26話 極限までややこしく
遅くなりました
地獄の支配者、エンマ。
古より存在する使徒でありながら、ただ一つの世界に執着する王。
彼のことを直接知る者は少ない。
僕とて言葉を交わしたのは数えるほどだ。
だがその時の記憶は鮮明に刻まれている。
彼は紛れもなく、使徒の王に相応しい存在であった。
懐かしい記憶に思いを馳せながら僕がその姿を眺めていると、エンマも遠い目をしながら僕に話しかけてくる。
「お客人を招待した覚えはないのだけど、いったい何の用でここまで来たんだ?」
「ちょっと観光にね。地獄はなかなか面白いよ」
「なるほど、楽しんでいただけているようでなによりだ。それで何泊の予定だ?」
「この地獄には昼も夜も無いだろ。日にちなんて考えてないよ」
「それもそうか。しかしそれだと不便だろう。よかったらここからは私が案内しようか?」
「遠慮しておくよ。君も忙しいだろ?」
僕もエンマも終始笑顔で会話をしている。
事態は最悪だというのに、その場の雰囲気はいたって和やかだった。
まるでテラスでお茶会でも開いているかのような気楽さだ。
あくまで表面上だけは。
「さて、ここで見たいものはもう無いし、僕らはそろそろ行こうかな」
「何を言っている?せっかくわざわざこんなところまで来たんだ。もう少しゆっくりしていけばいい」
エンマがそう言った瞬間、どこからともなくわらわらと獄吏たちが現れた。
「いやはや、部下をたくさん呼んでおいてよかった。お前のような高貴なお客さんに対して出迎えが私だけでは失礼に当たるだろう」
「別に僕はそんな大した存在じゃないさ。別に出迎えなんていらないよ」
「そういうわけにはいかないな」
この肌がひりつくような感覚、これこそ王同士の会話というものだ。
トトとかいう甘ちゃんとしたものとは質からして違う。
まあ開始早々からこの会話は破綻しているんだけどね。
「・・・ふぅ、見逃したりしてくれない?できれば君と戦いたくはないんだけど」
「別にこちらの心配をする必要はない。確かにこの戦力だけでお前と戦うには少しばかり心許ないかもしれないが、手はある」
エンマは表情を崩さずにそう言ってのける。
確かに彼の言う通り、純粋な戦力でいったらこちらに分があるかもしれない。
しかしなにぶんこちらには原典が無い。
手があると言われてしまえばそれをハッタリと断じることはできないのだ。
できることなら戦闘は避けたい。
さて、どうやって逃げようか。
「あーあ、つまんないなあ。ルイ、まだいい子ちゃんでいる気か?」
事態が一瞬だけ膠着したその時、後ろから声がかけられた。
「いつまでそうしてるつもりなんだ?アタシはいい加減我慢の限界なんだぞ?」
不吉な声が、僕の脳を震わせる。
「なあ、ルイ。お前はアタシがなんでこんなことに付き合ってるかわかってるんだろ?暇なんだよ、つまらないんだよ、退屈なんだよ。こんなに楽しそうな展開が目の前にあるのに、お前はそれを潰す気か?正気か、お前は?」
その声音もさることながら、こんな物騒なことを言う奴なんて限られている。
「はああ」
ため息をつきながらゆっくりと目線を後ろに向けると、悪魔みたいに笑っている奴とばっちり目が合う。
僕は思わず笑ってしまった。
「サイラ、急にどうしたんだい?今僕はエンマと大事な話をしてるんだよ。邪魔しないでね」
「その内容が気に入らないと言ってるんだ。お前今どうやって逃げるか考えてただろ?ここまで追い詰められて、まだそんなくだらないこと考えてるのか?どうしてそうなる?どうして戦わない?どうして本気を出さない?」
その表情とは裏腹に、サイラの目は笑っていなかった。
まるで炎を灯すかのようにその瞳に怒りをにじませている。
「そもそも最初からお前のやり方は間違ってる。本拠地がわかった時点で襲撃して制圧してればよかったんだ。お前ならそれができただろう。それをこそこそと隠れやがって、情けないにもほどがある。何が平和主義だ、ふざけんなよ」
もう僕は何も言わなかった。
ただ黙って彼女の言葉を聞いている。
「どうすれば本気になるんだ?アタシか?アタシをあてにしてるから本気になれないのか?そうか、そういうことならアタシにも考えがあるぞ」
最後にそれだけ言って、彼女は僕から目をそらした。
そして代わりにエンマと向き合う。
「自己紹介がまだだったな、エンマとやら。アタシはサイラだ」
