第27章 ポープと、ホープ
桐生が今までの経緯と、大河内有理が随行している理由も含め、ウィル・キャンベルに話すと、「非常に興味深い!」と、意外にも興奮気味に叫んだ。
「なぜか、彼女の書いた論文や資料、データが、インターネットを通じてアップロードできないそうだ」
有理も加えて言った。
「自治大学は政府からも独立性の高い機関だから、メタフィルターにかかることは少ないはず。それに回線の混雑もないと思う。別の研究室では、光回線や衛生との通信で、インターネットへダイレクトで接続しているところもあったから」
「メタフィルターのせいだろうね」
ウィルは断言した。
「メタフィルターは、各所にいる管理人によって、定期的に更新されるんだけど、定期的でない〝緊急〟タグで最近、更新されたキーワードがあるんだ」
「どんなキーワードだ?」と桐生が尋ねれば、
「さっき、僕が興味深いと言ったのは、そこだよ。彼女・・・・」
ウィルは有理のことを指して言った。
「〝Yuri Okohchi〟というキーワードがあった」
「私の名前?」
「そう。どこの誰なんだろうって、僕も興味が湧いて調べたんだけど、メタフィルターが更新された直後だから、追えるわけなかったしね」
「どうしてお前の目に止まった。興味が湧いたって、一々更新されるメタフィルターの人物名を追っていたらキリがないだろ?」桐生がそう尋ねれば、
そうだ、とウィルは思い出したように手元のノートパソコンのキーボードを滑らかに叩いた。桐生の手つきとはちがう。ホンモノは、キーを叩く音を出さない。
「同時に登録されたキーワードがあってね。そっちのキーワードは、束と呼ばれるサブキーワードで、単体ではメタフィルターは優先度に差は出ないけど、バンドルされているキーワードがあると、極端に回線の優先度が下がる」
「そのバンドルされたキーワードとは何だ?」
「〝南極〟〝化石〟〝神がいた証拠〟の三つ」
桐生も、有理も一瞬息を飲んだ。
「ね、面白いよね? だから僕の目に止まった。ちょうどそのとき、南極の日本基地で殺人事件が起きたっていうニュースを見ていたから、これは何かあるな、とは思っていたんだよ」
桐生は一息ついたあと、続けて聞いた。
「そのメタフィルターに追加されるキーワードはどうやって決めている?」
「それはディープ・パケット・インスペクションの仕組みを考案して開発した、W3C、つまりアメリカ・マサチューセッツ工科大学を中心に構成されたワールド・ワイド・ウェブ・コンソーシアムによって、民主主義的なアルゴリズムで決められているはず」
「本当に民主的にか?」
この一連の騒動を見ると、そうは思えなくなってくる。
「建前では、全世界のインターネットを構成する、各地域インターネットレジストリ(Regional Internet Registry)、つまり、〝アフリカ〟、〝アジア・太平洋〟、〝北アメリカ〟、〝南アメリカ・カリブ海地域〟、〝ヨーロッパ・中東アジア・中央アジア〟の、五つのレジストリ毎に、ユーザーや統括責任者による投票で可決されている」
「じゃあ、逆にキーワードを取り下げるにはどうする?」
「それも同じ流れになる。各レジストリに提案して、上流で投票結果が集約され可否が出されると思うよ」
「コンソーシアムは、インターネットが機能不全に陥った後、ウェブの再生と称して、〝データの透明性〟〝インターネットにおける不平等の改善〟を掲げていたはずだ。なら、その三つのキーワードを提案したヤツは誰だ?」
「それがとても非常に興味深いところだよ。いろいろ調べたんだけど、理由も、どこの誰が加えたのかも分からない。完全に不透明」
「投票は?」
「すべてのレジストリで賛成多数で可決」
「その〝多数〟の人間のログはすべて追えるのか?」
「追えたはず。ただ、決定された直後だったなら、という条件でね。膨大なログは、すぐに使われないゴミデータとして、各記憶装置を逼迫してしまうだけだからね。削除される。それに個人情報の保護という観点からも、短期間で消去されるようにもなっているよ」
「きな臭いな。不透明で、不公平に見えないか?」
「そうね。最近の回線の速度制限には辟易していたところなの」
今まで黙っていた有理がいきなり強い口調で言った。
「だっておかしいと思わない? このカフェに設置された最新Wi——Fi機器は、おそらく同じアメリカのマサチューセッツ工科大学の研究成果から製品化されたもので、電波を何百メートルも先、遠距離にも飛ばすことができるはず。しかもわずかな電力で、多チャンネル化もされていて、ここにいるカフェの客全員が、もし仮にインターネットへ接続したとしても余裕でさばけるのよ?」
