第2話 光に伸ばす手 ―①
――明side
「先輩、ボクは実は……ボクはドッペルゲンガーなんです」
ああ、言ってしまった。
これでもう透子先輩ともおさらばだ。
きっとボクのことを変人だと思って遠ざけるようになるだろう。
しかし、それでいいのだ。
なるべく冷たい態度で突き放したつもりだったが、まさか十一日間も連続で告白されることになるとは思いもしなかった。
いずれ離れなければいけないのなら、早い方がいい。
何かが始まる前がいい。
しかし、先輩の口から出てきたのは思いがけない言葉だった。
「ねえね、ドッペルゲンガーについて詳しく教えてよ」
「し、信じたのですか? 今のボクが言ったことを……?」
ポカン、と首を傾げる透子先輩。
「え、だって、好きな人のことを信じるのは、当然でしょ?」
どうして先輩は、ボクから離れようとしないんですか。
どうしてそこまでボクのことを好いてくれるんですか。信じられるんですか。
そんなの、ずるいです。……期待してしまいます。
――明、どうしていつもそんな寂しそうな顔をするの?
ずっと隠してきたボクの感情を見抜いてくれた先輩なら、少しは期待してもいいのかもしれない。
ううん、期待してはダメだ。
期待した分だけ、後で傷つくことになるのだから。
ボクの、ボクたちの身に起きることを話したら今度こそおしまい。
いよいよおとぎ話みたいな話になってくるし、たとえ信じたところでボクから距離を置かざるを得なくなる。
さあ、さっさと話して終わりにしよう。
その方が楽だから。
――あれ、なんでボクの唇はこんなにも重いんだろう。
どうしてこんなにも逃げ出したい気分なのだろう。
どうしてこんなにも言い方を考えてしまっているのだろう。
どうしてボクは、こんなにも不安な気持ちなんだろう。
ボクは……どうして。
◇◇◇◇◇
ドッペルゲンガーが人のことを好きになると、その度合いによって次の順番に相手に成り代わっていきます。
第1段階、癖・口癖。
第2段階、趣味趣向。
第3段階、体質・声。
第4段階、容姿。
そして第5段階……――
「――人格です。この段階をもって、ドッペルゲンガーが好きになった相手は消滅。ドッペルゲンガーも、元の自分の存在を忘れてその人に成り代わります。この世界には、生まれつきそういう体質の人がいるんです。ボクや……ボクの父のように」
「……」
話を聞き終えた先輩は、目を見開いて硬直していた。
驚愕? 同情? それとも、懐疑?
どれかは分からない。
でも、たとえどれだとしても同じこと。
どうせそのあとには別れが待っているのだ。
ボクはトドメを刺すような思いで話を締めくくる。
「ドッペルゲンガーは――ボクは誰も好きになってはいけないんです。人を一人、存在ごと消してしまうから。だからその可能性を、とことん取り除かなければいけないのです」
先輩が俯く。
しばらく、静寂が訪れた。
あまりに静かすぎて呼吸をするのも憚れるような空間だ。
「明……」
掠れた声で呼ばれた。
かと思えば、唐突に顔を起こす先輩。
その顔は泣きじゃくってくしゃくしゃになっていた。
「づらがっだねぇええ……っ!!!」
「え、ちょ、先輩っ」
先輩はボクとの距離を一気に詰めて力強く抱擁してきた。
「だいへんだっだねぇえええ!!! ぐどうじだねぇえええ!!!」
「あの先輩っ! もはや何を言ってるかすらも分からないですし、は、離れてくださいっ!」
「あ、ごめんねっ……ぐすん」
大人しく離れてくれたが、それでもまだ涙が止まらないようだ。
袖でゴシゴシと拭っても、次から次へと目から滴が零れてくる。
「ど、どうして先輩がそんなに泣いてるんですか?」
「だって、だってつらいじゃん! そんなんつらすぎるもんっ!」
え、どうして……。
どうしてそんな本気になれるんですか。
他人のことなのに。
好きな人のためなら、そうなれるものなのだろうか。
誰かを本当に好きになったことなんてないボクには、わからない。
「今まで頑張ってきたね……っ! 本当に苦労してきたねっ」
と、先輩の優しい笑み。
泣きながらも、ボクを気遣ってそんな表情をしたのだろう。
家族以外からこんな深い慈しみの感情を向けられたのはいつぶりだろう。
誰かを好きにならないよう人を遠ざけたり、孤独な気持ちをずっと殺してきたりした。
その中で凍てついていった心。そこに温かい風が吹いたように感じた。
しかし、だからこそ――
こんなに温かくて素敵な人を消すわけにはいかない。
今一度、心を鬼にしなければ。
「そういうわけです。先輩、ですからボクとは恋愛なんてできません。念のため、もうボクにも近づかないことをお勧めします」
「明」
「え、はい」
「わたしと付き合ってください」
「い、今のボクの話、聞いてました!?」
わけがわからない!
