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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

裏切られた少女は絞首台の上で悪魔に出会う

作者: 紫桜

その少女は魔女だった。


有りもしない罪を被せられた無垢なる少女は、疑心という名の暗黒なる鬼に純真さの全てを穢され、その罪が偽りであるという純然たる事実を一つも疑うことのなかった人々によって、たった今絞首台の前に立たされていた。


それは仕方のないことだった。

誰も彼もが疑念に囚われ自分さえも見失ってしまったこの村で、一人正気を保つ少女はただ唯一の異端にして、もはや非現実を歌う彼らの邪魔者でしかなかった。

そして少女は自分が処刑されるという現実を、まるで満月の輝きを余すことなく呑み込んだ湖の雄大さのように、ただ静かに受け入れた。

こうなってしまっては仕方ない。

だって、私の元には罪こそあれど、彼らに罪はないのだから。


そんな少女の死の前に、気まぐれで立ち塞がった意地悪な悪魔が居た。


悪魔は問う。

答えのない質問を繰り返すように。

有るはずのない少女の罪を数えるように。


「君は、君を貶めた人間が憎いかい?」


いいえ、少しも。


「その胸にほんの一瞬でも、復讐の炎を滾らせたことは?」


全く。そんな瞬間は1秒たりとも存在し得ません。


「……君は、怒りという感情を知らないのかな?」


そもそも。

そもそもの、これらの質問の大前提の話です。

色々自分なりに考えてみたけれど、やっぱり私には分からないのです。

何故。

何故、私は人々を呪い、憎まなければならないのですか?


その答えを聞いた悪魔は大爆笑ののち、先程の愉快な様子とは打って変わって、本気で呆れた表情を浮かべていた。


「あぁ、これは関わっちゃいけないタイプの大馬鹿者だった。

断言してやろうか?

あんたは今ここで、あんたの死を心待ちにしている者どもの誰より異常な存在だ。

誰より人間らしさが欠けている、と言ってもいい」


何故です。

笑顔を消した悪魔に対して、そう少女は短く問うた。


「簡単な話だ。

怒りという感情は、人が生きてく上では必要不可欠な感情なんだよ。

怒りがあるから向上心があり、憎悪があるから健全な愛情がある。

怒りというものは、愛という感情のリミッターなんだ。

嫌悪を失った愛は、ただ周りに無差別にばら撒かれるだけの凶器でしかない」


それの、何が悪いのです。

愛とは他人に捧げられてこそ、その効果を発揮するもの。

誰かを救う動機になれど、決して凶器には成り得ない。


「無制限の愛というものは、あまりに大きすぎるんだよ。

確かに、愛が人を救うこともあるだろう。

けれどそれだけじゃない。

愛ってシロモノは時に誰かを狂わせる要因となり、戦争の火種にもなる……ってのは誰が言ったか、よく人間の間で囁かれる話だが。

それにさ、今だってそうだろ」


何が。


「この醜い争い、この魔女狩りの悲劇は元を正せば全て、お前のせいだろ」





そう。

少女はただ、純粋過ぎたのだ。

住人全てが知り合いである程の狭い村で、少女は村一番の人気者だった。

少女はいつでも誰かの為に、自分の損得を考慮することもなく、ただひたすら村を駆け回っていた。

不幸だったのは、少女が過剰な奉仕精神に加えて、人間離れした精神力を持ち合わせてしまっていたことだ。

どれだけ人に求められても、どれほど無下に扱われても、少女は笑顔で奉仕を続けた。

そして少女の無垢なる献身に、人々の欲望はいつしか少女の身を潰してしまいかねない程にまで膨れ上がってしまったのだと。

それに気付いた人間は、果たしてこの村の中にどれだけ存在したのか。

理解した上で見て見ぬ振りをした人間は、一体どれほどの数に及ぶのか。

それは本人達にしか分からないことである。


そんなある日、度重なる重労働により、少女が倒れた。

今や、少女は村に必要不可欠な共有財産だ。

少女を失えば、この村の際限なき欲望は行き場を失い、結果的には住人全員が不幸になるのではないか。

その未来を危ぶんだ誰かが言った。


「間引きをしよう」


その提案はすぐに可決された。





「そう、です。

そのあと、皆は……」


「当ててやろうか?