有理はさらに続けて言った。
「あるいは、Googleがインターネットの届かないアジア・アフリカ諸国に、衛星や、成層圏の遙か上に気球を飛ばして、アクセスポイントにしたというニュースを聞いたりもする。でもどうして、インターネットの世界規模の切断事件から立ち直った今もなお、ネットを流れるデータをメタフィルターに通して、帯域を制限する必要があると思う?」
その疑問に、ウィルが答えた。
「一度、自由な接続とデータの送受信を許してしまうと、また指数関数的に増えてしまうから、とか?」
「そうかしら?」
有理が疑義を唱えたので、桐生が尋ねた。
「なにか他に心当たりでもあるのか?」
「インターネットが一気に普及するのは、2000年代に入ってから。世界の距離はどんどん縮まっていった。情報はネット上ですぐさま伝わり、地球の裏側で起きている事件や戦争のニュース、映像、はては一部愛好家の猫動画なんかも、あっという間に共有できた」
「なにが言いたい?」
「もし、ここでまた抑制されていたインターネットが開放されれば、爆発的な情報の拡散と、共有が可能になる。隣に座っている人たちも、遙か彼方の日本の喫茶店に座る人も、距離を感じさせずに、その場の空気を共有できるようになる」
そこで桐生はふと気がついた。京が、もっとも恐れていたのは神がいた証拠が暴露されることだった。でもそれだけだろうか?
ディープ・パケット・インスペクションが破壊され、自由なインターネットにより情報の共有がしやすくなれば、「多くの価値観や宗教観が共有されることで信仰心が薄れる」のとは、まるで逆の現象が起こる。逆に神がいるという情報が公になれば、瞬く間に広がり、共有されてしまうのではないか。
「そうか・・・・」
桐生が呟いたので、有理とウィルが顔を向けてきた。
「京が本当に恐れているのは、インターネットの開放だ」
そう考えると、今までの行動にも説明がつく。
「どういうこと?」ウィルは首を傾げたが、代わりに有理は言った。
「そうね・・・・あの男は、あのシベリア鉄道の中で、〝関係項〟が増えることで相対する物体が存在し得るとも言ったわ」
「ウィル。一つ提案がある」
「ん? あ、いいよ。僕が簡単にできるようなことなら」
ウィルは額に汗を浮かべていた。ヤバイことに巻き込まれつつあることが分かってきたからか。
「メタフィルターを含む、DPIのシステムをクラック、もしくは破壊はできるか?」
ウィルはその場で飛び上がった。
「ちょ、ちょっと、なんでそんな極端な行動に走るの? 過激すぎるよ」
桐生の発言にウィルは慌てて窘めたが、桐生は続けて言った。
「できるか、できないか? それだけ聞いている」
ウィルは少し間隔をおいて、慎重に言った。
「理論的には可能だ・・・・」
「ではやってくれ」
「おいおい! そんな簡単じゃないよ。少なくても全世界のワールド・ワイド・ウェブを構成するサーバーの再起動が必要だ」
「つまりはインターネットの再起動か」
「もちろん。DPIを消去した後に、メタフィルターも書き換える。フィルター先頭にある〝not ALL〟を〝ALL〟と書き換える。全キーワードをすり抜けられるようにして、全世界のインターネットに再起動をかければ、その新しいメタフィルターを読み込むようになる」
「再起動には何が必要だ」
「秘密鍵が必要。正確にはICカード内にあるデータで、暗号化されている。盗まれてもパスワードがないと読み出すことができない。そしてキーカードは、この地球上で七人が持っていて、五人がカードを持ち寄って集まれば、再起動が可能になる」
「よくその話は聞くが、都市伝説だろ。トップシークレットなら、ニュースになんかならない」
「確かに噂では、そのメンバーの住む国が公開されていたけど、あれが嘘情報。もちろんトップシークレットさ。でも僕が独自開発したソフトウェアは、メタフィルターをうまく交わしながら、独自のシソーラスを使って、オブジェクトとして変態を繰り返し、検索していける」
「わかりやすく説明してくれ」
あ、ごめんと言いながら、言い直した。自分の興味範囲に入ると熱弁を振るってしまうのは、ギークらしい特徴とも言える。
「たとえば、あるクラウドサーバーに置かれた、僕のプログラムしたものが、あたかも多種多様なデータと見せかけて、メタフィルターをすり抜け、何度でも通信が可能になるってこと。僕が侵入できるところは、全て押さえたよ」
