第24章 逆転
桐生游輔は、三等車で仲良くなった若い兵役帰りの男子たちと、朝食を分け合いながら食べていた。先ほど停まった駅のホームで、たくさんの食材を買った。ライ麦のパンやチーズ、淡水魚の燻製や、松の実など、どれも日持ちの良い乾燥したものばかりだが、車掌室近くのサモワールと呼ばれる給湯器からは、二十四時間熱いお湯が出た。それでお茶や、乾燥したジャガイモ粉末をお湯で溶かし、ピューレ状にしたものをパンに乗せて食べた。
そのとき、列車が減速し、やがて停止した。もちろん、次の駅までは相当な距離がある。しかし、シベリア鉄道ではたまに途中で停車して、複線で貨物列車を先に通したり、駅から遠いところで、孤立して住む人たちへ食料品や郵便物の荷下ろしをしたりすることもあった。
今回もそれだろうか、と思いつつも、桐生は常に京たちが来ることに警戒を怠らなかった。
車窓に顔を当てて、左右を覗き見るが、どこかで荷下ろしをしている様子はなかった。
桐生は、昨日くらいからヒリヒリとした緊張感が高まってきていた。ヤツらが来るのはそろそろだろう。
桐生は、朝食を中断し、有理が乗る一等車へ向かった。
隣の車両へ乗り移って、廊下を慎重に進むと、列車は動き始めた。その刹那だった。いきなり前方から銃を持ったスーツ男が、三発ほど連射してきた。ガラスにヒビが入る音がしたが、発砲音はなかった。サイレンサー付きか。
桐生は近くのコンパートメント扉を蹴破り、中へ転がった。鍵がかかっていないのが幸いした。また、乗客もいなかったことにも安堵した。すぐさまベッドの脇にある梯子を駆け上って、静かに二段ベッドの上へ登った。廊下側への壁にピタリと張り付き、入り口の天井付近まで移動した。男が入ってくるのを待った。やがてその男が入ってきた。どうやら、あの伯爵ではない。
桐生は張り付いていた天井から飛び降りて、相手が銃を構えるより早く背中を取り、両腕で首に巻き付いた。男は銃を取り落とし、そのまま床にもんどりを打って両脚をバタバタさせたが、桐生の腕がますます男の首を締めつけていく。直に静かになった。
男が取り落としたサイレンサー付き銃を手に取った。微かだが、廊下に息づかいを感じた。桐生はこういうとき、気配を消すために、地面や床に近いところに、へばりついた。ゆっくりと蜘蛛のように奇妙な匍匐前進をして、入り口まで来ると、左から二人以上の人影が潜んでいる気配がした。
間を置かずに、そのまま床に這いつくばるようにして廊下から顔を出した。
やはりいた。廊下左奥へ銃を向けた。
正確な射撃を二発。いずれの男たちも、続けざまに額へ弾を撃ち込んだ。相手は、声を発することなく、その場に倒れ込んだ。
そのとき、後ろにも気配を感じたので、ごろりと態勢をひっくり返した。今度は右側奥にいた黒スーツを撃った。彼も銃を構える間もなく、顔面に銃弾を撃ち込まれて絶命した。
桐生は大きく息を吸って止め、辺りに耳をそばだてた。
もういないか————
桐生はゆっくりと立ち上がると、手にしている銃の弾倉を取り出してみた。
クソッ、弾切れか————倒した黒スーツ男たちの銃の弾倉を見たが、全部空になっていた。
「どいつもこいつも闇雲に撃ちやがって・・・・」
そう桐生は呟きながら、ロシア号のちょうど真ん中に連結する食堂車まで来た。
中に入れば、その車両の真ん中で、上品に食事をする、京がいるのを認めた。
食堂車の奥。一等車へ通じる入り口には、見慣れぬ大男が、有理を人質にして、朱色の鉄斧をぶらぶらさせていた。どちらも感じの悪い男たちだ。
有理は不安そうにしていた。ここからでも膝が震えているのが分かった。
「お久しぶりですね」
京がそう言ったので、
「一週間も経ってねえよ」と返せば、彼は不敵な笑みを浮かべた。
「朝のお食事はお済みですか? ご一緒しましょう」
「あいにく、うまいライ麦パンを食べたんでね。お断りします」
「あんな硬いパンを? 私は嫌いですねえ」
「俺は好きだよ。年寄りは歯が弱いから、食べるのが億劫かな?」
そう言うと、京は不快な表情を浮かべた。桐生は銃を構えて、言った。
「おい、そこの大男。有理を放せ」
