ。この任務を完遂できる確率が一番高いのは、あなただった」
「失敗する可能性もあるんだ?」
桐生はさまざまな場所で仕事をしてきたが、致命的な失敗を犯したことはなかった。
「おっとこれは失礼しました。少々プライドを傷つけてしまいましたかな?」
「いや、失敗する確率が何パーセントなのか気になっただけで」
「2%未満です」
「へえ」いったいどんな計算式なのか。
「あなたは昨日から一睡もしていないはずです。少し休まれてから、私どもの詳しい話を聞いてはいただけませんか?」
随分と慇懃な態度と、紳士的な物言いに、少し興味が湧いた。
たしかに、これだけ裏をかいても、先回りされてしまうというのは正直驚きだった。もしも自分を殺るとなれば、いとも容易く、とっくに消されていただろう。
なぜ、俺を殺さなかったのか————それも気になる点の一つだった。
桐生は立ち上がった。それがオーケーのサインだと老紳士は思ったのだろう。
「あちらに車を待たせてあります」
そう言われて、桐生はベンチを離れた。
桐生はしばらく歩いた後に、手元のスマートフォンが震えるのを確認した。あのホームレスの男性がベンチから離れ、周囲の安全を確認したというサインだった。
スイッチを押した。
途端に、背後から大きな爆発音とともに、黒い噴煙が立ち上った。穏やかな昼時の公園が、一瞬で、悲鳴と怒号で埋め尽くされた。
老紳士は、その事態になんの興味も示していないとでもいうように、どんどん前を進んで行く。
「あまり驚かないね?」逆に質問した。
「ええ、本当に爆薬が仕掛けられると知っていましたから」
桐生はそこで初めて、これはとんでもないことに巻き込まれたな、と思った。
「第7章 焦げたトースト」へ続きます。