その後も一人、二人、三人と処刑人数は増えていき、その度に村人の全てが更なる恐怖と疑念に囚われる。

その恐怖を消す為に、また住人が一団となって殺人を犯す。

やがて、彼らは人を殺すための理由を作るようになる。

目的と手段が入れ替わってしまえば、後は早いぜ。

住人が最後の一人になるまで魔女狩り……いや、裏切り者の炙り出しは続くだろう」


ある意味人間らしさの表れだ、と悪魔はため息をつく。

この状況の中でさえ自分を見失うことのない少女の姿は、少なくとも正常な精神をした人間の目には、確かに恐ろしい魔女に映るだろう。

精神的な話において、彼らは紛れもなく人間だった。

そしてその意味で、少女は人間ではなかった。

ただ、それだけの話だ。


「俺は悪魔だ。

人の絶望は確かに俺の原動力にはなるが……

この絶望は好きじゃない、欲と醜さが混ざりに混ざって煮えくり返っている。

有り体に言うと、まずい。

それと、個人的にお前が気にくわない」


「随分と人間らしい悪魔なのね。

味を選り好みするなんて、まるで子供みたい。

何か勘違いしているようですが、私は私の為に生きているだけです。

誰かの幸せは私の幸せ、それは生まれた時から変わりません。

私は、誰かの笑顔の為に生きているのですから」


「その結果があの魔女裁判だろうが。

村人の全てに裏切られた結果が、身を粉にして奉仕してきた村の結末がこんなふざけた茶番だ。

それでもお前は誰かの幸せを望むのか。

ただの一度も、自分のために生きたことのないお前が?」


「生きたい、という欲求が全くないわけではありません。

けれど、この事態を招いた私には償いきれぬ罪がある。

分かっている、私はそれを他の誰より理解しているのです。

だから私は責任を取ります。

責任を取って、彼らに私の命を捧げるのです。

何故なら私は、今でも彼らを愛しているのですから」


憎まれるのは当然だ、と少女は言葉を零した。

その言葉を聞いた悪魔は、何も言わずに少女の元を去った。

その数秒後。

それまで魔女の周りに渦巻いていた怨嗟の声は、優しく絞首台を吹き抜けた風の冷たさに掻き消された。


賢明な少女は、今一瞬のうちに巻き起こった非現実の全てをすぐに理解した。

つまるところ、たった数秒で自分以外の村人は全て存在しなくなったのだと。

絞首台の下から立ち込める生理的な嫌悪感を伴う悪臭と、いつもと変わらぬ風の爽やかさがまちゃもちゃに混じり合って、少女の目や鼻を酷く刺激した。

気がつくと少女は泣いていた。

それは自分が助かったことへの安堵ではない。

自分を殺そうとした住人たちが皆、死んでしまったことへの悲しみ。

彼女は自分が助かった奇跡、今この大地の空気を吸えることへの有り触れた感謝なんて最早、どうでもよかった。


「どうしてこんなことをしたの」


「お前が気に入らなかったから、以外の理由があるか?」


「私はこれからどうやって生きていけばいいの」


「知るか、好きにしろ

自分で選んで、自分で生きろ」


「好きになんて生きられない。

私は、死にたかった」


少女が放ったその恨みの言葉に、悪魔からの返事が返ってくることはなく。


「悪魔なら、私を犠牲に私の願いを叶えてよ……」


その言葉は闇を吹き抜ける一陣の風となって無人の村を徘徊し、やがて合流してきた風の優しさに自ら溶けてしまうことで、自らの存在証明を放棄した。

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