「サイラ?どこかで聞いた名だな」
突然の自己紹介にも動じることなくエンマは一人首を傾げた。
一触即発の状況なのにもかかわらず主に緊張感が感じられないせいで、周りの獄吏たちは不安そうに互いの顔を見合わせている。
しかしそんな部下たちのことなど放っておいて、エンマは自身の疑問に夢中だった。
「あー、その赤い髪、そしてサイラという名前。なるほど、君は十翼の一人、鬼神サイラか」
「アタシのことを知ってるのか?」
「引きこもりの私でもさすがにね。しかしまさかルイだけじゃなくて、そんな大物までいるとは」
「まあそういうことだ。アタシとルイがいる以上、アンタに勝ち目はない」
「かもしれないね」
「だけど安心するといい。今ならアンタに味方してやってもいいぞ」
「おい!」
ここでようやくトトが声を上げたが僕はそれを制す。
一方エンマは不思議そうな顔をしていた。
「状況がよくわからないんだけど、見た限り君はルイの仲間じゃないのかい?」
「たった今やめた。どうやらこいつはとことん追いつめないといけないらしい。なあ、ルイ?」
「さっきから何を言っているのかわからないなあ。僕はいつだって全力だよ?」
「ほらこの通り。いい加減我慢するのも面倒くさくなってきた」
僕が軽く口を挟むとサイラはやれやれと言った様子で首を振る。
散々煩わされてきた身としては、そんな風に言われると若干イラっとするが、彼女は彼女で思うところがあるのかもしれない。
ゆえに僕がそれ以上彼女に向って何か言い募ることはなかった。
そしてそれはサイラも同じなのか、もはや僕の方を見ようともしない。
そんな彼女を見てエンマも何かを察したのか、この状況における最善を見つけたようだ。
「なるほど、こちらとしてはありがたい申し出だ。その提案を受け入れよう。敵対しないものまで相手にしているほど、こちらに余裕があるわけでもないからね」
「正しい判断だな」
「でも君は特に何もしなくていい。これはあくまで地獄の管理者である私の役目だ。君が彼らの味方さえしなければ、こちらも君の罪を問わないことを約束する」
「別にそれでもいいぞ。ルイを追いつめてくれるのならな。ではこれで契約成立だ」
周りの使徒たちは話に一切ついていけていない。
それぞれがどう動けばいいのかもわからず、オロオロしているだけだ。
だがそれも仕方のないことだろう。
事態の変化はあまりに急激だったのだから。
だけどこの場にいる歴戦の王だけは今がどういう状況なのかを理解している。
王という存在は自らの利益のためにしか動かない。
己の利と誰かの利が交わったのならば手を取り合い、ぶつかったのならば戦う。
ただそれだけの話なのだ。
それゆえ極限までややこしくなったこの状況下であっても、僕たち王は自分のとるべき行動を決めることができる。
「全員捕らえろ!」
「二人とも逃げるよ!」
「頑張ってねー」
サイラはその身を引いた。
エンマは部下に指示を飛ばした。
そして僕は後ろにいた二人の襟首をつかんで飛び上がった。
戦いの始まりである。
「行くよ!」
つかんだ二人を思いっきり出口に向かって投げつけると、僕もそこに向って跳躍する。
「縛!」
一方エンマは、僕が二人を放り投げるのと同じタイミングで、懐から取り出した縄を僕に向って放っていた。
二人に手を貸したことで隙を晒した僕はその縄を回避することができない。
「あちゃー」
次の瞬間には、その縄がまるで生きた蛇のように僕の体に巻き付く。
そしてそのまま空中で縛られた僕はバランスを崩した。
本来ならこんな縄引きちぎって、体勢を立て直し、みんなで仲良く走り出すところなのだが、不思議とこの縄を振りほどくことはできない。
エンマがこれを投げるときに何か叫んでいたので、おそらくはなんらかの理に支配されているのだろう。
とりあえず縄を解くことは諦め、僕は着地にだけ意識を集中させる。
そして無事にそれを成功させると、その勢いのまま走り出した。
幸運なことに、先に放り投げた二人は僕の意図を察して、すでに出口に向かって走り出している。
「追え」
後ろの方からエンマの声が聞こえてきた。
しかし僕はもう振り返らない。
そんなことをしている暇があるなら頭を働かせた方がいい。
文字通り、地獄の逃走劇は始まってしまったのだから。
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