第17章 神が倒す進化ドミノ
桐生は、ようやく操縦に馴染んできたF-35で、あえて自動操縦装置は使わず、自らのコントロールで低空を飛ばしていた。ステルスとはいえ、高高度へ上がれば、衛星に捕捉されないとも限らない。今日は雲が薄く垂れ込めていた。雲の上に出るのは得策ではないと考えた。
あとは緊張感。低空を続けることは、一歩間違えば、海面に激突することもあり得るが、眠気を吹き飛ばし、ある程度の警戒心を高めておくべきだった。
《真っ暗闇ね。まるで『風の谷のナウシカ』で、オームの大群が押し寄せる風の谷へ向かう、ガンシップの中のよう。エンジン音しか聞こえない》
突然、有理がレシーバー越しに話しかけてきた。てっきり寝ているものかと思っていた。
「俺もその古典アニメは、図書館で観たことがあるよ」
《私が観たのはだいぶ前ね。あの後、ナウシカはどうなったんだっけ?》
「王蟲の子どもを救うよ」
《そうそう・・・・そうだった。そして彼女は自己犠牲も厭わず王蟲の群れを止めたんだっけ》
桐生のコックピットからは漆黒の闇しか広がっていなかった。今日は月も星も出ていない。海面のきらめきもなく、暗闇と波間の境目が分からなくなった。桐生はしばしば高度計に注意を払った。
《私は誰を救うことができるのかな・・・・》
彼女は呟くように言った。
「誰も救えないよ」
桐生は冷たく言った。彼女は押し黙ったまま何も答えなかった。
「誰かを救えるのは、特撮もののヒーローか、マーベルコミックスの中で、たまたま能力に目覚めた主人公だけさ」
レシーバーから、彼女が吹き出して、小さく笑うのが聞こえた。
「それと、ナウシカは、自己犠牲の象徴なんかじゃない」
《どういうこと?》
「彼女は、王蟲たちがいる世界、腐海と共存するための世界を、自分たちの世界の一部として守ったんだ」
《新しい解釈ね》
「そうかな? ただ・・・・」
《ただ?》
「自分のことは、自分で救える」
「君は、どんな秘密を握っているんだ?」
あの京が血眼になり、彼自身の組織だけでなく、桐生游輔という極めて扱いにくい殺し屋まで雇って守りたい秘密とはなんだろうか。
《知っているんじゃないの?》驚きの声を上げた。
「あのときはハッタリだよ」
《ひどい。嘘をついてたのね》
その声には少しばかりの怒気を含んでいた。
「俺はもう君の味方だぜ」
《また寝返らないとも限らないわ》
「いや今度、俺がその雇い主に会ったら確実に殺されるだろうね」
大河内有理は沈黙した。だから鎌をかけてみた。
「そういえば、俺の元雇い主は、アーキテクトがいたという証拠が、全人類に知れ渡るのを怖れていた」
《アーキテクト?》
「ああ。たしかにそう言っていた」
《それって、つまり・・・・》
「創造主=神様ってことじゃないのか?」
やや核心をついた答えを投げかけてはみたが、また彼女は沈黙した。複座に座る彼女の表情を見られないのがもどかしい。
《化石よ》
意外な答えが返ってきたので驚いた。化石が神のいた証拠となり得るのか。
《南極大陸の氷床奥深くにある、プレカンブリア紀の地層から出たと推測できるもの》
「恐竜か何かの生物か?」
《ロボットよ》
「はっ?」
さらに化石でも意外なものだったので、思わず声が出た。
「冗談だろ?」
《私も初めは節足動物か何かと思った。でも大学にある高分解能のCTスキャンで精密にスキャンしたら、精巧に創られたロボットだと確信を得たわ》
「なぜロボットだと?」
《まず天蓋————おそらくこのロボットの頭脳だと思われる場所に、集積回路状のウェハーがあった。その回路幅はおおよそ、20ナノメートル。もちろん出鱈目に刻み込まれたわけではなく、きちんと交差せず、間隔を保って刻み込まれていた》
「それは俺たち、人間が持っているようなシワシワの脳みそかもしれないぜ」
あまり機械には詳しくないが、聞く限りは、まだ生物のようにも思える。有理は続けた。
《この機械には、生物の条件となる代謝もなかった。このロボットには、そもそも内臓に相当するものがなくて、胃袋がない。ただ、柔らかい生物を切り裂くようなトゲのようなものが、下に突き出ているけど、そこから他の生物を捕食して、内臓に収めるようには出来ていなかったのよ》
「じゃあ、どうやって生きていたんだ?」
《ボディの中央には、正方形状の独立した隙間があったわ》
「おいおい、それって電池か?」
《現時点では分からない。ミニ核融合炉か、原子炉だった可能性も》
桐生には、電池よりも、その原子炉がその太古の地球にあること自体が衝撃的だ。
「なら、そもそもなぜ今までその化石が見つからなかった?」
《この生物様ロボットには、繁殖器官もなかった。つまり自己複製の仕組みね。だから生物とは言えない。それは逆に考えると、この機械生物に明確な意図を持たせた理由かもしれない。数が少なく、かつ自己複製せず、生存競争の頂点に立つこともないなら、後世に化石として残る可能性は低くなる》
おいおい————それって————
明確な意図を持たせた人物には言及せず聞いた。
