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35話 雪原の牢獄

「あった」


 白い息を吐き出しながら一人呟く。


 バスピーを追いかけ大寒獄を目指し、気づけば見渡す限りの雪景色。


 たどり着いたこの場所で、寒さに思考を妨げられながらも、俺は奴が残した痕跡を探していた。


 雪積もるこの領域で歩けば当然足跡が残る。

 それを見つけて辿ることができれば、奴の向かった先がわかると思ったのだ。


 そしてようやく見つけた奴の足跡は、大寒獄の中心へと続いている。


 それを確認し、俺は再び雪の上を走り始めた。


 一歩踏み出すたびに雪に足をとられ、思うように速度を上げることができない。

 それでも俺は出しうる限りの速度でバスピーの後を追った。


 そうして白銀の世界を走ることしばらく、ようやく変わらない景色に変化が起こる。


 延々と続いていた足跡は途切れ、代わりに目の前には小さな穴がぽっかりと口を開けていた。


 明らかに不穏な空気漂うその洞穴の入り口の前で俺は立ち止まり、中の様子を伺う。

 だがどれだけ耳を澄まそうが、目を凝らそうが、ここから暗闇の先に何がいるのかを捉えることはできなかった。


 だが足跡がある以上、バスピーはここにいる。

 それだけわかれば十分だ。


 俺は躊躇うことなく、暗闇の中へと足を踏み出した。


 洞窟へ侵入すると、きつい傾斜が俺を出迎える。

 明かりはほとんどなく、暗い坂道を俺はひたすら進み続けた。


 もうすぐだ。


 この先にいるであろう殺意の対象を思い浮かべると、嫌が応にも黒く染まった心が高鳴る。

 もはや今の俺を突き動かしているものはそれしかない。


 この胸に宿る衝動だけが、俺を前へと進ませるのだ。


 だがなぜだろう。


 この洞窟に入ってからというもの、燃え上がる殺意とは裏腹に、肌を指すような痛みに襲われていた。


 それは一歩踏み出すたびに強くなり、ついには疾走の妨げとなる。


 自分でも理解できない何かが、わずかに残された理性にこう告げた気がした。


 戻れ、と。


 きっといつもなら、その忠告に従っていたことだろう。


 だが今回ばかりはそれを無視するしかない。


 悲鳴を上げる己が本能を無理やり黙らせて、再び憤怒に薪をくべる。


 そして抱いた殺意に導かれるまま、俺は地下最深部へと到達してしまったのだ。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 出迎えたのはこれまでと変わらない静寂。


