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第2章 南極大陸

 大河内有理は、生涯の内に、南極へ来る日が来るとは思ってもいなかった。東京大学の片山秀行教授から、突然のお誘いのメールが来たことがきっかけだった。


“南極に来てみませんか?”


 片山教授とは家族ぐるみの付き合いで、帝国大学時代の曽祖父同士の交流から始まって、親族の中には従兄弟同士で結婚した者もいるなど、遠い親戚というくらい近い関係だ。


 片山教授は進化生物学——evolutionary biology——が専門で、どちらかと言えば、考古学の領域にも近い。一方の大河内有理は、機械工学で、専門領域はかすりもしていなかった。

 そこに南極へのお誘いとは一体何事だろうかと最初は訝しがった。渋る有理に、


“興味深い発見があり、あなたの力が必要になりました”との丁重な返信があった。


 現在も南極は、観光で行くような場所ではない。1961年に締結された南極条約の効力は継続中で、南極での活動は厳しく制限・保護されていた。もちろん原署名国に日本も含まれている。平和目的の活動、主に科学活動に限れば、領土権は凍結され、南緯60度以南では自由に活動できることになっていた。しかもビザ無しで滞在が可能だ。


 ただ、通常のプロセスを踏むなら、日本政府が運営する「昭和基地」に、毎年二月に観測船しらせによって、前年の南極隊との交代として行く。


 だが今回は、あまりにも急な「お誘い」となったので、南極の長い厳冬から明けたばかりの十一月。ニュージーランドのクリストチャーチから、南極基地最大でアメリカが運営するマクマード基地へ、ハーキュリーズと呼ばれる軍用輸送機で経由することになった。


 機体の底部には、車輪ではなく、スキー板を履いた南極特殊仕様の輸送機だ。機内に窓はほとんどない。騒音がひどく、メッシュに編んだ帯ヒモで縛られ、 梱包貨物と一緒に窮屈な座席に押し込められた。


 ところがハーキュリーズを操縦するのは、彫りの深い顔をした、一見すると日本人にも見える、東南アジア系アメリカ人の陽気なパイロットだった。「バズと呼んでくれ」と自己紹介した。有理が南極初体験であることを知り、窮屈な貨物室から副操縦席へ案内してくれた。見渡す限りの白の大地が、眼前に広がっていた。


「南極大陸の標高の平均は、約2,300メートル。地球全体にある氷の90%があると言われている」


 バズは南極のことならなんでも知っていて、まるで自慢の我が家を紹介するように説明した。


「南極は氷だけが浮いているだけと思われがちだけど、北極とはちがって、きちんと大陸がある。そこに長年の雪が降り積もり、4,000メートル級の氷床が創り上げられている。なぜ4,000メートルだと思う?」


「大地が重みで沈んでいくから?」


 そうでなければ、永久に降り続けることで、氷床は山となり何千メートルにも聳え立つことができるはずだ。


「ちがう。実は、氷には弾性があってね。柔らかいんだ。ある程度の重みで変形する性質を持っている。だからある一定以上の高さにはならないってわけ」


「でも雪は降り続けるでしょう?」


「そう。どこかに行かなくちゃならない。だから氷床はやがて、岩盤にあたるコップの縁からあふれ出るんだよ。それが海岸へ押し出されていく。海上に何キロメートルもはみ出している部分があるのは知っているかい?」


「いいえ」


「あれは海に浮いていて、その形から僕たちは『氷河舌』と呼んでいる」


 今日は天候がひどく荒れていて、飛行機は揺れていた。大型機とはいえ、少し心配になった。


「南極の冬は長い。でも南極の十一月ともなれば、太陽が地平線の彼方から顔を出している季節なんだけどね。今日は大荒れだよ」


「ノープロブレム。あなたのせいじゃないわ」


「そう。すべては神の御業」


 有理はそれを聞いて、ここにも神が存在しているのか、と改めて思った。こうしてなんらかの意図をもって、私たちが南極へ行くのを拒もうとしているのかもしれない。


「第3章 自治大学」へ続きます。

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