40話 理想の自分
目を奪われ、返事すら碌にできない俺に、その使徒は言葉を重ねる。
「救援要請を受けて助けに来たんだ。遅くなってしまい申し訳ない。僕も少し立て込んでいたものだから、ここに来るのに時間がかかってしまってね。で、状況は?」
「え、その・・・」
確かに救援要請は出している。
もうだいぶ前の段階で、この世界が手に負えないと判断したときに、俺は各派閥へ親書を出したのだ。
だが返事は一つとして返ってこなかった。
それも当然。
派閥間の協力など打算によるものでしかない。
互いに利益があるからこそ、使徒は協力し合えるのだ。
だが今回はそうではない。
ただ助けてほしいと縋っただけ。
何の見返りも用意していない。
そんな相手に協力する馬鹿などいないのだ。
現に親書を出してからもうだいぶ時間が経っている。
もう助けはこないと諦めていた。
だが今目の前にいるこの使徒はどうだ?
さも当然とばかりにここに現れ、遅れたことに謝罪までしている。
いったいどういうつもりなのだろうか。
「ど、どうして来てくれたんですか?」
「え、助けを呼んだのは君の方だろう?」
「いや、それはそうですけど・・・」
「そんなことより早く現状を教えてくれ。いったいこの世界で何が起きている?」
俺の疑問になど取り合わず、その使徒は先を促す。
しかもよりにもよって、彼はまだこの世界を救おうとしているではないか。
彼が放つそのまっすぐな視線を受けて、俺は思わず目を逸らしてしまった。
だって俺は知っている。
残念なことに、もうこの世界は救えない。
救援に来てくれたことは素直にうれしいし、協力もしてほしいが、もう何もかも手遅れなのだ。
この世界は救えない。
「わざわざ来ていただいてありがとうございます。でももうだめなんです。この世界はもうじき滅びます。俺は何も救えませんでした」
恥を忍んでそう伝える。
今更取り繕うものもなかった。
せめて感謝だけでも伝えておこう。
そう思って吐き出した言葉。
でもその言葉を聞いた当の使徒は甚だ不思議そうな声で俺に話しかけてくる。
「何言ってるの?まだこの世界は滅んでないじゃないか」
「いいえ、無理です。もう何をしても意味がないんです」
そう、もう無理なのだ。
打つ手は無い。
だからこそ俺は諦めたのだ。
それをわかってほしい。
俯いて、目を合わせることさえ拒絶して、俺はその使徒に向って言葉を吐き出した。
そしてようやくその使徒も察したのだろう。
それ以上彼が何かを言ってくる気配はない。
静寂が戻り、また無に戻っていく。
だがその沈黙が続くと思ったのは俺の勝手な勘違いだった。
しばらく黙っていたかと思うと、今度は深々とため息を吐き、その使徒は再び俺に話しかけてくる。
「君はそれでいいのかい?」
「・・・え?」
「君が諦めて何もやらないというのなら、僕が出しゃばって何かをする権利はないだろう。なにせここは君が君の責任で管理する世界だからね。帰れと言うなら大人しく帰ることにする」
そう言った割にはその使徒はその場から去ろうとはしない。
代わりに俺に向ってさらに言葉をかけてくる。
「だけどそれで本当にいいのかい?それならどうして恥をかいてまで救援要請なんて出したんだい?どうしてそんなに苦しそうにしてるんだい?」
「・・・やめてくれ」
「本当は諦めたくないんじゃないのかい?」
「黙れ!」
わざわざ助けに来てくれた相手に向ってそんな言葉を吐くのは失礼以外の何物でもないけれど、それでも言葉は口から勝手にこぼれてしまった。
そして一度決壊してしまえばもう止めることはできない。
ずっと抱えてきた苦しみが今になって溢れ出てくる。
「俺だってこの世界をどうにかしたいんだ!でももう無理なんだよ!どうしようもない、どうしようもないんだ!本当はもっとうまくやれるはずだったんだ!俺ならこの世界を救えると思っていたんだ!でも結局この様!無力な王だと笑えばいいさ!」
取り返しがつかないことをしていた。
今俺がしているのは八つ当たり以外の何物でもない。
自分を助けようとしてくれた相手に言っていい言葉ではなかった。
もしかしたら殴られるかもしれない。
そんな風にも思ったが、それならそれでちょうどいい。
どうせなら誰かに罰してもらいたい気分だった。
しかしそんな俺の淡い期待は叶えられるわけもなく。
「甘えるなよ」
代わりに訪れたのは、もっとつらくて、もっと苦しい、でも決してそれだけではない言葉の殴打だった。
これまでの気安い声音とはうって変わって、周囲を底冷えさせるような音が俺の耳を捉える。
「何かと思えば自尊心に溺れたか、愚か者め。確か君みたいなやつを、ある世界では“厨二病”って呼ぶんだぜ」
「・・・チュウニビョウ?」
聞き慣れない言葉に、俺は疑問符を浮かべる。
そんな俺に彼は言葉を続けた。
「人が成長する過程で通過する、一種の自己形成期間のことだよ。ありもしない万能感に酔いしれ、自己を肥大化してみせるんだ」
「なんだそれは・・・」
「まさに今の君を指す言葉だね」
彼は呆れたようにそう言い放つ。
「自分が特別な存在だとでも思っていたのかい?なんでもできると思っていたのかい?そんなわけないだろう。どこにも特別な奴なんていやしない」
「・・・はっ、お前こそどうなんだよ。わざわざこんなところにまできて救世主気取りか?かっこつけて悦に入ってるのはお前だろうが!」
「は?それがわざわざ助けにきてやった相手に向って言うことか?君は馬鹿以前に失礼なやつだな」
「うるさいうるさいうるさい!もうたくさんだ!こんなことやめてやる!王なんて柄じゃなかったんだよ!」
「そうか、ならそうすればいい。僕は止めやしない」
いつの間にか大声で怒鳴っている自分がいた。
今になって思えばうまく乗せられていたような気もする。
このとき彼は腑抜けた俺から本心を聞きたかったのだろう。
その証拠に、彼はその後こう続けた。
「まあでも、ここで逃げたら君は本当にここまでだったと自ら認めたことになる。今日ここでしたその決断が一生君を縛るだろう。本当にそれでいいんだね?」
「だからもうどうでもいいんだよ!」
「君は理想を持って王になったんだろう?というより自分は理想的な王にすでになっているとでも思ってたのかな?そして今その自負を踏みにじられて、心が折れそうになっている」
「・・・」
まるですべてを見透かしているかのようなその態度が気に食わなかった。
しかし俺はその言葉に言い返すことができない。
当然だ、何せこの使徒が言っている通りなのだから。
でもだからどうだというのだ?
