58話 反撃の始まり
僕たちは最初から罠にかけられていた。
周到に計画され、用意され、すでに逃げ場はない。
ただ漫然と時を刻んでいけば、気づくこともできないまま確実にこの身を滅ぼすことになっていただろう。
だがそんな状況でも、手がないわけではない。
罠を仕掛ける以上、そこには何かしらの意図が働いてしまうものだ。
たとえそれがどれだけ些細なものであれ、不自然さは残り、それが罠を仕掛けられた側の活路となる。
この際先手をとられたのは仕方のないこと。
ならば後手で返すのみ。
「死を許されない世界?何を馬鹿な・・・」
「君が不条理だと思ったところで、それがこの世界の理なのさ。何より今この瞬間、君自身がそれを体験したじゃないか」
必死に否定しようとするバスピーだが、そんなことに意味はない。
神が創る世界はいつだって僕らの予想を軽くぶち壊す。
本当に腹立たしいことだが、神のやることなど使徒には制御できないのだ。
僕らにできることはせいぜい神が創った世界でみっともなく足掻くことだけ。
それ以上をやろうとすれば、己の無力さを思い出すだけである。
「ならトトの部下二人はどうなんだ?私は確かに奴らを殺したぞ。こんな蘇生は起こらなかった!」
「死ねないのは罪人だけだと言ったはずだよ。彼らには地獄に認められるほどの罪が無かったんだろうね」
「お前も罪人ではないはずだ!」
「君は罪人の定義を知っているのか?少なくとも僕が罪人であるかどうかなんて、見ただけじゃわからないだろうに。そしてこれはあくまで結果論だけど、僕は罪人だったようだね。まあそれも当然と言えば当然か。なにせ年季が違う、歴史が違う、経験が違う。僕ほど罪を重ねてきた存在も他にいるまい」
バスピーにとって不運だったのは、最初に無実の使徒を殺してしまったことだ。
もし仮にそこで不死の現象を目の当たりにできてさえいれば、話はもう少し彼に有利に進んでいたかもしれない。
まあそんな仮定の話に意味など無いけれど。
「・・・なら貴様は全て分かった上で私に殺されたのか?死なないことが最初からわかってたから、私に殺されたというのか?」
「そうだよ。でなければわざわざ君に殺されてなんかやるものか」
「嘘だ!あの時点でそんな確信を持てるわけがない。所詮原典がない以上はただの推測!そんなものに命を懸けるなど、正気の沙汰ではない!」
「ははっ、よくわかってるじゃないか」
お粗末であったとはいえ、バスピーも主を逃がすために世界を調査した身。
原典を読まずに世界の理を読み解くことが、どれだけ困難なことなのかをよく理解していた。
確かに彼の言葉は正しい。
どれだけ原典の内容を推測しようとも、結局のところ原典を読まないことにはそれが真実かどうかなんて誰にもわからないのだ。
だから僕はこの時点で真実など求めていなかった。
僕があの時求めたものは、もっと大雑把な結果だけ。
「君の言う通り、囚人たちの様子だけ見て僕は確信したわけじゃない。さすがに未知領域で無謀な賭けに出るほど僕は勇敢じゃないさ。だからこそ検証した」
僕は笑って言葉を続ける。
「最初は指先を少し切った。次は手のひらを貫いた。その次は腕を切り落とした。その次は腹を抉った。そして最後に、胸を貫いた」
もはやバスピーに言葉はない。
僕の言っていることが理解できないのか、その瞳に怯えを滲ませている。
しかしそんな彼の様子など気にもせず、僕は己の成果をしゃべるのに夢中になっていた。
「結果はこの通り。いずれの場合においても体は元に戻った。どういう原理でそうなるのかはわからなかったけど、結果的に死なないことがわかればそれで十分だったよ」
「・・・いつの間にそんなことを・・・」
「時間ならたっぷりあったさ。資料室にいた時にね」
資料室でサイラとの交渉を終えた僕は、余った時間をこの検証に費やした。
そして作戦を考えたのだ。
この絶体絶命を、僕の逆転勝利で終わらせる作戦を。
「・・・狂ってる・・・」
彼は後ずさる。
まるで化け物でもみているかのようなその態度に僕は首を傾げた。
「僕が狂ってるって?何を言っているの?推測に命を懸けるなんて正気の沙汰じゃないと、君が言ったんじゃないか?僕も同意見だよ。だから事前に仮説を確かめたんだ。これほど理に適った行動も他にあるまい」
僕が一歩前に踏み出すと、バスピーがまた一歩後ろに下がる。
もう彼は恐怖に震える体を隠そうともしなかった。
「そもそもがおかしいじゃないか。なぜ私を疑った、なぜ私の裏切りに気付いた。お前が私の裏切りに気付けるのは、私がトトを殺そうとした時だけのはずだ。なぜそれより前から私の裏切りに気付いていたんだ!」
