57話 地獄の理
回想終わり
そうして時は今に至る。
さきほどまであんなに騒がしかった戦場も、今となっては静寂に包まれていた。
囚人も、獄吏も、誰も彼もが動けずにいる。
まあそれも当然といえば当然か。
彼らは自らの意志で戦ってきたわけではない。
誰かの思惑の中で踊らされてきた者が、その思惑の外に放り出されればこうなることは必然だった。
もはやこの戦場で動ける役者は限られている。
「ルイ・・・」
「やあ、トト。久しぶり」
「・・・生きてたのか?」
「まあね。あとで事情は説明するよ。だから今は大人しく待ってて」
数少ない役者の一人が声をかけてくるが、僕はそれを軽くあしらう。
僕の視線が捉えるのは目の前の敵だけ。
その使徒は僕が生きていることがまだ受け入れられないのか、這いつくばりながらうめき声を上げていた。
「なぜ・・・生きている?」
「さあ、なぜだろうね?」
バスピーへの仕返しに成功した僕は頬を吊り上げる。
それを見た彼は、突然怒声を上げた。
「ふざけるな!お前は確かに殺したはずだ!」
「でも僕は生きている。それだけが事実だよ」
「ありえない!こんな理不尽があってたまるか!」
「理不尽?不思議な言葉を使うね。世界はいつだって神の定めた理の通りに動いているよ」
「理だと?こんな何もない世界にいったい何の理があるというんだ?所詮ここは罪人どもの掃き溜め。大した意味など存在しない!」
「傲慢だな。そんなことを言っているから足元をすくわれる。君は自分のご主人様の脱獄に固執するあまり、本来考えなければならない前提を考慮しなかった」
「何を・・・」
「それは世界の本質を理解すること。それを怠ることは使徒にとって致命的だ。君にとって囚人たちはただの駒に過ぎなかったのかもしれないけれど、この世界における主役は間違いなく彼らなんだ。少しでも彼らに向き合っていれば、君はもっとうまく立ち回れていたかもしれないのに」
「だからさっきから何の話をしている!」
錯乱状態になっているバスピーはみっともなく騒ぐ。
彼にとっては人間など取るに足らない存在なのだろう。
所詮は利用するだけの駒、使い捨ての消耗品。
そんな価値観を持つ彼に、人と向き合えなどと言っても理解できないのかもしれない。
だが結果として、その傲慢と怠慢は彼の無知へとつながった。
「自分の体を見てみなよ。それが答えだ」
思考を放棄した愚かな彼に、僕は優しく答えを示してあげる。
「なんだ、これは・・・」
今度こそ彼は言葉を失った。
その目に映るは、彼の想像を遥かに超える現象。
バスピーの胸に空けられた風穴が、見る見るうちに修復していくのだ。
ものの数秒もしないうちに、彼の体は元の無傷な状態に戻った。
「馬鹿な・・・」
「ああ、本当に馬鹿げている」
いくら使徒とはいえども体を破壊されれば絶命する。
頑丈な肉体を持つ使徒にはあまりそういった機会はないのだが、使徒同士の殺し合いなんかでは案外簡単に壊され、死に至るのだ。
ゆえにバスピーも僕の胸を貫いた時に殺せたと思い込んだのだろう。
大抵の場合ならその判断は正しいし、本命ではないとはいえ獲物を仕留め、満足した彼が確認を怠ったのも仕方のないこと。
しかしそれは完全に油断でしかなかった。
僕たちが相手にしているのは未知の世界の法則なのだ。
己の経験が通用しないことなど当たり前。
すべてを疑え。
なぜならすべてがあり得ることだから。
それは僕が掲げる未知領域における、探索の基本理念である。
原典を手にしていない使徒など、所詮ただの人間と大差はない。
使徒である己を特別な存在なのだと勘違いして、驕り高ぶってはいけないのだ。
バスピーにはその意識が欠けていた。
だから僕を殺し損ねたのである。
「君はこの地獄という世界には大した意味がないと言ったね。確かにここは代り映えのない殺風景な世界だ。僕らの興味を引くような文明もない。囚人は日々を呪い、獄吏はただ粛々と仕事をこなしている。諦念と停滞に支配されたつまらない世界と言いたくもなるだろう」
僕は周りを見渡しながらバスピーに話しかける。
僕の目に映るのは、やはり変わり映えのしない退屈な風景だった。
「だけどそれをもってして意味がないと断じるのは、やはり君の傲慢なんだよ。この世界の意味を決めるのは、ここに住まう人間か、あるいは神様だけさ」
そもそも僕らは部外者なのだから。
外から見て勝手に無価値と蔑むことなど許されるはずもない。
だが僕がどれだけ諫めても、やはりバスピーの考え方は変わらないようだ。
「人間など所詮神を崇めることしかできない獣ではないか!そんな無力で無能な存在なんかに価値などない!使徒こそ世界の支配者なのだ!」
彼は醜く叫ぶ。
その言葉は僕の信念を否定するものだった。
ならばここで引けるわけもない。
僕は彼に向って、ゆっくりと止めをさすように、言葉を紡いでいく。
「そこまで言うなら、君にこの世界のことを少しだけ教えてあげよう。この世界はね、流刑地なんだ。あらゆる世界から贖えぬ大罪を犯した者たちの魂を呼び寄せ、それを縛る残酷な世界。この世界で人間に許されているのは贖罪のみ。ただ己の罪を悔い改め、再び輪廻へと戻るためだけの苦行を強いられる。ここはそういう世界なんだ。それゆえある一つの理が、罪人には定められている」
バスピーが無意味だと言ったこの世界にも意味はある。
明確な残虐性をもってして、罪人を苦しめるためだけに造られた灼熱の世界。
それこそがこの世界、地獄なのだ。
だからこそ当然にして定められた理がある。
それは・・・
「罪人は死ねない。この世界では、死すら罪人には許されていない。救いは罰を受け、罪を贖うことでしか訪れないんだ」
神が定めし理は、いつだって僕たちの想像を超える。
原典が示すは絶対牢獄。
残酷なまでにこの世界は、人間に厳しかった。
「君がこの世界の根底にあるものを理解していないことはすぐにわかった。わかっていればトトを殺そうなどとは考えないからね。でも君はあの時僕たちを裏切って、殺意を見せた。本来この世界で抱いても意味がない殺意を。それが君の無知を僕に知らせた」
彼に冷めた目を向けながら僕は続ける。
「この世界の違和感とも呼べるべきものは、囚人たちをよく観察していれば簡単に気づける。あの灼熱の沐浴を何度も経験しているのに、囚人たちは誰一人として体に火傷を負っていなかっただろ?」
心を蝕むほどの痛みに晒されているのに体は平気なんていうアンバランスなことは、本来生物として起こり得ない。
痛覚とは己の肉体を守るためにあるものだ。
体が平気なら痛みを感じる必要などどこにもない。
それなのに囚人たちは痛みだけを背負っている。
これはまったくもっておかしな話だ。
しかし囚人たちのことをよく理解しようともしないバスピーは、その違和感に気付けなかった。
どれだけ隣で苦しむ姿を晒していようと、彼の心にあったのは主を助けるための算段だけ。
そんな曇った眼では世界の理など見えるはずもない。
「君はすぐ傍にあったものに目を向けようとしなかった。それが僕につけ入るすきを与え、君に敗北をもたらしたんだ。まったくもって、間抜けな話だね」
最後にとびっきりの侮蔑を込めて、僕はバスピーにそう言い放つのだった。
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