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第32章 対決

 桐生游輔は、思っていたよりも、国際宇宙ステーション(ISS)に来たことを歓迎された。補給船の貨物として、子豚の代わりに乗せられてきたくらい、変わり者だが、宇宙に興味があり、熱心な若者で、ITベンチャーか何かで儲けた金持ちなのだろうと思われているようだった。


 いまISSを守っている司令は、ローガン・コックスというアメリカ空軍出身の、50代の紳士だった。見た目は、海老原と大差ない年齢だが、鍛え抜かれた身体は、薄いTシャツの上からも分かったし、その溌剌としたエネルギーは、宇宙飛行士にふさわしい。


「ここは今や、人類に見放された、かつての楽園、希望の地だ」


 ローガンは、自虐的にISSの中を紹介して言った。 乗員は司令の他わずか二名。


 2020年まで運用が延長されていたISSはさらに20年の延長が行われた。とはいえ、各モジュールは耐用年数をゆうに十数年を超えたものもあり、機能を停止していて、閉鎖したところも多いと聞いた。


 ISS完成以降、Twitterを使って、宇宙でつぶやいた一言が、大きな話題となり、拡散されたものだ。メタフィルターがある今、同じようなウェブサービスから発言したとして、果たしてどれくらいの人数のひとたちへメッセージが届くだろうか。


「今はもうほとんど、機能の維持管理をしているというだけのミッションだよ」


「墓守と大差ない」と同じく乗船している別のクルーが、また自虐的に言う。


「あとは、たまに大富豪が、わずかな訓練期間を経て、訪れる〝観光地〟という役目」


 君みたいにね、とローガンはニヤリと笑ったが、


「いえ、僕は観光に来たわけではありません」


 そういうと、ローガンは驚いたように言った。


「では次の月か、火星へのミッションへの準備と言ったところか」


 やはり観光客の延長としか見られていなかった。


「日本の実験棟『きぼう』を案内していただけませんか」


「ああ、もちろん。良いとも」


 無重力状態での身体を安定させて部屋を移動するのは、とても難しかった。だが、ローガンの手助けもあり、すぐに慣れた。


「スジがいい」とローガン司令は言った。


 まあ、実際に宇宙飛行士の訓練をしたことがありますから、と喉元まで来た。


「今までの観光客の中では優秀だろう」


 微妙な評価で苦笑いするしかなかった。


「ここだ、と言って示した部屋は、かなり広く感じられた。四方の壁には様々な装置が所狭しとしてはめ込まれていた。それだけの機能があるのに、無駄な部品は一つとしてないというのが驚異的だと思った。


「今は実験棟しては使われていないが、さすが日本製はちがうね。日本車と同じだ。LED電球は、一つ残らずまだ点灯するし、空調も正常だ。まだ、残された実験機器も使えるんじゃないだろうか。今はたまにクルーたちが瞑想のために使っている。こんな広い空間は、ISS内でもなかなかないからね」


 桐生は、不慣れな無重力状態から、どうにか実験機器が設置されている壁に張り付くと、一つ一つを確認し始めた。上下という概念がないので、ウィルの言っていた装置を見つけられなかった。


「なにかお探しかい? でも今は室内灯以外が通電していないので、動かないよ」


 桐生はもう時間がないと判断し、担当直入に聞いた。


「インターネット・・・・ワールド・ワイド・ウェブに再起動(リブート)をかけたい」

 一瞬でローガンの笑みが消えた。


「なぜそれを知っているんです?」


「代々、司令は、秘密裡にその解除する秘密鍵の入ったICカードを前任者から引き継ぐことになっていると、とあるルートから聞きましてね」


 しばらく間を置いた後、ローガンは静かに、こう告白した。


「ああ、そうだ。私が管理している」


 そう言い切っても良いと判断したということは、どこか安全な場所に隠されているということだ。


「しかし、何の素性も知らない君には渡せない。正当な理由がないかぎり、それは違法性を免れないし、全世界的な混乱の災禍を引き起こすだろう」


 たしかに以前に、インターネットが機能不全に陥ったとき、多くの国々で財政が破綻し、それが理由で内戦や、侵略戦争が増えた。


「インターネットの再起動には合議制がある。私の他に四名の同意がいる」


「すでに押さえてありますよ。スコットランド、南アフリカのケープタウン、フィンランドのヘルシンキの三人」


「あともう一人足りない」


「あとのもう一人は、現在のローマ教皇・フランシスコ二世がおられます」


「なんだって? ローマ教皇が?」


 ローガンは敬虔なカソリック信者だと告白した。


 彼らはお互いがどこに住んでいるか分からない。インターネットに破壊的な異常が見つかったら、すみやかにアメリカ某所へ集まる手筈になっているはずだった。そのとき、ローガンは彼らメンバーを初めて拝顔することになるのだが、果たして地球上のネットが混乱を来しているとき、どうやって、このISSから降りるのか。