俺に力が無かったのはもはや変えようのない事実。
いくら罵られようがどうすることもできない。
だから彼の発言に意味はない。
それはただ俺を辱めるだけの言葉でしかないのだ。
だけどどうしてか、見上げた彼の顔には侮辱の色など一切なかった。
むしろもっと別の必死さがそこにはあったのだ。
「いいかい?どこにも完璧な奴なんていないんだよ。誰も彼もが欠陥だらけだ。そりゃそうだろうよ、なにせ僕らを創った神様からして完璧には程遠い。見てみなよ、この惨状を。こんなことになっても神様は傍観者でいる。そんな怠慢な存在に創られた僕たちが、完璧であるわけがないだろう?」
心底不愉快そうにその使徒は言葉を続ける。
「だからこそ僕たち使徒は選択を迫られる。今の自分に満足するのか、それとももう少しマシになろうと足掻くのか、そのどちらかを。それ以外を選べば必ず苦しむことになるだろう。君は今満足しているかい?今の君が理想の君かい?」
「そんなわけ!」
「なら足掻くしかない。逃げればその先で必ず君は悔やみ、そして嘆くことになる。悠久の時を生きる僕たち使徒にとってそれはあまりにも残酷な拷問だ」
「ならどうすればいいんだよ!もう俺には何もできないんだ!」
「今回は僕が助けてあげよう。せいぜい僕から学べ」
どこまでも偉そうに、そしてどこまでも傲慢に、その使徒は俺に向かってそう告げた。
まるで本当にこの世界を救えるとでも言わんばかりのその態度が、俺の中にわずかに残った希望に語り掛けてくる。
お前はどうしたいのだと。
「・・・どうしてそこまでする?俺は別にお前に対して何もしてやれないぞ」
純粋にそこが不思議だった。
何の見返りも用意していない俺に、どうしてそこまでしてくれるのかわからない。
その理由を知りたくて、俺はその紅の瞳を見つめる。
果たして俺の疑問をぶつけられたその使徒は、にやりと笑って口を開いた。
「あの親書は傑作だったぞ。今時あんな純粋無垢な手紙を書く使徒の王がいるとは思わなかった。そりゃその送り主に会いたくなっても仕方がないだろ?」
「・・・馬鹿にしてんのか?」
「いいや、違うね。一切の打算が無いからこそ、見えてくるものもあるということだよ。この手紙は君がどういう使徒なのかを物語っていた。だからこそ僕に興味を抱かせた」
そう言ってその使徒は懐から取り出した手紙をひらひらと俺に見せてくる。
確かにそれは俺が各派閥へと送り付けた親書だった。
「君はやり方を知らないだけで、前に進む意志は持っている。僕は必死に足掻いている奴が好きなんだ」
俺はその発言に呆然としてしまった。
馬鹿だなんだと俺のことをからかっておいて、結局自分が一番馬鹿なだけじゃないか。
でもだからこそ、この使徒はここに来て、俺のことを助けようとしてくれている。
「ははっ」
思わず笑いが込み上げてくる。
こいつが言ってることは無茶苦茶だ。
こんな詐欺師についていけばきっとひどい目に合うに違いない。
でもこの絶望を覆せるなら、それでもいいと思えた。
だったら、膝をついているわけにはいかない。
そう思って顔を上げると手が差し出されている。
俺は迷わずその手を握って立ち上がった。
「ようやくマシな顔になったね。これなら大丈夫そうだ。さっそく救済を始めよう」
「・・・その前にお前の名前を聞いておかなくちゃならない。今差し出せるものが無いから、いつか借りを返すときに名前を知らないと困るだろ」
「別に借りなんて思わなくてもいいけど・・・」
そう言って協力者は自らの名前を口にする。
「僕はルイ。よろしく」
その名こそ、俺が新たに目標とした使徒の王の名であった。
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