「ちょっと待て。キーは実物のICカードなんだろ?」
「まあ、そうだけど。パスワードも暗号強度を考えて、1024ビット。128バイト、つまりランダムな英数字で構成された128文字。そんなの覚えていられる?」
「まあ、少なくとも俺は覚えていられない」
「でしょ?」ウィルはイタズラな笑みを浮かべた。
「だから、彼らの所持するパソコン、自宅近くの無線LANアクセスポイント、あるいは書斎の引き出しのノートから、そのパスワードを見つけた」
「おいおい、自宅に不法侵入かよ」
「僕はやってないよ。人を雇った。それにICカードを常に携帯しているなんて無理だからね。お風呂くらいは入るでしょ。その隙にちょいっとカードリーダーに通してもらった」
桐生は呆れるしかなかった。
「お前、まさか世界を混乱に陥れるつもりだったのか?」
「ちがうよ。そんな知りもしない七人に、大事なインターネットを委ねられてたまるかと思ってさ。その内の三人の秘密鍵は、入手済み。スコットランド、南アフリカのケープタウン、フィンランドのヘルシンキ。なので、あと二つの鍵が必要。ただ、居場所が分かっているけど、僕でも手が出せないところに住んでいて、鍵はそこにある」
「その二人とは誰だ?」
「ポープと、ホープ」
「なんの言葉遊びだ?」
「ローマ教皇、あとは、国際宇宙ステーションにある実験棟『きぼう』だよ。たしか何十年か前に日本が作って、くっつけたんじゃなかっけ? ローマ教皇の方は、おそらく僕が調べた限りでは、教皇自身も、この事実を知らない」
「持っていることをか?」
「そう。ローマ教皇が、儀式などで持ち出す杖の中に仕込まれたようだね。詳しくは分からないが、枢機卿の中で、その再起動権限を持つ者がいたようだね」
「もし世界のネットワークの再起動をしなくてはならない危機に陥ったとき、その正当性も含め、今の教皇に説明し、その杖からデータを取り出さなければならないわけか」
ウィルはその空を見上げて天空を指差した。
「あとは宇宙。唯一メタフィルターの及ばない楽園。非営利団体が打ち上げた、〝自由〟を標榜した衛星や、成層圏に浮かぶ気球中継ルーターに接続が可能だ。逆に言えば、地上からリセットの要請があったとき、それが公正なものか、さまざまなルートを使って確かめることができる」
「不可能だ」
桐生は両手を上げて、降参を示し、空を見上げた。ローマの空は、青の碧。同じ空でも日本とはちがうな、と思った。とりあえず、まずあり得ないが、ローマ教皇をなんとか説得したとしても、宇宙までは無理だ。行く手段がない。
ふと、ウィルに視線を戻すと、彼は新しいデバイスか、ガジェットでも見つけたかのように、目を輝かしてノートパソコンの画面を見せた。桐生はそれを覗き込んで絶句した。
「おいおい・・・・まさか冗談だろ? 俺が宇宙に行けってか?」
「ちょうどいまバイコヌール基地でロケットの発射の準備をしているらしい」
「宇宙ステーションの交代要員か」
「そうだろうね」
「冗談は無しだ。とっくに定員は締め切っているだろ」
交代要員は、長い訓練を経て、そのロケットに万全の準備を整えてから乗り込むのだ。そうして長きにわたって宇宙ステーションに滞在していたスタッフと交代する。さすがにその席に空きがあるわけがない。
「いや、そのバックアップ用に、東シベリアに出来た新しい発射場でも準備が行われている。ただ、こっちは補給船だけど」
「ロシアだとプログレス補給船か。貨物専用じゃあ、人間は運べない」
貨物扱いで行く、初めての宇宙旅行など御免蒙りたい。
「いや、補給船には与圧部分と、非与圧部分とで部屋が分かれている。与圧部分は70%の窒素と酸素で充たされ、一気圧に保たれているんだ。実験動物なんかも運ばれるからね」
「そこもどうせ一杯だろ?」少なくとも人間が乗るためには作られてはいまい。
「いや、いまキャンセルを出しておいた」
「なんだって?」
「実験用に子豚が行く予定だったけど、感染症にかかったとの偽情報をいまメール送信しておいた。ただ、子豚がもし宇宙に行っていれば、親子孫三世代に渡って宇宙を滞在した初の子豚になる予定だったのに・・・・残念だよ」
「そんなことよりも、俺は子豚のバックアップか」
「いや、でもまだそこに乗れるかどうかは分からない。現地に行って交渉してよ。買収用のお金は持っているんでしょ?」
あるいは発射準備をしているヤツらを脅すか、とウィルは言った。
「ムリに決まっている」たとえ脅して乗ったとして、発射ボタンをきちんと押してくれる保証などどこにある?
