第1章 逃避行
桐生游輔は、海上自衛隊の「航空母艦」とも呼ばれる、ひゅうが型艦から、日本の主力戦闘機F-35BライトニングⅡの後部座席に乗機し、東京西部、国分寺市にある「自治大学研究所」へと向かって飛行中だった。
F-35の機体は高いステルス性能があり、レーダーに映らない。シールドライン制御と呼ばれるフレーム製造技術を用いることで、機体各部の継ぎ目をほとんどなくし、電波吸収素材(RAM)によってシールすることで、レーダーが反射する要因となる段差や溝をほぼ完全に排除しているからだ。
2032年現在、日本の自衛隊機の大半は、このF-35の機体に入れ替わりつつある。
《F-35の垂直離陸できるB型で、複座の機体はなかったはず》
ヘルメット越しの無線で、前で機体を操縦する海老原修一尉に向けて聞いた。
《俺も知らなかった。今回初めて乗る。訓練用にでもと思って、一機、試しに入れたんだろ》
《いや、F-35を納入するときに訓練用のフライトシミュレーターを購入しているはずですよ。あなたも使ったでしょ?》
《もちろんだ。だが、所詮はシミュレーターだ。実際に飛ぶのとはわけがちがう》
たしかに彼の言うとおりだが、コンピューター完全制御型のグラスコックピットが主流の今、かつてはレーダー要員が乗っていた複座も、いま価値を見出すとしたら、どこにあるだろうか。
あるとするならば、こうして自分が運ばれているように、緊急に要人を輸送のためにある。しかもこいつは垂直離陸可能なステルス戦闘機だ。居る場所を問わず、身柄を確保し、雲隠れするにはもってこいだ。
《それにしても戦闘機に詳しいじゃねえか。開発関係者か?》
向かう先が、政府から独立して運営される、自治大学研究機構だけあって、そう思うのも無理はない。その場所は、軍需産業の一翼も担っている。
《毎週、『航空ファン』という雑誌を購読しているんです》と言った。
《まったくもってうそくさい》
桐生は、液晶パネルを起動させて情報を引き出し、表示させた。
《おいおい、勝手にいじるな》
《兵倉が空っぽじゃないですか》
《ただの要人輸送に必要あるか? 戦争に行くんじゃない》
《じゃあ、なぜオプションのはずの機関砲ポッドがついているんです? 垂直離陸型のBタイプは内蔵じゃないはず》
《本当によく知っているな》
《しかも、ちゃっかり25ミリ弾もフル装填済みとは。これじゃ、ステルス機能が台無しだ》
《F-35Bの外部ガトリング砲はオプションだが、ステルス仕様だ。それは知らないのか?》
《へえ。そうなんだ。ますますキナ臭い感じがしてきた》
《そいつは俺の言葉だよ。お前を乗せたことに後悔し始めている》
《戻るには、まだ遅くないですよ》
その途端、アラートが鳴った。
桐生は手元の液晶パネルを近接レーダーに切り替えた。後方、ほぼ六時方向から二機、識別不明機が近づいてきた。
《おいおい、別のお客が来るなんて聞いてねえぞ》
《機体の大きさから無人機でしょうかね》
《そのお客からメッセージを送ってきた》
海老原一尉が言ったので、桐生も液晶パネルを操作すると、無機質な英語のメッセージで、
『府中飛行場に着陸されたし』と出た。
《命令形かよ。しかもあそこは民間の飛行場だぜ?》
そう海老原が言っている間に、視認できるほどドローンが後方に接近していた。ミサイルは搭載していないようだが、機体にはしっかりと機銃が装備されているのが見えた。命令に従わない場合は、警告以上のこともあり得るか。
それにしても、米軍のドローンかは現時点で分からないが、なぜ襲われるのか。神の存在を証明する決定的な材料を確保したいグループでもいるということか? いや、むしろ、その証拠の品を闇に葬り去る方が、少数派なのかもしれない。この件に関しては解せないことだらけだ。
《こういうときの対処は命令にありましたか?》
《要人輸送が最優先だ》
《交戦もあり得るということですね》
《逃げ切るという手もある》
まあ、自衛隊が、ほぼアメリカと思しき相手のドローンに挑みかかるというのは、日米間にイヤな軋轢を生むだろうし、抵抗はあるだろう。
《I have a control!》
桐生は無線で高らかに宣言した。
《おや? 無線にノイズでも乗ったかな?》
海老原からの返事がないので聞き返した。
《おいおい・・・・気軽に言うな。俺の良く知らない客人に、操縦を譲れるわけがなかろう。自家用車のようにはいかねえぞ》
《着陸用の車輪はついていませんでしたっけ?》
海老原一尉は冗談の通じる男ではない。ガッチガチのマッチョな航空自衛隊員だ。
《ならば、命を賭けてもいいですよ。あなたの操縦だと、あと五分以内に撃墜されます》
《なぜ、五分だと言い切れる?》
《武蔵野丘陵が近い。そこからは先は住宅地が密集している。そうすると高度を上げざるを得ない》
《やつらが住宅地のど真ん中で、ドンパチやるってか?》
《コストですよ》
《突然、なんの話をしている?》レシーバーから舌打ちも聞こえてきた。
《撃墜することで、私たち二人と、たまたま下にある家に住んでいる人か、車で通りかかった人の命の数。せいぜい数名の被害で済む。それと天秤にかけ、そのコストが上回らなかったなら、即実行に移す。それが『お上』の考え方ですよ》