「その銃にはもう弾が入っていないはずです」
京は口をナプキンで拭いながら、懐から拳銃を取り出して机に置いた。
「あいにく、あなたが倒した部下には、ぴったり六発入った銃を渡しましたので」
桐生は舌打ちをして、マガジンを床に落とした後、銃を放り投げた。
「それも計算結果ってやつか?」
「そうです。あなたなら、正確に私の部下を殺すと思いました」
「殺されるのが分かっていて、部下に仕事させるとは。俺はそんなブラックな会社では働きたくないねえ」
「だから裏切ったのですか?」ちくりと皮肉を言った後、
「まあ、そちらにおかけください」
京の正面の椅子を勧めた。桐生が座ると、机の上に置かれた京のリボルバー式の拳銃を見た。きっちり撃鉄が起こしてあり、銃口はちょうどこちらに向いていた。机に置いたまま、掌で押さえ、引き金を引けば、確実に一発は桐生に当たるというわけか。
「あなたは、〝質量〟というのを見たことがありますか?」
こいつはいつも唐突で、衒学的な言い方をする。
「シツリョウ? そいつは三国志にでも出てくる歴史上の人物かな?」
桐生がすっとぼけて言えば、京はそんな挑発には乗らないとばかり、小さな溜息をついて、背中を深く椅子に預けた。
ずいぶん余裕があるじゃねえか————テーブルに弾丸を装填済みで、撃鉄を起こした状態の拳銃を置いて、桐生の手が銃に届かないとでも思っているのか。それとも有理を人質にしていることで安心しているのか。
「質量は、一つでは存在し得ないのです。もう一つ、別の質量を持つ物体があってこそ、そこに形成される重力場を通してのみ、はじめてもう一方の物体の質量を観察することできるのです」
「なるほど、それは、あんたがいることで、俺が存在し得る、とでも言いたいのか?」
ずいぶんと人を小馬鹿にしてやがる。
「いいえ」京は即座に否定した。
「逆も言えますよ。あなたがいて、私が存在し得るのです。いわば関係項なくしては、物体は存在しえない」
「そうかな? じゃあ、俺の存在があやふやなら、あんたは今頃、蒸発して、ここにいないってか? ちがうだろ。それだと、そこには〝関係〟しか見えない」
「ほう。それは面白い解釈です」
「あんたは所詮、性質の束でしかない」
京が首を傾げた。
「幽霊のように肌が白い。表情がない。いつもメシをまずそうに喰っている。それと・・・・」
桐生が指折り列挙し始めたら、京の表情が珍しく険しくなった。だんだん彼のツボが分かるようになってきた。このまま行けば、ずいぶんと親しくなれそうだ。
「もうけっこう」
京は手招きして、食堂車奥にいる白人の大男を呼び寄せた。
「やめて!」
有理は片手で引きずられた。
「乱暴はやめてもらおうか」
怒気を含めて、英語で言ったが、果たしてこの男に通じたか。
ロシア人には英語が通じない。ロシア語で言おうかと思えば、男は有理が持っていたクーラーボックスをテーブルの上へ乱暴に置き、その男は、有理に英語で命令した。
「開けろ」
有理が腕を捻られている状態で、桐生を見たので、静かに頷いた。
有理はボックスの前に取り付けられた静脈認証用カメラに腕をかざした。
だが、認識できないといったようなブザー音と、LEDが赤く点灯するだけだった。
「え? おかしい・・・・」有理は震えた声で言った。
ここへ来て、目の前に鎮座していた京の顔色が、微かに変わるのが見て取れた。
「開かないのか? じゃあ俺の静脈を貸してやろうか?」
桐生はそう言って左腕をかざすと、ピッという鋭い音と、LEDランプが青色に点灯した。
「え? どうして?」
有理はまったく状況が飲み込めていないようだった。京が、桐生を見たので、手を出し、どうぞお開け下さいといった仕草で促した。
京は二つある留め金を弾き、ゆっくりと上蓋を開いた。
その瞬間、箱の中から、勢いよく弾ける音がして、何かのピンが飛び出した。
京も、大男も、一瞬驚いたが、すぐにその箱の中を覗き込んだ。
きっと、生きた心地はしなかったろう————そこには手榴弾一つが固定され、箱の上蓋を開けることで、安全ピンが抜かれ、発火レバーが箱から飛び出す仕組みになっていたからだ。