「じゃあ、値切る材料をあげるよ」
そういうと、ノートパソコンをくるりと返して、画面を桐生に見せた。
「基地責任者のナボコフという男の、補給船打ち上げに関わる乱脈な経理と使途不明金、不正なマネーロンダリングの記録、あと愛人との密会写真などなど」
過激なハメ取り写真なんかもあるんだけどね。これは刺激が強すぎるから見せないよ。そう楽しそうにウィルは言うと、パソコンを引っ込めた。
「かわいそうに。彼には長年連れ添った妻と、可愛いお嬢さんが二人もいる。十二歳と七歳だ」
「それを使って脅せというのか?」
「いや、彼は近々、殺される」
「え?」
「彼は愛人に貢ぐための金が欲しかったようだね。不正な薬物取引に手を出した。この彼の泣き所は、ロシアのマフィアが集めたものを僕がハッキングしたものだ」
先に脅すか、後に脅すかのちがいでしかないでしょ。少なくとも先に教えてやった方が、彼の助かる可能性が高いよ、とウィルは事も無げに言った。
桐生はただ溜息をつくしかなかった。一度、ロシア人高官の暗殺計画に加わったことがあって、日本から来た宇宙飛行士候補生ということで、何日間が訓練を受けたことはあった。だが、それは巨大なプールに、でっかい宇宙服を着せられてもぐり、船体の損傷箇所を直すという訓練だった。今回の宇宙滞在に役立つだろうか?
そのとき、ふと桐生は思い出したように言った。
「ああ、あと、一つだけ頼み事がある。日本のシブヤにある、人気のおいしいワッフル屋があるだろう?」
ウィルは素早くノートパソコンを操作した。
「なんでワッフル屋? まあ、あるよ。ドウゲン坂の途中にある店だ。日本のティーンに人気らしいね」
「ティーンに人気だって?」
ティーンに混じって、本当にあの二人がその店を訪れるのだろうか。
「まあいい。その店に、中年の厳つい日本人と、アメリカ人の二人が予約しているはずだ。ワッフルをおごってやってくれないか。ついでに金を振り込んでくれ」
「まあ、いいけど。どれくらい?」
「二十五万ドル」
「ええっ? 冗談でしょう?」
日本の物価は高いって聞いていたけど、ワッフルでそんな金取るのかい? 素っ頓狂な声を上げて驚いた。
「しかもそのお金を誰が払うんだ?」
「そのロシア人がマネーロンダリングした金があるだろ」
「今度は僕がロシアのマフィアから目を付けられちゃうよ」
「凄腕のハッカー・・・・いや、ウィザード様なら大丈夫じゃないのかよ。まあ、俺の名前で振り込んでおけばいい」
「そうしてもらえると助かる」
弾の飛び交う戦場を共にしたとは思えないくらいのへたれぶりだ。まあ、本当はこの慎重さと、大胆さのバランスで、戦場で生き残る確率が上がるのだ。傭兵に蛮勇はいらない、ちょっとの勇気と、疑り深い慎重さがあれば、十分だ。
「あと、もう一つメッセージを付け加えておいてくれ。〝Apocalypse Now〟だ」
「いったいなんの暗号なんだい?」
ウィルは、あの映画は観たことがあるけどあんまり面白くなかったな、と呟き、戦場は意外と楽しいこともあるんだけどね、と小さく付け加えた。
「第28章 ヴェネツィア」へ続きます。