「もうすでに会場に入られました」


「会場?」


「そこである女性が、南極で発見した神の遺物と思しき化石発見の発表を行います。その席にローマ教皇もおいでです」


 その言葉で、ローガンは心が揺れているようだった。


「実は、この神がいたという証拠は、南極大陸から発見されたが、大きくは報じられなかったんです」


「南極で殺人があったことはニュースで見た」


「それに深く関係しています。何者かは知らないが、この証拠が暴露されることを好ましくないと思う団体がいるようですね」


 ローガンは、無言で実験棟「きぼう」にある、床面の一部を指して、マーキングテープを貼った。


「このコックを開く、そこに読み取り用のスロットが見えるだろう? ここにICチップを差し込めば内容を読み込むことができる」


「通電していないのでは?」


「さっきのは観光客用の説明だよ。『一部は通電しています』なんて言ったら、いったいそれはどういう機能ですか?と、食いつかれて面倒だ。概要だけを説明するのがコツだよ」


 なるほど、桐生は笑った。


「だが、読み出したデータには、暗号化がかけられていて、復号するパスワードがいる」


「そのパスワードは誰が?」桐生はすでに知っていたが、あえて聞いた。


「それは・・・・もちろん私だ」そういって頭を指先で叩いた。パスワードである百二十八文字を記憶しているということか。


 そこへ他のクルーが来た。彼らは少し若めだったが、やはり筋骨隆々で、船内を魚のように自由に動き回っていた。


「あと数分ほどで、バイコヌール基地で発射された『ソユーズ』ロケットが、ISSにドッキングします」


「間の悪いときに来たね。交代要員だ」


 その知らせを聞いて、桐生はイヤな予感がした。


「この交代は危ない気がする。延期できませんかね?」ローガンに提案すれば、


「おいおい今度は何を言い出すかと思えば・・・・」


 ローガンは呆れたように言った。


「補給船はともかく、交代要員は、長い期間をかけて準備してくる。そう簡単に引き返せ、なんて言えるものか。それに俺たちもいい加減、祖国・地球へ帰りたいよ」


 すでにソユーズは、ISSから数百メートルの地点まで迫っていて、ドッキングの秒読みに入っていた。


「次に交代するクルーの中で、特に親しい人間は乗っていますか」


「ああ、もちろんだ」


「一人名前を挙げてください」


「ルロア・ヴァーノン。フランス出身だ。彼は前々回に任務で一緒になっている」


「彼には妻がいる?」


「ああいる、スーザンだ。それがなんだ?」


「じゃあ、彼にこう問いかけてくれませんか? 奥さんのアリスは元気かい? それに第二子ご懐妊とは驚いたよ、と」


 ローガンは馬鹿げている、と呟きながらも交信をした。


「ルロア! 司令のローガンだ。久しぶりだな。アリスは元気にしてるかい? それに第二子懐妊だとか、宇宙からのお祝いってなりそうだな」


《おう、よろしく頼む。アリスも、その腹の子も、順調でね、すくすくどちらも体重を増やしながら元気に育ってるぜ》


 ユーモアを交えて語った。一聴しただけでは、相手の緊張や不安が読み取れない。


 だが、隣のローガンの顔が、一気に青ざめていった。


「おそらく中に乗っている連中は、偽物で、仲間じゃない」桐生は言った。


「ヤツらはここへ何しに来たんだ」


「ISSのクルー全員の殺害および占拠、または俺の目的を妨害しに来たか、俺自体を消しに来た」


「接続完了」


「待て! ハッチを開けるのは・・・・」ローガンが叫んだときには、遅かった。


 ハッチが開くと、中からあの京が、最新の宇宙服に身を包み、慣れた感じで滑り込んできた。呆然としている入り口付近のクルーの二名に、サイレンサー付きの銃で、造作もなく頭部に穴を穿った。


 少し奥にいた、ローガンと桐生を見定めると、京は容赦なく、持っていた銃を乱射した。


 桐生は即座に反応して、モジュール連結部分の隙間へローガンを突き飛ばした。桐生は別の棟の連結部分の陰に身を寄せた。


「どうする? 司令。投降しても眉間に弾を撃ち込まれるだけですよ」


「わかったよ! パスワードを渡せばいいんだろ?」


 そう言って胸ポケットからメモ帳を取り出して、、ローガンは百二十八文字にも渡る文字を書き殴った。本当に覚えているとは驚きだ。


「あと、肝心のICカードも頼みます」


 彼は、パスワードの書かれた紙を丸めると、ペンに紙を絡ませて、桐生に向かって投げた。


「ICチップは、そのペン先から取り出せる」


 桐生は言った。


「俺が、実験棟『きぼう』に入ったら、すぐに外から接続部のハッチを閉めてロックして、中から開かないようにしてください。そして、すぐにISSから切り離す。機体制御(マニューバ)噴射器を作動させ、できる限りISSから遠くへ」