明らかに脈絡がおかしかった!
というか、普通の人なら気味悪がって離れるはずだ。
それなのに、この人はどこまでも真剣な表情をしている。
どこまでも真面目に言っているようなのだ。
「聞いてたよ。ちゃんと理解もした」
「では、どうして……!?」
「わたしの存在が消えて入れ替わっちゃうのって、第5段階なんでしょ? だったら、第4段階までは一緒にいられるじゃん?」
「き、危険すぎますっ!!」
「じゃあ、第3段階まで?」
「そ、そういう問題では……!」
ダメだこの人は……。
自分の存在が消えてしまうかもしれないということに、全く危機感を覚えている様子がない。
いや、それと並行して考えなければいけないことに目すら向けていない。
「一緒にいればいるほど、それだけ別れがつらくなるんですよ……!」
「うん……確かに、そうだね。明にも苦しい思いをさせちゃうのは嫌だな……」
こ、この期に及んでもボクのことしか考えてない……っ!?
その優しさは嬉しい……! けれど、そうじゃない
「先輩はまだ冷静になれてないんです。ボクの話を聞いて、現実にはあり得ないような話を聞いて」
「そんなことはっ……あるかもしれない。ないとは言い切れない」
徐々に勢いを失っていく先輩。
「よければ、お互いに少し考える時間を作りましょう。今は魔法のような存在を目の当たりにし、驚き、興奮してしまっているんです。この状態で何かを決めるのは、危険です」
「うん……」
ボクも、先輩が全く想定外の発言を連発するせいでどうすればいいのか分からなくなっているし……。
「二人とも答えが出たら、もう一度会いましょう。そして、お互いの答えを言い合いましょう」
「うん、そうだね。そうしよ」
にこりと笑う先輩。
しかし、その声からはいつもの弾むような明るさは感じられなかった。
その日の帰り道。
電車の窓から外を眺めながらボクは考え事をしていた。
すっかり夜のとばりが降りた街。ビルや家に灯る明かり。
人の往来が激しい大通りの合間に時々、光も人気もまるでない路地が見える。
その路地は、大通りとのコントラストのせいか、どこまでも落ちていく闇のように感じられた。
今のボクの心は、あの暗い路地にいる気分だ。
人を好きになってはいけない、人に近付いてはいけないボクにとって、最初はそれでいいと思っていた。
けれども、暗闇の中にいると、徐々に不安と寂しさを覚え始めた。
誰かと話したい、関わりたい、近付きたい。好きになりたい。
せめて周りがすべて闇だったらよかったのに。
そうなら、こうして光に憧れることもなかったのに。
今更光のもとへ出るのは怖い。
だけど、あの人のなら――
「先輩なら……」
ガタンコトン。
駅へ入る手前、電車が大きく揺れた。
気が付けばもう降りる駅だ。
荷物を持ち、席を立った。