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第15章 逸脱

 桐生游輔は、再び留置場の冷たいベンチに横たわり、一息ついた。


 おそらく大学側は、夜明けまで拘束し、警察を呼び連行してもらうつもりでいるだろう。皮肉にもここは、病院の他に、司法機関も存在しなかった。


 そのとき、突然留置場外の鉄扉が開く音がすると、大河内有理が入ってきた。


 桐生は驚いて、ベンチから身を起こした。


 相手は相変わらず両手を白衣に突っ込んだまま、檻の外から、まるで実験動物の様子を伺いにでも来たかのように桐生を見た。


「あなたはいったい何者なの?」


「名前は桐生游輔。ただ、これも本当の俺の名前ではない。戸籍データをハックしてそうしているだけ。もちろん徳丸省吾でもない」


 再びその名前を出されたとき、大河内有理の表情からわずかな動揺を感じた。


「殺し屋?」


「そういうこともしたことがある」


「私を殺しに来たのね?」


「当初はそうするつもりだった」


 一瞬の間があった後に、彼女は聞いた。


「なぜ気が変わったの?」


「女性には優しくしろって、恩人から教わったのさ」


 まあ、その恩人の記憶はおぼろげだけれども。


「女だったから殺さなかったの?」少しトゲトゲしかった。


 正確には、左手薬指に光るリングを見なければ、気が変わったりはしなかったかもしれない。なぜだろうか? 桐生に、新婚で人妻を殺害しない、という掟も、良心の呵責も持ち合わせていないはずだった。だが、無意識下で、彼女を殺してはマズイという「何か」が横たわった。


「だから、同行してきた、俺のお目付役の男を殺ったんだ」


 今の発言は、明らかに大河内の不興を買ったようだ。目つきが鋭くなった。


「雇い主の依頼って、簡単に破れるものなのね」


「こういう契約にはルールがあってね。雇い主が裏切ったら、契約もチャラだ」


「なぜ裏切ったと思うの?」


「雇い主がなぜ俺に、君が知っている〝徳丸省吾〟という名前を与えたのか、ということだよ」


「どういうこと?」


「徳丸省吾というやつを俺は知らないが、少なくとも君は知っていて、その偽名を出されることで、より警戒心を募らせた」


「それになんの意味が?」


「わからない。これは俺の想像でしかないが、依頼主はこう考えたんだろう。俺の能力は買っていた。あわよくば、修羅場にでもなって、相討ちにでもなれば、とでも思っていたんだろう。もし俺が君を殺すことができても、追っ手はかわせない。この大学を無事脱出するのは至難の技だからだ。事実俺はこうして留置場に入れられている。これで証拠隠滅は完璧だ」


 桐生は続けた。


「それと、そう・・・・たとえ失敗に終わっても・・・・まあ、失敗になる可能性の方が高いが、君の警戒心を高めて、この大学に張り付かせる効果はあるはずだ」


「この大学に私を張り付かせる理由は?」


「ターゲットが居場所を変えなければ、あとはどうにでもなる。また新たな殺し屋を送り込んでもいいし、大学ごと空爆して焼き払えばいい。ただしそれは、君の持っている秘密の重要度による」


「私は追われている身じゃない」


「いや、いますぐに逃げるべきだよ」


 彼女の言葉を遮るように言った。


「次は女でも子どもでも容赦のない殺し屋が来る」


 彼女の動揺が見て取れた。


「俺をここから出してくれ」


「何を言っているの? 脅しても無駄よ」


「脅しじゃない。提案だよ。今度は君が俺を護衛として雇えばいい」


「護衛なんか要らないわ。私はこの自治大学に守られている。ここから出ないかぎりは命を狙われる心配はない」


「一生、この監獄に住むつもりか? 君が持っている貴重な証拠は、この大学から外へは出せないはずだ。メディアに焼いて出したとしても、郵便物も厳しい検閲が入っているのは知っているだろう?」


「なぜあの証拠のことを知っているの?」


 知っているというのは、はったりだった。でも彼女は食いついてきた。


「元雇い主からすべてを聞いた。大学が守ってくれる? ちがうよ。大学は秘密を守るために、外界からの接触を厳しく遮断しているんだ。君たちが生み出す宝の山を大事に管理したいから、君たちと一緒に幽閉しているのさ」


「この大学は自由よ」


 大河内は反駁したが、桐生は言った。


「この中、限定でね」


 留置場内でしばらく沈黙が続いた。


 不安定な未来。いま未来は激しく揺らいでいる。そんな感覚があった。


 彼女の決断は、桐生自身の未来も決定するのはもちろんのこと、あるいはこの全世界の未来を決定するような気がした。それはなぜだろうか?


「今回、俺がここへ来たことや、自衛官の射殺事件は、大学上層部にも伝わっただろう。深夜とはいえ、事態は急速に悪化している。すぐに行動を起こすべきだ。君はもう大学側から危険視されていて、いつ殺されてもおかしくない状況にある」


 また彼女の動揺が見えたような気がした。あと少し、という感触だった。


「俺と大学を出よう。自主放校さ」


 大河内は硬い表情のまま笑った。まだ幼い感じの残る笑みだった。


「どうやって大学から出るっていうの?」


「俺が乗ってきた飛行機があるだろう?」


「操縦できるの?」


 大河内はてっきりあのパイロットに連れてこられただけと思っていたのだろう。まあ、たしかにスーツを着て戦闘機を操縦する姿は想像できないかもしれない。


「まあね。ただ、再起動するにはもう一人、その戦闘機をよく知る人間の手助けがいる」


「私にはもちろんできないし、整備部の人間に、そんな知り合いなんていないわよ?」


「いや、もうそいつは着陸した場所へ戻って来ているんじゃないかな」


 その言葉に大河内は驚いたようだ。


「他に仲間がいるの? この大学に入るのはそう簡単じゃないわよ?」


「ああ、わかっている。そういえば、入るときにワンタイムトークン入りの錠剤を飲まされたな。でもアレって、腹の中にある内は有効なんだろ?」


 大河内には言っている意味が分からないようだった。


「とりあえず俺たちはここを無事に出る。話はその後だ」

「第16章 脱出」へ続きます。

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