「残念だが、『きぼう』には、接続用も、機体維持用のいずれも、マニューバのための噴射器を備えていない。当時はロボットアームで接続したはずだ」


「独立したマニューバ・ユニットが、だいぶ前に開発され、ISSで実験運用されているというニュースを見ましたけどね」


 機動制御用の小さなロボットたちを放つと、宇宙空間を漂う様々なモジュールに自ら吸着し、姿勢制御や、高度を下げた衛星の軌道を元に戻すなど、人の手も借りず、彼らのプログラムは、自動で一連の作業を行ってくれるはずだった。


「あるにはあるが、何の準備も無しに、ぶっつけ本番でやれるわけがなかろう」


「じゃあ、本日をもって国際宇宙ステーションの運用は終わりですね」


「司令の目の前で、クルーが二名も殺されたのは見たでしょう? おそらくソユーズで来た乗員二名、あるいは一名地上に置いてきたとき、殺されたかかもしれない。あの殺人鬼は容赦ない。腹をくくってください」


 しばらく間があって、ローガンは頷いた。額には吹き出すように汗をかいていた。


 合図で飛び出す旨をハンドサインで伝え、一斉に飛び出した。


 まず桐生が飛び出し、日本の実験棟『きぼう』へ泳いでいった。何回か、通路のアチコチに跳弾があったが、この無重力状態で逃げ回るターゲットと、撃つ人間の方も姿勢が保てないのだろう。


 やがて、桐生は『きぼう』の中に入った。


 ほどなくして、京も滑り込んできた。


 顔は笑っていた。いつ見ても不愉快になる。


「とうとう追い詰めましたよ」


「追い詰められたの間違いでしょ」


 その瞬間、後ろのハッチが閉められ、ロックのかかる音が聞こえた。


 京は驚いて、ハッチに向けて銃を乱射した。


 もちろん、そんな、ちんけな銃でハッチが開くわけがなかった。


「読み取り装置とICチップはそこですかな?」


 そうして京は、マーキングテープのある場所に近づいた。


 桐生は身を起こすと、壁に身体を寄せた。


 京が眉をしかめ、安定しない無重力の中でも、銃を構えていた。


 桐生は言い放った。


「お前はどうせ、どこか別次元のセカイで、PCの前で電極につながれた囚人か、運動もせずにぶくぶくに太った、哀れなギークの成れの果てだろ?」


 この桐生の挑発に、京は珍しく鬼気迫る表情で叫んだ。


「この宇宙は我々の実験場だよ。それに規則性を持たせ、幾重にもタネを蒔いてその発芽を観察する貴重なサンプルだ。君も含め、地球も例外ではない」


「俺たちは、お前たちの操り人形か?」


「さよう。だからもし、この宇宙を一度不均衡な状態に書き換えてしまえば、観察している世界が一気に不安定となる。それはもう有用なデータとは言えない。そこには地球、ひいてはこの宇宙は、もう存在し得なくなるのだ」


 桐生が銃の前では何もできないことを知って京は有頂天なっていた。舌がよく回るものだ。


「私は、その世界と繋がっている。この宇宙にいる人間が、君も含め、我々を認知することになれば、関係項が増大し、極めて不安定な状態が生み出される。ましてや私を殺すことがあれば、さらにその先は予測不能になる」


「それはお前たちをこの宇宙から追い出すことで、俺たちにとっては喜ばしいことだろう?」


「いいや。断じてちがう。その瞬間に、我々の手から、君たちの宇宙は消失してしまう。それは君たちが消えるということだ」


「同じようにしか聞こえない。それを決めるのは少なくともお前じゃない」


「だが、もう君には私を阻む手立てはない」


 実験棟きぼうの外壁に、何かが取り付いた音がした。京が挙動不審に周りを見回した。程なくして噴射が始まった。ローガンは、桐生の指示に従って、ISSから順調に距離を取りつつあるのだろう。


 桐生は、実験棟内にある身体を固定するための手すりに、ガッチリと手で握り、足も固定した。


 今まで京では見たことのない、低い笑い声を発しながら、マーキングテープの張られた蓋を開けた。だが、すぐに京の顔色が変わった。


 その瞬間、ピンッと金属音がして、小さな安全レバーが跳ね上がるのが見えた。京は一気に青ざめた。それを見た桐生は言った。


「やっと、ホンモノをプレゼントできたよ」


 爆発音————


 急減圧が起きて、京はあっという間に爆発で大穴の空いた実験棟から吸い出されていった。そして、静寂がやってきた。あちこちに飛び回る破片にぶつかり、晒されながら、自分の呼気がヘルメット内で響くのが聞こえた。


 仕掛けた手榴弾の火薬を少なくしたとはいえ、モジュールの損壊は激しかった。もやは実験棟は分解寸前であった。桐生は、吹き飛ばされそうになりながらも、手すりを握りながら、本当の読み取り機があるところまで来た。蓋を開けた。ローガンから受け取ったペンから慎重にICチップを射し込むと、百二十八文字の英数字で構成されたパスワードを入力した。


 ISSの本体から切り離され、しかも爆発で、半壊している実験棟から、この最後の秘密鍵がきちんと送信できるか分からないが、桐生は、すべての文字を入力し終えると、最後に力強くエンターキーを押し込んだ。

「第33章 真実の行方」へ続きます。

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