42話 そのとき彼らは
報告によれば、各地の戦線はすでに崩壊しているらしい。
魔王軍幹部の全滅とともに最後の攻勢に出た魔王軍は、一時盛り返していた人類の戦線を大きく後退させるに至る。
あらかじめ国民の多くは王国中央へと避難を始めていたので、非戦闘員である彼らの被害はまだ小さいが、前線で戦っている兵士たちはもう壊滅状態だ。
ここまでくると、もう私たち人類の軍勢が崩壊するのが先か、勇者様が魔王を倒すのが先かという勝負になってくる。
こちらから勇者様の状況を把握することはできない。
しかし未だ魔王領が瘴気で満たされていることを鑑みれば、魔王が健在であることだけはわかった。
それを見た人々は不安を口にし、明日にも世界が滅びると嘆いている。
もはや世界は絶望に満たされつつあった。
それでも私は信じている。
勇者様は必ず勝つと。
だから私は自分にできることをやるだけ。
人々の傷を癒し、心を支え、勇者様が帰ってきたときに笑顔で彼を迎えられるようにする。
あとは聖女らしく祈るとしよう。
救いはきっとある。
だってこの世界にはきっと、神様がいるのだから。
――――――
もちろん僕というこの世界を知り尽くした者からすれば、それは決して目新しい存在ではなかった。
しかし目新しくはなくとも珍しくはある。
正直言って想定外だ。
あの魔王の中に隠れ潜んでいたのは“邪悪なる魔”という魔物である。
そのジョブは魔王より高位のものであり、その力は魔王を遥かに凌駕する。
それに今見たところによるとレベルは123。
勇者のレベルも魔王討伐によりレベル82にまで上昇してはいるが、はっきり言って話にならない。
この時点で勇者は詰んでいた。
だが事態が動いたおかげでようやく謎が解けた。
この100年周期という法則を破って魔王が誕生したのはこいつが原因だろう。
確かにこいつには自分より下位の存在を生み出すくらいの性能はある。
魔王だけではなく、魔王軍幹部までわざわざ召喚し、あたかも普段通りの異常事態を装っていたのだ。
だから使徒である僕たちもその存在に気づけないでいた。
でもそれも仕方のないことだろう。
こいつが出現することなんて本当に滅多にない。
僕でさえこいつを観測したのは数えるほどだ。
それに魔王の影に隠れるなんてせこい真似をしてきたのはこれが初めてである。
気づくことは不可能。
経験によってしか判断できないという僕の数少ない欠点が現れてしまった。
「まずいなあ~」
思わず独り言を吐いてしまうほどには驚いている。
「ルイ様、楽しそうですね」
隣に控えていたスッチーが僕の顔を見て満面の笑みを浮かべていた。
やべっ、バレてる。まあいいか。
そうです、僕は新しい経験というものに対して興奮を覚えてしまう質なのです。
悠久の時を生きる使徒にとって、知らないこと、見たことないものというのはどんな財宝よりも貴重だ。
とりわけ長く生きている僕のような使徒に限って言えば、新しく出会えるものという存在は快楽以外の何物でもない。
だから千里眼の向こうで勇者が怯えおののき、今にも殺されそうになっている状況でもつい笑顔がこぼれてしまうのは仕方のないこと。
不可抗力なのだ、これはいわゆる性癖みたいなものなんだから、自分では否定しようもない。
そんな風に僕が楽しそうに笑うものだから、つられてスッチーもいい笑顔で僕に問いを投げかけてくる。
「いかがいたしましょうか?これは放っておいたら世界が滅びると思うのですが」
「とりあえず僕はあそこに行く。他の使徒は適当に待機させておけばいいから」
「承知しました。すべてはルイ様の意のままに」
スッチーに指示を与えると、彼女は恭しく一礼し、そのまま部下の元へと向かっていった。
それを見送って、僕も出発の準備を始める。
「あーあ」
どれくらいしてからだろうか、さっきまでの愉快な気持ちが嘘であったかのように、僕は思わず嘆息してしまった。
きっと今鏡を見たのならば、スッチーに見せていた楽しそうな笑顔は、苦々しいものに変わっていることだろう。
確かに今回の異常事態はなかなか僕を楽しませている。
こうまで僕を煩わせるというのも珍しいことだろう。
自称勇者に、自称邪神。
予期せぬ登場人物たちが僕の描いたシナリオを滅茶苦茶にしていくのは、見ていて面白いものがあった。
だがただ一つ不満を述べるとするならば、それはこの物語における結末についてだろう。
最終的に、それだけは譲りたくないと思っていたものを、僕はこれから譲ることになるかもしれない。
本当は嫌だけれども、しかしそれも仕方のないこと。
所詮使徒なんて世界を相手にしたら、ただの矮小なる歯車の一つに過ぎないのだから。
僕らはただ甘んじて、世界を救うために働くだけ。
それ以上を求めるのは、わがままというものだろう。
冷めていく心をどこか他人事のように感じながら、僕は今まさに絶望の空間となりつつある魔王城最深部に転移するのだった。




