54話 王の交渉(中)
そして時はもう少し前に進む。
「というようなことがあったんだよ。お互い大変だったね」
僕は今エンマの執務室で椅子に腰かけていた。
これはバスピーによって胸を貫かれ、川に突き落とされた後の出来事。
あの状況から生還した僕は、再びエンマのもとを訪れていた。
するとエンマは無情にも、縄で縛られたずぶ濡れの僕を無理やり椅子に座らせ、尋問を開始したのだ。
まったくひどい話である。
しかし僕はそれに対して不満の一つも述べずに、真摯に対応した。
そうしてこれまでのことを説明し終えると、エンマはようやく落ち着いたのか、ゆっくりと椅子に腰かける。
「・・・事情はわかった。それで結局君は何のために私に会いに来たんだ?」
「僕は交渉に来たのさ。この世界を救うためにね」
そう言った瞬間、エンマが胡散臭いものでも見るかのように睨みつけてきたが、そんなことなど気にせず僕は話を続ける。
「もうわかってるんだろう?このままいけば、収拾つかなくなるよ」
「散々荒らしてくれた張本人がよく言う」
「おいおい、話聞いてた?僕も被害者だよ?」
「他派閥の世界に勝手に侵入した時点で同罪だ。それにお前は知っていたはずだ、ここに大戦で敗れた使徒が捕われていることを」
「まあ君が彼らを管理していたことは知ってたけど、それが大寒獄に投獄されてることまでは知らなかったな。完全に騙されたね」
「ふん、白々しい」
「ひどいなあ。この世界を救いに来た相手に言う言葉じゃないよ」
僕はわざとらしく肩をすくめた。
確かに今回の件において、僕が加害者であるかどうかはさておき、彼が被害者であることは間違いない。
彼からしたら、いきなり自分が管轄する世界に他派閥の使徒が侵入した挙句、これ以上ない厄介事を起こしているのだから腹が立つのも仕方ないことだろう。
もし僕が同じことをされたらブチギレてる。
だから同情もしよう、協力もしよう。
出来得る限りこの知恵を絞ろう。
それが筋というもの。
しかし事態がどうなったとしても、僕にも譲れない目的があった。
所詮使徒なんて自分勝手な生き物である。
結局のところ、最後は己の欲望のために戦うのだ。
「さて、エンマ。いつまで不貞腐れているつもりだい?時間もないんだから、さっさと話を進めようじゃないか」
そう言って僕はエンマの意識を無理やりこちらに向けさせる。
彼は険しい表情を崩さないまま、それでも僕の話に耳を傾けた。
「僕と取引するつもりはあるかい?」
僕がそう言った瞬間、彼はこれまでの怒りを封じ込め、王としての役目を思い出す。
「取引だと?」
「そう、取引だ。僕は君に協力する、君は僕に報酬を与える。単純な話だろう?」
「・・・ほう。君の協力の対価として、私はいったい何を支払えばいいのかな?」
「地獄の原典」
間髪入れずに僕は答えた。
そしてその発言を聞いたエンマは一瞬呆けた顔した後、首を横に振る。
「論外だ。話にならない」
「それはどうだろうね」
「原典は取引に使えない。わかるだろう?私が管理するのはこの世界ただ一つ。その原典を明け渡すということは、私の派閥が派閥として成立しなくなることを意味する」
「そんなことは百も承知だ」
「ならその交渉を受けられないこともわかっているはずだ」
「まあそう決めつけずにとりあえず話は最後まで聞きなよ」
彼の事情は理解しているし、その上で僕はここに交渉に来ているのだ。
当然妥協案も用意してきている。
「僕はなにもすべてを明かせと言っているわけではない。僕が求めるのは原典の一部開示、この事件を解決するために必要となる知識を提供してほしいだけなんだ。この取り決めなら地獄の管理に関する影響は最小限に抑えられるはず」
「・・・」
僕の発言を受けてエンマは黙り込む。
即否定してこない時点で一考に値したようだ。
「そもそも私が君の協力を必要としていることからしておかしな話だ。この件は地獄の問題である以上、我々だけで対処するべきこと。戦力の押し売りを受けてまで情報を開示する利点がない」
「そりゃ君の世界のことで最初から僕に頼られても困る。僕はあくまで保険だ、君たちが失敗したときのためのね」
「使うかもわからないもののために料金を支払えと?」
「保険ってそういうものだろう?」
「ならやはり値段が高すぎると言わざるを得ないな」
「それはどうかな?これでも格安のつもりだよ?だって僕の予想では、負けるのは君たちの方だからね」
「なぜそう言える?」
「大寒獄から脱獄するのが誰であれ、君にそれを止められるかい?天界ならともかく、使徒の能力が著しく制限されるこの地獄という世界で。君は純粋に力が強い使徒というわけではないだろうに。それに敵は使徒だけじゃない。囚人たちも君に反旗を翻す」
「手ならある。私とて地獄の支配者だ」
「この状況も想定済みだと?まあ君のことだからそれなりの対応は見せてくれるだろうけど、それで止められるほどあそこに眠っている使徒は楽な相手かな?それに君は大丈夫でも君の部下もそうと言えるかい?僕には彼らが安定した世界で平和ボケしてるように見えたけど」
畳みかけるように僕は言葉を繋いでいく。
「もちろん僕も君たちだけで無事に事態を収拾できればそれが一番望ましいとは思っているよ。でも何事においても絶対はない。万が一のために保険をかけておくのも支配者としての責務なのではないかな?」
「・・・」
エンマは迷う。
しかしそれも当然だ。
どういう信条のもとでそうしているのかは知らないが、彼は世界を一つしか管理していない。
彼の派閥の存在意義というものは紛れもなくこの地獄という世界にあった。
もしこの世界を崩壊させるようなことが起きればエンマはその地位を失う。
かといって原典を掌握されてしまえば世界の命を明け渡すようなもの。
その二つを天秤にかけて、彼は動けない。
それゆえ僕は原典の一部開示という譲歩を持ちかけた。
これなら矛盾した交渉をかろうじて成立させる。
「安心してほしい。別に僕は君たちの世界に害をなそうとは考えていない。原典の内容を知ってもそれを悪用しないことは約束する。君も知ってるだろう?僕は知識欲の権化なんだ。そこに未知があれば求めずにはいられない。これはただの趣味、それ以外の意味は本当にないんだよ」
ダメ押しとばかりにエンマに詰め寄る。
自分が今興奮状態に陥りつつあることに気付くが、わざわざそれを止めようとはしなかった。
むしろありのままの醜態を晒した方が真意を伝えやすいと考え、その衝動に僕は身を任せる。
「少しは検討する気になったかい?」
交渉は続く。
すべてが僕の意のままに。
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