《お前、さては傭兵だな》
《諜報員って言ってほしいですね》
《体つきがそうには見えなかった。てっきり大使館の人間か、研究者かと思ったよ》
《たぶんみんな、そう思っていたでしょうね》
《過去形か?》
《気づいたときには、相手はみんな死んでいるから》
《おお、怖いねえ。だが、この戦闘機は最新鋭機だ。お前の操縦スキルがどんだけのものかは知らねえが、思っているよりもレガシーじゃねえぞ》
《たしかに難しそうですね。でも戦車よりは簡単そうです》
《お前、戦車も動かせるのかよ》
《いやいや。あれはチームワークが大事で、一人じゃ動かせませんよ》
《You have!》
ドローンに尻を取られている状況で、見知らぬ乗客に操縦を譲るとは、この一尉も、ずいぶんとキモが座っている。
操縦権が桐生に移った。慎重に操縦桿と、スロットルレバーを操作した。思っていたより、感度がいい。右手首にさして負担をかけることなく機首を変えられるというわけか。大昔の油圧で動いていた機体の操縦桿の重さとは大違いだ。
まるでゲームだな————
ましてや無人機をはるか遠くの基地から操る人間にとってはなおさらに。
いや、今やアメリカ合衆国のドローンの操縦士の六割は、操縦AIが使われている。とすれば、もはやロボット三原則の第一条はメモリーから抜け落ちた、ただの冷酷なキラーマシンだろう。
桐生はレーダーを見た。きっちりとこの機体との距離を保ってドローンは飛んでいた。
そもそもこの戦闘機は、厳密に言えば近接戦闘用ではない。どちらかといえば、高々度を飛行する哨戒機や地上レーダーから送られてくるデータとリンクして、気づかれる前に相手を始末するという戦略型戦闘機だ。
とはいえ、近接戦闘になったとしても、機動性能から言っても、現在のところ世界一だろう。ましてやドローン相手ならば。
ただ、先ほど海老原にも言ったが、地上に民家が少なからずある以上、上空でのドンパチは避けたいところだ。
《テレイン! テレイン!》
突然、人工音声による警報が鳴り響いた。
地面に接近しているという機械的な、不気味な合成音が繰り返される。
《低空がセオリーとはいえ、これはいくらなんでもやべえ》
民家のテレビアンテナを引っかけちまうぞ、海老原は下に注意を向けた。
《逆に、ドローンが引っかからないかなあ》
さすがに、「やつら」は、我々よりも上空を押さえ込むように、追尾してくる。
だが、そのお陰で、上からの機銃掃射はしにくくなっているのだろう。民家も撃ち抜くことになるからだ。
《あと、二分で府中飛行場を通過》
海老原が言った。その途端、ドローンが機銃を放った。もちろん、この機体へではない。まずは前方へ警告射撃を一発といったところか。つまりあちらは本気モードということだ。
《そういえば、お前さんにヘッドマウントディスプレイ付きのヘルメットを渡していない。敵機をロックできないだろう?》
《兵倉には空対空ミサイルはなかったでしょ?》
《機銃の照準が合わせられないってことだよ》
《昼間だし、この距離なら見なし射撃で充分です。以前ハリアーで、同じガンポッドをつけて戦った経験があるので》
《いったいお前さん、どういう経歴の持ち主なんだよ》
《大丈夫。一分以内に片を付けます》
《武蔵野丘陵が近い。ぶつかるぞ》
海老原が警告を発した瞬間に、操縦桿を思い切り引いた。またブザーが鳴り響く。今度は失速警報だ。しかもフライバイワイヤによって、墜落しないように操作が勝手に補正された。
《失速防止機能をいますぐ切ってくれませんかね?》
《バカか? ドッグファイトの前に墜落はゴメンだ》
《あ、まあ、ギリギリ大丈夫かな》
速度を落とすための急激な機首上げをしたため、急減速が起き、ドローンが前方に投げ出されるように視界に入った。素早くスロットルレバーを入れ、エンジン出力最大、機体を武蔵野丘陵上空へ張り付くように、左旋回で捻った。
《ぐぉ・・・・ここからシャンデル機動かよ》
急激なGがかかって海老原が悲鳴を上げた。
ドローンは、桐生の機体が急旋回を行った方向へ機首を向けた。
その瞬間を見計らって、右上方へ機銃掃射した。やはり所詮は初めての機体で、出たとこ勝負だ。当たらなかった。
気持ち、狙いはもう少し下か————ドローンも上げすぎた速度を落とすために、いったん高度を上げ、左旋回でついてきた。
桐生はそこを見逃さずに、もう一度撃った。今度は何発か相手の主翼に当たったようだ。きりもみ状態で、丘陵の森の中に墜落した。
《やるねえ》
海老原が口笛を吹いた。残りのもう一機が態勢を整えるため、散開した。大きく旋回して、後ろに回り込もうという算段だろう。予想通りだった。
桐生はここで一気にスロットルレバー全開で、高度を上げ、急加速した。
《おいおい。どうするつもりだ?》
《三十六計逃げるにしかず。この機体はステルスですよ?》
《たしかにそうだが・・・・あん? じゃあ、相手はどうやってこっちを見つけたんだ?》
海老原は言ったが、彼が知らないはずはなかった。この戦闘機はステルスである以上、レーダーから発見するのは不可能だ。首謀者が、事前にこの飛行計画を入手していたとしか考えられなかった。
第2章「南極大陸への招待」へ続きます。