「別に気づけるタイミングはいたるところにあったさ」
喘ぐように言葉を発する彼に向って、僕は答える。
「まずは君がトトに残した地図だ。あれには集落の分布に明らかな偏りがあった。本来この地獄の集落は等間隔に配置されている。たとえ適当に歩いて地図を作ったとしても、ああいう分布の偏りは生まれない。それこそ少し高いところに登って見渡すだけでも、その規則性には気づけたはずなんだ」
シュウという囚人とともに山に登ってこの世界を見渡した時、僕はトトが持ってきた地図の不自然さに首を傾げた。
だが蓋を開けてみればどうということはない、そこにはそうなるべくしてなった理由があったのだ。
「でも君が作ったというあの地図はまるでその規則性に従っていなかった。君は地図上の集落分布を自身の潜伏エリアに集中させることで、僕たちをその場所へ誘導しようとしたんだ。普通何も当てがなければより多くの情報が得られそうな場所を目的地に選ぶからね。まんまとその思惑通り僕らは誘い込まれ、君と合流した。そうした狙いはただ一つ。君はエンマよりも先に、僕たちと接触したかったんだ。そうすれば自分の都合のいいように情報を吹き込んで、エンマが敵であるという先入観を植え付けることができる。違うかい?」
「・・・」
バスピーは答えない。
だが彼の反応など気にせず僕は話を続ける。
「次は要塞内部の様子だ。君は仲間が捕まったと言っていたけど、獄吏たちにはそんな様子など欠片もなかった。使徒にとって自分が管理する世界に他派閥の使徒が侵入することは一大事。もし仮にそんなことが発生した暁には大騒ぎになることだろう。にもかかわらず要塞は静かなものだった。重要な施設である宝物庫の警備ですら緩い。とてもではないけど最近侵入者を許したとは思えないほどの無警戒ぶりだったよ。本来ならそんなことはありえないんだ。エンマはそれほど無能じゃない」
彼のことはそれなりに知っている。
もし侵入者など許そうものなら、徹底して対応策を敷いてくることだろう。
だからこそ僕も最大限の警戒をもってして、要塞に侵入したのだ。
だが結果として、その警戒は徒労に終わる。
「あの時点で君の言葉を疑うには十分だったよ。そしてとどめは資料室での一件だ。君はあそこで、ズルをしたね」
僕が違和感を確信へと変えたのは、間違いなくあの瞬間だっただろう。
あの資料室には、秩序などなかった。
それもそのはず。
あそこの資料は、各々の獄吏が、各々の使う分だけのものを、各々のやり方によって管理することで整理されていた。
同じ種類の資料があっちこっちに飛んでいたり、全く違う種類の資料がひとまとめにされていたのはそういう事情があってのこと。
その証拠に、近場にある書類に記された担当者の名前はすべて同一人物のものだった。
つまるところ、あの膨大な資料の山から必要となるものをピンポイントで探し出すことなんて、その担当獄吏でもない限りまず不可能だということだ。
しかしトトとバスピーはそれをやってのけた。
それも極短時間で。
偶然か?
いいやあり得ない。
少なくとも偶然として片付けるよりは、そこに何らかの意思が働いていたと考える方がよほど自然なことだろう。
「君は僕たちに嘘の情報を流すため、あらかじめ偽物の資料を用意しておいたんだ。それをトトに見つけさせ、僕たちに無理やりゴールを設定させた。大寒獄の攻略というゴールをね。多少不自然だろうが、暗闇の中を手探りで歩く者にとってそれは光となり、目をくらませる。現にトトは疑おうともしていなかった」
未熟な後輩を思って僕は鼻を鳴らす。
「だけど僕からしたら、あの時点でもう君の黒はほぼ確定だ。そして君が黒だというのなら、こちらもそれ相応の作戦を立てればいいだけのこと」
問題がわからなければ問題を解くことはできない。
だが問題を認識することさえできれば、あとはそれを解けばいいだけの話なのである。
今回のこの事件、一番の難所は誰が何の思惑をもって動いているのかを把握することだった。
囚人、獄吏、サイラ、トト、エンマ、そしてバスピー。
まったくもってどいつもこいつも好き勝手動いてくれたものである。
だが事ここに至って、すべては僕の計画通りになった。
「さあ、ここからは反撃の時間だよ。まだ打てる手があるなら早めに使うといい。モタモタしてると、何もできずに全部終わっちゃうよ」
僕はそう言って、口元を歪めるのだった。
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