 やけに自分の息遣いが響く空間で、俺は目を凝らして周囲の様子を窺った。


 暗闇に慣れた目に映ったのは、鉄格子、そして錠のついた扉。


 薄暗く、湿った空気を纏うその空間は、まさしく牢獄というにふさわしい佇まいをしていた。


 扉に近づき牢を開けてみようと試みるも、鍵がかかっているせいでビクともしない。


 仕方なくその場で牢屋の中を確認しようとしたが、誰の姿も見つけることはできなかった。


 だが誰もいないわけがない。

 外の足跡は確かにこの場所へと続いていた。

 奴はここにいるはず。


 それに今も感じるこの怖気こそが、ここに何かがいるというなによりの証拠なのだ。


「バスピー!どこにいる!」


 ついに我慢できなくなった俺は、大声を上げた。


 気色の悪い恐怖よりも、身を焦がす怒りの方が優ったからだ。


「ん?来客とは珍しい」


 果たして、応えはあった。


 急激に気配が膨れ上がる。


 中でごそごそと動く音がしたと思ったら、重い足取りと共に何者かが鉄格子越しに現れた。


 そして瞬時に理解する。


 この怖気の正体が、今目の前にいるもののせいであることを。


「んー、エンマじゃないね。君、誰?」

「・・・お前こそ、何者だ?」

「ははっ、確かに人にものを尋ねるときはまず自分からだよね。これは失礼した」


 警戒する俺とは裏腹に、その使徒はどこか楽しそうに話かけてくる。


「私はゼン、ただの捕らわれの使徒だ。よろしく」


 ゼンと名乗った使徒はそう言うと、鉄格子のすき間から手を差し出してきた。


 当然俺はその手を取らない。


 そして今だけは一時的に滾る殺意を抑え込んだ。


 それは相対している使徒があまりにも異様だったからだ。


 さっきから感じているこの重圧は、疑いようもなくこいつが発しているもの。

 ただそこにいるだけで全身を痺れさせてくるなどただ事ではない。


「ん?ああ、ごめんごめん。怖がらせちゃったかな。誰かに会うなんて久しぶりだから、つい興奮してしまったようだ。あっはっは」


 動かない俺を見て察したのか、ゼンは宙ぶらりんの手を引っ込めると、笑った。


 もはやその笑い声さえこちらの魂を締め付ける。


「お前がバスピーの主か?」


 今考えられる中で最も高い可能性を俺は口にした。


 バスピーの向かう先に奴の主がいるとするならば、目の前の男がそうであると考えるのが普通だろう。


 だがその言葉を受けて、彼は不思議そうに首を傾げる。


「バスピー?誰それ?知らないよ?」

「嘘をつくな!奴がここに来たことはわかってる!」

「ん?何の話だい?さっき言っただろう、誰かと会うのは久しぶりだって。君がその久しぶりの相手だよ」

「馬鹿な!この洞窟の前まで足跡が続いていた。少なくとも誰かは来たはずだ!」

「怒鳴られたって事実は変わらない。ここには誰も来ていないさ」


 本当に何も知らないというように、そいつはどこまでも穏やかに話しかけてくる。


 その様子に苛立った俺は、鉄格子を思いっきり蹴りつけた。


「ならお前はなんなんだ!」

「うーん、そうだな、今一番ふさわしい言葉を当てはめるとしたら・・・敗北者なんてのがしっくりくるかな」

「敗北者だと?」

「そう、大戦で敗れてからずっとここに捕らわれているんだ。酷い話だよね」

「・・・は?大戦?」


 こいつは何を言っているんだ?


 もし大戦というのが天界大戦のことを意味するのだとすれば、こいつは俺が生まれるよりずっと昔の使徒だということになる。


 そんな奴がなぜこんなところにいる?


 予期せぬ展開に頭が混乱し始めたところで、まるでこちらの意識を引きずり出すかのように目の前の使徒がこちらに話しかけてきた。


「何度も言うようだけど、ここには君以外誰も来てないよ。私は正直者だからね、嘘はつかないさ」

「そんな馬鹿な・・・」

「さては君、騙されたんじゃない?その口ぶりだと雪についた足跡を追いかけてきたんだろうけど、追われる側からしたらそんな手がかりを馬鹿正直に残すとも思えないしね」

「なんだと・・・」

「足跡なんていくらでも偽装できるってことだよ。君は見事に騙されて、全く関係のない私のところまで来てしまったんじゃない?」

「・・・まさか」


 もしこいつが言っていることが正しいのなら、俺は見事にしてやられたというわけだ。


 これで完全にバスピーを見失ったことになる。


 獲物を逃したことを自覚した俺は歯を食いしばった。


「ははは、なかなかいい顔をするじゃないか。その濁った瞳も嫌いじゃない」

「・・・なに?」

「怒るなよ。事実じゃないか。心当たりだってあるんだろう?いったいどんな目にあったんだい?」

「お前には関係ないだろうが」

「おいおい、そりゃないだろ。さっきまで私の関与を疑っていたくせに」

「黙ってろ!」


 ただでさえイライラしているのに、目の前の使徒がさらにそれを助長する。


 思考がまとまらない。

 次の手が何も思いつかない。


「くそっ!」


 八方塞がりの状況に悪態をついた、その時だった。


「なっ!」

「おや?」


 洞窟を揺るがすほどの、地響きが巻き起こった。


「なんだこれは!?」

「さあ?なんだろうね」


 動揺する俺とは裏腹に、ゼンはいたって冷静にそう答えるが、明らかにその瞳はこの状況を楽しんでいるように見えた。


「なるほど、外ではなかなか面白いことが起こっているようだ。是非私も参加したいところだが、そういうわけにもいかないから残念だよ。君は早く行かなくていいのかい?むろん私としては話し相手がいなくなるのは寂しいことだが、ここで君を引き留めるほど私は野暮じゃないよ?」

「・・・ちっ!」


 別にこいつの言葉に従うわけではないが、俺は洞窟の出口へと向かって走り出す。


 碌に挨拶もせずその場を去る俺に対して、最後に奴のつぶやきが聞こえてきた。


「名も知らぬ哀れな使徒よ、君が少しでも苦しむことを期待するとしよう」


 それはとても、醜悪な声だった。



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