45話 あっけない幕切れ
喧騒が舞う地獄に訪れた一瞬の静寂。
どうせ刹那のうちに消えゆく均衡の中で、両陣営の兵士たちは身じろぎすることさえ許されず、対峙した大将同士の行く末を見守っている。
そしてその空間の中心で、当の本人たちは無言で見つめあっていた。
片方は法衣に身を包み、錫杖を手に持つ、地獄の支配者エンマ。
もう一方はボロ切れを身に纏った、漆黒の脱獄者ラゴーン。
互いに浅からぬ縁によって導かれ、こうして相まみえた彼らの胸中を襲うものはなんなのか。
それはきっと彼ら自身にしかわからぬことなのだろう。
やがて意を決したように、ラゴーンが沈黙を破るために口を開いた。
「久しいな、エンマよ。息災であったか?」
「ああ、君も元気そうで何よりだよ、ラゴーン」
「おかげさまでな。我は今とても機嫌が良い」
もはやラゴーンは殺気を隠そうともせず、エンマを睨む。
しかしエンマも負けてはいなかった。
浴びれば失神ものの殺意を受けようとも、彼に臆した様子はない。
少しばかり目を細くして、相手の姿を眺めているだけだ。
「長かった。ここに封じられてから幾星霜、我は待ち続けた。屈辱に耐え、怨嗟を燃やし、あの凍える牢獄の中でこの時を待ち続けていた。そして今ようやく、こうして貴様に相まみえたのだ。今この瞬間の我が胸の内が貴様にわかるか?」
「いいや、まったく」
「ならその身をもって味合わせてやろう。もう我と貴様を隔てる檻はない。貴様に待つのは死だけだ」
「それはどうだろうか。私は君を再び檻の中に戻すつもりだが?」
「貴様如きが我に敵うわけなかろう」
「ここは私の世界だ。私の庭で私に勝てると思わないほうがいい」
「ふっ、どれだけ小細工を弄そうとも純粋な力には及ばない。こと使徒の戦いにおいてはそれが顕著であることを知らぬ貴様ではあるまいに」
「そんな考え方しか持ってないから、君はあの時私たちに負けたんだよ」
そう言いながらエンマは一歩前に出た。
「どうやら牢獄にいるだけでは成長しなかったらしい。まあそれも当然と言えば当然か」
「ほざけ、もう我は負けぬ。貴様一人で何ができる?聞いたぞ、ルイは死んだそうだな。あれをこの手で殺せなかったのは残念だが、奴が欠けた状態で我を止められるわけがない」
「どうだろうね。今からそれを確かめてみよう」
彼は不敵に笑う。
それは一種の挑発だった。
それを受けていよいよラゴーンが戦闘態勢に入る。
「これより復讐を始める。覚悟はできたか、エンマよ」
「覚悟ならこの地獄の支配者になった時からできている。私はただ職務を果たすだけだ」
砦の中心で両者がにらみ合う。
周りにどれだけ観衆がいようが、もうその二人には気にもならない。
ただ互いの存在だけを認めて、戦意を高めていく。
「死ね」
先に動いたのはラゴーンだった。
目にも止まらぬ速さで距離を詰め、エンマに肉薄する。
それと同時に後ろに控えていた囚人たちも突撃を開始、それを迎撃するために獄吏たちも武器を構えた。
しかしエンマは動かない。
錫杖をついて立つその姿は迫りくる敵をただ見据えるだけ。
エンマをそうさせている理由は何か。
それは間違いなくこの砦にあるだろう。
地獄を支配するエンマは原典の内容を知っている。
当然この砦にも何か仕掛けがあることは明白だ。
そんな状況で単純な力だけを頼りに挑むのはそれこそ無謀というもの。
しかしそれでもラゴーンは恐れない。
どれだけ策を弄そうとも、それらすべてを力でねじふせる自信が彼にはあったのだ。
ラゴーンはまっすぐとエンマに突っ込む。
激突はもうすぐそこ。
そしてラゴーンがあと数歩で攻撃の間合いに入るというところで、エンマは動いた。
しゃらんと音を立てて、彼の錫杖が地面を叩く。
次の瞬間に起こったことは、さすがのラゴーンも意表をつかれる現象だった。
「なっ!」
踏み出した足が空を捉え、浮遊感に襲われる。
体が下へ下へと引きずられていき、エンマの姿が遠ざかっていく。
ここにきてラゴーンは何が起きたかをようやく理解した。
落とし穴だ。
エンマを射程に捉えた瞬間大地が割れ、ラゴーンは巨大な穴に落ちていた。
使徒の力を封じられているこの世界で、空を飛べないラゴーンはそのまま重力に任せて落ちるしかない。
そしてその穴の底で彼を待ち受けていたのは、これまで散々獄吏たちに見せられてきたもの。
「縛!」
エンマがそう唱えると同時に、網目状に張り巡らされていた縄が一斉にラゴーンに襲い掛かる。
空中で回避もとれないラゴーンは為す術なくその餌食になった。
「ぐはっ!」
がんじがらめに縛られた彼はそのまま地面に落下する。
その一部始終を穴の上から眺めていたエンマは満足気に息を吐いた。
「ほら、また君の負けだよ」
それは一瞬の攻防。
そしてなんともあっけない幕切れだった。
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