29話 血濡れ
辿り着いたその先は、戦場だった。
阿鼻叫喚の大地は嫌が応にも逃走者を混沌へと引きずり込む。
それでも僕らは足を止めることだけはしなかった。
「仕方ない、川を渡ろう」
走り始めて数秒後、僕はそう提案する。
この状況における最善策はそれしかないと考えたのだ。
半狂乱で戦っている彼らも、熱湯に入ってまで僕らを追いかけまわすことはないだろう。
「お前縛られてるのに泳げるのか?」
「体が自由でもろくに泳げない君に心配されたくないね」
「・・・ちっ、わかったよ。バスピーもそれでいいな?」
「大丈夫です」
無事トトにもご納得いただけたようで、僕らの方針が決まった。
ならばあとは実行するのみである。
三人付かず離れずの距離を保ったまま、戦場のすき間を縫うように走り抜けていく。
幸運なことに、混乱の中にあるこの戦場では逃げに徹する者が有利と言えた。
獄吏であれ、囚人であれ、そのへんを走っているだけの敵より、襲い掛かってくる敵の方を優先して攻撃するだろう。
それゆえ僕たちが攻撃対象にされること自体稀だ。
この調子なら問題なく川まで辿り着ける。
しかしさすがにこの戦場から完全に離脱しようとしているのが分かれば、彼らは黙っていなかった。
脇目も振らずに逃げていく僕たちを見て一人の獄吏が縄を放ってくる。
そしてその縄を放られた本人であるところのトトは、その攻撃に気付いていなかった。
「ちっ」
僕は舌打ちすると同時に、その辺に転がっていた小石を思いっきり縄に向って蹴り上げる。
かくして小石は見事に縄へと直撃した。
縄は即座に反応して何かに巻き付こうとうねるが、巻き付く対象を見つけられないまま地面に落ちる。
「まあこれだけ見せられたらどういう技かもわかるよね」
別に誰に聞かせるでもなく僕は一人呟いた。
あの縄は対象に触れたときにその力を発揮する。
つまり触れなければ怖くはないし、もっと言えば適当なものをぶつけとけばその効力はこちらまで届かない。
厄介なことに変わりはないが、対処法さえわかればどうとでもなる。
助けられたことに気づいていないトトにも後でちゃんと教えてあげるとしよう。
まあでも今は逃げ切ることが先決だ。
もう川は目と鼻の先である。
「ふう・・・」
さて、エンマに見つかり、サイラに裏切られ、唐突な戦場に乱入しながらも、ようやくここまで辿り着いた。
正直百戦錬磨の僕でもうんざりするような展開だったが、ここまでくれば無事に突破できるだろう。
だから本来ならば、ここは当然ほっとする場面なのである。
しかし残念ながら、そうはならなかった。
むしろ僕が抱いたのは怖気。
今までにないほど明確で、そして強烈な殺意が背中を撫でる。
次の瞬間、僕の体は加速していた。
「トト、危ない!」
腕を封じられているから器用に助けるなんてことはできない。
それでも出来得る限りを尽くして、僕はそこへと飛び込んだ。
「ぐはっ」
そして努力は報われる。
僕の渾身の体当たりはトトの体を突き飛ばすことに成功したのだ。
「痛って・・・。おい、いきなりなに・・・・え?」
倒れたトトは、僕に非難の言葉を吐こうとして、動きを止めた。
ああ、トトよ。
君はまだまだ未熟者だ。
最も近くにいたくせに、気づけないとは情けない。
本当に勘弁してほしい。
まあでもよかった。
君が僕のよく知る君であったことに、今は安心している。
頑張った甲斐があるというものだ。
「バスピー・・・何をしている?」
トトはその目で見たものが信じられないとでもいうように、言葉をこぼす。
それも当然だ。
彼にしたらこの展開は意味不明すぎる。
しかしそれでも自分の目で見てしまったのなら、それは紛れもない事実なのだ。
冷静に分析し、そして対処しなければならない。
これは間違いなく彼にとっては試練になるだろう。
せいぜい生き残るために足掻くといい。
「かはっ・・・」
僕の口から血が噴き出す。
僕の目に映るのは、無残にも自らの胸を貫いている血濡れの腕。
痛みがすべての感情をさらい、叫ぶことすら許されない。
「ふっ、お前は後でもよかったんだがな。余計なことを」
その声の主は、バスピーだった。
彼の腕が、僕の胸を背中から突き破っている。
「・・・くそったれが・・・」
かすれた声が喉からこぼれ出る。
だが今更そんな言葉に意味はない。
「もういい、死ね」
バスピーは僕の体から自分の腕を引き抜くと、そのまま僕を川へと突き落とす。
落ちる寸前、一瞬だけトトと視線が交わった。
「ルイィィィィィ!!!」
薄れゆく意識の中で、僕が最後に聞いたのは、僕よりも苦しそうに叫んでいるトトの声だった。
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