「その意図ってのは?」
《食うか食われるかの生存競争の世界にいたのではなく、「殺し」に特化した殺戮マシーンとして、独立して存在していたのかも》
独立して存在する殺戮マシーン————
まるで桐生には今の自分を皮肉っているように聞こえたが、有理は気にせず続けて言った。
《「カンブリア紀爆発」ということを聞いたことはある?》
「いいや。そういった学問にはまったく疎くってね」
《実は、カンブリア紀以前の時代は、せいぜい複雑な多細胞生物か、現在のものとは全くちがう軟体動物の痕跡くらいしか残ってないの。でも、その後のわずか数千万年後の地層からは、一斉に様々な生物の化石が見つかるようになった。その中でも三葉虫なんかは有名ね》
「ああ、それなら図書館で見たことがある。写真だけど、いろいろな化石があったな」
《そう。そういった甲殻類で身を固めた生物がいくつも誕生した》
桐生のレシーバーにガサゴソと彼女が動く音が聞こえた。
《それにしても窮屈ね。それにマスクが息苦しくって》
桐生は、高度計を確認したが、なおも低空飛行を維持していた。マスクを取れなくもないが、不慮の事態や、急襲には備えておきたかった。彼女にはしばらく我慢してもらおう。
《いま地球上にある生物の門は、このカンブリア紀に、すべて開いたと言ってもいいくらい》
「なぜカンブリア紀前に、あまり存在しなかったんだ?」
《地球は出来たての溶岩が、次第に冷え固まっていた時期だった。やがては氷河期に突入し、地表は厚い氷で覆われたスノーボールアースの状態にあって、とても生物が住める環境ではなかったの》
そう言ってから、有理は間をおいて言った。
《ただ、南極には火山帯が残っていて、地底に流れる溶岩流に晒された、温かい海水の出る海があった可能性が高い。そこでひっそりと、生物たちは進化を続けていたのかもしれない》
「じゃあ、そこにいたやつらが徐々に全地球へ広まって行ったというわけか」
《いいえ。それじゃ〝爆発〟とは言えるほどにはならない。おおよそ10億年前に多細胞生物が出現してから5億4200万年前まで変化がほとんどなく、その後、わずか1200万年で、すべての門が開き、進化が整うのは不自然すぎるの》
「1200万年ってずいぶんとあるぜ?」
《地球史で見たら、ほんの一瞬でしかないわ》
「じゃあ、その爆発のキッカケとはなんだ?」
《いろいろな説があるけど、確証はなかった。でもその確証をいま私が持っている》
「そのロボットが?」
《そう。そこに誰かが、このロボットを大量に投下した》
その誰かが————神、というわけか。
《多くの多細胞生物が原口を獲得し、強力な捕食能を有するものも多かった。そこに全地球的な生存競争が存在した。おそらく爆発的な進化の土壌は充分に育っていたと思うの。でもそれが急激な多様性へと変化するのは、もう一つ、大きなインパクト、いわゆる淘汰圧と呼ばれる強い力が必要だった》
「まるで料理だな。最後の隠し味に、お塩を少々、と」
おちゃらけて言ったつもりだったが、有理は大きな声で答えた。
《そう、ドミノの最初の一枚を倒すだけだった。もしこの世の基礎固めをしていたアーキテクトがいたのなら、その均衡状態は、さぞかし、もどかしいものに映ったでしょうね》
「まさか、それが神様謹製ロボットってことか?」
《まだ仮説の域を出ていない。でもこのロボットには、この時代にいる生物の中で、決定的にちがう点があるの》
「なんだ?」
《それは〝眼〟。眼の機構が下向きに付いているのは、海上から敵をサーチして、海底にいる多細胞生物を襲うため。スクリューを使った素早い潜行能力で》
桐生はゾクリとした。神が人を創り給うたのではなく、生命の進化に手を貸した。前者の神話的、美化されたものと比べて、後者は全くの逆で、リアルで実に生々しい感じがした。
《やがて、その淘汰圧の高まりが、多細胞生物に進化を促した。上からの攻撃に備えるように、堅い外骨格で覆うようになった。さっきの三葉虫のようにね》
この説が世界中に知れ渡れば、どれだけの騒ぎとなるだろうか。全人類の成り立ちから、生物進化の歴史すべてがひっくり返されるのではないか。ただし、それにはあの京たちから逃げ切り、この証拠を含め公表できたらという前提があってのことだが。
「これからどうするつもりだ」
それは桐生の経験から言えることだが、いつまでも逃げ続けることの難しさを分かっていて言った。
《五日後に、イタリアにあるヴェネツィア国際大学での、進化生物学の学会がある。そこで、この研究成果を発表したい》
おっと————具体的なスケジュールがあったのか。そこまで京は情報を与えてくれなかった。
「それはいつ決めた」
《この化石を南極で受け取ったときから》
となると————当然、京には先読みされているだろう。
《本当は、そこに南極で研究していた、片山教授が登壇する予定だった・・・・》
先ほどまで弁舌をふるっていた有理だが、それ以降押し黙ったまま、レシーバーから声を聞くことはなかった。
「第18章 急襲揚陸艦アメリカ」へ続きます。