31話 怒りだけを頼りに
「うあああああああああ」
指一本動かすことすら許されないほどの重圧に晒されながらも、遠く離れていく背中に吠える。
制御を失った心は消えない炎によって燃え盛っていた。
「許さない!絶対に!お前だけは殺してやる!」
もはやその背中に届かないとわかっていても、叫ばずにはいられない。
熱い、痛い、苦しい。
憤怒が、憎悪が、胸をかきむしりたくなるような感情が、発露しては混ざり合い、燃え滾る炎となって体を蝕む。
存在しないはずの熱が、確かに俺を襲っていた。
殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい。
あの裏切り者を、この手で殺してやりたい。
そのためならば、この身がどうなったってかまわないと思った。
「どけぇぇぇぇぇ!」
だがたとえどれだけの激情に支配されようとも、俺に許されていることはみっともなく叫ぶことだけだった。
願いは届かず、思いは踏みにじられる。
やがて無力な使徒の王は、断末魔にも似た悲鳴を上げ、動きを止めた。
「こいつ、やっと大人しくなった・・・」
一人の囚人がそうつぶやく。
バスピーに命じられて俺を拘束している囚人たちは、ただの人間だ。
力を制限されているとはいえ、腐っても使徒である俺を押さえつけることは、彼らにとっては重荷だったのだろう。
動かなくなった俺を見て、思わずほっとしたという雰囲気がその場には流れていた。
しかし残念ながら、俺は諦めて大人しくなったわけではない。
むしろ逆。
押さえつけられ、地に伏せていたからこそ捉えた予兆に、一人無音の歓声をあげていた。
それはあまりにも無様を晒した俺に対する、せめてもの神の情けだったのかもしれない。
あるいは大きすぎた絶望と帳尻を合わせるために遣わされた、希望という名の運命のいたずらか。
最初は遠くの方でわずかに、そして時間がたつにつれて徐々に強く。
やがて囚人たちもその異変に気付き始めたころ、それは形を得て姿を現した。
「蹴散らせーーーーー!!!!」
誰かが号令を発する。
それは囚人たちへと傾きかけていた戦況を覆す鬨の声。
趨勢が決まり、もはや熱を失いかけていた戦場に、再び騒乱を巻き起こしにきた反攻の狼煙。
獄吏の増援が戦場へとなだれ込んだ。
俺たちを追いかけてきた者なのか、はたまたこの騒ぎの鎮圧のために駆り出された者なのかはわからないが、結果として彼らは囚人たちとの戦闘を開始する。
それは俺が望んでやまない絶好の好機だった。
「おい、こっちにも来たぞ。どうする!?」
「どうするって、迎撃するしかないだろ!」
「いくぞ!」
戦闘を開始した獄吏たちは当然俺を押さえつけている囚人たちにも襲い掛かる。
そうなれば彼らも戦闘に参加せざるを得ない。
結果、どうなるかは明白だ。
少しずつ体が軽くなっていく。
囚人が獄吏たちに意識を持っていかれるたびに、俺の自由が近づいてくる。
やがてその時は来た。
動く、体が動く。
待ちに待った状況が、今この瞬間に訪れたのだ。
「うあああああああ!」
雄叫びを上げてもう一度全身に力を入れる。
「な、なんだ!?」
油断していた囚人たちは、咄嗟に反応できない。
急に暴れだした俺によって、彼らが築き上げた即席の牢獄は呆気なく崩壊してしまった。
「こいつ!捕まえろ!」
「でも獄吏が!」
「くそ!こんなの聞いてねえぞ!」
混乱する囚人、暴れまわる獄吏、たちまち秩序を失った戦場の真ん中で、解放された俺は立ち上がる。
そしてある一点を見つめた。
それは憎き相手の去っていった方角。
思い出しただけではらわたが煮えくり返り、胸は焼け焦げ、脳が燃え上がった。
「バスピーーーーーー!!!」
ただ怒りだけを頼りに、そう叫ぶ。
もはや理性を失った獣を止めるものなど居はしない。
本能の命じるままに一歩踏み出した次の瞬間には、残酷な追走劇が幕を開けるのであった。




