第14章 嘘の嘘は罠
こうして桐生游輔が自治大学の留置場で、海老原 修の戦闘機に乗るまでの経緯をあらかた説明し終えたところで、看守がやってきて、「出ろ」と命じた。そのとき「この錠剤を飲め」と言って、カプセル型錠剤と、水の入った紙コップをそれぞれに手渡された。
「毒入りか?」
海老原が看守に聞けば、
「パスワードだ。それが胃袋に入っているうちは、セキュリティートークンとして機能する。各関連施設への入室が許可される」
「そのメカが、胃に穴を開けたりしねえだろうな」
「問題ない。胃や腸の粘膜を傷つけないような合成樹脂で包まれている。体内には吸収されない。いずれ排出される」
「なるほど。クソが出るまでの時間限定ってわけか。用事が済む前に、トイレに行きたくなったらどうするんだ?」
「今回の要件は、それほど時間がかからない。問題ない」
看守は事務的に答えたが、その程度の時間で処理するつもり、ということだ。
やがて桐生と海老原は、窓もない真っ白く狭い部屋に案内された。真ん中に四角いテーブルだけ置かれているだけで、イスもなかった。考えてもみれば、イスも凶器になるからだろうか。
程なくして、白衣を着た女性が入ってきた。胸にある名札には「大河内有理」とあった。まさか暗殺対象が女性だとは思わなかった。彼女は、白衣の両ポケットに手を入れたまま、テーブルを挟んで桐生たちと対峙した。
心理学的に言えば、相手は両手を見せない状態、それは完全に防御姿勢だといえる。いや、その仕草を見なくとも、表情からすでに不審さが滲み出ていた。
「はじめまして。厚生労働省の徳丸省吾です」
桐生は、そう言って懐から名刺を取り出して、女性研究者に手渡そうとした。
一瞬、背後の護衛していた警備兵たちが、一斉に銃を構えた。
桐生はすでにボディチェック済みのはずで、彼らは桐生が名刺を持っていたのも把握しているはずだが、ここで警備兵として訓練を受けてきた習性というやつか。
差し出された名刺に、大河内はようやく白衣から手を出し、片手で受け取った。その左手には痛々しい包帯が巻かれていて、その薬指には、真新しそうに光るリングがあった。
「あなたは、徳丸省吾ではないわ」
彼女は突然、言った。
「ええ、ちがいます」
咄嗟に本当のことを言った。長年培ってきた思考回路が、そう言わせたのだろうか。やはり、彼女を殺すべきではない、という判断がその場で思い浮かんだ。
隣で海老原も「え? ウソだろ?」と呟いた。
そういえば、彼から「もう嘘は無しだ」と言われたばかりだが、偽名であることを伝えるのを完全に忘れていた。まあ、そのお陰でいいリアクションをしてくれた。
彼女は「本当の」徳丸省吾を知っていて、その顔も知っているという事実。ますますマズイ展開だ。
「あなたは誰なの?」
「私は、あなたを守るよう依頼されて来ました」
もちろん口から出任せだ。驚いたのは、大学側の警備兵たちだろう。
その刹那、徳丸は袖口から、するりと先ほどのベビーピストルを取り出していたが、その銃口は海老原の方に向けられた。
海老原が身構えるよりも早く、桐生が二発撃った。二人の警備兵も、桐生が仲間を射殺するという光景に、完全に虚をつかれたようだ。
大河内有理が悲鳴を上げた。
警備兵の男たちは弾けるように動いた。覆い被さるように飛び込んできて、桐生は机の上に組み伏せられていた。
海老原は、胸を押さえ、悶絶するように呻き声を上げて、その場に崩れ落ちた。
***
すぐに救急車が呼ばれた。外にサイレンを鳴り響かせて到着したようだ。海老原を近くの救命救急センターに運ぶことになった。彼にはまだ息があり、喘ぐように口をパクパクさせていた。傷口を押さえながらも、何やら意味ありげな笑みを浮かべた。
この大学には唯一「医学部」がなかった。皮肉にもこういうときは、外界の、日本の行政が運営する救急車を呼び、一般の救命救急センターのある病院へ運ばねばならなかった。
救急隊員たちがストレッチャーのある廊下まで担ぎ出そうと、持ってきた毛布を床に置いた。それを見ていた海老原が、足を使って、その一つを机の下に押し込むのを桐生は確認した。
桐生は二人の警備員に羽交い締めされ、部屋を出ていくとき、大河内に向かって言った。
「あ、大河内先生。机の下に、救急隊員が毛布を忘れていったようですよ」
大河内が机の下に覗き込んだ。
「それがなにか?」声は震えていた。
「忘れ物だと、搬送先の病院へ連絡して、取りに来てもらった方がいい」
大河内は何も答えなかった。桐生は引きずられるようにして、部屋を出され、再びあの留置場へと連れて行かれた。翌朝には警察に突き出すつもりなのだろう。
「第15章 逸脱」へ続きます。