京はテーブルの下へ、大男も、その場で飛び上がらんばかりに、床へスライディングした。
だが桐生は、テーブルの上に置かれた銃を取り上げ、有理の手を引いてその場を少し離れたとき、ポフッという小さな音が出て、煙が一塊、浮かび上がった。有理は呆気にとられ、その場にへたり込んだ。
***
こうして京は、自らシベリア鉄道の乗降扉を開けることになった。もちろん列車は走行中だ。やかましいレールが軋む音と、突き刺すような冷気が入ってくる。
「私を殺しても、また次の者が現れるだけだ!」
「早くしないと、白樺の林に激突しちまうぞ」
桐生は、京から取り上げた拳銃を彼の背中に向けた。
「殺しはしない。運が良ければ、柔らかな雪のベッドの上に降りられるだろうよ」
桐生は、躊躇する京の背中を切り飛ばした。彼の叫び声は、あっという間に列車の走行音に掻き消された。
次に大男だ。どうやら有理の親戚でもある、片山教授を南極で殺した犯人は、こいつということらしかった。列車はちょうど川にさしかかって、鉄橋を渡っていた。撃っても良かったが、彼は躊躇なく不敵な笑みで振り返りながら、凍っていてもおかしくないくらい、冷たいであろう、冬のシベリアの川へと飛び込んだ。
その後、桐生游輔と、大河内有理は、改札どころか駅舎もない、プラットフォームだけ急ごしらえで置いただけの駅で降りた。このまま乗り続ける理由もなくなったからだ。京から大きなアドバンテージを手に入れたからには、できるだけ先へ進まねばならない。
「どういうことなの? 説明して!」
有理は、手が付けられないほど錯乱していた。
「だからあれほど大事なクーラーボックスから目を離すな、と言ってたろう?」
「ウラジオストク・・・・まさか、あなたの包帯を買いに行っているときにすり替えたの? でもどこへ?」
桐生は海老原からもらった腕時計を見せた。
「俺もBFFのアカウントを持っていてね」
「あれだけバカにしておいて?」
「いや、俺が入っているのは退役軍人グループだけだよ。それも傭兵専用の」
そのグループでは、行く先々で困っている仲間がいれば助け合うという、暗黙の互助会システムが存在していた。実際、桐生は日本に来るグループで知り合った仲間のホテルを手配したり、浅草などの東京巡り観光に連れて行ったりはしていた。本当はその程度。
だが、こうして他国、しかもロシアという地で、ある種、軍事的な用途で助けを求めるとは思いもしなかった。
やがて何もない荒野の、地平線の向こうから、プロペラが冷たい大気をかき混ぜ、騒音響かせて近づいて着た。
「お迎えが来た」
「私の化石標本を返してよ!」
「安心しろ。それも仲間が、指定日までにヴェネツィアへ送り届けてくれるよ」
桐生はBFFの中で、『補給ルート』というアプリを使って、宅配便も頼んだ。荷物受け取り先はウラジオストク駅前。
荷物のクーラーボックスには、行き先と、到着希望日だけ添え、ルートは三十刻みでのランダムを指定した。あとはバケツリレーの要領で、三十箇所、印が付けられながら、一番近いルートにいる仲間へと渡していく。誰もその運んでいるものの正体を知らないし、関与しない。
巡回セールスマン問題というのがあったはずだ。ある地点を通りながら最短距離を求める計算だ。計算量が膨大になり、結果出力が困難になる。
京は、スーパーコンピューターの存在を仄めかしていた。そいつがどれくらいの計算量をさばけるかは分からないが、シベリア鉄道へ辿りつくまで、これだけの時間を要したとなると、その計算量も無限ではなく、有限であったとしても、さほどのものではないはずだ。つまりは、そのコンピューターが算出できないように、クーラーボックスを多くの拠点を通して運べばいい。到着希望日も見て、アプリは、経路を各拠点へ指示するので、たまに遠回りもするだろう。ならばますます計算は困難になる。
「イタリアへ行くぞ」
ヘリが桐生たちの目の前でホバリングしながら、ゆっくりと着地した。
「ヴェネツィアへ?」
「ちがう。まずはローマだ」
「ローマ? どうして!」
桐生には、イタリアに行くからには、どうしてもローマに立ち寄りたい仲間がいた。
「第25章 ウィザード」へ続きます。




