46話 油断
「エンマァァァァ」
地獄に怨嗟の叫びが響き渡る。
発しただけで恐怖をばらまくその声は、ただ一人の名前を呼んでいた。
「そんなに大きな声を出さずとも聞こえているよ」
だが呼ばれている当の本人は、涼しい顔をして穴の底をのぞき込んでいる。
「貴様ぁぁぁ!神聖な使徒の戦いを、このような手段で汚すとは!貴様には使徒としての誇りが無いのか!」
「誇りねえ・・・。そんなことを言っているから、君はいつまでたっても成長できないんだよ」
「使徒とは神の使いだ!我々は世界の支配者だ!支配は力、ゆえに雌雄を決するのであれば己の力を示すのが当然であろうが!」
「私はそう思わない。思想の違いだね」
エンマにとって、ラゴーンの都合など聞くに値しない。
彼にとって大事なことは、地獄を統治することだ。
どれだけ卑怯と罵られようが、それが最も確実な方法なら、彼は迷わずその手段を選ぶ。
もとよりエンマにはわかっていた。
自分が戦う意志を見せれば、ラゴーンが激情のまま飛び込んでくることを。
そしてもしそれに応戦しようものなら、己が不利な状況に追い込まれるであろうことを。
ならば彼が最初に選ぶ手段が、戦闘による鎮圧なわけがない。
それはあくまで最終手段なだけであって、最適手段ではないのだ。
そうとは知らず、ラゴーンは殺意の命じるままエンマに突っ込み、そして罠にかかった。
エンマからすればこの一連の流れは当然の帰結。
すべてが彼の思惑通りに運んだことになる。
それゆえ、エンマは油断した。
戦場で絶対に見せてはいけない、隙を晒してしまったのだ。
そう、この戦場にはもう一人厄介な敵がいる。
その者は戦闘においてお世辞にも強いとは言えないが、こと騙し討ちにおいては一家言を持っている。
気配を消し、物理的にも、心理的にも相手の死角に忍び込む暗殺者。
それが彼だ。
そしてこれも当然の帰結ではあるが、隙を晒したエンマはすでにその背後を取られている。
「死ね」
バスピーは手にした武器をエンマの心臓めがけて突き出した。
もし相手がトトだったならば、ここで決着がついていただろう。
現に彼は一度この技に敗北している。
しかし今回の相手はエンマだ。
経験豊富な使徒ほど厄介な相手はいない。
キンッ、と金属音が鳴り響く。
それは錫杖と刃物がぶつかる音。
「ちっ!」
「危ない危ない」
エンマは刃物が心臓に届く直前に反応し、それを防ぐことに成功した。
バスピーの奇襲は失敗に終わり、再び盤面はエンマの方へと傾いていく。
しかしバスピーはそんなことなど気にも留めずにそのままエンマとすれ違った。
その先にあるのはラゴーンのいる落とし穴。
そしてここに来てようやく、エンマはバスピーが手に持つ武器がなんであるかを理解し、今度こそ驚愕に目を見開いた。
「なっ!」
とっさに腕を伸ばすが届かない。
バスピーはすでに重力に従って主の元に急行している。
そしてその動きに呼応するかのように囚人たちも動き出していた。
彼らは雄叫びを上げながら、進軍を開始する。
「まずいな」
己の優位が消失しかけていることを理解したエンマは、即座に錫杖を地面に打ち付けた。
それを合図にエンマの陣営も動き出す。
彼の後ろに控えていた獄吏たちが戦闘態勢に入った。
「迎撃開始!」
それだけ告げてエンマはラゴーンを捕えていた穴に振り返る。
轟音を立てて穴から何かが飛び出してきたのは、それと同時だった。
「ちっ!」
咄嗟にエンマはその場から飛びのく。
するとさきほどまで彼がいた場所に、大きなクレーターが出来上がった。
「エンマァァァ!」
穴から飛び出し、地上へと姿を現したのは、言うまでもなくラゴーンだ。
そして彼の後ろにはバスピーも控えている。
猛るラゴーンを無視して、エンマはバスピーへと視線を定めた。
「なぜ君が縄切りナイフを持っているのかな?そもそもなぜその存在を知っている?」
「私がどれだけお前たちのことを調べたと思っている?あの厄介な捕縛術の対策ぐらい立てていて当然だ」
「・・・まったく、どこから盗まれたのやら。少し管理体制を見直す必要があるみたいだ」
「その必要はない。どうせ我が主によってすべて滅ぼされるのだから」
そう言ってバスピーは一歩下がる。
戦場に残されたのはエンマとラゴーンの二人だけ。
もはや隠しようもない凶暴さをもってして、ラゴーンは殺意をばらまいていた。
「エンマ、貴様だけは許さん!我らの戦いを汚した償いは受けてもらうぞ。もはや塵すら残さず破壊しつくしてやる!」
「まったく、手間をかけさせる。もう一度捕まえるしかないか」
両者は再び対峙する。
さきほどとはうって変わって喧騒に包まれた戦場の真ん中で。
そして今度はエンマも構える。
一番避けたかった正面きっての戦闘に、彼は挑まざるをえなくなっていた。
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